2017/4/27

ゴー ホーム  







虫はやたらに
ひとの周りを彷徨くものだし
騒ぎに慣れたら
気にもならなくなるもので

ところ構わず
火を放つ若造の手際は
そもそも美しくない
顔中に吹き出すニキビと同じで
醜悪なだけの代物だ
甘やかしてもらいたいあまりに
逆上して牙を剥く犬だ

交響曲が流れている繁華街
日々の営みの中で
間違えた色みたいに浮かれている
のたうち回る作家や
肘を壊したマエストロの努力に見合うものなんてこの街にはあまりない

コーヒーショップの不馴れな店員は注文を間違える
訂正をするとなにかが失われる
誰もが自分の正義を信じ過ぎて
平和を叫びながらの戦争が始まる
ぼんやりしている間にコーヒーは冷めてしまい
口に含むと金属の味がする

運動公園で催しが行われている
華やかな行進曲が薄曇りの空でこだまして
平均的な幸せの渇望たちに色を与えている
頑張れ、頑張れ
誰に向かって張り上げているのか
まだ幼さのある母親たちの声は

エンジンを弄ってあるらしい原付が
やたらに吹かしながら表通りを走り抜ける
誰にも受けない道化
顔の代わりに髪を塗りたくるピエロ

海に近い川の流れは
いつでも山を目指しているみたいに見える
その上を果てしなく吹き過ぎる
遠慮ない風に煽られて俺はくしゃみをする

激しい春が生活をなぶっている
風邪が酷くなる前に家に帰ろう









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2017/4/22

公園の壁の煉瓦の端っこにいつの間にか書き殴られていたメモ  

















世界はいつも俺の視界の隅で何ごとかゴチャゴチャと展開している、俺はそれを自分に害が及ばない程度に―流れ弾とか、もらい事故なんかを喰らわない程度には気にかけながら、自分自身の人生を生きている、だけどその大半はそんな―取るに足らないゴチャゴチャをぼんやりと眺めているようなことだ、自分や、世界や、人生なんてものにはそんなに大層な意味はない、そんなことに意味を求めてしまう人間というのは、そこには大したものはないんだということを本当は理解しているのさ…だから俺は、いつからかあれこれと理由を探ることはやめた、必要なものは勝手にどこからかやって来て種を植え付けていく、何もない大地がいつしか森に変わるみたいにね、そんな一角が俺の内奥にも確かに存在している、そんなものの成り立ちは求めなくても自然に感じているものだ―要は、そういったことに無自覚でないのなら、それだけでいい…最も、それ自体本当に必要な条件なのか、実際のところ俺にはよく判らないけれどね…さて今は夜もそこそこ更けたところだが、俺の精神はまだ睡魔を感じていない、毎日、その日のうちにどれかひとつはやるべきだと決めていることがいくつかある、それを片付けないことにはすっきりと眠ることが出来ないのさ―それは、身体を動かすというようなことでもあるし、なにかしら本を開いて、そこに書かれてあることに目を通すというようなことでもあるし、こんなふうな戯言をだらだらと書き殴ってみるということでもあるさ、そう、まさしく俺にとっちゃこれは戯言という類のものなんだ―俺にとっちゃ、文章とはこういう風に書かれるべきものなのさ…よくあるだろ、小理屈をこねるのが好きな連中が口にする、読み手を意識してどうのこうの、正しい文体がどうのこうの…まるで、レクチャーを受ければ書くのが上手くなるみたいに考えてる盆暗連中さ…俺思うんだけどね、こういうのっていくら体裁を取繕ってもそれでどうなるってもんでもないんだよな、歌手で例えるなら、そいつの声がまず好きかどうかって話になるだろ、それと同じことでさ、その在り方が好きか嫌いか、それだけのことでしかないんだよな、だいたい、「第三者を意識して書く」なんてことが本当に真理だったとしたら、そいつらが書いてるものはもう少し多くの人間の心を掴んでるって状況があるべきだろ、でも実際のところ、そいつらは仲間内でごちゃごちゃやってるだけさ、文芸部みたいなもんでさ、口から唾飛ばしてさ、それがどんだけ飛んだかって自慢してるようなところ、あるだろ?俺はべつに、他人にどうのこうの言うのは好きじゃないし、柄じゃないけどさ、たったひとつ言えることがあるとしたら―こういうのって頭で考えるとたいてい小細工になっちまうんだよ、自分が高尚なものを書いてると思ってる連中なんてたいていそうだろ―「音楽は楽譜から始まったわけじゃない」って言葉がある、詩や小説だって同じことさ、「出てきたがってるもの」が自分の中にあるかどうかさ、そして、どんなやり方をすればそいつらが上手くスッキリと送り出してやることが出来るのか、書くことの理由なんてそれだけでいいはずなんだよ、そう思わないか?俺が思うにさ、やつらは、刃物の材質とか、その研ぎ方とか、曲がりの有無とか、形状の話ばっかりしてて、その重量を自分がちゃんと受け止めることが出来るのか、そいつできちんと急所を捕らえることが出来るのか、止めの一押しをすることが出来るのか―そんなことはひとつも考えちゃいないのさ―だから余計なことをベラベラ喋らないと採算が合わなくなるんだよ、覚えておくんだよ―すっきりした、引きやすい線だけが正しい線ってわけじゃないんだってことを。













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2017/4/11

どこに居るの、沙織。  小説

      














その建物について、詳しいことは何も判らなかった、その土地を流れる大きな川の、河原から何も無い野っ原へと続く坂道に沿うように建てられた平屋造りで、右側の端に川を目指しているかのように突き出された正方形の部分があった。要するに、真上から眺めると反転させたLの字だった。突き出された部分は厨房施設で、そこから、角を曲がったところに浴室、それから浴室とは反対の端の玄関に至るまでに、四つの小さな部屋があった。客室というよりは、宿直室が並んでいる、という印象だった。玄関のところは土間になっていて、そこに石造りの洗面台があり、6人ほどがそこで顔を洗ったり歯を磨いたり出来るようになっていた。手洗いは玄関を出たところに、小便器が二つ、個室が二つ、それぞれきちんと仕切られて設けられていた。建物の規模からすれば、きちんとした小奇麗な便所だっただろう。造りが頑丈なのか、建物のいっさいはさほど傷んではいなかった。昔の職人が、時間をかけて丁寧に固めたコンクリートなのだろう。ただ、立地からくる湿気だけはどうしようもなかった―浴室から数えて二つ目の部屋の中に、歳のころは十六、七といったあたりの少女が、浴室側の壁にもたれるように脚を投げ出して座っていた。小柄で、色白で、少し瘦せ過ぎているという印象で、俯いたところに肩までくらいの長さの髪がかかっているせいで、顔はあまりよく見えなかった。だが、おそらく幸せそうに笑ってはいないだろうことは、この状況から考えれば明らかだった。パーカーのついた淡い水色のスウェットの上下を身に着けていて、つま先と踵だけを隠す靴下を履いていた。自分の部屋で寛いでいるみたいな恰好だった。季節は二月で、そんな恰好でこんな場所に居るのは絶対に寒くてたまらないはずだった。でもそれは、生きていればの話で、いまの彼女にはそんなことは関係のないことだった。いまは明け方で、昨夜遅く独り言のように降った雨が残した水滴が屋根の至る所から落ちてくる音だけが静かに響いていた。建物の周りには河原特有の真っ直ぐな背の高い草が生えて、対岸を走るこの辺りの唯一の道路からは決してこの建物を見つけることは出来なかった。


まだ開店したばかりのだだっ広いショッピングモールには、おざなりな挨拶をするために整列している店員以外にはあまり人の姿はなかった。その店員たちは、ひとりの少年の姿にとても興味を示しながら、平静を装って頭を下げていた。下げている者のなかには、微かに笑みを浮かべている者も居た。マニュアルに書いてある接客用の微笑みとは、似ても似つかない笑みということだ。少年の姿はちょっと見普通だったが、ただその表情があまりにもそういう施設には似合わない様子で、それが人の目を引いたのだ。それはしいて言うならば、長い時間をかけてずっと精神を殴られ続けてきたものが浮かべるようなそんな表情だった、年齢は十七というところだろうか、そんな年頃の人間が浮かべるような表情ではなかった。もっとも、そんなものの見方は現在ではもう古いのかもしれない。いまもっとも人々を平等に扱っているのは、絶望や徒労感というようなものに違いないだろう。少年には名前を与える、彼は陽平という名だった。ファンシーショップの店の前に居る、売り物のイラストから抜け出してきたような奇妙なコーディネイトをした若い女の店員には、陽平が激しい痛みを抱えて歩いていることが判った。だがそれを理解したところで、彼女に何が出来るわけでもなかった。彼女自身、その痛みのなかで喘ぎながら、自分を覆い隠すような容貌をこしらえてそこに立っているのだった。笑顔のなかで妙に静かな目をした彼女の前を、陽平は通り過ぎた。その二人の痛みは、それ以上交わることは二度となかった。


再び河原である。少女は死んでいる、というようなことをさっき記したが、それは厳密にいうと真実ではなかった。それは、肉体的に死亡している、身体機能が停止していると言う意味での死でしかなかった。少女の魂―意識というべきだろうか、それはまだ生きていた。そしてどういうわけか、その肉体から出ることが出来ないままで居た。死ぬまでの少女は朦朧としていたが、死んでからのちの彼女の意識はしっかりとしていた。利口な娘らしく、自分の現状を目にしても戸惑うことがなかった。彼女は肉体的に死亡してからずっと、自分がなぜここに居るのかということについて考えていた。死んでから二日ほどが過ぎただろうか?考えてもなにも答えを得ることは出来なかったが、彼女の精神はだいぶん落ち着いて居た。生きている間彼女は迷い続けていた、見知らぬ場所で、死んだのに生きている自分の現状は、それまでの人生から比べれば多分に興味深い状態に違いなかった。だから彼女は自分の死体のなかで、あらゆることを考え続けていた。どうしてここに来たのか、ここは何処なのか、自分で来たのか、連れてこられたのか。どうして覚えていないのか、どうして死んでいるのか、どうして死に切れていないのか。生き返ることは出来るのか、生まれ変わることは出来るのか、誰かが自分の姿があるうちに迎えに来てくれるだろうか、それとも、腐敗して骨になって、崩れ落ちるまでこのままなのだろうか。肉体が滅びたら、自分はここを離れて自由に動けるだろうか。それとも、この身体が尽きる時が、この心も尽きる時なのだろうか、と。少女の魂は例えて言うなら、虫かごのなかの虫のようなもので、肉体という仕切りから外へ出ることは出来ないが、そのなかでなら自由に動くことが出来た。だから考え事に飽きると、窓の外の空を眺めたり、水の流れる音に耳を澄ましたりした。そう、水が絶えず流れているせいで、彼女は自分がどこか川の近くに居るのだということは理解していた。車の音や人の声がまるで聞こえてこないので、余程に辺鄙なところに居るのだろうということも理解していた。これからどうなるのだろう、時々はやはりそんな風に考えた。でも考えたところでそれ以上どうなるものでもないのだった。薄暗かった空はそろそろ明けようとしていた。今日は凄く良い天気になりそうだ、少女は空気のにおいでそれを知ることが出来た。


ショッピングモールのスターバックスで適当に注文を済ませて、小さな席に身体を預けた陽平は、この三日ほどのことを幻視のように思い返した。約束をしたガール・フレンドは何時間待っても現れなかった。メールにも、ラインにも、電話にも返事を寄こさなかった。彼女は他所の土地からこちらにやって来ていて、自分の他に定期的に会うような友達も居なかった。心当たりはあっという間に当たり尽くした。あの日近くの駅で待ち合わせて、このモールで一日中遊び尽くそうと約束していたのだ。時間軸が現実に引き戻されると眩暈がした。どうしてなんだ、と陽平は思った。それは本人にしてみればそう思っただけのことだったが、彼の思いは口をついて出ていた。隣に座っていた二十代半ばのカップルが、彼の方を見て怪訝な顔をした。陽平自身はそんなことにまるで気づいていなかった。どこに居るんだろう、そう思いながら彼は飲物に口をつけた。それは確かに彼の体内に運ばれていったが、彼にはそのことすらもよく理解出来てはいなかった。


死んでいるからなのだろうか?何日が経過しても、少女は自分のことを思い出すことが出来なかった。死んでしまうとそうなるのだろうか、と彼女は考えた、肉体のどこかにそういう、現実的なことを記録する箇所があって、肉体が死んでしまったから、精神がアクセスすることが出来なくなったのだろうか?記憶がそんな風にセクション別に記録されるなんて話は聞いたことがなかったが、そう考えるとまるで思い出せないことについて納得出来るような気がした。さて、と彼女は窓の外を見た。また夜になっていた。体感的なものがまるで失われているせいか、それはいつも気がつくとそうなっていた。どうしてなんだろう?と彼女は考えた。彼女はもう眠ることもせずに、一日中そこでいろいろなことに思いを巡らせているというのに、朝や昼や夜というものの変化をほとんど感じることが出来なかった。それは気がつくとすり替わっていた。きっと、やたらと考え事をしてるせいなのだろう、と彼女は思った。現に、幾度かは明るくなる空を、暮れていくときの真っ赤な空を、この目にしたではないか?きっと、考え過ぎるのだ。肉体がないせいで、疲労を感じない。だから、考え込んでいるととことん考え込んでしまう。例えて言うなら、とても面白いゲームに一日入れ込んでいるような状態が毎日続いている、というような感じだ。味気ないな、と少女は思った。自分はどちらかというと感情の起伏が少ない方だと思っていた。でも意外と、気づかないところでいろいろなことを感じて、そのたびに心は動いていたのだな、と、そんなようなことを考えた。ここで、彼女に名前を与えよう。彼女の名は沙織という。


河原の建物の側には二つの轍があった。もちろん、草に覆われていてすぐにそうと目に留めることは不可能だった。それはつまり、誰かが彼女を車でここに連れてきたのだということを意味していた。沙織は車どころか、運転免許すら持っていなかった。第一、彼女が自分でそれに乗って来たというなら、その車はそのままここになければおかしいのだ。それが誰なのか、いまとなってはどれだけ探しても見つけることは出来ないだろう。もちろん、沙織自身がなにかを思い出すとか、そんなことがあればまた、事態は変わってくるかもしれないけれど。


飲み干したのはおそらくアイスコーヒーだったはず。陽平は不意に腹痛を覚えた。店を出て手洗いを探す。店の近くの個室はすべて埋まっていた。彼は開いているところを探してモールの一番端まで歩き、そこでようやく個室を使うことが出来た。個室を出たところはイベントスペースになっていて、名前も知らないアイドルグループがもうすぐそこで歌うことになっていた。観覧は自由となっていた。最前列で群れているのは彼女らのファンなのだろう、若い女も居ることは居たが、ほとんどが中年あたりの独り者の男という印象だった。年甲斐もなくメンバーの名前の入ったバンダナを巻き、サイリウムを手に盛り上がっていた。まだ始まっても居ないのにすでにコールをしている者も居た。陽平は彼らとは出来る限りの距離を取って、最後尾の列に腰を下ろした。別に見たいわけじゃないのだ、これ以上何をすることも思いつかなくて、そこにそうしているだけなのだから。やがて、ショーは始まった。ステージに現れた少女らは宇宙服をワンピースに改造したみたいなおかしなデザインのドレスを着て、あちらこちらに笑顔を振りまきながら跳ね回り、明らかにボリュームを上げ過ぎているマイクに向かって、元気いっぱいの下手糞な歌声を張り上げた。彼女らの歌い回し、ダンス、笑顔、仕草すべてに、マニュアルがあるみたいだった。嘘ばかりだ、と陽平は思いながら、ぼんやりと彼女らを眺めていた。まったく印象に残らない数曲が終わり、客を巻き込んだイベントが始まった。撮影会だのなんだの。陽平はそのイベントにはまるで関わらなかった。痴呆症のように虚ろな目で嘘つきな女たちを眺めていた。イベンターらしきスーツの男が明らかに陽平を警戒していたが、彼自身はそんなことにまるで気づかなかった。ルールの判らないコール&レスポンスが始まったところで、陽平は席を立ってそこを離れた。確かに他になにもすることを思いつかなかったけれど、それでもそこにいる理由なんてなにも思いつかなかった。


一週間と少し経過したころ、沙織に変化が訪れた。不意に彼女は、自分を縛り付けるものがなにもなくなったような気がした。試しにその場で身体を伸ばしてみると、ふっと肉体の外に出ることが出来た。えっ、と驚いて自分を見下ろしてみると、腐敗が進んだらしく、髪の毛が抜け落ちていた。頭頂部から溶けるように、それは始まっているようだった。気温が低いせいでいままでかかったのだ。彼女は自分の死体の前面に回り、顔を覗き込んだ。頬にいくつか痣のようなものが見受けられた。死んでから出たものではないみたいだった。明らかに殴られたものだった。やっぱりなにかが起こったのだな、と沙織は思った。半開きの自分の目を見た。「私は不幸です」と書いてあるような目をしていた。ふう、と彼女は短い息をついた―もちろん、そういう感じ、ということだ。彼女にはつくべき息がないのだから。
 「なにがあったのですか?沙織ちゃん?」
彼女はおどけてそう問いかけた。もうなにが起こっていても構わなかった。それをどうこうしたからといって、腐敗が始まった自分がもうこの世界に留まれるなんて思っていなかった。むしろそれはありがたい出来事だった。この世界は人間が人間として生きるところじゃない、彼女は常にそう感じていた。もちろんそれは若さ故の認識の甘さというところもあったけれど…この歳でそこから脱却出来るのはむしろありがたいことだと思っていた。だから、彼女は霊魂と化した自分を存分に楽しんでいた。少しの間彼女は自分の死体を見下ろしていた。それから窓辺に行って、そこから見える景色がほとんど自分が考えていたとおりのものであることに嬉しくなった。外に出てみようかと思ったが、すでにガラスの失われたその窓から外に出ることは出来ないようだった。彼女はいろいろ試してみた。どうやらいまのところ、自由に動けるのはこの建物の中だけのようだった。さて、と彼女は考えた。なにかをするべきだろうか?例えば、なにが起こったのかを調べたり…?でもどうしてもそんな気分になれなかった。なんたって彼女は、ここに至るまでの現実的なすべてをまるで思い出すことが出来ないのだから。いいや、と彼女は結論して自分の死体の前に胡坐をかいた。自分がやるべきことはなにもないような気がした。もしかしたらそれはどこかで、誰かが勝手に進めてくれることなのかもしれない。だったら自分はそれをのんびり見物していよう。


「つまらないのかい?」
モールの広い休憩スペースに腰を下ろして、彼女と今までに交わしたラインを読み返していると、突然そう声をかけられた。顔を上げると、テーブルを挟んだ前の席に二十代半ばという感じの淡い金髪の男が座っていた。売れないバンドマンみたいな革ずくめの格好をしていた。陽平と目が合うと、へへっ、と小馬鹿にするように男は笑った。陽平はしばらく男を見つめていたが、なんと返すべきか全く思いつかず、首を横に振ってまた俯いた。覗かれそうな気がして、スマートフォンの画面は閉じてポケットにしまった。陽平が素っ気ない態度を取っても男は立ち去らなかった。つらいのかい、と男は続けて話しかけてきた。つらい?陽平はそれについて少し考えてみた。つらいと言えば言えたし、でもどこか違うようなそんな気もした。
 「よく判らない。」
陽平は無意識にそう返事した。男はさっきとはうって変わって人懐っこい笑みを浮かべ、もし良かったら少し付き合わないか、と持ち掛けてきた。
 「そういうときは少し気分を変えた方が良い。あんたいま普通の状態じゃないだろ。そのままじゃどんな問題も解決することは出来ないよ。」
陽平はまたほんの少し考えた。男の言うことはもっともな気がした。この男が自分を苦しめているものを解決出来るとは思えないが、なにかしらヒントをくれるかもしれない、そんな気がした。そうだな、と陽平はもごもごと言った。このままここに居てもしょうがないし。
 「付き合うよ。」
男はようし、と笑って立ち上がった。
 「ついてきなよ。」


沙織は自分の死体と向き合いながら、友達と居るみたいだと思った。たぶん、一番そりが合わない友達と。時々ぶっきらぼうに話しかけたりした。頬をはたく真似をしてみたりした。馬鹿馬鹿しいことだけどそれは彼女の気持ちを楽しくさせた。もしかしたら自分が一番やりたかったのはこういうことかもしれない、などと、彼女は考えた。そうした遊びが一段落して、ぼんやりと窓の外を眺めていると、遠くから車の音が聞こえてきたような気がした。おや、と沙織はそちらの方に目を向けた。それは確かにこの建物に近づいてきていた。誰か来たみたい、と沙織は沙織に話しかけた。ここに誰かがやって来るなんてこれまで一度もなかった。きっと自分に関係があることなのだ。沙織は半ばワクワクしながら車が到着するのを待った。オバケみたいに玄関口に立ってたら驚くだろうか?彼らには私のことが見えるだろうか?そう思いながら彼らを迎えるように玄関口に立ってみた。車から降りて入って来た二人の若い男は、やはり沙織の姿を見ることはなかった。ここは何処?俺もよく知らない、そんな話をしながら二人は、沙織が居る部屋の右隣の部屋へと入って行った。見えないのなら気を使うことはないわね、と沙織は彼らのあとをついて部屋に入って行った。そこが自分の部屋と同じ味気ないところであることはもう知っていた。二人の男は適当に荒れた畳に腰を下ろして、少しだけ年上らしい金髪の男が若い方の男に煙草のようなものを手渡した。これ、アレかい、と若い男が聞いて、アレだよ、と金髪が笑いながら言った。今流行ってるやつだよ、すごくよく効くよ、と言って、火をつけてやるから準備しろ、と促した。若い男は少し迷っていたが、まあいいかという風に突然力を抜いて、それを口にくわえ、年上の方に火をつけてもらった。一度に吸うなよ、と金髪がレクチャーを施した。十分もすると二人は凄くだらしなくなって、特に金髪の方は涎さえ垂らしてだらりと横になった。若い男の方も少しの間とろんとしていたが、やがて目が泳ぎはじめた。具合が悪くなったのかよろよろと部屋を出て、浴室の方へ歩いた。そして、そこで激しく嘔吐した。沙織は横でほとんど胃液しか出てこない男の吐瀉物を見ていた。この人、ろくに食べていないのね、なんて考えながら。喉を絞めつけるような音を立てながら若い男はしばらくそこで吐いていた。一番つらい吐き方だ、と沙織は思った。しばらく痙攣するみたいに震えたあと、ようやく男は立ち上がった。もしかしたそのまま死ぬかもしれない、と思っていた沙織はほっと胸を撫で下ろした。
 (この人、あんまり悪い人に見えないのだけど、どうしてあんなもの吸ってるのかしら?)
そう思いながら部屋に戻ろうとする男のあとへまたついて行った。男は、戻る部屋を間違えて沙織の居る部屋に入った。そして、雷に打たれたように動かなくなった。どうしたんだろう、と沙織は思ったが、男は青ざめながらすぐにその部屋を離れたので、沙織は慌ててついて行った。
 (考えてみれば、死体見て平気なわけがないわよね。)
男は一度玄関を出て、手洗いの方に向かい、用具入れを引っ掻き回して、小さなハンマーを手にして最初の部屋へ戻った。どうしたの、と少しまともになったらしい金髪が、それでもまだトロンとした目つきで男に微笑んだ。悪酔いしたね、初めはしょうがないよ。そう言いながら金髪は二本目に火をつけようとしていた。男はそれをさっと奪って、それやる前に少し教えてよ、と金髪に言った。金髪は腹を立てる様子もなく、ヘラヘラ笑いながら、なに?と聞き返した。
 「あんた以外に、ここのことを知ってる人は居る?」
どうかなぁ、と金髪はのんびりした調子で答えた。
 「こんなところだからね。かなり古い建物みたいだし。俺はコレのためによく来るけどね…誰にも会ったことないからな。ご覧の通り辺鄙なところだしね。知ってる人なんかほとんど居ないんじゃないかなぁ?」
のろのろとそんなことを話して、金髪はそれがどうした?というように男を見た。
 「まだなにかある?」
 うん、と男は隠し持っているハンマーの柄を強く握りしめた。
 「となりの女の子についてなにか知ってる?」
 女の子…?と金髪は少し目を細めて考え込んだ。死んでる、と男は付け加えた。長い沈黙の後で金髪はようやく思い当たったようだった。あぁー!
 「あの子、先週だったかな、ここで一緒するお友達探してた時に知り合ってさ、好みだったからダメもとで誘ってみたんだよな。そしたらまさかのOKでさ、俺嬉しくなってサービスしたんだけどそれが良くなかったみたい。痙攣し始めてさ。なんとか目を覚まさせようと叩いたりとかしてみたんだけど、ダメでさ。で、病院行くわけにも行かないからしょうがねえべって俺そのまま帰ったんだよ。」
 陽平は自分の意識が遠くなるのを感じた。もしかしたら死ぬかなぁ〜って思っていたんだけど、と、金髪が続けて話すのが聞こえた。
 「本当に死んじゃったか。可愛い子だったのになぁ…。」
 その瞬間陽平は渾身の力でハンマーを振り下ろした。金髪の側頭部は陥没して、一言も発さずに横倒しになった。陽平はまた気分が悪くなった。でももう吐くものなんてなかった。フラフラと建物を出て行くと、金髪の男の車に乗り込んで猛スピードで飛び出して行った。ほどなく激しいクラッシュの音がして、鳥たちが大騒ぎした。


 沙織は金髪の死体をしばらく見下ろしていた。どうやらこの男に殺されたらしい。でも話の内容から察するに、それは自分のせいでもあった。それについては特別何の感情も湧かなかった。ただ一つだけ気になるのは、去って行った若い男のことだった。あの人は私となんらかの関係があったのかしら。いくら考えても思い出すことは出来なかった。沙織は自分の部屋に戻り、さっきよりいくらかうなだれたみたいに見える自分の死体にまた話しかけた。


 「ね、あんたさ…馬鹿だよね。」


 せめて覚えておいてあげればいいのにね、とぽんぽんと頭を叩く真似をした。そうしてまた死体の前に胡坐をかき、ぼんやりと窓の外を見た。そこには虚ろな夕暮れが広がって行こうとしている。すべては終わった。私はいつまでここにこうしているのだろう―。









                              【了】
 
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