2019/4/23

欲望は漆黒のような深紅  






















狂気こそが真実を知る、あらゆるものが散乱したテーブルの上には、デフラグされた混沌の形跡がある、指先が本当に触れたいのはキーボードではない、その先にある脳味噌の最深部だ、聞け、正常にこだわるのは愚かしいことだ、理性は本能を超えることはない、だが、本能で理性を研ぎ澄ませることは可能だ、感覚とは本来制限のないものだ、主旨を持つ指先はそれに沿うものしか掴むことが出来ない、(爪切りが欲しい)と願う時に、爪切り以外のものが目に入らないのと同じことだ、爪を切ることが目的ならそれで問題ない、だが、真実はそうはいかない、望むものに触れることは結論ではない、それはただのお飯事に過ぎない、目に見えるものを正確に認識するには、見えていない部分のことを知ろうとしなければならない、視覚情報はただの入口であって、すべてを語っているわけじゃない、爪を切ろうと思いながらあらゆるものを眺めていると、爪を切った後になにをするべきかということも考えることが出来る、俺にはお前の心の奥にあるものが見える、それは俺が狂気をもってこの世を謳歌しているからだ、正気がこねくり回した真実の中だけで遊んでいるお前の、倍近くもある振り幅の中で俺は生きている(これを自慢話だと思うか?)、ひとつの現象に対して少なくともふたつの見方がある、だから俺は結論を持つことがない、だからこそそれは最も真実であると言えるのだ、俺は限界のある個体でしかないからだ、そう、一番の問題はそこだ、驚くほど沢山の人間がそのことを知らない、誰もが限界のある個体である、いや、生きもののすべてがそうだ、そして、おそらくは植物だって、無機物にしたってそうだ、それは限界のある個体だ、限界のある個体が知るべきものは、限界のない思考だ、そうは思わないか?結論を導き出すのは簡単だ、一番手元にあるカードを引けばそこに書いてある、たとえばそれがハートの5なら、「ハートの5だ」と言えばいい、そうすれば誰かが答えてくれる、「確かにハートの5だね」と、多少手の込んだ工程こそあれ、結論を求める連中はそうして生きている、でも俺はそんなカードなどになんの興味もない、それは合言葉のようなものだ、コンサートで行われるコール&レスポンスのようなものだ、切れはいいがなにかの役に立つようなものではない、それによって得るものはなにもない、俺はカードの箱をさかさまにして、床に散らばったカードを模写するだろう、つまりそれがいま俺がやっていることだ、対象がカードではないだけだ、だからこそイントロダクションにはものが散乱したテーブルが選ばれた、なるほど、そう考えることは愉快だ、覚えておくといい、カードは52枚ある、それに、いくつかのジョーカーだって隠れている、カード・ゲームを知らない人間だって、ジョーカーというやつのことはよく知っていることだろう、だけどそいつだって、ジョーカーがカード・ゲームの主役ではないことはよくわかっている、カード・ゲームについてすべてを語ろうとすれば、必要な文章は狂気的になるだろう、わかるかい、俺がやっているのはそういうことだ、俺が、様々な旋律を使って語ろうとしていることは、俺はそれを、片付けようとはしていない、俺は知ろうとしている、そこには理由がある、それは俺自身を知ることなのだ、ひとつの現象によって開かれる回路を、とことんまで追いかけようとしているのだ、俺がそれを知ること、知ることの目的はいつだってそれだけだ、言葉がある、詩がある、文章がある、小説がある、俺はそれを使う、俺はそれを綴る、俺はそれを歌う、俺が記録したものが、もう一度読まれることによって更に深い階層の俺自身を引き摺りあげてくる、俺は束の間目の前に現れたそいつの手をしっかりと握って、その先に向かうための指針とする、聞け、乱雑さを悪とするな、整理されることを良しとするな、そこにあるものをそのままに見つめて、視覚情報として得たものの裏側を、奥底を、どこまでも探っていくんだ、始めに言っておく、そこに終点はない、それはどこまでも続いて行く、先に向かうことが億劫になっても、そこで終わりだと決めてはならない、知るべきことに終わりはない、狂気こそが真実を知る、きちがいのように求めるのだ、モグラのように掘り続けろ、巨大な岩は迂回することが出来る、そこがどんな場所でも、目の前に広がるものだけが世界ではない、俺たちは到底知り得ることのない巨大なフィールドに立っている、生きている限り求め続けることは不可能ではない、立ち止まった場所で自分を誇らしく語るのはやめておけ、それを正当に見せようとしている間にいろいろなものを見落としてしまう、ハッハ!また新しい俺が引き摺り出された!俺はそいつの手を握り締める、そいつからは深いところにある内臓の湿度と血のにおいがする。








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2019/4/14

I Know I`m Losing You  










雨の日の土は重たいけれど掘るには適している。三年前にホームセンターで購入したプランタースコップで、その日もわたしは裏庭に穴を掘っていた。大した穴ではない。人間の頭蓋骨がすべて埋まるぐらいの、小さな穴。レインコートを着て、長靴を履いて。そんな恰好で穴掘りなんかしたら暑くなってしまうかもと心配していたけれど、今日の雨は春先のそれとは思えないほどに冷たく、少し動き辛いことを除けば気になることなんかなにもなかった。スマートフォンのラジオアプリで知らない地方のFM放送局の番組を小さな音で流しながら…もう半時間は掘っただろうか?わたしは一度手を止めて、目視で穴のサイズを確認してみた。これでも問題はないだろうけれど―もう少しだけ深くした方がおさまりが良さそうだ。ラジオはいま人気沸騰中だという女性アーティストの楽曲を流していた。その曲は過去に何度もこういう番組で流れてきた曲とほとんど同じものだった。特に最近のヒットソングは、どんな名前のどんな人が歌っていても、ひとりの同じ人間がすべて生産しているのではないかと思えるくらい、非個性的で無味乾燥だ。こういうものを作ればたくさん売ることが出来るから。そんな懸命さ以外のどんな情熱も伝わってくることはない。いま日本で嫌われている国の、徹底的にコンセプチュアルでプロフェッショナルな、あらゆるジャンルを飲み込みながら世界を席巻しようとしているポップスの方がずっと聴きごたえがある…いつものようにそんなことを考えながら、わたしは新しい穴を掘り終えた。紅茶でも入れて一息つきたかったけれど、この格好では一息つくのは逆に億劫だ。そばに転がしておいた生首を拾い上げて、最後にまじまじと眺めた。いわゆるイケメンだった、名前すら記憶する暇もなかった男。いまは白目を向いて、だらしなく開いた口から舌の先端をはみ出させている。人間は死ぬとみんな同じ顔になる。心が無くなってしまうせいかもしれない。それがどこにあるものかなんてわたしにはわからないけれど、こうしたことを何度も繰り返していると、そういうものが確かに人間の中にはあるのだということはわかる。さようなら、と言ってももう聞こえないだろうから、子供をあやすように頭をぽんぽんと叩いた。そしてそれから掘ったばかりの穴の中にまっすぐおさめて、ちょっとずつ穴を埋め戻した。余った土は均して、そこに穴が掘られていたことなどまったくわからない状態にした。道具を片付けて玄関に戻り、ようやくレインコートと長靴を脱いで、洗面で丁寧に手を洗って紅茶を入れた。リビングの柔らかな座椅子に身体を預けて、窓越しに自分の仕事ぶりを眺めた。初めての時に比べたらずいぶん上手くなった。かかる時間だって半分くらいで終わらせることが出来るようになった。簡単なことなのに、上手くやるには何度も何度も繰り返さなければいけなかった。思えば最初のころは、いろいろな思いにとらわれたままだったから身体が上手く動かなかったのだ。こうして日常の延長として―洗濯や掃除と同じように―黙々と出来るようになったことが、わたしには嬉しかった。どんなことでも、上達が感じられる瞬間というのはいいものだ。そんなこといつまでも続けられると思うなよ、昨日の男は泣きながらそう言った。だけど、もう何年続いているんだろう?五年や六年なんて話じゃない、そもそもこの家に越してきて、もう何年くらいになるんだろう?いろいろな偶然が重なって、わたしは誰にも邪魔されることなくこの生活を続けることが出来ている。新興住宅地の路地のどん詰まりで、わたしがこの家を買ってほどなく、周囲の家の者はみんな死んだり出て行ったりしてしまった。このブロックに居住しているのはわたし一人。この家へと続く道を歩くのもわたし一人というわけだ。おまけに、裏庭と林を仕切る小さなドアを開けると、獣道のようなところを通って山の反対側に出られる、わたし専用のルートまである…身体はどうしているのかって…?ああ、そういえばその説明がまだだった。裏庭の片隅には使っていない井戸がある、そこに石灰と一緒に落とす。適切な処置がどうかはわからない。昔そんなやり方を小説で読んだ記憶があるのだ。蓋を閉めてしまえば、正解だろうが間違いだろうが気にならない。次に開けるときにはなんの臭いもしない…紅茶を飲み終えると欠伸が出る。昨夜はすごく重労働だったもの。ベッドに入って、満足するまで存分に睡眠を楽しもうか。この週末にはもう何の予定もない。明日晴れたら洗濯機にたくさん働いてもらおう。退屈したらふもとのスーパーに買い物に出かけよう。もう少し先のショッピングモールまで出向いて、モータウンのアルバムを何枚か買うのもいい。でも今はとにかく、ぐっすりと眠ることだ。誰にも邪魔されない眠り。なんて楽しい週末だろう…。





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2019/4/11

棺の部屋  











ガラス窓の表面にはいつからともつかない埃が付着し、それにどこにも逃げていかない湿気が浸透して、古い糊のようになって不愉快なまだら模様を作り出していて、こんな小雨の降る夕刻にはなおのこと気分を暗くさせた、身体を椅子から起こす気になれず、指に挟んだまま忘れていた煙草の火が、広い洋上で発せられた救助要請信号のように薄暗がりの中でぽつんと浮かんでいた、明かりをつけて本でも読もうか、さっきからもう何度そんなふうに考えただろう?そうしたほうが少しでも得るものはあったが、この一週間のあいだに溜りに溜まった疲労は突然降り注ぐ雹のように心臓を殴り続けていた、目を向けることなく、おそらくそのあたりに置いてあったはずの灰皿の上で煙草をもみ消したつもりだったが、葉書が焦げるような臭いがした、どうやら的を外してしまったらしい、ふん、と鼻で笑ってなかったことにした、失敗はすべて忘れてしまうことだ、あとから悔やんだところでどうしようもないこと、この次は同じミスはしないように気を付けようと思っても、結局は繰り返されてしまうのだ、おかげで机は焦げる一方、差出人のわからない葉書が増えるばかり、もしかしたら誰にも返事をしたくないのかもしれない、失敗の理由としてはそれはなかなかに気の利いた要因だった、だけどそれは気分を変えるようなセンセーショナルなものでもなかった、戦場で耳にするジョークってきっとこんな感じだろう、火薬の臭いを嗅いだことすらない人間だけど、それはきっと似たような感じだろうと思った、地球の裏側の人間だって目と鼻と口の数は同じだろう、それぐらいには確かなことだった、ポップ・ソングやロックンロール、ホラームービーやアクションムービーが世界中に蔓延るのは、世界は退屈な舞台に過ぎないってみんな理解しているからだ、哲学や文学だってそうだ、もしもそこに描かれるものが初めから周囲に存在していたなら、芸術なんてどんな意味も持つことは出来なかっただろう、鏡に映る自分が自分のすべてではないと感じたとき、誰もがなにかを語ろうと試みるのだ、それは美しいことでもあるし、おぞましいことでもある、誰かの心を強く動かすということは、同時に傷つけることでもある、刃物は研いであるほうがいい、でも、あまりにもそこにこだわってしまうと、少し触れただけでも簡単に指を落としてしまうようなものになる、そんなものを自分が持っていると自覚してしまったら面倒だ、こちらから歩み寄るという気持ちのいっさいを捨てて、安全な距離を保っておかなければならない、それは責任のようなものだ、核弾頭を所持しているのなら、ボタンは押さない、たとえるならそういうことだ、ようやく起き上がり、明かりをつける代わりに窓を少し開けてみる、大人しく吹いている風には、この街に付着した埃の臭いがする、シチュエーションというのはときに凄くわかりやすいものだ、でもたいていの事柄は細やかすぎてほとんど気づかずにやり過ごしてしまう、指にはざらついた感触が残った、昨日そこで叩き潰した虫のせいだろう、街灯に近いこの窓にはたくさんの虫がやってくる、中にはどこからか部屋に侵入してくるものがいる、そいつらはだいたい窓のそばで叩き潰される、集まるときも逃げるときも、虫たちは光のさすところに寄って行けばなんとかなると思っている、そしてそれはたいていの人間たちも同じだ、シチュエーションというのはときに凄くわかりやすいものだから、窓を閉めてカーテンを引き、明かりをつける、カリプソのリズムで何度か瞬いて、部屋はようやく明るくなる、本棚が足りず、積み上げられたいくつもの本、隅に追いやられたコンパクトディスク、まるで主を失ったみたいな焦燥に満ちた部屋、鎮魂曲を待っている、でもそこに至るまでにはもう少し出来事を積み上げることが出来るだろう、もう日没は過ぎただろうか、水溜りを跳ねるタイヤの音が断続的に聞こえる、車のハンドルを握る人間たちはどこか機械的に見える、今夜はどんな夢を見るだろうか、近頃はやけにくっきりとした夢を見る、魂はもう新しい住所を探し始めているのかもしれない、誰かが部屋をノックしている、親族のようになれなれしく、しつこい、誰かが訪ねてくる約束などない、セールスか、運命を魅力的な偶像に委ねた甘ったれの下らない話かもしれない、自分の中に神が居ないのなら首をくくればいい、ドアベルの電源は切ってある、開けて欲しければ手を痛めるしかない、おそらく余程の気まぐれがない限りドアは開かれることはないだろう、そうして夜はいつのまにか深くなり、棺の部屋はその時を待ちわびているだろう。










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