2017/2/25

アンダーグラウンドの指先  










凍てついた死体と古ぼけたペーパーバッグだけが転がっていたコンクリートのままの床の上で音楽が流れている、奇妙なインストルメンタルで旋律らしい旋律もそこには見当たらない…インプロビゼーション的なそれはだけど、最後の冬を呼び戻した二月の終わりには不思議なほどよく似合っていて、指の瘡蓋に噛みついて毟り取りながら、だけどこびりついているはずの血液の味はほとんど感じられなかった、俺はホルマリン漬けの奇形種のように窓と床の間の空間に潜り込んでいた、渇きを覚えていたがそれは、ミネラルウォーターではどうにもならない種類のものだった、指に空いた穴からあらゆる亀裂が心臓に至るまで広がっているみたいな感覚にとらわれていたが、それで身体が古くなったセメントみたいにボロボロと崩れ落ちようと別にかまいはしなかった、二月は空洞であり、この日は空洞であり、この午後もまた空洞であり、俺はそこに置きざられた異物だった、それは俺のもっとも正しい在り方のひとつに違いなかった、だからそうして窓と床の間に潜り込んで―じっとしていた、音楽のことはほとんど気にしてはいなかった、必要なものではない、必要なものではないからこそ選んでしまうのだ、人生や運命が、無条件に意味を約束されたものであるかのように言い始めたのはいったい誰だ?そんな命題を妄信してしまうことは、首吊りの縄に自ら首を差し入れることと大差ないことだ、時間や、行動や、思考の大半は無意味に過ぎてしまうものだ、それは日常的に認識出来る物事のはずじゃないか―?西日に変わり始めた太陽が鋭角的に差し込んで空気中の埃を照らし出す、俺は煙草を吹かすようにそいつに息を吹きかける、そいつらは一度はさあっと散ってしまうもののまたすぐに新しい流れを産み落とす、小さく、軽くなるほどに規律は単純になる、俺は砂漠になったのか?景色から身を隠しながらうずくまっているとそんな幻覚に囚われてしまう…俺は歌のない音楽の中に適当にメロディをつけ、鼻歌をうたう、それはどんな世界も揺さぶることはない、俺がそれを信じていないからだ―いつか、そう、ノートに文字を詰め込み始めたころ、それは生きることだと思っていた、自分という人間を明らかにし、解剖し、美しい臓器を選んでばら撒いて見せるようなものだと―だけどそれは本当はそうではなかった、そんな確信は間違いだったのだ、何故なら俺は、解答のあるものを選択したわけではなかったのだから…追い求めれば解答があり、次のステップへと移動するといったような、そんなものを選択したわけではなかったからだ、俺はいつからか解答を信じなくなった、あるのかないのか判らないお宝のようなものだ、掘り進めれば掘り進めるほど、そこには大した意味のない何かが果てしなく詰め込まれていることに気づく、どういうことだか判るか?それは描き込んでも描き込んでも翌日にはもとの白に戻ってしまう画用紙のようなものだ、つまりそこにある事実は、「もう一度書かなければならない」という細やかな強迫観念に過ぎない…そんなものをあれこれと掘り下げることなど、無駄なのだ、そこに確信などないことが判っているからこそ、人は落ちている本を拾い上げてページをめくるのだ…考えに耽っている間に日は沈もうとしていた、もう目の前に漂っている埃など見えなかった、薄暗がりになった内壁が、窓の外の何かを反射して奇妙な模様を描き出しているだけだった、日が暮れることは夜が明けることだ、ペーパーバッグはもう読みつくしてしまった、それにはやはり同じことばかりが書いてあった、人はテーマなど持ち合わせてはいない、虚ろな空間に放り出されて、果てしない空白を埋めようと発しているだけだ、夜が訪れた!俺はアンテナとなり、闇の中で信号を受信する、俺の信号経路を駆け巡るそいつらは、俺がどんな形をしているのかを教えてくれる、蹲ったままでしばらく眠り込んでいた、路面電車の振動が俺を目覚めさせ、俺は歯を磨いて明日からの準備をする、演じる覚悟を固めた道化にはなれないし、といって疎かにしようとも思わない、なにを知っていたのか、なにを見てきたのか、記憶の中を引っ掻き回してみてもいくつかのピースが見つかっただけだった、俺はそれをゴミ箱に捨てた、もうそれは俺のものではない、音楽は流れ続けている、俺は夜の始まりを見ていながら、だけどそこに詩情などを求めたりはしない、それだけは、ペーパーバッグのように床に転がっていたりはしないのだ…。









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2017/2/6

小さなやつらの大きな終わり  














あたしいつかあの男を殺すからね、と、いつものようにカウンターの外側でカクテルを何杯も飲み干し、口が軽くなったネシナ・エミリーはお決まりのその言葉を吐き捨てるように言うのだった、もしも近くで警察官が飲んでいたとしたらこっそり耳をそばだてるのではないかと思えるほどのリアリティで―俺はカウンターの内側で彼女がすでに注文済みの彼女の次の一杯のためにライムを半分に切りながら、出来るだけどんな感情も込めずにうんうんと頷くのだった、本当に機嫌が悪い時にはそんな頷き方にも因縁をつけてくるときがあるが、今日の御機嫌はそれほどでもないみたいだった、そんなにムカつくんなら仕事変えなよ、とそこそこの機嫌の時用のセリフを俺は口にする、説教にも嘲笑にも聞こえないトーンになるように、それだけに気をつけながら…そんなことをしちゃ駄目なのよ、とエミリーはこれまたお決まりの文句で言い返す、こんな会話に意味なんかないのだ、ただただ俺は自分の仕事をこなしているだけだ、彼女がいけ好かない男に我慢しながらピザの店でウェイトレスをし続けているのと同じように、黙々と…それにあいつ、ホラ吹きだからね、と続けて聞き覚えのないフレーズ、どうやら彼女は、その先を用意してきたらしい、だから今日は、いつもよりも御機嫌に見えるのかもしれない―あれかい、と俺はちょっとその先に興味を持って聞き返す、「人を殺した過去がある」ってやつかい?エミリーは鼻の先を突きあげて二度頷く、「あんなの嘘っぱちよ」なんでそう思う、と俺は先を促す、「あいつね、たしかにデカいけどさ、目が弱っちいのよね、あたし思うのよ、あいつきっとホモ野郎だわ」俺は思わず吹き出す、エミリーが少し眉をひそめたので、違うよ、と言い訳する「そう見えなくもないからさ」そうでしょ?とエミリーは機嫌を直す、「なんていうか、卑屈さとか、劣等感とか…あの見苦しい腹には、そういうのが満杯に詰まってるに違いないわ、あの店のクソ不味いピザと一緒にね!聞いてよ、この前だって明らかに腐ってるサラミを平気で乗せるんだから…窯の中ですごい臭いしてたのよ!あたしさすがに止めなきゃいけないと思って、言ったのよ、それ、大丈夫なんですか?って、そしたらね、中国の方じゃ腐りかけた肉ほど美味いらしいぜ、って平然と言うのよ!信じられない、だいたい、腐りかけ、なんてレベルじゃなかったのよ、あれはね、腐ってた、間違いなく―糸引いてるサラミなんて見たことある?摘んだ時点で判りそうなもんなのにさ…」俺は信じられない、という風に目をぐるぐる回しながら彼女の次のカクテルを差し出す、エミリーはそれを受け取って、のんびりと飲む間だけ静かになる…そしてもう一度言うのだ、あたしいつかあの男を殺すからね、絶対、絶対に殺すからね、と…


実際の話、俺にはそんなことどうだってよかった、ネシナ・エミリーはたまたま俺のバーの近くのピザ屋でウェイトレスをしていた一人の客以上のものでは決してなかったし、もっと正直に言うなら俺はあまり彼女のことが好きではなかった、彼女が働いている店の店長である「あの男」のことも見たことがあった、あまり人と目を合わせないやつだな、という印象以外何も残ってはいなかった、ウチに飲みに来たこともなかったし―だけど、そいつがエミリーを営業中の店の中ででかいナイフで何十回も刺して殺したってニュースを聞いた時は、さすがに驚いたね…エミリーはよほど彼の感情を掻き乱すようなことを口にしたらしい、うちに来た最後の晩に話してたようなことさ―彼女の事件を担当してた警官はこの店の常連でね、エミリーのことも知ってたからわざわざ話に寄ってくれたんだ―「いい歳した男がさ、ガキみたいにわんわん泣きながら、ぬいぐるみを殴るみたいに刺し続けてたってよ」俺は黙ったまま肩をすくめた、なにか飲むかと聞くと、勤務中だ、と警官は言って…「だけどビール一杯くらいならいいかな」と思い直した、俺はビールを入れて差し出した、警官は帽子を脱いでスツールに腰をかけた、あ、と俺はあることを思い出して、聞いてみた、「その男、前科あった?」警官はちょっとだけ笑って、殺しの話か、と呟いた、「取調室でも言ってたんで結構時間裂いて調べたよ―だけど、あいつが行ってた日付には死人どころか腹を壊したやつの記録すら、なかったな」「だろうな」「ムキになって嘘をつくと、引っ込めなくなるもんだ…そのうち、それが本当のことだとだんだん錯覚してきちまうんだな、そんな人間、うんざりするほど見てきたよ」カウンターに金を置いて警官は出て行った、下らない小競り合いなんだよな、と、俺は彼のグラスを片付けながら考えた


たまたま、おおごとになっちゃった―っていうだけの話だ。













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2017/2/4

無駄な境界線を引きたがるインサイドとアウトサイド  












小さな金属の塊がふたついびつなフロアーを転がってぶつかった時のような音が脳髄のどこか奥深いところで何度か聞こえた、その感触は絶対に忘れてはいけないなにかをしまいこんだ鍵付きの抽斗の鍵が壊れてしまってしばらく経ったあとでそれに関するなにもかもすべてがおぼろげになってしまったと気づいた瞬間の心許なさに似ていた、窓から見える二月最初の週末は薄雲に阻まれた煮え切らない太陽に彩られていて、その色味は街路に溢れている連中の表情がまるで酷い喪失のあとのように見えるなにかを含んでいた、そんな景色を見ていると愉快なピエロの映像にホラー映画のサウンドトラックを合わせると途端に恐ろしくなる、という一昔前の流行を思い出した、真実なんてどうだっていいのだ、それがこの俺とまるでリンクしてこない限りは―空気は冷えていたけれど憎しみを覚えるほどではなく、空腹だったけれど切迫したものではなかった、チャンネルをヘヴィ・メタルに合わせて手元に転がっている雑誌を拾って読んでいるうちに二時間ほどが過ぎていた、無意味な熱心さは眼球を酷く疲れさせただけに終わり、少しの間目を閉じた…少なくともいまのところはそれだけのことでしかなかった、目で見たもの、耳にしたもの、口にしたもの…身体に取り込んですぐに形を変えるものなどそんなにはありはしない、もしどこかでそう考えているのだとしたらそれはとても愚かしいことだ、すべては取り込まれ、消化され、吸収されて、破棄される、体内を巡りながら次第に形を変えていく、自分の身体にしたがって形を変えていくのだ、その基準は自分自身ですら理解出来はしない、ドラッグストアで買える間に合わせの薬みたいにあっという間に効能を発揮したりしない、ただ受け取って、あとは忘れておけばいい、そしてそれがたとえば、鍵の壊れた抽斗の中なんかに迷い込んでいたとしても本当はなんの問題もない、一度触れたものであればそれは必ず体内で息づいている、数年前、目覚める直前に見た夢のことを突然思い出すみたいに、ある日現れることがあるかもしれない―路面電車が通過して安普請の住処は僅かに振動する、そんなことにももうとっくに馴れてしまった、立ち上がり、台所で水道水を飲む、ぶるっと震えてしまうほど地中の管の中でそいつは冷え切っている、それは俺の消化器官のすべてを塗り潰す、「なにもかもを容易く鵜呑みにするんじゃないぞ」ヘヴィ・メタルはそんな意味合いの歌を気のふれた女のような声で叫んでいる、ニュースを見ようと思ってテレビを揺すり起こすと昨日のニュースをやっていた、ストーンズの歌みたいにさ…日本のいたるところで鬼が追い出されたって話していた、くだらないバラエティーが始まってもう一度テレビを眠らせた、飲み干した水道水は胃袋の底を洗っている、椅子に身体を預けて目を閉じながら、俺はまだ逃げていない鬼が潜んでいる場所をひとつ知っていた、まどろみの中でそいつに話しかける、なぁ、そろそろひと騒ぎしないか…そいつはにやりと笑ってなにごとか答えたが、それをきちんと聞き返せるほどにもう俺は目を覚ましては居なかった。









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