2013/4/29

錆びた世界の朝  







あれは
寒い寒い真冬の朝だった
ある郊外の
数十年前に廃墟と化した
黒ずんだコンクリートの
ボーリング場の駐車場で
不法廃棄された八〇年代の車の中で
暖め合おうとするかのように
きつく抱き合ったまま死んでいた幼い姉弟
彼らの人生よりも
ずっと長く死んでいた時たちが
雪のように痩せた身体に降り積もっていた
彼らが
いつ
そこに辿りついたのか
誰にも判らなかった
誰かがそこに彼らを捨てて行ったのか
彼らが自分でそこに辿りついたのか
彼らの姿すら誰も見たものは居なかった


そこから数十キロ離れた街に
ある女が居た
もうすぐ三〇になるその女は
ある高層マンションの一室で
歯を磨きながら新聞の片隅にその姉弟のニュースを見つけ
内からの光が遮断されたような眼をした
新聞は畳まれ
歯ブラシは洗面所に戻され
女は食卓の椅子に腰を下ろした
小さな二脚の椅子と
向かい合う一脚の大きな椅子
その椅子に深く腰を下ろし
瓦礫の山を見つめるような顔をしてしばらくじっとしていた
壁にかかった時計が九時を告げるまで
女はそうしていた


泣き叫んでいたのは誰?


先に死んだのは弟の方だった
しばらくそうと気付けないほど静かに死んでいた
姉が気付いた時には身体はとうに冷たくなっていたけれど
凍えるように冷たい廃車の中だったからまるで気付かなかった
姉は絵描きが絵を見るように
少し身体を離して弟を見つめた
夜が更けてすぐのことだった
姉は口を開かなかった
もう話しかけても届かないことは判っていた
そうして
もうすぐ自分がそんなふうになってしまうことも
姉は
弟の僅かに開いた眼の中をじっと見つめた
彼のくもった網膜に
自分の瞳が映るのかどうか試そうとしているみたいに
とっくに感情は使い果たしていて
何も受信しないラジオのようだった
姉はもう一度弟を抱いた
もう暖め合うためではなかった
そして眼を閉じると
その人生で最後の夢を見た


もう身体が思うように動かない、寒さとか空腹とかももうそんなに判らない、痛過ぎて痺れているみたいになっていた指先もなにも感じなくなってしまった、夢を見ているみたいに目の前のものが遠い、すぐそばに寝ている弟さえも窓の外の建築物の様になってしまった、心が次第に水になっていくみたい、これが人生というものなのだろうか、私の人生というのはいったい何だったのだろう、遊べなかった、食べられなかった、学校にもそんなに行かせてもらえなかった、殴られたり投げつけられたりして、いつも身体のどこかしらがずきずきと痛んでいた、焼かれた様に身体の内側から疼き続けた火だってあった、空腹と痛みで台所の床に突っ伏している私の横で、あの人は黙って自分の分だけのご飯を作って食べていた、私はどうしてあの人を殴れないのだろう、私はどうしてご飯を作ることが出来ないのだろう、私はいつもどうしてこんなに殴られるのだろう、私はいつもそんなことばかり考えていた、身体のどこにも傷がない時でしか学校に行くことは出来なかった、同じクラスの人たちはいつも、私を知らない人を見るような眼で見た、私はいじめられもしなかった、いじめられるほどに認識されても居なかった、私はただ、色のついた空気のようなものでしかなかった、こうしてきっともうすぐ死ぬのだろう瞬間に思い出すことなんて、夏でも冷えた氷みたいに感じた台所の床のことばかりだ、コンクリートだから夏でもひんやりしているのよ、と、いつかあの人が話していたことがあった、コンクリートだから冷たいのだ、あの人もコンクリートで出来ていたのだろうか、私はあの人に殴られたり投げつけられたりするためにこの世界に生まれてきたのだろうか、きっとそうなんだ、きっと…だけど、私がこうして殴られていなければ、私がもしもそのことを拒んだのなら、あの人はきっとこの弟に同じことをしただろう、だから私は殴られないわけにはいけなかった、あの人はきっと、こんな小さな弟を殴ることだって平気でしただろう、弟にはお父さんが居なかった、それは私の時とは違っていた、私には最初からお父さんが居なかったわけではなかったから、お父さんが居るときは楽しかった、私はあの人に抱っこされて、歌をうたってもらって…お父さん?どこに居るの?お父さん?私いつもいつかお父さんが助けに来てくれると思って、ずっとずっとあの人に殴られ続けていたんだよ?お父さん、弟もう死んじゃったよ?まるで眠っているみたいに穏やかだけれど…お父さん、どこに行ったの?こんなわけの判らないところから、私を連れ出してはくれないの?あの人がお母さんじゃなくなったみたいに、あなたももうお父さんではなくなってしまったの?私、もっと学校へ行きたかった、たくさん勉強だってしたかった、夏休みにはおばあちゃんのうちに行って、カブトムシを取ったりしたかった、きれいな川にはだしで入って、魚が泳いでるのを見たりしたかったよ、私はどうしてそんな風にしてはいけなかったの?みんなみたいに勉強したり遊んだりしてはいけなかったの?私の最期の誕生日は六歳の時だったね、あの時から私はきっと歳をとっていないんだね、どうして私はこんなところで死んでいくんだろう、どうしておとうさんは助けに来てくれないのだろう、どうしてあの人はお母さんじゃなくなったのだろう、どうして弟は私より先に行ってしまったのだろう、お父さん、お母さん…


幼い兄弟のニュースが流れて数ヶ月が経った頃だった
とある高層マンションの一室で女が首を吊って死んでいるのが発見された
隣人が異臭に気付いて通報したとのことだった
台所の入口ドアに子供用のタオルを結び付けて
床に座った状態からゆっくりと体重をかけていったようだった
死体は静かに腐敗していて
首だけがドアにぶら下がっていたと発見した警官は語った


泣き叫んでいたのは誰?


それからしばらくして
姉弟が死んだ廃墟の駐車場の車の中で
後部座席に並んで座っている
女と二人の子供が居るという噂が流れた
興味本位の若者たちが夜ごと群がっては騒ぎを起こすので廃墟は閉鎖され
数年後にはすべてが取り壊されてただの更地になった









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2013/4/13

Come as you are  





核爆弾のように空は破裂した、ほら、戸外へ飛び出して踊る時だ、色とりどりの花々が新たな世界の誕生を叫んでいる、お前はそこに取り残されて薄暗い生涯を閉じるのか?魂の奥底まで光を当てなければ質感を持った言葉になど辿りつけはしない、何がお前を躊躇させている?何かを取り繕おうとするから、必要以上に自分を大きく見せようとするから、小細工に終始せざるを得ないんだ、そのままで来いよ、生まれたままのお前で来いよ、生身じゃなければその熱は充分に伝わらないとしたものさ、見ろ、無数の刃のような太陽の光だ、その中に溢れている詩のことがお前に判るかね?他のあらゆる表現と同じ、詩とは生命の破裂する一瞬さ、すました顔して楽な真似してるんじゃない、頭で考える前に湧き上がるものに取り憑かれてみなよ、お前の奥底でそいつは待っている、因縁のない霊のように、お前がそいつに気付くのをじっとうずくまって待っている、そいつにはお前が死ぬまでそこで待ち続ける覚悟があるぜ、なぜならそれはお前が持って生まれた魂の最も正直な姿だからだ、押しつけがましい真似は俺だってしたくはないけれど、お前のやってることが大事だっていうんなら、お前はそいつにきちんと答える義務があるんだぜ、そいつの存在をきちんと受け止めて、そいつがものすごいスピードで吐きだしてくるもの凄い現象を、一つでも多く拾い上げて変換して見せる義務があるんだ、法則とか主義だとか主張だとかそんなものはまるで関係がない、プリミティブな領域まで辿りつけなかったらこんなことになんの意味があるんだね?紙を汚すのか、魂を晒すのか、それだけのことさ、ただそれだけの違いしかないのさ、シンプルなことさ、だけどそのシンプルに辿りつくには、気が遠くなるほどの無数のプロセスが必要になるんだ、核爆弾のように空は破裂した、それが最も正しい瞬間さ、小細工は光に搔き消されるのみさ、からになるまでやってみればいい、先へ先へと突っ込んで、もう何もやることがなくなるまで、すっからかんになるまで一気にやっちまえばいいんだ、新しいものがお前の中を満たすまでそんなに時間はかかりはしないさ、慣れたことばかりやっているとそれに気付けないんだ、お前が追いつけるようなものなんかほっとけよ、そんなもの、きっとお前以外の誰かにだって辿りつける領域さ、少しは遠いかもしれないけれど、きっとそれはバスで行ける終点ぐらいの距離でしかないものさ、もっとぶっ飛ばしてみろよ、思考のスピードを越えてみろ、それだけがすべてではないかもしれないけれど、その先には途方もなくスッキリとする瞬間があるんだ、少なくともそのことだけは俺には保証出来るよ、手にする道具のことより自分自身を信じるべきさ、言葉なんてただの道具だぜ、扱うやつの手先がすべてさ、そいつが何を描いて見せようとするのか、それがいちばん大事なことだぜ、道具の出来を誇りたいならあっちに行って論文でも書いてるんだな、そんなもの、小難しい顔した奴らの餌にしてやればいい、そう、何かしらネタが無ければ話しも始められない連中の為にさ、キャットフードのように投げ出してやればいい、ディスカッションで詩情が生まれることはないよ、詩ってのはひとりで書くもんだ、たったひとりだけの、自分自身の為に延々と書かれる経文みたいなものさ、俺は集団を信じない、俺は宗教を信じない、俺は国を信じない、俺は世界を信じない、なぜなら俺には俺だけの経文があり、なぜなら俺には俺だけの神がある、それは俺の奥底にうずくまって俺のことを待っている、俺は生きてるうちにそこに辿りつきたい、自分に出来る限りのプロセスをフル稼働してそこに辿りつきたい、マイ・ゴッドってやつさ、俺の神はそこにしか居ない、信じる領域の違いさ、価値観とか、そんなレベルの話じゃない、それは信じる領域の違いなんだ、俺は自分が何をやっているのかということをきちんと理解している、誰かの後を継ぐみたいなごっこをしたいわけじゃないのさ、俺は俺だけの神に跪くためにこうしているんだ、ときどき、ほんとときどき、それも一瞬だけど、俺だけの神が間近に居ると感じるときがあるんだ、彼に限りなく近づいたと、そう感じる瞬間が、それは俺の脳をとろけさせる、上等な肉が口の中で溶けていくみたいにさ、それは得も言われぬ恍惚なんだ、なあ、難しく考えて見せるようなことじゃないぜ、これは間違いなくアドレナリンのなせる技だ、思考のスピードを追い越すんだよ、手を止めて何が有効かなんて考える前に、出せるものをすべて吐き出してみればいい、喉の奥まで指を突っ込んでさ、つっかえてるものをすべて吐き出してしまえばいい、判るか、すべてが終わって、また満たされていく時の気分ったらないぜ、ほら!核爆弾のように空は破裂した!戸外へ飛び出して踊る時だぜ!



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2013/4/4

呪いの朝  





薄汚れた路地を歩いていた、時間は判らず、空は明方のような薄暗さをもう数時間は保っているように思えた、それはフィルムのように誰かの手が届く中空に張り付けられてるのかもしれない、でもいったい何に?そんなこと知る由もなかった、路地は、街に漂うあらゆる夜がすえたような臭いが染み付いてた、俺は顔をしかめながらなだらかな上り坂を歩いた、幾つもの緩いカーブが左右にうねり、そのたびに少しだけ方角の見当が失われた、いつからそうして歩いているのだろう、足の裏には皮膚の内側に異物が紛れ込んだかのような痛みがあり、膝は疲弊していて、なにかの拍子にすっぽりと関節が抜けてしまうのではないかと思うほどに心許なかった、身体にはじっとりと汗を掻いていた、亡霊のようにへばりつく汗だった、歩行の振動に合わせて、短く荒い息が口から漏れた、痩せた黒猫がお決まりの不幸の示唆のように手短に前方を横切って去っていった、どこかで犬の吠える声がした、近くのようだったけれど、方々の建物の壁でその声は跳ね返って、どのあたりで鳴いているのかまったく見当はつけられなかった、二階以上のいくつかの窓に洗濯物が干したままになっていて、そのどれもがトンネルを通過してきたように黒く煤けていた、あれはいつからあそこにあるのだろう、と俺は思った、あれを干した人間たちはもうここには居ないのだろうか、部屋の中で死んでいるのか、それともどこかへ去ってしまったのか?捨て子のような洗濯物を見上げていると、自分の身体までがそこにぶら下がってしまうような気になって目線を落とした、路の先は相変わらずの景色が続いていた、あとどれだけ歩けばこの路地は終わるのか、そしてどこに辿りつくのか、全く判らなかった、そもそも、なぜそんなところを歩いているのかさえも、それでも俺はまた気を取り直して歩を進めるのだった、やはり空に明ける気配はなかった、そもそもがこういう天候なのかもしれない、ひしめきあうように伸びる建物に阻まれて、太陽が見えないだけなのかもしれない、そんなにこだわることではないのかもしれなかった、だけど太陽がないというそれだけのことが、様々な懸念を生むことになるのだ、俺はへとへとに疲れていたが、同時にいらついてもいた、なぜこんなところを延々と歩かなければならないのだ、そこらへんの窓を叩き割ってしまいたいくらいの気持ちがくすぶっていた、急かされるような感覚があった、早くしろ、早く歩け、早く行け、誰かが背後から俺の耳元でずっとそう囁いているかのような、そんな感覚、そしてそれには、無視してはいけない絶対的な何かが含まれていた、俺はそいつの意志に左右されていた、俺自身、そこを歩いていきたいのかどうかなんて判らなかった、名前すら知らない路地をなぜ歩いているのか、誰かが通りかかったのなら冗談交じりに聞いてみたい気分だった、誰か?誰か、誰か居るのだろうか、この街角には、果たして誰かが存在しているのか?俺はもう一度上を見上げた、相変わらず遠く薄暗い空と煤けた洗濯物があるだけだった、ある窓に誰かの影を見たような気がしたが、気のせいと言えば気のせいで済むくらいの感覚だった、そんなことにこだわってはならない、なんだか判らないが、俺はこの先まで路地を進まなければいけないようだ、俺は歩き始めた、時々歩き方を忘れたみたいに膝ががくんと崩れた、ちくしょうめ、と俺は毒づいた、天気、臭い、洗濯物、そんなもののすべてが俺をいらつかせるために存在しているような気がした、俺はムカついた、相当にムカついた、路地の隅に積み上げられていたごみの中から鉄パイプを掴みだし、そこら中の窓を叩き割りながら歩いた、誰も出てきたりしなかったし、怒声が聞こえてくることもなかった、なのになぜだろう、幾つもの窓を割ったあとで、俺は背後から漂ってくる得体の知れない気配に気付いた、考えなしに振り返ると、有害物質を燃やした時の煙みたいな黒いものが、俺を捕まえようと路地の奥から迫って来ていた、俺はパイプを捨てて走った、だけどそんなに長くは走れなかった、俺は初めからクタクタに疲れ切っていたのだ、俺は路に倒れ込んだ、路面からは耐えがたい臭いがした、いくつもの死骸がそのうえで腐っていったみたいな臭いだった、黒い煙は俺の身体を包みこむと、大きな手のひらで握り潰そうとするみたいな圧力をかけてきた、俺の身体はその力にまるで抵抗することが出来なかった、まず脊髄が折れる音がした、次に肋骨が砕け、最後に骨盤が割れた、内臓が破裂し、口から血が噴き上がった、おそらく他のところからも血が流れ出しているのだろう、俺の肉体はカラメルに塗れたみたいにぬるぬるとし始めた、そうして俺は、俺の肉体は拳くらいの大きさの歪な玉になった、飛び起きると全身にびっしょりと汗を掻いていた、嫌な夢だ、と俺は思った、汗を拭う時に両肘に痛みを感じた、見てみると固い地面で擦りむいたような傷があった、立ちあがろうとすると同じ痛みを膝にも感じだ、確かめると同じような傷があった、唇を舐めるとどろりとした感触があった、指で舌に付いたものを拭ってみるとそれは血だった、俺は振り向いた、あの黒い煙がぼんやりとそこに漂っていて、ぶうぅ、とモーターのような音を立てると、風に吹かれたように消えた、俺はしばらくの間呆然として、両手で顔をゆっくりと拭った、この一日をどんなふうに始めればいいのか、まったく見当もつかなかった。




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