2018/11/26

御免よ、僕には気づいてあげることが出来なかった  




















いつからかどこかからずっと聞こえている小さな悲鳴は僕のものなのかもしれないしあるいはまるで関係のない誰かのものかもしれない、ポータブル・ラジオがたまたまどこかの国の電波を拾ってしまうみたいに僕の受信機に引っかかった誰かの―でも僕にはそれがなんであるかを突き詰めるつもりなんて毛頭ない、そんなものにとらわれてみたところでなにかが出来るわけでもない、いわゆるスピリチュアルな能力なんて持ち合わせがない…こんなものはただ、身体に突然現れた奇妙なホクロみたいな感じで、認識するだけしてあとは気に留めないでおくのが一番なのだ―というわけでしばらくの間、僕はそれをまったく気にすることなく生きた、もちろん最初のうちは上手くいかないときもあった、仕事でイライラしてるときなんかやたらと気になってしまってさらにイライラしてしまったりした、でもだからといってなにが出来るだろう?さっきも言ったようにこれについて出来ることはなにもないのだ、地球温暖化とか(嘘だって話もあるけど)そういったものと同じで、八方手を尽くしたところで得るものなどないってことは目に見えてる…たとえばメンタル系のクリニックに行ってなんらかの判断を仰げば、処方される薬によって聞こえなくすることは出来るかもしれない、聞こえているものを聞こえなくする、それは一見解決しているように見える、でもそれはまるで解決したことにはならないのだ、きっと薬のせいで一日中なにもやる気がしないとかそういうこともあるだろうし―たとえば誰かがもうこんな汚い世界なんか見たくないんですとあなたに言ったとしたら、あなたはそいつの両目を潰すだろうか?そして、これで見なくて済みますよと優しく言うだろうか?僕が言いたいのはそういうことだ―そんなわけで僕はそれをある日生じたちょっとした肉体的なノイズという程度の認識で聞き流しながら結構な日数を過ごした、誰にも相談しなかったし、また悩む必要もなかった、だってそれは凄く小さな悲鳴だったのだから…それが僕にとって深刻な問題となったのは、始まった時と同じようにある日突然それが聞こえなくなってからだった…ああ、よかった、と、最初僕は確かにそう思った、ほとんど気にならなくなってはいたといえ、それがずっと聞こえているというのはなかなかのストレスだった、世界はこんなに静かだったのか、と僕は周辺の音に耳を澄ませた、ちょっと感動したりした、久しぶりに解放された僕は、とてもリラックスした気持ちでその日の午前中を過ごした―が、時刻が午後に切り替わって昼飯の安いパスタが胃袋の底にどっしりと腰を据えるころ、急にとてつもない不安感に包まれた、だってそうだろ、いままでずっと聞こえていたあの声は、他のどんなものでもない悲鳴だったんだぜ、誰かが悪口を言ってくるとか、馴れ馴れしくため口をきいてくるとか、そういうことではなく―あれは間違いなく悲鳴だったんだ―クソッ、と僕は悪態をついて、飲んだばかりのコーヒーの缶を地面に叩きつけた、いまとなって考えれば、いろいろな可能性がそこには感じられた、たとえばこの近くに死に瀕している誰かが居て、気づいてもらいたくて必死に上げている声が、観念的に僕に届いた―そんなオカルティックな想像に浸ってしまうくらいに、瞬間的に僕は追い詰められた、なんとしても原因を究明しなければいけない気がした、図書館へ行って、新聞のバックナンバーの訃報欄を片っ端から読んでみたり、街中を歩いて道端に置かれている花束を探したりした、病院に勤めている知り合いに電話をかけて、近頃小さな悲鳴を上げながら死んだ患者が居ただろうか、なんてこともきいた、そんな患者はもちろん居なかったし、ひどく心配された、違うんだ、と僕は弁解した、最近何度かそんな夢を見たものだから、なんだか気になってしまって、うん…ひどくリアルな夢でさ―聞こえていた悲鳴が聞こえなくなった、悲鳴の主は死んだのだ、そう考えるのが普通だ―それからの毎日は憂鬱だった、なにもしたくなかったし、誰とも話したくなかった、もちろん僕は悲鳴の主のことなどなにも知らなかったし、気にする義理なんてなにもなかった、でもそいつの悲鳴は長いあいだ僕の生活の中にあったし、そこにはきっと僕である理由があったはずだったのだ、でもなにもわからなかった、なにもしなかった自分が馬鹿みたいに思えた、よほどひどい状態だったのだろう、いろいろな人が僕を心配してくれた、話を聞こうとしてくれる人もたくさん居た、その中には僕がなんとなく好きだと思っていた人も居たし、なんとなく嫌いだと思って居た、人ってわからないものだな、と僕は思いながら、そのすべての申し出を丁寧に感謝を込めて断った、ありがとう、でも僕自身まだこれをどんなふうに話せばいいかわからないんだ―そんなふうに陰鬱な二ヶ月ばかりが過ぎたある日、僕のスクーターが突然動かなくなった、セルのボタンの通電音が小さく聞こえるだけで、エンジンはまるでかかることはなかった、もう十年ぐらい乗ったからなぁ、とため息をつきながら、隣に置いてある自転車を引っ張り出そうとした、しばらく乗って居ないからタイヤの空気をどこかで入れないといけないだろうな、そんなことを考えながら…そのとき、乾いた音を立ててなにかが前輪のスポークの隙間から転がり落ちた、なんだろう、と拾い上げてみるとそれは綺麗に白くなった小さな生きものの頭蓋骨だった。

















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2018/11/18

ラスト・ワルツ(路上のソワレ)  












街路で踊るバレリーナの黒髪は長過ぎて、12tトレーラーの後輪に巻き込まれてしまう、悲鳴を上げる間もなく、踊りに陶酔したままの虚ろな表情で、のけぞるように飲み込まれたプリマドンナ、クルミの殻が割れるような音と共に見えなくなっていく…少し遅れて、着地したあとのパラシュートのように彼女の血液がアスファルトに広がる、そんな路上の上でも確かに深紅だと知ることが出来る―血液の湖、束の間の夢の突然の終わりに、彼女はいったいどんな光景を見たのだろう?あっという間に彼女の周りには野次馬が集まる、それは彼女が踊っていたときのものよりもはっきりと多い…そして驚くほどに無遠慮だ、彼女の脳漿はトレーラーの影をなぞるように飛散し、その始まりのところに右の目玉が、終わるところに左の目玉が転がっていた、身体は真っ二つにちぎれて―下半身はもう原型をとどめていなかった、彼女を巻き込んだトレーラーは後輪が大きく流れ、車道の中央までスリップしたのだ…スマートフォンのシャッター音、動画の撮影を開始する音がそこら中で鳴り響いた、バレリーナはその音のたびに瞬きを繰り返した、もちろん、肉体的な意味での彼女ではない―適当な言葉を使えば霊魂とでもいうべきものだろうか?―そいつのことだ、彼女自身の、行き所を失くした心のようなものだ…それは生前の彼女のような自由さを取り戻すには至らなかった、彼女だった肉塊の、頭部も四肢も見当たらない上半身だけの抜殻の側で、仰向けに横たわっていた、最期に生体であった時点で彼女は、心と身体のバランスを大きく欠いていた、だからきっと、そんなことになってしまったのだろう―そして彼女には、そのことがまだ理解出来ていなかった、午後の太陽は車体の隙間から彼女のことを照らしていた、肉体の方は車体の下にあったので、シャッター音とともに無数のライトやフラッシュが中途半端にその輪郭を映しだそうとしていた、その、乾いた音は鳴りやまなかった、それは、彼女の生涯において、もっとも彼女が注目された瞬間であった、けれどそれは、けっして彼女自身の実力や容姿のせいではなかったし、もちろん彼女にもそのことはよくわかっていた、いや、ある意味では容姿のせいと言えなくもないけれども―でもそれは、彼女でなくてもかまわないものだった、そこに転がっているのが誰の肉体であったとて、それがセンセーショナルな出来事であることに変わりはないだろう―わたしはどうしてこんなところで衣装を着て踊っていたのかしら?彼女が最初に考えたのはそんなことだった、実は彼女は、ここ数ヶ月の間、ずっとそうやって街路で踊っていたのだった、そしてその数ヶ月の間、彼女の心と身体の間にはいくつものフィルターがかかり、彼女が彼女であることはもはや不可能な状態だった、ああ、なるほど、と、彼女は目だけで自分の横に転がっている自分であった肉塊を眺め、ひとつの事実を悟った、わたしは、負けたのだ、と―戦うことに、戦い続けることに負けたのだ、追い求めたものを手に入れることが出来なくて、いらだって、腹を立てて…悲しくなって見失ってしまったのだ、滑稽だわ、と彼女は思った、こんなことならなにも追いかけずにさっさとここに飛び込んでくればよかったのよ―彼女は自分であったものから目を離し、もう一度こちらに照りつける太陽を見上げた、自分の亡骸を撮影し続ける連中のことはまるで気にならなかった、だって、そういうものだもの、どこのどんな出来事にだって、そういう連中はついて回るものだもの…彼女はそういう連中のことについて、そこら辺の人間よりはずっと多くのことを知っていた、わたしが求めていたものはいったいなんだったのかしら―?こんな結果でなかったことだけは確かだわ、わたし―わたしは、踊ることが好きだった、踊っている間は、わたしはなにものでもない存在になることが出来た、頭の中が真っ白になって―身体は蝶のように思うままに動いた、そうだわ―今思えば、あのひとときがあるだけで良かったのだ、他にどんなことも考える必要などなかったはずだった、けれど、踊り続けているうちに、いろいろな人がわたしの周りに集まってきて、取り囲んで、いろいろなことを言うようになった、そうしてそのほとんどの人が、わたしが踊ることで賞や注目を得ることを強く望んだ、わたしがそれを手に入れることが出来ないでいると、みんなでわたしが踊る映像を見て、あそこはもっとこうしたほうが良かったとか、あそこはこうするべきだったとか、あんなことはする必要がないだとか、いろいろなことを言った、そしてそれは、人によって必ず違った、わたしはなにが良くて何がいけないのかまったくわからなくなった、そして彼らは必ずこう言った、ここを乗り越えることであなたは新しいステージに立てるのよ、と―わたしもいつしかそこへ行きたいと思うようになった、確かにそれを見てみたいという気持ちになって―彼らの望み通りの踊りを踊ることに躍起になって…どうして自分が踊っていたのかということについてはすっかり忘れてしまっていた―わたしはわたしのままで踊り続けるべきだったのだわ…そうすればきっと、わたしだけのステージへたどり着くことが―ううん、ステージなんかどこだって良かったの、だって、わたしは初めからそれを手にしていたのだもの…













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2018/11/12

ロストの先端  











色褪せたクリーム色の壁、不自然なほどにしんとした空気―わたしはたまにこの景色を病室のようだと感じることがある、でもここは病室ではなくて―まあ、そのことはあとで話すことにする…道に面した壁はすべてガラス張りになっていて、左端にかつて入口だった片開きのドアがある。そのドアはもう二度と開かれることはない。そしてそのガラスのすべては防災シートで内側と外側の両方から隠されている。どうしてそういうふうにしたのかいまとなってはわかるすべもない。その隙間から入り込んでくる月の光は鮮やかなレモン色で、どうやら今日は穏やかな夜のようだ。眠りについたときは真夜中だったのに、いまは夜が始まったばかりのような感じだ。丸一日眠り込んでいたらしい。そういうことはよくある。物凄く寝てばかりいたり、と思うと何日も一睡もしなかったり…時計という概念とは別の時間を生きるようになったわたしは、驚くほど自由な感覚で日々を過ごすようになった。その時自分にとって一番必要なものを、自然に選択して実行することが出来た。身体が求めるだけ眠ればいい、身体が求めるだけ起きていればいい。それが自分の身体にとっていちばんいいことだ。それは凄くシンプルなことなのだ。でも、この暮らしに至るまでのわたしはそんなことすら自由に選ぶことは出来なかった。そのことを思うといまでも時々唖然とする―スマートホンをやめて良かったな、とわたしは思う。あれは鎖だ。時間や、友情や―うわべだけの愛という名の…寝床から立ち上がり、シートの隙間から窓の外を眺める。水平線のはるか上に陰鬱な絵画のように月が佇んでいる。波は優し気で、わたしは砂浜で月光浴と洒落込みたい気持ちになる。でもこの二日ほとんど食事をしていないので、今日はなにかきちんとしたものを食べる必要がある。外出用の服に着替え、開いたままのレジスターの中から裏口の鍵を出す。外に出て、鍵をかける。一度ノブを引いて確かにかかっているかどうか、確かめる。ここは閉店したコンビニエンスストアだ。中のものはすべて引き払われて、私の寝床と机だけがある。店にあった戸棚を洋服置場にしている―勘違いして欲しくない。わたしは不当にここに住んでいるのではない。これはわたしの両親がかつて経営していた店で、いまはわたしのものになっている。フランチャイズのではない、個人で細々とやっていた店舗だ。老朽化を理由に旧道が閉鎖され、すこし上に通ったバイパスが利用されるようになったため、店を開ける意味がなくなって閉められた。コンビニを閉めてからは、両親は趣味でやっていた野菜作りを商売として本格的に始め、コンビニをしていたころよりもいい収入を得るようになった。どこか土地を買って畑を広げようかという話をしていたころ、大地震によるバイパスの崩落に車ごと巻き込まれてふたりとも死んだ。葬式では棺の蓋が開けられることはなかった。わたしはそれまで三人で住んでいた家にひとりで住んでいるという不自然さに耐え切れず、家のなかのものをすべて処分して人に貸すことにした。そばにある畑も込でそこそこの額で借りてもらうことが出来た。その時点でこのコンビニに住むことは自分の中で決まっていた。なにもないところで、なにもしないで暮らしたい。わたしはいつのまにかそんな風に考えるようになっていた。そんな、人気のない場所に住んで大丈夫なのかって?ところが、全然大丈夫なのだ。旧道の片側は土砂崩れによって海に落ちている。海からは崖というほどの高さではないが余程の装備がない限り上がってこれないくらいの高低差はある。反対側はフェンスによって完全に遮断されていて、路面の状態が命にかかわると言っても過言ではないため、昼間は警備員が常駐している。夜は監視カメラによってリアルタイムで見張られている。だから、誰もわたしが居るところにはやって来れない。わたしはここの住人としてきちんと申請をし、許可を取って暮らしている。もっとも、警備員が居るところから出入りすることはまずない。そこからここは少し距離があるのだ。コンビニの裏手にはバイパスへと上がれる私道があって、そこを利用している。その私道の入口にももちろん監視カメラは仕掛けられている。法的にも物理的にも、わたしは守られている。わたしのなりはまったく浮浪者のようだが、その実はきちんとした市民だというわけだ。さて―わたしはその私道を抜け、小さな田舎の街の方へと歩く。二四時間営業のファミリーレストランでちょっと豪華なものを食べる。ウェイトレスはフィリピンかどこかから来た若い娘で、高校を出たばかりくらいだろうか―ともかくわたしとあまり歳が違わない。わたしのようなものを見慣れているのか、わたしを初めて見たときもたいして反応はしなかった。お金をきちんを払えるかどうかは心配していただろうけど。個人的な話をしたことはないけど、お互いに嫌いじゃないことは確かだった。生活がシンプルになるとほとんどお金が減らなくなる。あまりちゃんと見ていないけれどわたしの口座にはもうびっくりするくらいの額が溜まっている。わたしは時々昼日中の繁華街を歩いてみる。そうしてわたしを見る人たちを観察する。あの視線―そうして、わたしも以前はあっち側に居たのだと思う。あんな目をして誰かのことを見ていたのだと。人間は所詮目に見えるものだけを価値と思ういきものだ。そんなものたちの社会に属することがどれだけ誇らしいことだろう?もうわたしにはそんなことはなんの意味もなくなった。これからわたしにどんなことが起こるのかは誰にもわからない。もしかしたらいつかあのコンビニを出て普通に暮らすこともあるかもしれない。でもわたしは忘れないだろう。この暮らしの中で自分が見てきたもののことを。誰にも知られない海は笑いかけてこない、そんなことを。わたしは家に帰る。鍵を開け、中に入り、鍵を閉める。どこにも属していないわたしが住むところ。歯を磨いて、顔を洗い、寝床に入る。月は健忘症の人間の意識のように薄れている。わたしは夢を見なくなった。だって夢のなかで生きているようなものだもの。











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