2019/6/30

ケモノの夜  
















断首されたばかりの蛇のようにのたうちながら俺を封じ込めようとそいつは現れた、俺は逃れる隙があるかどうか見極めるためにそいつから目を逸らさないままで立ち尽くしていた、そんな風に対峙してからどれくらいの時が経ったのだろうか、忙しなく動いているくせに近寄ってくる速度はずいぶんと遅かった、無駄な動きが多過ぎるのだ、と俺は思った、意図が多過ぎると動作は空回りが多くなる、そいつにはあまりにも俺を取り込んでやろうという意図があり過ぎた、おかげで俺は早くからそいつに気付くことが出来ていた―だがどういうわけか俺の身体には退くということが許されておらず、脚を動かそうとしてもほんの少し肩が揺れる程度だった、あらかじめプログラムされたことであるようにそんなことしか出来なかった、なので俺は逃げる事はとうに諦めてこの訳の判らないものがじりじりと近付いて来るのをただただ眺めているのみなのだった―これは夢なのだろうか、と俺は思った、あるいは静かに静かに俺の身体を蝕んできた狂気かとうとう俺の意識ととってかわるときが来たのかと、それともそんなことの一切を飛び越えて人生の終わりが俺の首根っこを掴みに来たのかと―もちろんそこに突っ立ってあれこれと考えてみたところでこの状況がなんなのかなどと理解出来るはずもなかった、情報が少な過ぎる、と俺は考えた、視覚的に、聴覚的に、感覚的にこの身に飛び込んでくるものが、ここにはあまりにも少な過ぎた、天国なのか地獄なのか、地球なのか宇宙なのかさえ判断がつかなかった、オーケー、場所は重要ではない、と俺は結論づけた、重要ではない―もちろん差し当たっての最重要事項は、相変わらず忙しなくのたうちながら俺の方へとやってくるそいつのことだった、俺は今度は前に向かって踏み出してみようとしてみたが、やはり同じように脚はぴくりとも動かなかった、ここに突っ立ってそいつと相対する、それは逃れられないことのようだった、それは逃れられないことのようだ、と俺は脳味噌にメモを取った、それにしてもあれはいったいなんなのだろう?前にも言ったようにそれは断首された蛇のようにも見えたし、出鱈目に操作される縄跳びの縄のようにのたうつさまからはウツボのような凶暴さも感じられた、俺を食らうつもりなのだろうか?頭らしきものがまるで見当たらないのに―?軟体動物みたいに、あるいはヤツメウナギみたいに、ここからでは判別出来ない位置に頭部を隠しているのだろうか?でもあの動きは筋肉によるものに見える、地球上の生物とはまるで構成が違うものだと考えることも出来る、だが、やつの在り方にはどこか、よく見慣れたもののような気がしてならなかった、そのとき、もうひとつの考えが脳裏によぎった、もしかしたらあれは生きものでもなんでもなくて、そんなふうに作られたおもちゃのようなものなのかもしれないという可能性だ、そして俺はなにもわからなくなった…選択肢をたくさん用意する考え方は心を育てるには申し分ないけれどもこんな時にはまるで役に立たないな―あれがなんなのかすらわからないのに、ここでこんなことをあれこれと考えているなんてまったく無意味なことだ、俺はそれ以上考えることを止めることにした、目を閉じて両手を広げ、そいつが俺の身体に到着するまで待ってみようと考えた、そのうえでなにかしらの考えが頭に浮かぶのなら、それを実行してみればいい、もしもこれが原因で死んでしまうのなら、それはそれまでということだ…俺はすべてを投げ出して状況に身を任せた、目を閉じたときに気付いたのだが、この世界にはまったく音がなかった、ただただこちらに近付いて来る強烈な意図だけがあった、これはぞっとしないな、と俺は考えた、でもそれ以上感想を持つことはしなかった、やがて強い衝撃がやって来て、俺は一瞬天地がわからなくなった、よろめきながら目を開けるとそこは駅のホームで、時刻は深夜らしかった、俺をそこまで運んできたのだろう最終電車が、警笛を短く鳴らしてどこかへ走って行こうとしていた、俺は両手で顔を拭って、その手を擦り合わせた、自動販売機で水を買って、駅員が驚いて振り返るくらいに喉を鳴らしてそいつを一気に飲み干した、梅雨の合間の短い晴間の中に立ち込めた湿気が身体にまとわりついて、その感触はまるで盛りのついた雌の蛇のように冷たくて重たかった。










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2019/6/28

ばらばらに固まり、渦巻いて飛び散っていく  

















濡れた髑髏が歯の奥で嗤うような声が頭の片隅にいつも聞こえている、それは湿度を伴うものであり、受信後に生じる感情には生憎と名前が付け難い…蛇の這いずる音を集音装置で拾ったものをある程度の音量で聞いているようなものだと言えば少しは想像がつくだろうか?とはいえ、そんなイメージを促してみたところで、そしてそれが上手くいったところで、あるいはしくじったところで、どんな成果も得られるものではない、他者の内面に潜むものをこうだと誰かに定義してみせることにどんな意味がある?どんな意味もない―けれど、こういうものだと働きかけてみることには、もしかしたらある程度の意味はあるかもしれない、思えばそんな曖昧なものととことんつきあうために、俺はこんなものに手を付けたのではなかったか…いや、そこらの青二才がよく口にするような、コミュケーションツールとしての意図はまったくない、重箱の隅をつつくように探してみればもしかしたら欠片ぐらいは見つかるかもしれないが…俺は結局のところ、自分自身と話がしたいだけなのだ、様々な理由のために表出することがままならぬ俺自身と、心ゆくまで語り合いたいだけなのだ、俺は初め、書いている連中はみなそういうものだと思っていた、でもそこそこ沢山の似たものたちと話すうちに、意外とそういうものでもないのだということを知った、ただの虚栄心がために、やたらと奇抜な形態を次々と用いるだけのものもいたし、塵芥のようなものを他者に噛みつくことでまるで偉いもののように見せようとしているものもいた、もっとも、噛みついたところで生温い歯茎の感触が感じられるだけに過ぎなかったが―あるいは勉学としてそうしたものの心得があり、その技術を磨きたいというものもいた…そんなやつは泥団子でも磨いていればいいのにと個人的には思うのだが…あるいは純粋に、己の愛するものに近付きたい、あの人のように書きたいという純粋な憧れで書いているものもいた、ただたいていの場合、そうしたものは純粋であるだけに始末が悪かった、ともかく―理由はそれぞれ様々だということだ、俺はいくつか批判めいたことも口にしたが、こんなものはただの軽口に過ぎない、余計なことではあるが聞いてほしい、己の主張のために他者を利用するものは、やればやるほど自分を疎かにしてしまうものだ、ブランド物を全身に纏っている人間が、おおむね大した人間ではないのと同じことだ、表面的な目的は表面的な結果にしかならない、それはもちろん実力とは関係のない話だ―時折、ひとりの人間の中に数人の人格が潜んでいる、なんていう人間が話題に上るけれど、よく考えてみればあれはそんなに珍しいことではない、少なくとも俺にとっては、ただ、やつらにとってはそれは自分と別人の集合だけれど、俺にとってはいくつもの俺の集合なのだということだ、俺の場合は、基本的には三人の俺で動いている、動く俺と、見つめる俺と、考える俺だ、そいつらのそれぞれの筋道がきちんとまとめられたものになるために、こうした作業が必要になるわけだ、そいつらは日常の中ではまったく交わることがないからだ、それぞれが勝手にやっている、そのままではなにもかもがとっちらかってしまう、もしかしたら、とっちらかった結果が別人として存在してしまうということなのかもしれないな…特に考える俺はタチが悪い、終始何事かを考えている、時間軸すら飛び越えている、そんな無軌道なものの中から常に何かが生まれようともがいている、もしかしたらやつが一番忙しい俺なのかもしれないな、だけど、そうだぜ、考えることをきちんとやらないなら人間として生まれてくる必要すらないじゃないか?仕込まれた芸をこなして餌をもらうだけのサーカスの犬にはなりたくはない―もっともそういうやつらはやたらと褒めそやされたりするものだけど…まあどんな形であれ満足が得られているのなら、俺がとやかく言うことでもないけれどね―そう、これを読んでいるもの好きな連中は、決まってある種の速度を感じていることだろう、それは、俺の思考の速度だと捉えてもらって構わない、こうした連なりを描くとき、俺は考えることをしない、窓を開けて空気を入れ替えるだけだ、俺の中に日ごろ溜まっている思考の数々が、こうした機会を得て溢れ出してくる、それにある程度の筋道をつけてやっているだけなのさ―つまり俺がやっているのは思考の記録なんだ、もちろん全部は拾えない、現実世界である程度の集中でもって拾える限りのものだけ拾っているわけだ、地震の揺れを計測するアナログな機械のことを知っているか?揺れを感知すると針が動いて、針先についたペンが曲線を描くやつさ、ああしたものだと思ってくれればいい、つまりそう―俺自身の、揺れを、記録する―わりかし上手いこと言ってるな、俺、ちょっとした冗談みたいにも見えるし、リズムもいい、さあ、そろそろ通信を切るときだ、いつだって日常は鉄砲水のように慌ただしいからね―。











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2019/6/24

ケロイドのような思春期を纏って  






















思考が樹氷になるのではないかと危ぶまれてしまうほどの凍てついた夜の記憶が、どっちつかずの六月の夜に蘇るパラドクス、同じころに叩き潰したしたり顔の羽虫の死体は気付かぬうちにカラカラに渇いていた、艶加工された安価のテーブルの上でもう土にも還れない、大量生産の極みのような薄っぺらい紙に包まれてダストボックスに投げ込まれ、同じような運命を背負わされた仲間がたくさん居るだろう処理場への便をただ待っている、それを人生の縮図だなんて例えてみるのは簡単だけれど…今夜は不思議なほどに往来を行き来するものが少ない、先の週末の夜が奇妙なほど賑やかだったせいでそんな風に感じるのかもしれない、スケールは簡単に伸びたり曲がったりしてしまう、比較対象がないので変形に気づけない、そんな誤差を抱え続けたまま生きたものの真実は肥大し過ぎた宗教団体が唱えるお題目のようなものになってしまう、祈りに指針を設けてはならない、真っ直ぐ進もうと意識すれば、足取りは乱れてしまうものだ―思考は行動を補佐するものだ、思考から先に動いてしまっては本末転倒というものだ、頭でっかちというのはそういうことだ、歩き続けた先でたまに居所を確認するための地図のようなものだ、もっとも、それにはマーカーなど記されてはいないし、新しく記すことも出来ないけれども…白紙のページが静かに降り積もり続けるような時間だ、新雪に埋もれるように俺はそこに横たわっている、生者の中でもっともカタコンベに近付けるのはこの俺だ、それには多重的な意味があり、誇りのようでもあれば自嘲的でもあり、あるいはその両極の間に含まれるすべての感覚が含まれている、本当の詩を言葉で表そうとしてはいけない、それが心理なら音楽は楽譜を見るだけでいいということになってしまう、俺の言ってること判るかい、言葉は楽譜だ、詩はボーカリゼイションなんだ、あるいは様々な楽器のプレイだ…それは技能で語られてはいけないが、感情だけが特出していてもいけない、高い温度か低い温度かどちらかだけではいけない、おそらくそれは一番変動し続けているものになるだろう、それは定まらないままに定義されなくてはならない、旋律の云々や、歌唱の云々、演奏の云々だけで語られるものであってはいけない、どこか一部にフォーカスを定めてしまうのは真剣なだけの愚か者がすることだ、それはトータルで語られなくてはならない、トータルで受け止められなければならない、見知った誰かを新しく知ろうとするみたいに検分されなくてはならない、自分以外の個体を自分が決定することにはまるで意味がない、それは解答を得るための行為であってはならない、すべては当たり前に起こる現象に過ぎない、ほら、先に言った通り―動いてはいけないものから動いてしまうとすべては有耶無耶のうちに終わってしまう、結論は賢者の手段ではない…そんな解答欄には必ず斜線が引かれてしまうだろう―梅雨時の湿気は容赦なくまとわりついて来る、縦長の俺の家ではエアコンの恩恵はかろうじて感じることが出来るくらいだ、だけどそれぐらいの環境でないと、体温は正常ではいられない、判るだろう?アンテナを意識することだ、受信している情報がひとつだけだなんて考えないことだよ、一局しか受信しないラジオなんて見たことあるかい?俺が言ってるのはそういうことさ…ヘリのローターのようなアイドリングをしているバイク、あれはそこそこ大きいやつだろう、アクセルを吹かせば走り出せる、でも、それはやつがそういうシステムを構築されているせいだ、俺たちはアクセルを持つべきではない、あるいはアクセルがあることを過信してはならない、スピードスターのつもりで暴走車に成り下がってるやつなんてごまんといる、俺はアクセルを緩める…愚かしいものを身をもって知るために思春期が用意されている、でも俺はその機会を存分に生かすことは出来なかった、俺は愚かになれなかった、そういえばこれまでずっとそうだった、俺には自分以外に崇めるものがいなかった、これは自惚れではない、それがつまり指針というものだ、俺の指針は俺の邪魔など決してしなかった、俺にはどんな信心もないが、神を知っているし、祈ることも出来る、それは俺が俺自身から始まっているからだ、俺自身は他のものであったことがないからだ、そこには様々な理由があるだろう、意識的なものもあるし、無意識的なものもあるだろう、けれどそれが俺自身というものに集約されたわけは、俺がなにも見失わなかったせいなのだ、テーブルが天井灯を跳ね返している、その跳弾は銃口へ返る、俺はその間抜けな銃口を見上げる―白色電灯しか選べない理由がこんな夜の中には落ちているはずなのだ。













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