2015/6/15

傷を編む  








生ぬるい夜の穿孔だ、レーザーメスのような鋭さと正確さで、おれの魂は一本の絹糸のような血液を吹き上げる、それは紙の上に散らばり、ひとつの未熟なフレーズとなり、そのままで終わる…それは宿命であり、決定的な終わりだ、おれが、正直であろうとするかぎり…


すこし雲は多すぎたけれど、晴れた日だった、国道の電光掲示板が示す気温は、25度か26度をうろうろしていた、このところの、きちがいじみた気温からすればそれはすこし涼しいとかんじるくらいで、おれはずっとすこし震えたり汗ばんだりしていた―50ccのエンジンはきっと、人間がシンクロしうるギリギリのスケールだ―だからおれはこの乗物から離れることは出来ない、194号線、荒ぶる神のような静けさと激しさを湛えた河のそばを流しながら、断絶の意義を確かに感じた正午、農作業をしている連中に昼飯を食わせるための暢気な音楽が小さな集落に流れていた…もちろんおれはそこで飯をくったりはしなかった、人間にはそれぞれにふさわしい場所というものがあるのだ


午後、生命の在り方は自室でのぼせていた、遅くまで眠ることが出来なくなったせいで、時間がやたらとゆっくり過ぎる、それはいいことに違いなかった、だが、そんな流れにはどこか、焦れたような気分を覚えることがあった、なにひとつ、先を急いでいることなどないのに、だ…台所の皿を片付け、茶を沸かし、米を磨いで、その日やらなければならない用事は済んだ、長くプッシュアップをして身体を痛めつけてからシャワーを浴びる、半日日光を浴び続けて赤く焼けた肌が痛むかと思ったが、まったくそんなことはなかった、ときおり、山の深いところでずっと、木陰の中を走っていたせいかもしれない…汚れをきれいに落とすには泡をすぐに洗い流さないことだ、最近そんなことを覚えた、だから、身体を洗うたび、顔を洗うたび、髪を洗うたび、浴室で呆けて泡が汚れを浮き上がらせるのを待っている、そんなときおれは、きっと死体になった自分のことを考えている


昔ほどじゃないが、いまでも時々、インターネットで無残に死んだ人間の写真を見る―べつだん、奇をてらいたいわけじゃない―そこには自分の知りたいことが確かにある、おれは自分でそのことを理解している、それだけのことだ…そんな写真を見ながらおれが考えるのは、たとえば巨大なトレーラーのタイヤに巻き込まれてゴムのように湾曲した肉体がもしもおれのものだったら、というようなことだ、どんな写真でも、そうだ…人生においてほんの数回、事故にあったことがある、一度は雨の日、三輪バイクで配達の仕事をしていて、路面電車の軌道に入り、スリップして線路脇の家屋に突っ込んだ―割れたガラス戸の破片は切れた右脚のふくらはぎに潜り込み、小さな破片や粉は結局取り切ることが出来ず、傷が塞がったいまもこの身体の中に潜んでいる…二度目は過酷な仕事をしていたころのことで、原付で自宅近くの裏道を走りながら転寝をしてしまい、一時停止の小道で止まることなく飛び出し、横から跳ね飛ばされた、あのときのことはいま思い返してもよく判らない、疲れていたからきっと居眠りをしていたのだろうと思う―左脚の膝の上側がウェハースのようにグズグズになり、三ヶ月間膝をつくことが出来なかった、あんなことは二度とごめんだと思った…三度目は、通勤ラッシュでもたつく車の流れの端っこをお構いなしに走っていたところを、車の列を裂いて出てきた年寄りの運転する車に横から突っ込んだ…ああいう瞬間のことを思い出す、あそこからなにも思い出せない、そんなことになっていてもおかしくなかったのかもしれない、と―べつに事故に限った話ではない、心臓が止まる瞬間はきっとすべてが突然なのだ―たとえばそれが長く患った後に来る緩慢な死であったとしても…なにを見ようとしているのか?おれ自身にももしかしたらそのことははっきりとは判っていないのかもしれない、だけど「なぜ」なのかなんて馬鹿げた疑問符でしかない、そこにどんな理由をつけることが出来たとしても、起こる現実にはきっと関係がないとしたものだ


眠るとき、目覚めるとき、あるいは生活の中でほんの少し、いびつな感情のポケットに落ち込む瞬間、おれは自分の死のことを思う、興味のようにそれはいつもそこに在る、いまの隅かはすこし変わったつくりで、やろうと思えばいくつかの手段を簡単に選ぶことが出来る―だけどそれは冗談のようなもので、貪欲なおれには自分自身がどんな状況であろうともそんなことに手を出す瞬間が永遠に来ないであろうことが判っている…人生を歩くとき、そこには見つめる眼である自分自身が居なければならない、そしてそれは出来るだけ、思考と切り離された球体でなければならない…「知る」順番について、生きるものは決して間違えてはならない。






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2015/6/12

片付けたっておもちゃ箱の中はグチャグチャ ― ホロウ・シカエルボク × 烏合路上 ある日の対談 ―  









六月某日、高知市内某所…

ホロウ・シカエルボクはすでに席についていた。約束の時間を少し過ぎてやってくる烏合路上。








烏合「やあ。」ホロウ「久しぶり」

烏合「まともに会うのは初めてかもね。」ホロウ「そうだね。」烏合「もともと僕は散文担当だったから。」

ホロウ「まずは、某賞三次落選、おめでとう。」烏合「うるせーよ(笑)」

ホロウ「そもそも、なんでラノベの賞なんかに応募したの?」

烏合「なんでもいい、って書いてあったからだよ。」ホロウ「(笑)」

烏合「まあね、評価自体はよかったから、結果には満足してる。」

ホロウ「なんて書いてあったの?」

烏合「筆力もあるし、ストーリーもいい。でもラノベじゃない。みたいな。やっぱり読者的にはなんでもありが限られるみたい。」

ホロウ「なんでもありが限られるんだ。」烏合「そう。」

烏合「面白かったのは、地の文が長く続く作品は敬遠される傾向にありますって書いてたこと。ああ、本当に出すとこ間違えたんだなって。」

ホロウ「ラノベ賞にハードボイルドみたいの送って通るわけないよなww」

烏合「今年はきみの名前を使ったみたいだよ。」ホロウ「マジで?」烏合「マジでマジで。」

烏合「一応客層とか意識して送ったみたい。」ホロウ「そうなのか…。」

烏合「なんか急にやる気だよね、カレ。」ホロウ「やっぱりねえ、現状が気に入ってないんだろうねえ。」

烏合「だって、なんでも言えるじゃん、っていう例のヤツ。」ホロウ「そうそう(笑)」

烏合「逃げのピュアネスを異常なほど嫌ってるからね。」ホロウ「毅然と言い訳してるようなもん、ってね。」







烏合「そういえば、映画どうなったの?」ホロウ「全体に機材がボロくてね…。整えてから再開って感じ。」

烏合「そうなんだ。結構撮ったんでしょ?」ホロウ「うん、でも音声の関係で撮りなおすことになりそうだね。」

烏合「撮ってみてどうだった。」

ホロウ「そうね、出来てないのに話すのもなんだけど…(笑)小説よりは映画のほうが詩に近い、と思ったね。」

烏合「てぇと?」

ホロウ「イメージの羅列で出来たいくつかの小さな流れを繋げて、大きなひとつの流れを作るわけよ。」

烏合「ああ。」

ホロウ「まあ、そこへいたるまでの面倒臭さは、詩の比ではないけどね(笑)でもね、手がかかる分ポエジーとしては詩よりもダイレクトな部分がある。」

烏合「でも、映像で表現するのは危険だよね?下手したら限定されちゃう。」

ホロウ「どうだろうね、いまのところそれは感じてない。ただその、手段が多過ぎて参っちゃうみたいなのはある。まだよく判らないから。」

烏合「なるほど。」

ホロウ「だから、機材が揃うまで絵コンテ描いてある程度決めとかないとダメだなぁとぼんやり思ってるところ。」

烏合「そういう、意外な共通項が見つかるみたいなのって、面白いね。」

ホロウ「そうだね。自分もそこ気づいたときはああ、と思った。前から言ってるけどさ、俺が重要視してるのは詩っていうスタイルじゃなくて…」

烏合「ポエジーなんだよね。」ホロウ「そう。これまでに書いたものの中でも散々言ってるけどね。改めてそれを実感したね。」








烏合「詩人なんだから詩だけ書いてなさい、っていうアレに関しては?」

ホロウ「馬鹿げてるな、と思う。」烏合「(笑)」

ホロウ「マジな詩人に言われるならまだ聞く耳もあるけどさ…おまえ誰だよみたいなのに言われてもねえ。」

ホロウ「そもそも、ゲーテとかもそうだけど、みんななにかしら別のチャンネルを持って、いろいろな側面からおのれのなんたるかっていうところを追求してきたわけじゃん。」

烏合「うん。」ホロウ「すごい人たちがみんなそうやってやってるんだから、おれはそのひとたちに習うよ、って感じだね。すごくない人の助言なんかいらねって(笑)」

烏合「誰だよって(笑)」

ホロウ「人んちの庭にいきなり首突っ込んできて、木の位置がよくないだのここに鉢を置けだの喋りまくって、靴底についてた犬の糞置いてくような真似して、それで正しいと思ってるんだから凄いよ。」

烏合「しかも誰だよって(笑)」ホロウ「そう。」

ホロウ「そんで言うこと聞いてくれなかったって拗ねてんだよ。聞くわけねえだろうって(笑)」

烏合「だからその、さっきの逃げの話じゃないけど、純粋っていうのを免罪符にしてる…」

ホロウ「気持ちが大事だってんなら、おもちゃ売り場で駄々こねてるガキだって詩人だよ(笑)気持ちと作品って意外と連動しないものなのよ。ダウンタウンDX見ながらチョコチョコ書いた詩だっていいものはいいの。思惑とは違うところで真意って届くことあるから。意志で書くことはたいして重要じゃない、ていうか…意味無い。」

烏合「言い切るね。」ホロウ「うん。何年か前にさ、一ヶ月の間1500文字以上の詩を毎日書き続けますっていうの、ブログでやったじゃない?」「あったねー。」

ホロウ「そんときに、後半になるともうモチベーションなんかないんだよ。でも書くって決めたからって無理矢理ワード立ち上げてね…でもね、周囲が反応してくれたり、自分で読み返して面白いなと思ったのは後半に書いたものが多かったんだよね。」

烏合「ああー。」ホロウ「だからこう、伝えるべきテーマとか、そういうのを持つのももちろん悪くはないんだけど、意図しないっていうかね、いかに自分を無視するかみたいな、そういうところなのかなっていうのはあったよね。」

烏合「うんうん。」ホロウ「だからその、詩とは何ぞや、みたいなのをすごく押し付けてくるような人っていうのは、そういう感覚って判らないだろうなと思うんだよ。言葉は悪いけど、嗜みでやってるみたいなところなんじゃないかな、って思うことあるね。」

烏合「お茶やお花のお稽古的な。」ホロウ「そそ。で、フラワーアレンジメント習ってるのに気持ちは生花の大家みたいになっちゃってたりね(笑)」

ホロウ「俺が無責任ならお前らは怠慢だっつうの。」烏合「(笑)」








ホロウ「ああ、もう行かなくちゃ。」烏合「仕事?」ホロウ「うん。」烏合「詩人なのに仕事しちゃ駄目って言われるよ(笑)」

ホロウ「詩人は仕事じゃないんだから仕事しなきゃ駄目だよ(笑)詩人気取って胡坐かいてられる身分じゃない。」

烏合「この対談、次はあんのかな?」ホロウ「なにもかも彼次第、だな。」













ホロウはコーヒーを飲み干して出て行った。烏合路上は肩をすくめてゆっくりとコーヒーを飲み、それからどこかへと去っていった。








《おしまい》






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2015/6/8

巨大な羽ばたきのビート  











鳥の羽ばたく音が聞こえる。部屋の中で。その鳥はとても大きく、翼を広げた影には戦闘機の機影のような威圧感さえ感じさせる。空気を鉄の塊にして叩きつけるような、猛烈な羽ばたき。それがなぜここで行われているのかおれにはさっぱり理解出来ない。ただ気付いたらそいつはここに居て、壁を振動させるほどの羽ばたきを繰り返している。「よう」とおれは話しかける。どこに向けて話しかけていいのか判らない。というのも、だらだらと先に書いた像はおれの頭の中でそいつがそういう風に具現化されているというだけの話で、実際のところ、そいつがどういうものなのかはおれにもまるで判ってはいないのだ。つまり、それに関しておれに理解出来ることはひとつもない。まるでない。そういうことだ。おれは時計に目をやる。そいつの存在を認識してからというもの、それまで何をしていたのかという記憶がすっかりなくなってしまった。現在の時刻を確認することは出来る。日付変更線まであと二時間はある。何の変哲もない、ごく普通の夜だ。だけど、その中で展開されてきたはずのおれの暮らしの痕跡はまるで見当たらない。おれは困惑しているが明らかに現象はまだ途中経過であり、判断をするのはすべてが終わってからでも遅くはないだろうと考えている。そう―たぶん、それで大丈夫だろう、いまここにあるものの力は確かに巨大なものだけれど、それがたとえばおれの命などをどうこうするつもりなんてないだろう。精神のなすものなのか、それともなにかしら外的要因があるものなのかは判らないけれど、確かにこれはおれの存在を潰すようなものではないはずだ。そういう類のものならおれはきっとそう気付くだろう。おれにはいまのところ何をするつもりもなかった。なにせ、事態はまるで動いてはいないのだ。巨大な鳥の羽ばたきのような強烈なイメージをもった何か。こいつがなにかしらのアクションを起こすまでは考えを先に進めることなど出来そうもない。おれは時計から目を離して、そいつがいるらしい中空をぼんやりと眺めた。そして電灯の傘が汚れているな、と思った。鳥はそのあいだも羽ばたいていて、部屋はそいつの強力な筋肉によって衝突事故のように振動していた。おれは窓の外を見たが、誰も慌てては居ないようだった。振動してはいるが、地震ではないのだ。そのことがはっきりと理解出来た。この鳥の羽ばたきのせいなのだ。現実には存在しない羽ばたきを感じながらじっと眺めていると、やがて身体が舞い上げられた落ち葉のように平衡感覚をなくすのが判った。おれはぼんやりと見慣れた空間を漂った。時々ピンボールがフラッパーに弾かれて唐突に向きを変えるみたいにひっくり返ったり横向きになったりした。それはよくある例えの、大海の中の小船のような状態だった。そんなことになってもおれは何もアクションを起こそうなんてことは考えなかった。現象はやはり途中経過であり、こうしていることにもきっと理由があるのだろう、と考えてなすがままで居た。不思議なものだな、とおれは考える。いままでに何度もこんなような出来事は訪れた。だけどそのたびにおれは生還して、おそらくは人生の折り返し地点であろうポイントも通り過ぎ―生きている。運命を理解することは難しい。とにかくそこには意味など存在していないのだから。おまえなど阿呆だ。人生はおれに指を突きつけて笑い声を立てる。忌々しい笑い声だ。思わず鼓膜に鉛筆か何かを突き刺そうかと考えるくらいだ。鳥の羽ばたきと笑い声が相まって、小さなおれの住処の現象は破裂しそうになる。そこには激しいうねりが在り、激しい圧迫があり、激しい虚無がある。人生そのものには意味などない。だから、目印を結びつけるようにそこに何らかの意味をもたせなければならないのだ。いや―理由や意味をもたせるだけの何かしらをそこに設定しなければならない、そういうことだ。意味をもたずに生きることは容易い。すべての判断を一番簡単な選択肢に委ねればいい。おれはそういう生き方を拒否した。そして、一見激しいが身体を揺らすことすらない巨大なトルネードの中心から距離をとり、これまで塗り潰してきた地点を見下ろすことの出来る高みを目指した。睡魔が襲ってくる。でも眠る理由が見当たらない。いつだってそういうものは見当たらない。そして夜はおれに満足な眠りを与えてはくれない。おれは時々目を閉じることすら忘れて、ぼんやりと羽ばたきを聞いている。業務用トマトソースの巨大な缶の中では、進化を諦めたネズミたちが腐敗を始めている。それはイメージに過ぎない。だけど、混じりっけのない純度100%のイメージは、本来そこに収まるべきピースだけでは足りないくらいのフィールドを求める。人生には意味などない。だけど、だから意味を、なんてことではなくて、だからこそ出来るトッピングが在るということに気付かなければならない。やり直しの効くカンバスのようなものだ。色は無限にある。悩む前にすべての色のキャップを外して、片っ端からパレットに押し出してみることだ。鳥は羽ばたきを続けている。おれはもう少しそいつがどうするつもりなのか静観してみるつもりだ。


















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