2017/11/10

記憶がなくなれば永遠になることが出来る  



















硬質ガラスの瓦礫、量子力学の悲鳴…空っぽの巨大な培養液のカプセル、デジタルラジオにはノイズの概念がない、なにも拾えない時間には探しすらしない、「信号がない」と、小さなディスプレイに映し出すだけ、仕事に飽きているウェイトレスのように。冬の夜、僕たちは窓越しに宇宙を見ている、宇宙、無限の宇宙…けれどこのガラスを破ることは出来ない、ただ手のひらをぴったりと押し当てて、自分の呼吸で曇らないように、少しだけ顔を離して、存在しないはずの信号をキャッチしようと試みるみたいに目を凝らすだけ。時々君がこちらを見ているような気がして目をやるとやっぱりその通りで、君は不意を突かれて驚くけれどそれも一瞬のことで…思春期を埋葬した十六の夜から僕たちは、互いを互いに馴染ませるコツを上手く見つけては実行してきた、僕たちのプログラムは、共有という概念をいとも簡単に飲み込むことが出来た―それは逆に言えば、僕たちがそれだけ空っぽだったということだ、空っぽには領域というものが存在しない、個の限界を別にすれば僕はある程度君になることが出来るし、君もまたある程度僕になることが出来る、君はべつにそんなものになりたくないと喜劇的な軽蔑をもって言うだろうけれど…時計の長針が進むたびに少し温度が下がる、ヒーターの熱は不思議なほどこの窓辺を温めてくれはしない、僕らはぶるぶるっと震えて、ソファーに引っ掛けたままのおそろいのルームウェアに袖を通す、それは毛布で出来たガウンのようになっていて、僕らはその着心地をとても気に入っている―窓の外にはなにも変化はない。



十年前の今日のこと、沢山の人を乗せた船がこの窓のずっと北の方にある海で沈んだ、原因は動力機関のどこかで起きた火事だということだった、乗船していた全員が真っ黒に焼け焦げて、海の上で結晶のように放射状に散らばっているのがあとあと見つかった、彼らは海面に出ている部分以外のすべてを魚に啄まれていた…出来損ないのミイラみたいな塩梅だったということだ。この部屋の壁にはその時の記事を載せた新聞が飾られてある、僕らの両親がその事故で居なくなったからだ。海の底は、と僕は考える、海の底はきっと、こんな冬の夜よりもずっと冷たくて寂しいものだっただろう―誰も彼も、寂しくてしょうがなかったから浮かび上がってきたのだ、「水面に出たら皆で輪になろう」そんな約束がなされたかもしれない、「それはそれは見事な結晶だった」と記事には書かれている、その描写のせいで後々この新聞を作っていたオフィスはなくなってしまった、彼らにしてみれば追悼の意を込めた一行だったのかもしれないが…どんなに心を込めたって意図が通じないなんてことはべつに珍しことじゃない、君は黙り込んだ僕を不思議に思って、昏倒した患者の頬を打つように軽く、僕の頬をぺしぺしと叩く。僕は我に返る、いつのまにか海の底のことばかりを考え始めていたのだ、それはもしかしたら、死を迎えるのには最高のロケーションなんじゃないかなんて―そんなことを。



僕らは立ったまま夕食をとる、窓の外を見つめたまま。そしてもう一度宇宙について考える、僕たちは絶対にそこに行くことは出来ない。「宇宙になど行かなくていい」と君は言って微笑む。僕は夕食の固形物を少し喉に詰まらせる、飲物を流し込み、すぐに呼吸は楽になるけれど、喉の奥が引っ掻かれたみたいに痛む、僕は子供のころから何かを飲み込むことがまるで上手くない…悲鳴の記憶はいつからここにあるのか?もう何度となく考えたその疑問が、ひとりでに抜け出してはそこらの壁を駆け回る、僕は頭を抱えて蹲る、いま口にしたばかりのものを吐いてしまう―君はすっかり慣れっこになっていて静かに僕に寄り添って背中を撫でてくれる。デジタルラジオはノイズを拾わない、だから僕が代わりにこうしてノイズを作り出している。夜はさらに冷たく、窓の外は黒の色合いを増す、部屋の明かりがすべての邪魔をしていることは判っているけれど、僕たちにはどうしてもそれを消すことが出来ない。



あんな甲高い混沌を抱えた毎日は何処に行ったのだろう。私は昨日退屈に飽き飽きして部屋の中を掻き回し、君の両親が記録していたラジオ・プログラムのテープを見つけた―再生機器を見つけ出すのは大変だった、なにしろ私はそんな機械をこれまでに見たことがなかったから…テープを入れて古めかしいボタンを押し込むと、おそらくもういまでは生きていないのだろう男女が楽し気に当時の流行や出し物について話していた、内容についてはなにひとつ判らなかったけれど遠い昔に生きた誰かの声を聴いているのは楽しいことだった。この世界には冬が来なくなり、夜は不思議なほど明るくなった…君は真っ白い骨になって、部屋の片隅でくしゃくしゃになっている。














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