2018/4/22

おだやかな水の流れがすべてを飲み込んでいくように  






















劇薬みたいな陽射しの下で、きみは舗装道にむきだしの膝をついて、街の喧騒の中から知り合いの声だけを探し出そうとするみたいにじっとしている、視線は少し先の街路樹の根元を見つめていたけれど、本当に意識に落とし込もうとしているものがそれではないことは明らかだった、いつもそうなのだ、スコールのようになんの予兆もなく訪れて、ほんの少し辺りを掻き乱したと思ったらどこかへ消え去っていく、まるでそんなものははじめからなかったんだというほどにあっけらかんと…ぼくは興味やら焦りとは無縁のところで、どんな欠落も欠陥もないらしい人たちの交通の妨げになっているきみのことを少し離れて眺めている、待っているしかない、きみとは違う個体であるぼくがあるとき辿り着いた結論はそこだった、最近は自動販売機で飲み物をふたつ買って、きみがこの世界に帰ってくるまでに飲み干しておくことだって出来るようになった、意味なんか求めてはいけない、日常にしてしまえばどうということはなくなる、ぼくにとってきみは日常であり、きみの突飛な行動だってやはりそうなのだ―そういうときぼくが気をつけておかなければならないことはひとつだけだ、きみの行動にイラついてきみになんらかの危害を加えようと試みるものが現れたら、そいつをきっちりと排除する、きみに指一本触れることがないように…だけどそんな人間が現れたことはなかった、誰かをいらだたせるにはきみの行いは静か過ぎるのだ、静かで、当たり前すぎて、それはそういうものなのだというようにカンのいい人間を納得させてしまうだけの説得力というものを持っている、それは、存在感、なんて名前で置き換えてみてもいいものだ…確かなものをひとは敬遠する、不確かなものを享受して生きていくことが美徳だと思っているからだ、きみの持っている確かさはそういう人間たちを遠ざける、強固なシールドを築いて、入ってこれなくする、きみは、きみの確かさを言葉にしようとしない、言葉にすることの嘘をきみは知っている、だからいつも便宜的な姿勢というものをもたない、劇薬みたいな陽射しの下で、舗装道にむきだしの膝をついて、ただどこかに心を預けている―まるで呼吸する写真みたいだ、とぼくは思う、そんなものを写真と呼んでいいのかどうか判らないけれど、そんな現象にもしも名前を付けるとするなら、間違いなくそれしかない、人工的なコーヒーの苦みを飲み干しながら、ぼくは新しい呼吸する写真を脳裏のアルバムに刻み付ける、それはこの先あまりたくさん保存されることはないだろう、そんな予感に苛まれながら…十分あまりそうしていただろうか?やがてきみは立ち上がる、人類の進化の絵みたいに、鉄パイプが差し込まれたみたいに真っ直ぐな背中をこちらに向けて―ぼくはハンカチと絆創膏を準備してきみの前方に回る、案の定膝を擦り剝いている、きみはまだあまり戻ってきてはいない、夢の途中で予定外に目覚めてしまったみたいな目をしている、ぼくはきみの傷の治療をする、太陽がぼくの延髄を炙る、煙が上がり始めるんじゃないだろうか、とぼくはくだらないことを考える、沸騰した血液のように表皮に沸き上がった汗が幾筋かの線を描きながらシャツの中へ落ちていく…傷が痛まないように静かに絆創膏を押さえると、それが合図であったかのようにきみは戻ってくる、「ショートパンツを穿くのはやめたほうがいい」とぼくは忠告する、「でも」ときみは抗弁する、「それを穿かないと暑くてやりきれないもの」きみの当然はときどきぼくをひどく落ち込ませる、「ひざがぼろぼろになってしまうよ」心配しているんだ、という気持ちを込めてぼくは念を押してみる、きみはにっこりと微笑んで「行きましょう」とはぐらかす、手を差し出して立ち上がるぼくを引き上げる、そんなことをしなくてもぼくは立ち上がることが出来る、そのまま手を繋いで僕らは立ちあがる、劇薬のような陽射しの下、その場所に生じた少しの歪のことを世界はすぐに忘れてしまうだろう、きみの傷が夜にずきずきと痛むとき、きっとそれが歪の最後の記憶になる。














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