半身壊れた野郎、ブン回せ言葉の鞭  





俺は一九七〇年に生まれた、鏡川の近くの、へその緒を雑に扱う産婦人科医の手によって―生まれてろくに息もしてないうちに肺炎にかかり、「あの子はもうダメだ」と皆に諦められた、俺はまだヒューヒューとか細い息をしていたのに…俺は生まれて数ヶ月で、すでに諦められていたのだ、自家中毒、栄養失調、風疹、はしか、おたふく風邪、それらすべてを四つまでに済ませてしまった、おかけでその頃までの写真は、すべて青白く、ガリガリに痩せ細った陶器のような身体だ、あの時、治療室の中でまだ目すら開かぬ俺はなにを見たのだ、あの時一度俺は死ぬことが決まっていたのか、なにを見ていたんだ、小さなベッドの上で、なにを見ていたんだ、冷たい無菌室の中で…あの時きっと俺の中でなにかが起こっていたのだ、俺の魂を決定づけるような、なにかが…病気をしなくなったと思ったらすぐに目が悪くなった、当時よく読んでいた絵本がすっかりぼやけて見えなくなった瞬間をありありと思い出せる、眼鏡を掛け始めたのは小学校に上がる少し前だった、確かそうだ、それから鼻がおかしかった、しょっちゅう耳鼻科に連れて行かれて、繭のような形の洗面器を持たされ、鼻にホースを突っ込まれて、鼻腔を洗浄された、嫌で嫌で仕方がなかった、だけどどうしようもなかった、蓄膿症というやつだった、そういえばいつの間にか耳鼻科には行かなくなった、もういいと医者が言ったのか、それとも母親がそう思ったのかはよく覚えていない、そして俺の右耳は、角度によってまるで何も聞こえないことがある、二十代になるまで人よりほんの少し耳が遠いことに気がつかなかった、それは多分俺の母親譲りだ…俺の母親の右耳は、孔が入り組んでいてある角度での音を聞き取ることが出来ない、もう少し悪ければ障害者認定をしてもらえる、そういう耳なのだ、と以前に話をしていた、俺はずっとそのことを思い出さなかった、二十代半ばになって初めて気づいたのだ、自分が時々まるで人の声が聞こえていないことに―確かめることは出来るのだろうけどまだ確かめたことはない、まるで使えないというわけじゃないからだ―そして奥歯が無いせいか、唇の右端は奇妙に持ち上がり、いつでも誰かを小馬鹿にしたように笑っているみたいに見える、これのせいでずいぶんと考えの足りない連中には絡まれるが、正直言って俺のせいではないのでなんとも返答する気にもならない、ネバーマインド・ボロックス、「勝手にしやがれ」ってやつさ…右の肩の骨は内側に僅かにカーブしていて、ある種の力を込めると半分だけ関節から外れる、本気で力を込めるとすっかり抜けるかもしれないがあとが面倒なことになりそうなのでまだ試したことはない、赤子のころによく外れていたらしい…右の膝も少し内側に入り込んでいて、歩くとき奇妙なフォームになることが時々ある、つまり、俺の右側はおかしなことだらけというわけだ、俺はそんな身体を抱えて、生まれてすぐに見たなにかの作用によって、半分現実を欠いた人生を生きてきた、頭の中にはいつでも生と死とがあった―緩慢な自殺を図ったことがある、いや、実際のところ、あれが死ぬ気であったのかどうかは判らない、小学校の三年くらいだっただろうか?ガット・ギターの弦の端をテーブルの脚に巻き付け、その先を自分の腕に何度か巻き、開いた手で余った端を引っ張って…腕を千切ろうと考えていた、もしくは壊死させようとしていた、何かが足りないことに憧れていた、その時はそう思っていた、だが、今考えてみると、俺はたぶんこう思っていたのだ、「どこか足りないくらいが自分らしい」「その方が判りやすい」きっとそう感じていたに違いないのだ、もちろんいまでは、あの時腕を失わないでよかったと思ってる、それは三時間ほど続いたが、千切れも腐りもしなかった、力が足りな過ぎたのだ、ただあの時間、俺はなにも考えなかった、汗をかいた記憶が無いから、きっと夏以外のどこかだろう、なにがどうなるのかあまりよく判らないまま、俺は弦を引っ張り続けていた、失いたいという願望がどこかにあった、だけどそうなることでどんな道を歩むつもりだったのかは、今となってはもう思い出せない―周囲との時差を感じ始めたのは中学生の頃だった、どこかに目をやるたびに自分を取り囲んでいる断層が見えた、皆が楽しんでいる出来事が、まるで楽しそうに見えなかった、そういうものなんだな、と俺は考えていた、不思議とそのことで悩むことはなかった、だって周囲の連中は、俺が知っていることをまるで知らないように見えたから…視力が落ちた時に内斜視になって、俺の右目は焦点がずれていた、目だけで右を向くと、右の黒目は完全に眼窩の奥に隠れてしまい白目だけになった、そのことで俺は一時期見世物のような存在になった、皆が俺の白目を見て嫌な顔をした、だけど何度も見たがるやつはいなかったから、俺は気前良く見せてやった、どのみちくだらないことに違いなかった、そんなことになんの感想もなかった、中学二年の時に手術をして少しはマシになったが、いまでもこの右目には苦労を強いられている、なにしろ自分がどこを見ていることになってるのか、自分じゃ全く判らないからだ―だけどそんなこと、自分じゃどうしようもないじゃないか、そうだろ?あれの手術は、目を開けたままするんだ、注射と眼薬で麻酔をかけて、寝転んで上を見ていると、針やメスが近付いてきて、その目に何かをしていることが判るのさ、針が刺さり、糸が抜けていく感覚、あれはなかなかちょっとした経験だったぜ、まあ、今はもっとマシになっているのかもしれないが―高校に上がる頃には俺はいろいろなことを投げていた、これはしばらくの間続くのだろう、そう理解していた、どこかに目をやるたびに、断層の隙間の暗闇に描かれたありがたくない示唆が見えた、俺は重さが足りず、満足に転がらない石がモタモタと山肌を転がるように毎日を生きていた、まるで面白くなかったし、どこにも接点が無かった、悪い奴らに酒と煙草を教えられたけど、そんなものにもなんの感想もなかった、悪くなることにもたいして興味はなかった、ルールの中で遊んでいるようにしか見えなかった、そんな中演劇を始め、少し世界が楽しくなった、地方の劇団に入って、何度か公演に出た、三度目の頃には、その劇団との誤差を感じていた、俺は劇団を辞め、自分で台本を書いて短い芝居を始めた、三十分にも満たない短い芝居をやっていた、安く借りることが出来る喫茶店のホールを借りて…そうしてだんだん書くことに魅せられていったのだ、夢中になって何かを書いていると、身体の中をなにかが突き抜けていくことがあった、俺はそれが欲しかった、なにを書いているのかなんてたいした問題じゃなかった、それがあるかないか、それだけが大事だったのだ、それは物語の時もあったし、詩のようなもののこともあった、そしてやっぱり、死と生は俺のそばにあったが、それは遠いものではなくなっていた、生きていれば死ぬこともあるのだ、俺はなにかが頭の中をよぎる限り、言葉をブン回して文脈を形作る、上手くいくこともあるし上手くいかないこともある、だけど―判るだろう、そんなことは大して重要なことではないんだ。




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