2017/1/26

グラン・ギニョール(ただし観客が皆無の)  










もっとも死臭を放つ頃合いの腐乱死体のような世界にきみは巻き取られて、叫び声も叶わず飲み込まれようとしている、手足の指先は究極に凍えたみたいに上手く力を入れることが出来ず、手に触れるもの、足を下ろすところすべてが覚束なく離れてしまう、飲み込まれたらお終いだ、きみは全身の生命でその予感をキャッチするが、だからといってそこから逃れる力が湧いてくるわけではない…それは濁流の渦となって、きみを逃れられないところまで連れて行こうとする、死ぬことが怖いのではない、死など所詮生の範疇の外だ、「死ぬかもしれない」と思うことがきみは怖いのだ、きみは腕を動かして、もがいて流れの外に出ようとするが、上手くいかない、きみの腕にはべったりと腐敗臭がへばりついている、きみは唇を嚙む、強く噛み過ぎて血が滲む、それがきみに出来る唯一の抵抗だった、窒息の予感、どろりとした、蝋のような空気がきみのまわりで密度を濃くしていく、それはきみをよりいっそう渦の中へと沈めていく、きみの体内のあらゆる隙間に、重苦しいものが流れ込んでくる、それにはどんな味もない、どんな温度もない、どんな刺激もないし、だからといって優しくはない、きみが暴れてもがくほどに、それはきみの体内の奥深くへと流れ込んでいく、だれにも犯されたことのないきみの内臓の奥深くへ―きみはせめてと目を見開くものの、なにも見ることは出来ない、まぶたと眼球のわずかな隙間にも、それは入り込んでくる、もう暗闇しか見ることは出来ない、呼吸が奪われ、視覚が奪われ、聴覚が奪われる、鼓膜が空気の重みに負けて裂ける音が、きみが最後に聞いた音だった、いまのきみは言わば封じられたただの魂だった、どこにも動けなかったし、そんな空間をなかったことにするような力も持ち合わせてはいなかった、ただ封じ込められてそこに漂っているだけだった、それは確かに漂っていると言ってよかった、決して完全に固められては居ないという意味では…これはどんなものなんだ、ぼんやりとした意識の集合体の中で、きみはそう考える、液体のようでもあり、個体のようでもある、ずしりとした質感は確かに液体のようだし、どこにでも入り込んでくる図々しさはまるで気体のようだ、そして、こうしておれを封じているさまはまるで個体のようじゃないか?どうして死んでいない…おれはもうとっくに呼吸を奪われていて、身体中の隙間を塞がれている、どうして死んでいない?思考が生きていればそれは死ではない、こうしてここにおれの意思は存在しているではないか―?おれはそもそもどこに居たのだ、と、きみは考える、きみには場所の記憶がない、そこに巻き込まれるまでどこでなにをしていたのか、まるで思い出すことが出来なかった、瞬間に輪廻転生を果たしたかのようにそれまでのすべてがゼロになっていた、きみが知っているのはただ、きみがきみ自身であるということ以外に他なかった、動けない、ときみは考える、だけどそれは当たり前のことなのだ、きみはすべてを封じられている、だが、ときみはさらに考える、これほどの徹底的な状況においても、おれの思考は奪われなかった、呼吸も出来ない状況の中で、おれはこうして思考している…きみはその世界を自分で創り出したものだと仮定してみた、もの静かな大学生が好んで読むコミックみたいなやつさ、でもそれはきみにとってなんの説得力もなかった、なぜならきみはそんな世界を望んではいないからだ(それは至極当然のことだ、だれもそんなところに飲み込まれることなど望んでなんかいないだろう)ならばそれは少なくとも、きみの意識下のことではない…では潜在意識下のことでならどうだ?君は飲み込まれ、封じられることをどこかで望んでいたのか―?それはよく判らなかった、当たり前だ、理解出来るならそれは潜在意識下のことではない…きみはもうそのことについてはどうでもいいと思うようになった、その原因がどんなものであれ、きみがそこから抜け出せるヒントがそこにあるとは思えなかった、きみはとりあえずこの状況については良しとした、だってそうだろう、こんなことになってはいるけれど、きみはすべて奪われたわけではないのだ、あるいはこれは自然現象のようなもので、たとえば朝の訪れとともに、きみを捕らえているものは霧が晴れるみたいに消えてしまうかもしれない、古典的な死霊のようにさ―きみはやはり思い出そうとした、そうなる前にどんな時間の中に居たのか―だけどそれはやはり思い出すことが出来なかった、待ってみるしかない、きみはそんなふうに考えた、だけどもしも、これが死後すぐの状態であり、きみがすでに肉体を抜け出していたとしたら?そう考えるときみの心はひやりとするものを感じたが、すぐにそれは間違っていると考え直した、確かにいまは魂のように封じられているけれども、本当に肉体を抜け出しているなら自由に移動することくらいは出来そうなものだからだ、少なくともまだ死んではいないだろう、きみはそう結論した―きみは目を閉じる、なにも考えず、どんなものも期待せず、また絶望せず、きみを取り巻く状況が変わることを待ってみるしかない、きみは何も思い出せない、ヒントのように時間を刻む時計の音も聞こえない、なにも手に入らないならどんなものも望まないことしか正解はない。











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2017/1/15

混沌を解いたところで簡単な現象にはならない  












壁掛け時計の針が示す時間を鵜呑みにする前にこめかみに鉛筆を突き立てた、そう、それはまさにくたばる一歩手前のギリギリのところだったよ、ついでに言っておくけどそれは二三時を少し過ぎたところだった、リアルかおふざけか、窓の外の表通りじゃ甲高い悲鳴が何度も聞こえて―あとで聞いたところじゃそれはタチの悪い酔っ払いが近くの大橋の下で全裸になって叫んでいたらしいよ、なんでも「肌の隅々まで本に棲む白い虫が這いずり回ってる」って言ってたとか―警察もあれこれ疑って、そいつは丸一日拘束されたそうだ、結局のところ「酔ってる」って以外どんなことも判らなかったらしいけどね―そんなことはどうでもいい…実際のところ、俺は衝撃で一度完全に気を失ったのさ、その間なんだかよく判らない夢を見ていた、難しい数式と古典文学が蛇の交尾みたいに絡み合ってのた打ち回っていた、それはそんな風にしか表現しようのないものだった、血の臭いがして…あるいはそれは現実に俺の顔を汚していたものの臭いだったのかもしれないけれど、それは俺にある種の「停止」を予感させた、「死」ではなく「停止」だ―機械油が漏れるみたいな、そんな印象があったのかもしれないな、それに、実際のところ、それはまさしく停止と呼ぶにふさわしい状態ではあったわけだ―感覚的にね…そして俺は見たことのない生き物の死骸を数えていた、それはどれもこれも激しく損傷していて、いったいどの個体がそいつの正しい形なのか、それすらも判らなかった、「判らないものを数えている」と俺は認識していた、それは、とても恐ろしい認識だったと言わざるを得ない、それは実際、とても恐ろしい認識としか呼びようのないものだったよ、俺は判らないまま数えていた、あまりよく覚えていないけれど、全部で三百近くはあったんじゃなかっただろうか、それが終わるとだだっ広い体育館に居た、どこが入り口なのかも判らないくらい大きかった、早朝のような冷たさと薄明るさ、それからもやのようなもので充満していた、もやのせいかどこか、山の中にある建物を連想させた…小学生のころ、そんな建物に何度か泊ったことがある、そんな記憶のせいだったのかもしれない、そこで俺はボードゲームのコマみたいにこつんと突っ立っていた、動けるのか動けないのかも釈然としなかった、でも眉ひとつ動かさずにじっとしていた、それはある意味で、姿形すら判らない生き物の死骸を数えていることと同じだった、ただ見た目にはまるで違うことをしているみたいに見えるだけで―その中ではどんな出来事も起こらなかった、真っ白い闇の向こうから誰かが俺を殺そうと目論んでやってきたり、あるいは亡霊が現れたり…美しい女が現れて俺を愛撫したりとか、そういったことはまるでなかった、だから俺はいつまでもそこでこつんと突っ立っていた、それは先に予感した「停止」という状態だった、今思えば、まさにね…そんな自分のことを何時間か眺め続けたあと、病院で目を覚ましたんだ、すべての治療が終わっていて、あとは俺が目を覚ますだけという状態だった、俺はいくつものビニールのカーテンに覆われた部屋の中で、無理矢理に酸素を送り込まれながら瞬きをした、そう、それもある意味で「停止」だった、なあ、そう考えると「停止」なんて言葉は便利だけど味気ないな―その時は近くに誰も居なかった、だから誰も俺に気づかなかった、俺はもう一度眠った、下手な映画監督がヌーベルバーグを気取ったみたいな、不可解な断片が短いカットでインしたりアウトしたりする夢を見て何度も目覚めたり眠ったりした、ほら、音はするけど回転はしないエンジンみたいな感じさ―あんな風にしばらくの間グズっていたんだ、それでもなんとか回復することが出来た、そうすると今度はちがう病室に移された、檻のある、検査や治療のあまりない病棟さ、そこがどんなところかもっと詳しく説明することは出来るけれど、それ、あんまりやりたくないんだよな…まあでも、だいたい判るだろ、なんとなくな―そこではいろんな人間がいろんなやり方で停止していた、それは俺のようにある程度の段階を踏んで止まったものではなく、ある日突然に止まったりしたもののようだった、時にはそこからさらに絶対的な停止の中に行くものも居た、彼らの誰かが不調になって枯れた木のように床に倒れるとき、俺はそれで自分の命が儲かったみたいなそんな印象を持ったものだった、それがどうしてそうなのかなんて説明は出来ないよ―俺の居た部屋にはとても大きく、開かず、割れない窓があったけれど、そのすぐそばに覗いている鮮やかな緑色の木の葉は、どんな薄暗い雨の日でもまるで太陽を浴びているみたいに輝いていたものさ―なぁ、今日俺の住んでいる街では雪が降った、積もるような雪でもなかったけれど…よく判らないけれど、その時思い出したのさ、あの時のこめかみの疼きや、あの時見た夢のずっしりとした質感、あの時停止したいくつかの俺…雪は目を凝らさないと気づけないくらい小さな粒で降っていた、俺は落ちてくるそいつらをぼんやりと眺めながら、散弾銃をぶっ放す夢を見ていた。



















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2017/1/5

引き算の挙句、最後に記入される解答となるために  












子供たちはそれぞれに武器を手にして、頭を押さえつけてきた街の中に飛び出していった、程なくいくつもの銃声がこだまする、男の声、女の声、年寄の…さまざまな悲鳴がビル街を跳躍して夜空の黒の中へ消えて行く、ハレルヤ、決戦の時だ、戦争に勝利するのはいつでも幼いものだ、歴史がそれを証明してきただろう?刃物を手にした者も居る、大人たちには決して入り込めないいくつもの秘密基地の中で、人知れず磨き上げた技術…どぶ川のよどみに捨てられた犬猫たちよ、お前らの死は決して無駄にはしない―もうどんなに抵抗されたって、いつでも確実に喉笛を切り裂くことが出来る…目覚まし時計に頭を叩かれる朝なんてもううんざりだ、誰も信じていない教育を押し付けられることだって…身体を鍛えたやつらは素手で首を捻じ曲げる、バイパスは血塗れの死体だらけさ、決してそんな風に死にたくはない、そんな多種多様なモデルがあちこちに転がっている、判るだろう、誰も君たちが歯向かうなんて考えていなかったんだ、支配者としては最低の部類さ!子供たちはときの声を上げ、車を奪い、死体を踏み潰しながら真夜中の街路をデロリアンのようにダッシュする、真っ先に頭をねじ切られたのは十七歳のドライバーの母親さ、なんていう偶然だろう?子供たちはかつてない興奮にまだ幼さの残る頬を上気させながらアイフォンに取り込んだビートルズに合わせて大声で歌う、まだ、ロックンロールだけを歌っていたころのビートルズのサウンドさ、子供たちにしてみればそれは、誰かを殺すときにこれ以上ないという音楽だったんだ―「次はどこに行く?」助手席の少女が言う、「隣り街さ」ドライバーの少年が答える「そこに親戚が居る」「午前中に山に身を隠して、日没とともに始めよう」「いいわ」少女はにっこりと笑う「素敵な夜になりそうね」「もちさ」少年はアクセルを踏み込む、激しい回転音を上げて舗装の剥げかけたアスファルトの上でタイヤが鳴き声を上げる、子供たちはいつだって未来なんか欲しがっていない、いまどこに行くか、いま何をするか―したいかだ、彼らは導かれることを好まない、彼らは押さえつけられることを好まない、いつだって気の向くままにアクセルを踏みたがるのみだ、「ねえ」とバックシートのそばかすだらけの痩せた少年が助手席の少女を指さして言う「車を止めて、みんなでこいつをやっちまおう」「やめてよ」少女は苦笑いをしてそいつの頬を小突く、だが、次の瞬間、激しいブレーキの音を響かせて車は後輪を滑らせながら砂漠のど真ん中で止まる、エンジンが息を潜めると完全な暗闇だ―そして、助手席側のドアがティンパニのような騒々しさで止まり、少女の影が飛び出す、少し遅れて、残りのドアが開き、少年たちの影がそれを追いかける、少女は大きな武器を持っていないし、走るのがとても速い娘なので、いかに殺気立った少年たちでもすぐには追いつけない、「待ちやがれ!」「このアマ!」そんなことを叫びながら少年たちは砂に足を取られ、なかなか上手く走ることが出来ない、少女はとても上手く砂の上を駆けていく…ろくに明かりもない夜の中で、少年たちはすぐに少女の姿を見失ってしまう―が、少女は遠ざかっては居なかった、暗闇と、足音を消す砂を上手く使って、少年たちの背後に回り込んでいたのだ、銃声が五つ、静まり返った夜の中に鳴り響いた、少年たちの怒号はそれに合わせてひとつずつ消えた、最後に消えたのは怒号ではなく命乞いだった、少しの静寂のあと再び車のドアが開かれ、車内のライトが少女の姿を浮かび上がらせる、とても白けた、とても白けた表情をしている、運転席で彼女はスカートをめくりあげ、太股に装着したホルスターに不似合いなほど大きな銃を差し込む、「用意しておいてよかったわ」そんな、ひとりごとを言う…えーと、という感じに首を捻りながら、小さな手がキーを掴み、捻る、身軽になった身体を喜ぶようにエンジンが激しく震える…少女はハンドルやペダルを慎重に確認して、それからようやく車を走らせる、「少し順番が変わっただけのことよ」そんなことを呟いて、ほんの少しスピードを上げる、隣り街に行く気なんかない、まずは気に入ったところを見つけることから始めるつもりだ。













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