2017/6/27

真白な記憶、落下、ああ、二度だけ鳴る。  






俺はゆっくりと落下していた、だがそれはもしかしたらあまりに高くから落ちているので、ゆっくりと落ちているように感じているだけかもしれなかった、全身を包むように猛烈な勢いで吹き抜けている風が、「もしかしたらそうなのかもしれない」ということを唯一感じさせた、それは感情のない落下だった、あまりにも感情のない落下だった、目覚めたばかりの身体をそのまま引っ掴まれて投げ出されたみたいな落下だった、視覚だけが覚醒している、そんな状態に似ていた、だが俺は眠ってはいなかったし、眠りたいという気持ちもなかった、それまで何をしていたのか思い出せなかった、ただ放り出されて落下しているだけだった、怖れも不安もなかった、ついでに希望も―スカイダイビングのようにうつ伏せになって落ちていたので、数分後か数十分後には自分の肉体が激突するだろう地面を存分に見ることが出来た、速度の中でぼんやりとようやく考えたことは、これは夢の中なのだろうか、ということだった、それならばこの突拍子もない状況も素直に受け入れることが出来るのだ、仮に、と俺は風になぶられながら考えた、仮に夢だとすれば、なにも抗うことはない、これが夢ならこれから先、どんなことが起ころうとも怖れることはない、所詮は夢の中の出来事なのだから…夢だと言い切れない理由がひとつだけあった、「それまで何をしていたのか思い出せなかった」そういうことだ、それも夢の特徴のひとつではないかと言われれば拒む理由などなかったけれど―連続していないものだから記憶として残っていないのだ、俺の知る限りそんなものが存在するのは夢の中だけだ、俺自身の精神が壊れているのでなければ…幸いにもまだ俺の精神は壊れてはいなかった、あちこち綻びかけてはいただろうが、幸いなことにまだ俺の精神は壊れてはいなかった、俺は自分でそれを認識することが出来た、わかったよ、これは夢だ、俺はそのことについて考えるのをやめた、それならばここからどうなるのかをじっと眺めてみればいい、俺はゆっくりと落下していた、次第に下に何があるのかはっきりと見ることが出来た、どうやら俺を受け止めるのは、海か、あるいは非常に巨大な湖のようだった、汚染されているのか、あるいはそこにあるのは水ではなくなにか違う液体なのか、その色は艶めいた黒だった、水面は穏やかに波立っていた、湖なのかもしれない、と俺は思った、数十年前にどこかで見た巨大な湖によく似ていた、どうやらコンクリートに激突して脳症をぶちまけることだけは避けられそうだ―高度が下がるにしたがって風が弱くなった、うつ伏せで飛んでいた俺の身体は次第に頭を下にして、高飛び込みのような体勢になった、着水までもうすぐだろう、俺は上手く水に入ることだけを考えた―飛び込んでわかったのは、それはやはり水ではなかった、そして、液体ですらなかった、プラモデルの欠片が詰め込まれた箱の中に落ちたみたいだった、だが、その形状…その感触は、俺の精神に猛烈な嫌悪感を呼び覚ました、俺は夢中でその塊の上に浮上しなければならないと思った、水でないのなら上を歩いて逃げることも出来そうだった、わかっていることは急がなければならないということだった、浮上している間につま先に激しい痛みが走った、激痛だった、落下の衝撃で骨折でもしたのだろうか?あとで確認しなければ…そう思いながらその異様な欠片の水面に顔を出した俺が目にしたのは、細長く艶めいた黒で全身を彩られた甲虫の群れだった、俺は絶望し、悲鳴を上げようとしたが、寸前でとどめた、こんなところで口を開けようものならすぐにこいつらに侵入されて中から食い破られるだろう―そして、自分のつま先がいまどんなことになっているのかということについては考えないことにした、逃げなければ、そう思ったが、静かに俺を目指している甲虫の群れは、すでに俺の動きをがっちりと封じていた、密度の高い鎖で極限まで固められているような感触だった、ああ、と俺は思った、もう俺の力ではどうにもならない…そうして全身を激痛が襲い始めた、甲虫の顎はあまり大きくはなかった、いま俺の身体を切り刻んでいるだろう牙も、外から眺めた感じではあるのかどうかすらわからなかった、そいつらはいまや俺の顔面をも我が物顔で這いずり回り始めたので、俺はそういう形状をじっくりと眺めることが出来た、甲虫には目に当たるようなものがなかった、それがあっただろう場所はただのっぺりとした丸みのある頭の一部だった、観察はそこまでだ―とでもいうように痛みはさらに激しくなり始めた、骨に達したのだ、俺にはそれがわかった、身体の中で鳴り続けていたぐずぐずという音に、カチカチという音が混じり始めたのだ、骨にも痛覚がある、俺はそのときそれを知った、こらえていた悲鳴がいつの間にか口を突いて出た、それが最期の合図だった、待ち構えていた虫共が俺の口から入り込み、食道へと潜り込んだ、俺は涙を流し、窒息し、吐き出そうとした、でも数が多過ぎた、何匹かは下まで降りることが出来ずに目玉を押しのけながらもう一度這い出してきた、体内でいくつかの線がぶちぶちと切れる音がした、涙と涎と血と体液でドロドロになりながら俺は息絶えた、そして骨まで食い尽くされた、最後に残った目玉を、二匹の甲虫が慎重に突っついた、それは派手な音を立てて割れた、白濁色の液体があたりに飛散した、まるで、クラッカーが弾けたみたいにさ…。










0

2017/6/18

ヘイト浅漬け  








清く正しく生きようとするやつが気に入らねえ
欲ボケて腹の弛んだ肉玉も気に入らねえ
政治家のケツをブログで突っついてるやつが気に入らねえ
海外ボランティア活動に志願するやつが気に入らねえ
ポッと出の神にすべてを捧げるやつが気に入らねえ
日本経済新聞を読んでるやつが気に入らねえ
社会的水準を妄信しててめえの意見のように語るやつが気に入らねえ
酒を飲むと人生を語るやつが気に入らねえ
浮気を男の甲斐性だというやつが気に入らねえ
愛という言葉を乱発して意味を薄めてしまうやつが気に入らねえ
社会をシニカルに笑うやつが気に入らねえ
他人に唾吐くやつが気に入らねえ
自分を痛めつけるだけのやつも気に入らねえ
群れて自己防衛するやつが気に入らねえ
一匹狼気取るやつも気に入らねえ
から揚げにレモンをかけるなというやつが気に入らねえ
すき焼きにビールを入れるやつが気に入らねえ
「ロックは死んだ」というやつが気に入らねえ
すぐにデモをするやつが気に入らねえ
下手な字を書き殴って座り込むやつも気に入らねえ
やたらに瞑想をするやつが気に入らねえ
野菜ばっかり食って精神世界を語るやつが気に入らねえ
体育会系出身のやつが気に入らねえ
どこそこの文学部卒のやつも気に入らねえ
詩を書くからって詩集を買い込むやつが気に入らねえ
鑑賞した数を誇る映画好きが気に入らねえ
線路まで入り込んで列車の写真を撮るやつが気に入らねえ
音を立てて飯を食うやつが気に入らねえ
公共の場でマナーモードにしないやつが気に入らねえ
タバコ吸いながら原付に乗ってるやつが気に入らねえ
アマチュアのくせにプロみたいな口をきくやつが気に入らねえ
一を聞いて十を知った気になってるやつが気に入らねえ
すべてを諦めることを偉いと思ってるやつが気に入らねえ
人生をゲームに例えるやつが気に入らねえ
年寄りのシンガーを非難するやつが気に入らねえ
若者の作家を小馬鹿にするやつも気に入らねえ
車のフロントにモールを飾るやつが気に入らねえ
字を書くときに鉛筆をなめるやつが気に入らねえ
飢餓に苦しむ国の痩せた子供を見て涙を流すやつが気に入らねえ
アイドルを真剣に非難するやつが気に入らねえ
ユニクロでコーディネートを整えるやつが気に入らねえ
といって高級ブランドで固めるやつも気に入らねえ
再発されたときフォントが大きくなってる小説が気に入らねえ
哲学から引用すればスマートだと思ってるやつが気に入らねえ
スタンダードだと思ってるやつが気に入らねえ
アバンギャルドだと思ってるやつも気に入らねえ
パンクだからって安全ピンを使うやつも気に入らねえ
メタルだからって髪を伸ばすやつも気に入らねえ
メンヘラだからって自殺するやつが気に入らねえ
何もしないまま長生きしてるやつも気に入らねえ
辛いラーメンを毎日食いに行くやつも気に入らねえ
デコレーション過剰なパンケーキに並ぶやつも気に入らねえ
芸能人のインスタグラムに気軽に書きこむやつも気に入らねえ
自分の発言に力があると思ってるやつのツイートも気に入らねえ
世界遺産になったとたんに富士山に登るやつが気に入らねえ
福島の野菜をわざわざ買いに行くやつが気に入らねえ
恵まれない連中が作ったタオルを一枚二千円で売りに来る大学生が気に入らねえ
ヘイトスピーチに千文字以上を費やすやつも気に入らねえ



それが
どうしたってんだ









0

2017/6/17

羽虫の闇  


















毛細血管をノイズが這い回る、無数の羽虫のように…俺の感覚を喰らい尽くそうと目論んでる、二二時の朦朧とした時間―悲鳴には飽きたし、怒りには慣れた、愚痴には興味が無い、まるで水溜りのように俺はそれを放置している、体内の…体内の腐敗や違和感はもはや関心ごとではなくなった、どんなものでもいいのだ、それが身体を動かしていることに変わりはないのだから、ただ、阿呆のように水を飲み下す、手元にはいつでもそれが用意してある、遠い昔、誰かがブラウン管の中で喋っているのを聞いたんだ、「水さえ飲んでいれば人間は生きていられる」そんな話さ―もちろんそれが、ただただ肉体的な条件であることには疑う余地がない、もちろん精神にだって様々な影響があるだろう、だけどさ―精神が目的であるのならそれは食べ物や飲み物から始まったりしない、判るかい、それはもっと、思考を突っつくようなやり方から始まるものであるべきだ…いつからか俺の部屋には、針の鳴る時計が無くなった、それはスマートフォンで知ることが出来るからだ、その代り、時は刻まれるものだという概念も無くなった、さっぱりと…つまりそれがデジタルということだ―時間も、信念も、モラルも、すべては信号化されて雲の中に突っ込まれる、ふわふわと宙に浮かんでいるのさ、手を伸ばせば届くことの出来る雲の中にさ、パスコードを入れなよ、胸に溜めることのない秘密は快適だろう…だからお前は歳を取らない、そうだろ?それらが肉体に伸し掛かることがなくなったせいさ、いつでも身軽になって…サービスのいいパック・ツアーみたいに、着の身着のままで生きることが出来るんだ、パスコードさえ忘れなければ…俺は大声で笑う、そうすると血管の中の羽虫が動いてざらざらという音がする、こいつらもクラウドが預かってくれりゃいいのにな?戯言ばかりが飲み損ねた水のようにカーペットの上に落ちていく、なあ、ろくに飯を食っていないのに満腹なのはどうしてだろう、俺は歳を取って、消化器官が馬鹿になってきた、でも時々すごく調子のいい時だってあるんだぜ、そんなときは虫たちが一緒に流れていくのを見ることが出来る…俺は壁にくっつけてある家具のすべてを倒し、ボールペンで壁に羽虫の絵を描いていく、隅から隅まで、埋め尽くすように、ゆっくりと、時間をかけて…長く、目的のない夜を塗り潰すように、立った一匹の虫を丁寧に時間をかけて、ゆっくりと描いていく、虫の頭が、虫の目が、虫の口が、虫の腹が、その側面に空いた呼吸器官が、虫の脚が、今夜の俺の酩酊を連れてどこかへ消え失せるようにと願いながら…壁は今夜のうちに埋め尽くされてしまうだろう、そうするまで俺は眠らないつもりだ、時間は腐るほどある―子供のころから俺は、時間というものにこだわり過ぎていた、過ぎて行く時間を追いかけ、神経過敏になって、真夜中に発狂していた、どこかに行ってしまう、すべてがどこかに行ってしまう、そう認識することもないままに、それはいつの間にか漠然とした文章のようになって、いつか白紙になってしまう…そうした感覚が緩慢になって来たのは、残り時間が少なくなったせいかもしれない、「大人を信じるな」古臭いロック・ソングは言う、だけど信じるな、ろくに歳をとったこともない連中の言うことなど…たとえばこんな夜には、俺はいつかとまったく同じ夜を見ていると感じる、何も変わらないのだ、なぜなら俺はそれを放棄したことがないからだ―こだわるものが変わらないのなら、人間はどんなに歳をとっても変わることなどない、ただそれがよりよく見えるようになるのさ、変わることといえば、少し消化器官が馬鹿になるくらいのことだ…ええ、見えるかい、俺の羽虫たちが壁中を這い回る、俺は彼らに連れられて壁にぶら下がろうとしている、なぁ、待ってくれ、待ってくれよ、まだ全部描き終えちゃいないんだ、せっかく壁を全部空けたんだぜ、お前らがどんな手を使ったってまだ俺は手を止めないぞ…俺は壁を殴る、ペンを持っていない方の手で…そうするとやつらは一瞬ひるむのだ、そして俺はまた虫を描き始める、俺が描き上げようとしている虫と、俺の身体から天井までを這い回る連中が同じ存在なのかもう判らない、けれど俺は描き続ける、なんたって、時間は腐るほどあるからな―やがておぞましい天蓋のように部屋を埋め尽くした虫たちは、俺の体内で立てていたのと同じノイズを一斉に発し始める、それはまるでジョン・ゾーンのサキソフォンみたいに空気を切り刻む、ハハハ、俺はまた笑い始める、虫が、虫が追いつかない、ノイズは俺を安らかにさせる、どうしようもない、すべてを投げ出すときが来た、ベッドはすぐそばだ…圧倒的な敗北は心を楽にさせるものだよ、俺はベッドに身を横たえる、ひとかたまりになって、まるで大きな一匹の虫のようになった奇妙な生物が俺の目を覗き込む、悲鳴には飽きた、怒りには慣れた…



そしていつか、こうしていることにも鈍くなるだろう。











0



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ