2014/9/26

弾道(千鳥足で、無闇に。)  










触れるだけで音も無く切れる鮮やかな刃先が咽喉元にあるかのような心境だ、ほら、勘付いているだろう、ただの亀裂だったものが次第に音を立てて崩れていきそうな予感に。デッド・ラインのすぐそばにもうお前は居る、もしかしたら迂闊な片足ぐらいはもう向こう側に踏み込んでいるかもしれないな。冷たい感触が少しずつ近づいてくる、真赤な血が静かに、しかし止めども無く溢れ出してくるのは明日かもしれない。ある種の人間は皆、生きれば生きるほどに冷たい穴ぼこの中に落ち込んでいくような気分になる。人生の数だけ、得たものの数だけ、失ったものの数だけ、深くなっていく穴ぼこの中にさ。厄介なのは、そいつが絶対的なものを孕んでいることさ、その完全な暗闇の中に、存在の説得力とでも呼べそうなものを含んでいやがるのさ。お前はその穴ぼこの気配を時々身近に感じて、そしてその中に落ちていく瞬間のことを考える、俺は悲鳴すら上げないかもしれないと…そこに落ちるのは仕方が無いことなんだとそう考えてしまうのだろう、と。その穴ぼこにはそれだけのヴィジョンを克明に描かせるだけの説得力がある。誰もそこから逃れることは出来ない。手にした物語や、偶然目にしたニュースや、あるいは自分でだらだらと書き連ねたものの中に誰かの死があったとする。そんな時お前はこう考えるのだ―こいつは俺の代わりに死んだのだ、こいつは確実に俺の代わりなのだ―と。お前はいつでも誰かが用意してくれた形代に勝手に自分の命を吹き込んで、様々な様式で冷たくなってもらうのだ。死ななくてもいい。狂ってくれるだけでもいい。狂って、何かとんでもないことをしでかしてくれるだけでも。たとえば誰かを滅茶苦茶に殺してくれたって構わない。それでお前の人生は幾らか報われるだろう。少なくともお前はそう感じているだろう。血色の悪い爪を噛み千切りながら。幾つかの有意義な眠りを放棄した真夜中に親指の付け根で痒い目を擦りながら。鏡を見てみろ、見飽きてるだろうけど。もう一度ちゃんと覗いてみるがいい。ほら、お前の目は歪んでいる。右目と左目が仲違いをしたかのように少し離れている。右目のほうがより強くそのことに意識的であるように見える。そのせいでお前は上手く焦点を合わせることが出来ない、そうだよな?よし、次は鼻を見てみろ、どこかにぶつけたように腫れあがったみたいな段になった鼻筋や、やや右に歪んでいる妙に目立つ鼻を。よし、次は口だ。漢数字の一を毛筆で書いたみたいに、右上がりに歪んだ口を。お前はこの口のせいで最近いろいろと面倒な思いをしているよな?まあ、仕方ない。我慢が出来ないことが美徳だと思っている猿のような連中が、この町には腐るほど居るからな。だけどお前はそうした連中のことが不思議で仕方が無い。そりゃあ、お前自身は見ず知らずの他人が自分のことをどうこう思っているなんて勘違いするようなきちがいではないからさ―少なくともそうした種類のきちがいではないからさ。だからそんなことはいいんだ、取るに足らない連中が大勢居るなんてことは、きっとどこのどんな場所にだって転がっているようなことだからさ。俺が穴ぼこに落ちるときはどんなときだろう、とお前は頻繁に考える。あらゆるそんな瞬間のことをお前はいつでも考え込んできた。ありそうなことも、ありそうにないことも。それは恐怖でもあったし、興味でもあった。生への執着こそ忘れたことは無いけれども、出来ることなら自分の死を見てみたいとお前はいつでもそう考えていた。まだ生きることの何たるかをろくに掴んでもいないころから、お前はそのことについて考え続けてきた。本当にそうするつもりだったのかどうかいまとなっては釈然としないけれど、何時間も自殺ごっこに精を出していた日だってあったよな。小学校の三年生くらいの、おそらくは休みの日の午後だった。あの時家族は皆出はらっていて、家にはお前一人しか居なかった。お前はあらゆる自殺の真似事をしたっけな。そうしてそんな遊びの本質のようなものに思いを馳せ、そんな戯れのせいで本当に死んでしまうような人間だってきっと居るんだろうな、なんて考えたっけな。本当にあの時死ぬつもりがあったのかまるで思い出せない。近頃なぜかそのある日の午後のことが無性に気にかかる。静かな午後だった、本当に静かな午後だったな。まるで誰かの通夜みたいな午後だったさ。夏以外のどこかの季節だ。それは蝉の声が記憶の中に残っては居ないから。それ以上のことは何も思い出せない。ただあの日、自殺ごっこという出来事があったということ以外はさ。小さな音でクラッシュが流れている、小さな音でもクラッシュしている、スピリットは模倣出来ない、いいかい、スピリットは模倣出来ない。生きてるうちに死体になることが出来ないようにさ、それは必ずお前自身の在り方に変換されなければならないんだ、他人の服を着てそれらしく振舞うようなことがしたいだけならここに来な。俺が自分の手で脳天を叩き砕いてやる。お前の脳漿をデザートに食らうのさ、きっと糖分が多めだろうからな。そうして俺は穴ぼこのことを考える。今日は少し長く眠り過ぎたけれどそれ以上のことは何も無かった。
















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2014/9/20

トラッシュ(覗き込んだつもりが実は)  








空は、終わっているものたちで溢れていて、術のない鳥たちが嘆きながら羽ばたいている、雨模様から懸命に抜け出そうとする太陽は、幸せを主張しすぎて磨耗した群衆を疲れさせている、誰の言葉も届くことなんてない

飲み尽くされ捨てられた路上の缶コーヒーの飲み口に一匹の羽蟻が迷い込み、加糖飲料の暗闇の中に作成された絶望を覗く、解読されることのない黙示録のようなそれは、空気に侵食され緩やかに腐敗しながら、エンドロールを提示し続けている

排水溝に潜んでいる得体の知れない生物、もとは誰かが飼育していたものだった、彼は必要のない余り物ならすべて食った、そうして太り続け、よりよい獲物を求めたが、欲望に塗れる頃には身体が自由にならぬほど太っていた、汚水の中で彼はすべてのものを呪いながら惨めに死んで行った、もの言わぬ彼の姿はまるで排水溝の賢者のようだったが、すぐに形を無くして記憶の海のようにねっとりとうねる水の中に落ちていった

ストリートミュージシャンが喝采を浴びていた、彼は美しいラブソングをたくさん作ることが出来た、そしてそれを美しく演奏する技術も持ち合わせていた、彼がギターを爪弾いて歌い出すと誰もが脚を止めてうっとりと聴き入った、彼の声は蜂蜜を落とした珈琲のようにちょうどよい苦味と甘みを持っていた、そして彼は真夜中に何人もの女を殺している殺人者でもあった、始まりがどんなことだったのか彼自身もう思い出すことはなかった、ただ非情に残酷に女を切り刻んだその夜には、この上無く美しい音楽を作り出すことが出来た、彼は今日も全身全霊で歌っている、彼が手にかけた女たちの中には、まだ居なくなったことさえ気づかれていない者も大勢居る

鋼鉄のドアの向こう側で一向に終わらないノルマを抱えた工場長が250tのプレス機にワイヤーロープを掛けて首を吊った、発見されたときには首がちぎれかかっていたそうだ、足元には裏に無数の数字が書き殴られた発注伝票が一枚落ちていた、それは彼の血を吐くような努力の成果であり、そして一度も評価されることはなく葬られた結果であった、機械油と大量の血液、そして垂れ流された糞便が混じり合った臭いはまるで具現化された呪いのような印象を人々に与えた、その日のうちに工場は閉鎖された、責任者は行方をくらまし、誰も後始末をすることがなかった、工場長の死は印画紙のようにそこに焼き付けられてしばらく生き続けた

60年ほど前にある河で溺れた少女はまだそこを出ていくことが出来ず、涙の後に湛えられた闇を映した瞳で河原に座り込んでいた、彼女の父も母もすでにこの世には居なかった、二人とも彼女のことを連れて行こうとこの河原に立ち寄ったけれど、お互いにその姿を目にすることも叶わなかった、彼女と彼らとでは立ち位置が違い過ぎた、彼らは絶望しながら去り、彼女はもはや描く感情すら無くただ座り込んでいた、思い返すのは水の中で死を予感した瞬間の戦慄と、何とかこの世に留まろうと強く願った思いだけだった、朝に光を跳ねる川面を、夜に隠れ、わずかなせせらぎだけを聞かせる川面を、彼女は眺め続けた、どんな変化が訪れることもなかったし、それはこれからもおそらくは訪れることはないだろう、認識されない質量はどこへやられることもない

日常は淡々と流れ、それは最高の優しさであり、また、最高に残酷な現象でもある、ある瞬間とある瞬間の狭間で、それは振り分けられていく、心のありようがどうだとか、日頃の行いがどうだとか、実際そんなことはあまり関係が無い、それはただ、どちらの側に転がって来たかという話に過ぎない、そうでなければ、例えば河原に座り込む少女の人生が報われることはない、神の言葉を信じてはならない、悪魔の言葉を、閻魔の言葉を信じてはならない、すべての幸や不幸が誰かを選んで訪れることが無いように、この世の終わりになるほどと頷けるような理など存在しない、たまたま弾道に重なって立っていた誰かが撃ち抜かれてぶっ倒れる、それだけのことなのだ、俺もいつかそのことを知るだろう、あなたもいつかそのことを知るだろう、俺たちはルールの無いボードゲームの駒であり、気まぐれのようなものに左右されて一生を終えるのだ、誰の死を哀れむこともする必要はない、その舞台には必ず立つことが出来る、生涯を嘘だと思えなければ、勇気など持ちうることは不可能だろう。








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2014/9/15

ライン  







書き連ねられた言葉には偽りがあるだろう、それが真に正直な思いなら初めから言葉などに化けはしないだろう、何か引っかかるものがあるからこそそいつは言葉に化けた、正直な言葉など万にひとつもないのだ

ある晴れた日曜の朝、騒がしい街の中を人の波を縫うように泳いで、繁華街の一番端の錆びた商店の廃屋に忍び込んで、ひとりの娘が首を吊った、十代の終わり間近の、肌の白い娘だった、青白く変色して、体内のあらゆるものを排出していたが、表情はまるで眠っているように穏やかだった、昼には臭い始めた、おかげですぐに発見されることが出来た、もしかしたら彼女はそんなこと望んでいなかったのかもしれないけれど

彼女はすぐに鈍感な幸せにどっぷりと使った連中の見世物になった、人だかりが出来て、携帯やスマートフォンのカメラのシャッター音があちこちでこだました、「キモい」だの「すげえ」だのと、お粗末な表現が雛鳥の囀りのように巻き起こった、そのうち臭いに耐えられなくなって、顔をしかめてそこを離れるものもいることはいた、でもそれは、臭いがどうのこうのというよりは、理性的な領域で許容出来うるか否かという問題なのかもしれなかった、「ツイッター」という言葉と「ヤバい」という言葉が聞こえた、警官がやって来て野次馬を下がらせた、警官たちは悲しいとも腹立たしいとも取れる表情で娘の死体を下ろし、死体袋に包んだ、奥に潜っていた警官が遺書らしきものを見つけた、二人ほどがそれを読んで理解しかねるという風に首を傾げた、そこに書かれていたのは短い詩のようなもので、死を選択しない者たちには決して理解出来ないだろう内容だったー死の種類の良し悪しをどうこう言おうというつもりはない、ただそれはそういう種類の言葉だったというだけのことだ

その短い詩の他に残されたものはまるでなかった、娘がどこの誰なのかそこにいる誰にも知ることは出来なかった、そしてそこにいる誰もがそういうことには慣れていた、納得することは出来ないがそれはそういうものだ、とそこにいる誰もが思っていた、おそらくどんなに探しても彼女が誰であるかということについては知ることは出来ないだろう、と

やがて娘は運び出され、周辺は簡単に片付けられ、警官たちは居なくなった、しばらくの間は愚かな連中たちのざわめきがあったが、やがて誰もそこであったことには興味を示さなくなった、人混みは次第にまばらになり、やがて誰も居なくなった、ひとりの老婆がやって来て静かに手を合わせて少しの間祈った、それだけだった、持主の判らない錆びた建物はそれきりどんな意味も持つことはなかった

書き連ねられた言葉には偽りがあるだろう、それが真に正直な思いなら初めから言葉などに化けはしないだろう、何か引っかかるものがあるからこそそいつは言葉に化けた、正直な言葉など万にひとつもないのだ、あなたはわたしの言葉を疑い、わたしはあなたの言葉を断罪するだろう、なにも語ることは出来ない、生まれてそのまま死んでいくたくさんの音節、塵と同じ存在の死が床に積もって、部屋は満ちていく、どんな嘘なら良かった、どんなデタラメなら…信じることも疑うことも容易い、本当に本当に何もかも容易い、紐を引けば明るくなる電灯のように容易い、信じるに値するか、疑うに値する、そんなものが欲しかった、たったひとりで眠るときに、たったひとりで目覚めるときに…わたしがあくびをするとき、目の端に残った目やにを気にするとき、それが嘘でも本当でもないというところにあったまま微動だにしないとしたら、それは…

娘の言葉は娘が望んだほどに広まることはない、それどころか誰の目に留まることもない、娘はやり方を間違えたのだ、何事かを残すのなら出処をはっきりさせておかなければならない、つまり娘は自分の存在を明らかにしておかなければならなかったのだ、嘘であろうが本当であろうが、つまりはそれが発するということであるのだから、それが何かを残そうとするものたちに課せられたしきたりであるのだから

無記名な文書はゴミ箱から焼却炉へ、そして灰になり無意味に積もっていく、彼女が見ていた言葉と同じように、彼女が見ていた存在と同じように…彼女の真っ白な骨はなにも待たぬまま、暗がりで遮断された運命の中に眠っている、日付は進行し、様々な出来事が日常の中で記録されていく、そうして彼女はあるともないとも言えないささやかな物体になる、嘘や本当で計れないものなら良かったのだろうか。








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