2016/2/20

少しずつ余計に解き放たれる (逃げ惑うリミット)  













欺瞞にまみれた利き腕を手首から切り落として、尺骨に鉛筆をぶっ刺して再びの羅列を深く刻め、小鉢を並べて澄まして見せるような小賢しい真似はこの俺にゃ不要だ、真実はいつでも殴り飛ばした心臓に出来た痣の形状の中に書いてある、やい、面の皮歯で剥いてやろうか、お前の頭蓋骨は流れの悪い血液のせいでどす黒いだろう、枯れた蔓のようにそいつに張り付いた神経組織を、干した糸瓜を毟るみたいに剥ぎ取ってやろうか、晒す覚悟のないやつに俺がしてやれるのはそんなことぐらいだ


お生憎のことこの週末は陰気な雨が降りやまぬ模様、薄壁の向こうの連中は今日も俺がやってることにこっそりと聞き耳を立てて…ハン、人生に命題がないやつは迷子になりやすい、俺はインスタントコーヒーを蒸気ごと飲み干して喉を焼く、上等だ、上等だ、週末の火傷にはやりがいがあるぜ、波型トタンの古い外壁のどこかにハイハットみたいに迫り出した場所があって、そいつが雨の間ずっとアメリカン・ロックみたいな大味なビートを刻むから俺は雨が止むまでずっと銃社会に住んでるみたいな苛立ちを抱えている―そんな話をしたって誰にも判っちゃ貰えないだろう、当然のことだ―そんなものが欲しくてこんな話をしているわけじゃない、見くびるなよ―本当の話に相互理解なんかあり得ない、俺は最初にこれに手を付けた時からそのことを知っている、晒せば理解などされない、だが、晒さなければ何の意味もないのだ、洒落た着こなしみたいなものを書いて誰かを釣ったってしょうがない…


雨はまだ降り続いているが雲の切れ間からは焦れた太陽が顔を覗かせている、相反するものの一致、矛盾は共存することが可能だ、生きたいと願いながら自殺行為を繰り返す人生と同じだ、人生というレリーフに言葉を刻み続けることには時として生を半ば放棄するような感覚を覚えることがある、それは間違っているしまた正しくもある、擦り切れもしない皮膚に生きがいなど理解出来るはずもない、安全圏から少しだけ窓を開けて辺りを窺いながら叫ぶような真似はよせよ、そんなものはどんな広がりも持つことはない…なあ、不思議だと思わないか、一日中降り続いた雨のほとんどは、夕暮れの始まる頃に止むものなんだ


言葉を綴るということは入浴に似ている、毎日のように俺は汚れ、浴室でそれを洗い流す、洗い落とさなければ見た目が煤け、臭いもひどくなる…だから洗う、昨日も、今日も、明日も、明後日も―入浴とは汚れとのいたちごっこだ、生きている限り俺は汚れ、それを洗い流す…一見同じ行為のようだが、そこにはほんの少しずつ違いがある、例えばいまの俺は三年前の俺よりもより効果的な洗髪や洗顔の方法を知っている、身体の洗い方もまた然りだ…若いころはそんな洗い方を知らなかった、勢いに任せてがしゃがしゃ引っかけば、汚れは落ちるものだと思っていた、誰に何を習ったわけでもなく、勝手にそう思い込んでいた、でもそれはそうではなかった、ほとんど間違いだらけだった、なにより、自分の身体がどういうものなのか知らなかった―では何が正しいのか?そういう問いが次第に生まれるようになっていった、知らず知らずそういった情報に敏感になり、少しずついろいろな知識をためていった、そうして覚えて試したものの中から要るものと要らないものを選り分けて、そうしてようやく自分の入浴が出来上がりつつある…模索して、覚えて、取捨選択をすることを覚えなければ、動作は完成しない、本当によく似ている―ずっと同じことを書き続けているようで確実に変化し続けている、一昨年に書いたものを読んでもそれはよく判る…そもそも初めは書いているそのものより、書いている時の気分によって良し悪しが決まったりしていたし…自分の汚れを洗い落とすために俺は書き続けている


それは筋肉のありかたにも似ている、一度壊されてそれは大きくなる、筋肉というのは繊維の束だ、筋肉が大きくなるというのは、それを形作っている筋のひとつひとつが、太くたくましいものに変わっていくということだ、同じ動きをしながら、身体が学んでいくに任せる、もっといいやり方がある、もっと、肉体の芯に響くような―同じ動きをしていても、何かが少しずつ変わっていく、見た目も変わってくる…言葉や旋律だって同じことだ、自分にとって必要なものを得るために、自分にとって最も効果的なやり方を模索しながら、同じようで少しずつ違うやり方が生まれてくる、同じようで少しずつ違うものが生まれてくる、同じようで少しずつ違う言葉が…


さあ、雨は止んだ!それだけで往来はずっと静かになる…はずだったが今夜は夜間工事があるらしい、早い時間から道が掘り返されている、なに―大したことじゃない


さあ、始めようか!ほんの少しキレイになって、穏やかな夢を見ながら眠れるようにさ…
















0

2016/2/3

まだ明かされてない問、まだ晴れてない闇、そうしてお前がお前であるための未知  









人が時を自由に出来ぬというのならなぜ人は時の中に生まれるのだろう?考えてみろ、人が生まれる前には時なんてものはなかった、それは人が生まれなければそう名づけられることはなかったのだ、時計など目印にしか過ぎない、時は決まりなど持たない、ただ過ぎていくものだと思っていればいい…本当に名づけられるべきは時ぐらいでちょうど良かったということだ、一日の流れが規則的でないことぐらい、誰にでも理解出来ることじゃないか…?今日はなんだか一日が早い、今日はなんだか短く感じる、そういうやつだ…それで正解なのさ、時計なんか本当は無くったっていいものなんだ―なんて言っても、それを見なければならない人間の方が多いだろう、家の壁のみならず、自分の腕に、携帯の中に、確認すべき時間を所持しているものがいるだろう、自分自身が生きるために…だが忘れるな、それは本当のものじゃない、それにはたいした意味なんか無い、便宜的に必要な基準だということを決して忘れてはならない、それがすべてになってはいけない、判るだろう、それはいつかお前を殺すことになる、お前自身が知らなければならない事柄の幾つかに、目隠しをすることになる、お前は奇形的な盲目になって、しなければならないことをし続けるだけの生物になる、それが自分で選んだものだろうが、押しつけられたものだろうがだ…基準なんてものは、本来、それが無ければ生きられない連中の為に設えられたものであって、人間すべてに必要なものではない、それは例えば野生動物が秘めている本能とはまったく違うものだ、むしろ、本能とは似ても似つかないものだと言ってもいい、そんなものに闇雲に従っているとろくなことにはならないよ―俺はそういう連中を山ほど見たことがある、スカスカな中身を、硬い硬い殻で覆ってるような連中、据えるべき中心を持たずに、ありきたりなルールに従って、人生の確信を得たと勘違いしている連中―それは違うよ、それは違う…判りやすいことと、確信していることとは、似ているようでまるで違うことだ、俺は何度かそう言ってやったことがある、直接的にも間接的にも…だけどそんな連中には俺の言葉なんか届かなかった、なぜなら彼らは一番判りやすいものに従ってしまったからだ、一番判りやすいものに従うということ、それは自分で思考のプロセスを築くという行為を忘れさせてしまう、そこに書いてあることに則って動くことしか出来なくなってしまうのさ、そしてそれを美徳だと勘違いしている…おぞましいことだぜ、それは美徳なんかじゃないさ、それは腐敗しながら生きているゾンビのようなものだぜ…時はあるが時間は無い、そうしたことを感覚的に理解出来なくては駄目だ、タイムスケジュールは人間を動かすためのものではない、それを疑問に思わない動物を動かすためのシステムなんだ、目を閉じろ、目を硬く閉じろ、いま自分が見ているものを本当に知るために、ぼんやりと開いただけの目ではこれまでと同じものしか見ることは出来ない、目を硬く閉じて、めいっぱい見開け、そうするだけでもほんの少し違う世界を見ることは出来る…イズムに安住してはいけない、表面的なイズムは足枷にしかならない、成すべきことを成さずに御託ばかり並べ立ててる連中がいるだろう、ほら、大勢…判るだろう、表面的なイズムは足枷にしかならない…自分がきちんとこの世界に根を張るためになにが必要なのか、誰にも教えてもらっていない自分で知らなければならない、誰にも強要されていない自分で見極めなければならない、それでこそ人生は先へ進むのだ、たとえどんなに後退しているように見えようともだ―他の誰かと同じ目線で物事を眺めることなど決して出来っこない、お前が見ている景色はお前にしか見えないものだ、お前がどんな目をしていようがそんなことは知ったこっちゃない…限界を持たない自分でなければならない!判るか、限界なんてものは、他のどこかを気にするからこそ生じるものだ、お前には限界など無い、現に今も生きて、この文字を追っているだろう、お前が生きることにお前の限界などない…もちろん肉体にはそれは設けられているけれども…どうして書き始めた・なにを語ろうとした?最初の一文字をタイプしたとき、それは他のどこにも無いものだったはずだ、どうして誰かに習ってしまった?他の誰かの言うことなど聞いてしまった?そんなものはまるで必要ないものだ、捨ててしまえ、すでに答えられた解答にはなんの意味もないことを知ることだ、まだ明かされてない問、まだ晴れてない闇、そうしてお前がお前であるための未知、すべて果てしなく転がっている、怖がらなければどこまでだって追いかけて行けるのさ…。










0



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ