2018/12/23

肉体のサイレン  

















そうしてお前は海藻のような俺の臓物を引き摺り出す、喪失の感触はあまりにもヘドロを思わせる、トッカータが聞こえる、それはあまりにもマッチしている、俺は呆然と虚空を眺めている、目に映る風景はとっくに意味を失くしている、肉体の喪失を埋め尽くさんと目論むのは有り余っている血液だろうか、でも新しい出口が開いたままでは…呼吸音がかすれているのが分かる、器官になにかが詰まっている、あるいはなにかがせり上がってきている、俺はこらえようとするが、あっさりと負けてしまう、それは血液だった、赤、あるいは深紅―むしろ赤交じりの黒といったほうがしっくりくる、もしもそれが本当に血液だったとすれば、だけど―それは決壊した堤防を縦横無尽に這いずり回る津波のように口から鼻腔から果てしなく溢れ出す、呼吸が出来ない、呼吸が奪われようとしている、でも流れを着ることは出来ない、俺の身体にはそれに抗うだけの体力が残っていない、視界が白く霞み始めた頃、血流はようやく終わりを迎える、もしかしらすべてが流れ出てしまったのかもしれない、もはや俺は肉体を保持しているだけの亡霊に過ぎない、体温が冷えていくのが分かる、冷たい汗が流れ続けている、時々循環器が癇癪をおこすみたいに呼吸が大きく跳ね上がる、でもそれは次第に長く、感覚を開け始めている、どうしてこんなことが起こるんだ、俺は死神のようなお前に尋ねる、お前ははっきりとした答えを明らかにはしない、ただそこには必ず理由があるのだよと言いたげな笑みを静かに浮かべているだけだ、かまわない、と俺は答える、どうせもう知る必要もない、本当のことを知る瞬間はいつだって手遅れだ、そうだろう?なにもかもが終わりだと知ってしまうまで本当のことは分からない、だから俺たちはこの身体にギリギリまでしがみつくしかない、そうだろ?やり直すチャンスなんていつだってあったことはないんだ、まずまずだったか、しくじったか、俺たちに知ることが出来るのはいつだってそんなことだけさ、冷たさはとっくに冬のそれを超えている、生命に訪れる最後の冬だ、俺はそれを抱きしめようと試みる、まだ両腕は動くだろうか、子を抱くようにそれを抱くことは出来るだろうか?(俺はそんな感触を知らないけれど)、両腕はどうにか持ち上げることが出来たけれど、指先は動かなかった、そうだな、と俺は納得する、もっといろいろなものを抱きしめておくべきだったのだろう、その知り方を、確かめ方を、俺はあまりにも知らな過ぎた、お前は笑っている、萎びた俺の内臓を戦利品のようにぶら下げて…ああ、あの血だまり、あれは俺の人生のすべてだ、どす黒く汚れた血液の結晶、どんづまり…トッカータが聞こえる、トッカータが聞こえる、どうしてそんなものが聞こえるのか分からない、ただそれはあまりにもマッチしている、だから俺はいらだつことが出来ない、指先は意思とは裏腹にまだなにかを身体に引き寄せようとしていた、でも俺はそれにずっと気付くことが出来なかった、神経が切断されている、意思は、命令は、すでにどこにも伝達されない、まるで夢を見ているようだ、と俺は思う、違う、この光景ではなく、自分がまだどこにでも行けた頃のすべてが誰かの退屈凌ぎの落書きみたいなものだったように思える、それはもうすでにこの俺のすべてが清算されてしまったということなのかもしれない、俺にはもう現実は必要ないのだ、天井の色が変わり始める、様々な顔が見える、幼いころに数度会っただけの、もういまは居ないはずの人間の顔が見える、知らない顔も居る、とても古めかしい髪の編み方をした…、そうか、そうか、俺は笑いだす、俺は知らなかった、そうしたことのいっさいを、俺はなにも知らなかった、だからこうしているのだ、だからこうして横たわって―天井が回り始める、いつかそんな歌を聴いたことがあったなとぼんやりと考えるけれど、おそらくその歌を思い出すことは二度とないだろう、俺の輪郭はあやふやになり、トッカータはフェイド・アウトする、そうしてもうじきこの味気ないベッドは、まるで俺という存在のすべてを飲み込んだみたいにあっけらかんとまた白いシーツを次の住人のためにピーンとはって見せるだろう…。













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2018/12/20

あなたの居なくなった世界に  


















枯れたバラ園のそばで
鮮やかな過去に埋もれて
もう聴こえないヴァイオリン・ソナタの
朧げな旋律を追いかける
厳しく美しい冬
風は心の奥まで
凍らせようと目論んでいる
死んだ土をすくいあげて
甘い匂いを探すものの…


太陽は幻想のように高く
光は針のように降り注ぐ
いつかもあった冬の日
でもかつてないほどの


傾いた門扉は語り部のように
いつとなくゆらゆらと揺れている
(もうここにはなにもない、誰も居ない)
そんなことを語りかけているように見える
かつてあったものだけを守り続けようとそうしているように見える


大きく
優しい犬が二頭居た犬舎には
毛皮の匂いだけが染みついている
いつも学者のような目をして
低い声で挨拶を交わした無垢なものたち


正面玄関の天使のレリーフ
同じ表情で佇んでいる
喜びも悲しみも心として同等なのだと
ともすれば白紙に見えるような
手紙を出し続けてでも居るような笑み


ロビーにはきっとまだ確かに
あのころのままの空気が漂っているだろう
そこに住むもののことよりも
訪れた誰かに披露するためのようなあの
鼻持ちならない装飾
どんなときも全員で囲んだ食卓はすっかり埃を被って
しかめっ面をしているに違いない


大好きだった浴室
凝った細工を施したシャワー
裏庭に面した窓
居眠りをすると溺れてしまいそうな
大きくて深い浴槽


二階にはわたしと弟の部屋があり
午後になるとわたしはその部屋を出て
屋根裏部屋で詩を書いたものだった
跳ね上げ窓を開けて餌を撒いておくと
雀らがやって来てそれを啄んだ
必ず陽だまりだったあの窓
そこに居ると
わたしは誰にも気づかれることはなかった


そんなに遠いことではないはずだった
取り戻せないものではなかったはずなのに
すべては現在でないもののために作り替えられた
無理矢理引き寄せようとすれば
根元からがらがらと崩れてしまうだろう


まだきっとそこで綴っているだろういつかのわたしを
いまのわたしはしばらく見上げていた
あの頃未来だと思っていたことは
日々の彼方に消え去ってしまい
わたしはただ
身なりを整えては出かけていくだけの


わたしは踵を返して
来た道を逆に辿った
どんなことのためにここに来たのか
いまではもうわからなくなっていた
風は心を奥まで凍りつかせて
ヴァイオリン・ソナタの旋律のすべては
とうとう
思い出すことは出来なかった








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2018/12/16

スラップスティック・メルヘン  












サウジアラビアの油田火災のニュースが流れる電化店のフロアーを
ローリング・ストーンズのシャツを着た若い女がナイフを持って歩いている
彼女の敵意は自分にだけ向いているようで
右腕は指先から肘のあたりまで傷口が見えないほどの血に濡れていた
警備員は側にいるもののどうしていいかわからず
年老いた女の店員は青ざめた顔で床にモップをかけていた
誰かが警官を呼んでいるのだろうがそいつらはまだ到着していなかった
俺はレストスペースでスマホを眺めていて
その騒ぎに気付くのが遅れた
俺の無関心は女の気に入らなかったらしい
突然走り出して振り返りざまの俺の左肩口にナイフを突き立てた
俺は何故だかひどく落ち着いた気分でその状況を受け止めた
ハイになっているのか痛みは感じなかった
それに致命傷でないことはすぐにわかった
女の顔には気の毒になるほどの迷いだけが見えた
周囲は大騒ぎしていた
俺はナイフから女の手を引きはがし傷口から引き抜いた
そして休憩スペースの隅にナイフを投げ捨てた
女は諦めたようになにもしなかった
「わかるかい?」と俺は聞いた
女は予想もしないことを言われたとでもいうように目を少し大きく開けた
「傷を負って血を流している人間がここに二人いる、でも誰も助けになんか来ない」
「世の中なんてそんなものなんだ、遠巻きになにかいいことを言えばそいつは正しいってことになる…ほら、あそこでそう言ってる、警察はまだなのか、救急車を呼んだ方が良いわ、ってね」
「傷なんて人に見せるもんじゃない、痛くても怖くても悲しくても自分がそれを飲み込んで消化するしかない、わかる?」
女は俯いた、不揃いの伸び過ぎた髪がその顔を隠した、でも泣いていることはわかった
「俺は君をどうこうするつもりはない、おかしな言いかただけど、俺が君くらいの年齢のころ、君よりももっとひどいことをしてしまう可能性だってあった」
「自分を見つめ過ぎてどうしようもなくなって、結果他人に向かってしまうことはある、君が俺を狙ったのは、俺がひどく無防備だったからだ、たぶんそうなんだと思うよ」
女は俯いたまま動かなかった、やがてどたどたと足音がして、警官が二人現れた、彼らは俺たちの状態を見て、いったいどちらがどちらをやったんだ?という顔をした
俺は被害者で彼女が加害者だ、その腕の傷は彼女が自分でやったものだ、凶器はあそこだ、俺が自分の腕から引き抜いて投げた、と俺は一通り説明した
「救急車を呼びます」と若い、ブロンドを兵隊みたいに刈り込んだ警官が言った
そうしてとりあえず大騒ぎは終わった
病院で治療を受け(今後腕が動かなくなる可能性もあったそうだ)警官や医者とあれこれと話をした、俺は彼女を訴えないと言った、でもひとつお願いをきいてほしい、とインテリくさい黒人の警官に言った
「入院してる間、彼女と二人部屋にしてくれないか?」警官は怪訝な顔をした
「それは…どういう…?」
おかしなことは考えていない、と俺は言った「たださ、精神科医とか、児童福祉施設とか、そういう連中よりは、俺のほうがいいと思うんだ、彼女のケアは」
無茶なお願いだとは思うよ、と俺は認めた
「でもさ、俺を刺した時の彼女の顔…まるで自分が刺されたみたいな顔をしてたんだ、ナイフを通じて彼女の痛みが俺に伝わったような、そんな気がしたんだよ、どうかな、入院中だけでいいんだ、彼女のケアを俺にやらせてみてはくれないか?」
警官は規則と人情とそれから少し奇妙な事態への興味を測りにかけているような表情をした
「上に相談してみるよ…正直言って俺たちにとってはそんな大事じゃない、あんたがそう言うならもしかしたら通るかもしれないよ」
それに俺たちにとってもありがたい申し出には違いない、と警官は少し声を落とした
「その、精神科医だの児童福祉だのの手配をやるのはたぶん俺だからね」
そういうと警官はウィンクをして出て行った、まったくあいつらはどうしていつも舞台に立ってるような仕草ばっかするのかね
それから数日して被害者と加害者はめでたく二人部屋に落ち着いた、女は初めは緊張し怯えていたが、自己紹介を済ませ、お互いの傷の状態を確かめ合うと少しリラックスして話し始めた
「私は甘えていたんだわ」
まだ甘えていい歳だ、と俺は笑って言った、彼女も笑って首を横に振った
「両親とか、周囲の人間とか―そんな小さな世界の中で誰ともうまくやれないってそれだけで、地球上に人間すべてが自分の敵だって思うようになってた、あなたの腕を刺した瞬間にそのことがわかったの、パーンって…風船が割れるみたいに馬鹿な考えが弾けて飛んでった」
俺は頷いた
「ところがあなたは顔色ひとつ変えずに私からナイフを奪って放り投げたじゃない?もう駄目だ、と思ったわ、自分がひどく間違えていたことがわかったのに、もうそれをやり直すチャンスはないんだって」
ちょうど痛くないところに刺さってたらしい、と俺は説明した
「手術の時の痛み止めの注射のほうがずっと痛かったよ」
俺は大袈裟に痛がる素振りを見せた、女は歳相応の明るい笑い声を上げた
まさか自分がナイフを突き刺した相手に慰められるなんて思わなかったわ、と笑い終えると彼女は呟いた
「ごめんなさい、それと、ありがとう」
俺は頷いた、彼女は人間的に賢い娘だ
それから俺たちは数日の間、病室で他愛無い話をして過ごした、黒人の警官は時々様子を見に訪れ、俺たちの様子を見て楽し気にからかった
「ディズニーの映画を観てるみたいだ!」
退院は俺のほうが先だった、俺は彼女に自分のアドレスを教えた、彼女はその意味をわかっているみたいだった
「退院してもしばらくは連絡しないわ」
「お父さんやお母さんと話をして、大切な友達と仲良くして、嫌いな友達とはつきあいをやめて、生活が落ち着いたらアルバイトをして、あなたに何かご馳走する、もう決めてるの、どんな高い店でもいいわよ、全部私が払ってあげる」
俺は笑って彼女と握手した
「楽しみにしてるよ」
再会したのは数か月後で、彼女は見違えるような生気に満ちていた、身体を鍛え始めたのか、しなやかな筋肉がついていた「そうよ」
「ジムに通っているの、トレーニングって楽しいわ、考えなくても結果が出る」
「俺もやろうかな」俺がそう言うと彼女は嬉しそうな顔をした「私が教えてあげる」
「私、インストラクターになりたいと思うの、トレーニングって人を幸せにするわ」
「次に刺されたら俺は間違いなく死ぬな」
彼女は笑いながら物凄い力で俺の背中を叩いた、それから俺にとんでもなく高い料理を奢った、今回は俺がひどく緊張する番だったわけだ
それからも俺たちは時々会っている、彼女は高校を卒業し、めでたくインストラクターの職を手に入れた、教え方が上手いらしく、人気があるそうだ「人にものを教えるってことは」と彼女はいつも得意げに話す
「自分の知ってることを片っ端から話すだけじゃ駄目なの、相手がそれをきちんと理解出来たかひとつずつ確かめていくことが大事」たいしたもんだ、と俺は相槌を打つ、そして、あなたはいつ私の生徒になるのかと問い詰められてのらりくらりと交わす、それから彼女はやれやれという表情で決まってこう言うのだ「ところでいい人は出来たの?」
「ずっと一人で居るつもりなら私が力ずくで奪っちゃうからね」
今度捕まるのも俺の番―そういうことなんだろうか?








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