2018/8/30

その振動が記憶している  










洞穴を突き抜ける風が立てるような轟音がずっと聞こえていた。日中ずっと度を超えた太陽に炙られ続けて乾ききった身体のせいかもしれない。あるいはもっと他のなにか、もっと根の深い―ウンザリするような原因があるのかもしれない。でも差し当たりそれは、「夏のせい」にしておいても問題はなかった。問題があるとしても、今日のことではないだろうということだ。遠い過去にどこかで、そんな音を聞いたことがあるような気がした。でもそれが果たしてどこでのことだったのかはしばらく考えても思い出せなかった。現実のことではないのかもしれない。おぼろげなイメージ…あるいはそういったものに変換されたまるで種類の違う出来事―そういう類のものだったのかもしれない。けれどそれも結論として存在しなくても構わないものだった。判ったところでスッキリするとか、失われていた記憶が蘇るとか、そういったことではないような気がした。ああ、そうなんだ、と思って片付くような、些細なことだった。実際に鳴り続けているその音は、ただ垂れ流しているテレビや、たまにたわいもないメールが届く携帯に飽きていた俺にはちょっと興味深いコンテンツのようなものだった。その音そのものには、特別に何かを語ろうというような意志は感じられなかった。あったとしても蝋人形館の蝋人形の瞳程度のものだった。だからこそ俺はそれを不快に感じなかったのかもしれない。ただ呆れるほどにあっけらかんと、整然と轟音としてそれは鳴り続けていた。プレッシャー?フラストレーション?イニシエーション?…原因と思えそうな単語をいくつか挙げてみたら、まるでジャパニーズロックの歌詞の一説のようだった。下らないフレーズだけど、こんな風に考えてみたらそれはあながち間違いじゃないのかもしれない―それは確かにそうなんだろう。完全に間違っているものなら、それを支持する人間など皆無だろう…。轟音のおかげで他の音は聞こえなかった。それは結果的に静寂と言ってよかった。ピース・&・ノイズ。ノイズが静寂になることは確かにある。ノイズが平和となる瞬間は確かにある―もしも詩を書いているような誰かがこれを読んでいるなら、このことはきっと理解出来るだろう。静寂がノイズのように存在することだって確かにある。俺はその辺の連中よりは多分、そういった類のノイズや静寂を感じてきたような気がする。それが俺をこんな文章に向かわせているんだ。これは静寂に向かうノイズであり、ノイズに向かう静寂なのだ。それがあるレベルで鳴り続けたとき―俺は得も言われぬ浮遊感の中で、眠りの中で見る前世のヴィジョンのような…感覚的な倍音とでもいうようなものを感じているのだ。あたかも突風のようなのに、風ではないその音。とてつもなくなにかが突き抜けているみたいに感じるのに、物理的に通過していくものはなにもないその音。まるでエアプレーンの幻覚のようだ、衝撃波で身体が震えるような感触まで、感じることが出来る。だけど生真面目にぴいんと左右に張られた羽はどこを向いても見つけることは出来はしない。目を閉じていると、存在がさらわれていくような気がした、波だ、と俺は思い当たった。もう十何年―あるいは二十年以上は前のことだろうか、こんな波の音を聞いたことがあった、台風の日だった…テトラポッドを一口で齧ろうとしているような高い波が、呼吸のようなリズムで何度も何度も押し寄せてきた。その日、俺は恐怖を感じなかった。あるいは恐怖のなかに、奇妙な安らぎを感じていたのかもしれない。真夜中だった。周辺には誰も居なかった。俺はテトラポッドのすぐそばまで歩き、アナコンダの食事を思わせるその波をずっと眺めていた。あの時そんな音がしていた、あのときずっとそんな音が…あの時俺が心のどこかで望んでいたもの、それはこの音のなかにあったのかもしれない。よう、という声を聞いた気がした、洞穴を突き抜ける風の音に混じって。








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2018/8/26

鮮やかな流血のまぼろし  















脳髄を満たし、頭蓋骨をなぞるように流れ落ちる観念的な血液は、ジェルのような生温い感触を塗りつけながら、といってもはやこの肉体にはどんな未練もないというように潔く落ちて行った、それはいつか精も根も尽き果てた恋人の、素っ気ない背中によく似ていた、空調の不自然な冷たさ、それは俺にモルグを連想させた、それは予兆なのか、それは…悪魔憑きのようにやつれた目を見張り、手元に転がっていたペンの先で手のひらを軽く刺した、それにはどんな効果も期待していなかった、ただ意識がまだ現実の線上にあるのか、それを確かめてみようと思っただけだった、果たしてそれは確かにまだそこにあったし、幻覚のようなそれを除けばたいして不具合もなかった、ただただ血まみれになった自分自身のビジョンが亡霊のように憑りついているだけだった、頭を振ったり―腕を回したり、そんな真似はいっさいしなかった、無意味だと判っていた…そんなことでどうにかなるくらいなら、この血は初めから流れ出してくることはなかっただろう、生身のことだろうと内奥のことだろうと…それは流れるべくして流れ出してきたものなのだ、髪の毛や、シャツが真っ赤に濡れて張り付くのを感じる、まるで不自由な皮膚のように―ラジオで流れているバンドは、失われた愛を嘆いている、それは死に似ている…馬鹿なことを言うと思われるかもしれないが、初めて聴いたわけでもないその懐かしいナンバーは、その歌の中にある喪失は、その夜の瞬間確かに死と同じようなものだった、それは温度と同じようにそんなふうに感じられた、俺は無意識に右手で―本当にはありはしないべっとりとへばりつく血液を拭い取ろうとしていた、それはやはり空振りをして、ただ前髪を少し払っただけだった…だからといってべつにどうということはなかった、そんなことは初めてではなかった、ただいままでのものとは少し、アプローチが違っていたというくらいのことで―そう、そんなふうにある意味で露骨なアプローチはなかった、重く沈み込むビートのような鼓動がそこにはあっただけだった、そう、モールス信号を読み取ろうとしているみたいに、俺はそれに耳を傾けているだけだった…思えばあの鼓動は、あの振動は、俺から逃れようとする観念的な血液どもの悲鳴だったのかもしれない、俺はそれをもう少し…秘められた情熱のようなものだと考えていたかもしれない、なぜならその鼓動には、ほんの少しなにか俺を落ち着かなくさせる要因があったからだ、野性を取り戻した動物園の檻の中の虎のように、限られた領域の中でうろうろとさせるなにかがあったからだ、だがいまこうして考えてみると、あの時の感覚は俺のものではなく、いま流れだしている血液のなかに秘められたものであったのだろう、いまの俺は眠り過ぎたあとのように消耗していた、少し心地よいと感じるほどに完璧に使い果たされた消耗だった、壁にもたれて座りながら…両の手のひらで顔を隠してすべてが流れ切るのを待った、そうして目を閉じて待っていると、どこかの国で死刑囚を相手に行われた実験のことが思い出された、目隠しをした囚人の身体を軽く刺して、怪我をしたように思わせる、ほら、血が流れているぞ、と言いながら囚人の身体に水滴を垂らす、この血が流れ続けたらお前は死んでしまうぞと暗示をかけ続ける、そうして水滴を垂らし続けると、囚人は本当に死んでしまう―どれだけ似ているだろう?この血は俺自身を失わせるための血だろうか?それとも何かを浄化しようとする流れなのだろうか?俺はその血の感情を理解しようと努めた、でもそれは無駄なことだった、その流れには俺が入り込む余地はなかった、アメーバのような表面はあまりにつかみどころがなくて…俺の意識など侵入する余地もなかった、俺はため息をついてこめかみを一度殴る、それはゴム板を殴るような感覚に阻まれる、畜生、俺は口に出してそう言う、これは蝕まれている―本当にはそこに在るはずのない―流れているはずのない血液に阻まれて…この血は何処から流れている?何が失われようとしている?幻想の血を流し過ぎて死ぬと、それは失血死になるのだろうか?答えはない、そんなもの初めから判っていた、疑問符なんて退屈しのぎの雑誌のようなものだった、たとえば運命や、宿命やなんかが、そんな声に応えてくれるなんて思ったことは一度もなかった、俺は壁にもたれて座っている、血が流れ続けている、いつかこの血の海に引きずり込まれて、俺の存在は失効されてしまうかもしれない、もう一度血を拭おうとしてみる、当たり前の皮膚の感触だけがそこにはあった、在る、無い、出鱈目な実感が視界を朦朧とさせる、そうだ、この血は、確か―











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2018/8/21

まだ、だれもみたことはない  











あなたがわたしにかなしい場面をなげつけるように
わたしは少数のともだちの手をとって
はるかなうつくしい景色につれてゆこう
靴底はピアノソナタの砂をふみ
風は弦楽四重奏のようにしずかに吹くだろう


かたづけられたテーブルのすみには
白紙の便せんだけがおかれている
いちどはだれかがなにかを綴ろうとこころみたみたいに
たよりない表紙はおれてめくれている

そこになにかがあった

ふるい木枠の窓のむこう
軒先には蜂の巣
むらがって、さわがしく
乱暴なリズムがたえずくりひろげられる
それは地下鉄のホームととてもよくにているじゃないか


おしえられたうたをうたう子供なんてほんとはどこにもいない
だれだっていつも
じぶんだけのうたをうたっているじゃないか
音階も、和音も、ときには歌詞すらないような
そんなうたはいつまでもうたっていられたじゃないか?
うすい窓ガラスが振動している
それはけしてとどかないどこかへの
強がりのように感じられる

ねえ、また台風が来るって言ってる


たとえ緊急速報が適切な情報をむりやりポケットになげこんできたところで
わたしたちのだれもがほんとうの避難場所など知ることはない
みちばたで血まみれで死んだクラスメイトの制服は
たくさんのひとたちの部屋のハンガーでゆらゆらとゆれている
ほんとうはみんな、どこかでそんなおしまいをうらやんで


二十五時間ほどの不眠はどこかほっとするような残酷な幻覚をむかえいれて
ねえ、つぎはわたし、つぎはわたしと
必要以上に鋭利にとがれた刃物がまわってくるのをまっていた
いったいだれの喉笛を切り裂くつもりだったのだろう
午後のあいだずっとかんがえていたけれど
ざんねんながら思い出すことはできなかった


雨がふりだした瞬間にはいつだって
べつの世界がうかつに顔をのぞかせたような気がするものだ
レインコートの感触にうんざりしてうつむきながらも
いつかその世界が
わたしを飲み込んでくれないかと心待ちにしているおろかもの

退屈そうにしているあなた、ひとつだけおしえて
―朝はまだですか?


夜の荒野はみわたすかぎりの空虚で
どれだけ目をこらしてもだれもやってくることはない
わたしはそんな場所で、いつも
じぶんだけの音楽をくちずさんで朝をまっている



いっしょに、いこうよ

ほんとうの朝はとてもまぶしいんだってさ








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