2019/8/22

赤く渇いたシュルレアリスム  












真っ白い壁に毛細血管のような亀裂が植物の成長を早回しで映すフィルムを思わせる速度で広がっていく、それを夢と呼ぶことはもうやめた、どんな名前をつけたって、それが俺の眼前で起こっていることには間違いがないのだ、感覚を小理屈で押さえつけるようになったらそれは人間としてはおしまいというものだろう、だから俺は抗うことなく、目の前で起こることに個人的見解を持つことなく、不意打ちの豪雨をどこかの軒下で眺めるみたいにただ見ていた、ひとつのルートが広がりきると僅かな隙間から新しい亀裂が生まれまた四方八方へと広がってゆくのだった、これは表面だけのものなのだろうか、と俺はぼんやりと考えた、その素早さは、その身軽さは、たとえば塗装なり壁紙なりを引き剥がそうとして生まれたものだと考えるのが妥当だと思えた、けれど、唯一そんな身軽さを感じさせない軋みが振動となって俺の腰のあたりにまで響いていた、これは間違いなくこの壁のすべてで進行している破壊だ、そう確信せざるを得なかった、それなら、と俺は考えた、これほどのダメージを受けておきながら、なぜこの壁は崩れることなくこうして立ったままでいるのだろうか?何か騙されているような気分だった、とっくに粉微塵になっていてもおかしくないほどあらゆる方向に亀裂は走っているのに、まるでこの壁が壁であることにそんな亀裂はまるで関係がないのではないかと感じさせるほどの堅牢さを感じさせた―でもそんなことが起こり得るだろうか?あるいは、そんな構造を備えた壁などこの世界に存在しているだろうか?結局のところそれは俺には受け入れられないのだろう代物だった、根本的に違うのだ、と俺は無理やり自分を納得させ、壁の前に胡坐をかいた、もう頭を空っぽにして、なにが起こるのかを最後まで見届けるつもりだった、俺がそんな逡巡を繰り返している間にも、亀裂は走り続けたし、壁は壁であり続けた、俺はそのどれに注意を払うでもなく、ただただ終わりだけを待っていた、長編小説のように最後のページまで読み続けたならすべてははっきりするかもしれない、だけど現実は小説のように厳しくも優しくもない、現実とは一言でいえば、なにもない一本道を歩き続けているだけの映画みたいなものだった、ただ太陽と月が入れ替わり、季節が入れ替わり、それとともに歳を取るだけだった。もしもこの壁が壊れもせずただ自分に亀裂を走らせ続けるだけだというのならその意味は理解出来ないが現象としては馴染み深いものだった、単調さは生き続けるためのポテンシャルだというわけだ…俺はそう考えながらしばらく亀裂が走るのを目で追っていたが、ふいに手を伸ばしてその壁に触れてみた、すると…その瞬間に亀裂は走るのを止め、一瞬時間までが停止したかのような錯覚が訪れた、それから、亀裂を覆うように赤いものが染み出してきた、信じられないことだがそれは確かに血液だった―始めは瘡蓋を剥いだ後に滲むようにうっすらとしたものだったが、やがてダラダラと溢れ出し、壁を覆うように流れ落ちて、床を染めた、床で広がり、俺の足に、尻にまとわりついたその血からは、体温のような温かさまで感じられた、俺は目を見開き、それがどういうものなのか見極めようとしたが、無駄だった、そんなことわかるわけがない、血を流し続ける壁、それは亀裂以上に執拗に続きそうに思えた、けれど不思議にそこを立ち去る気にはなれず、俺はただ座って流れる血を見つめ続けた、それがどのくらい続いたのだろうか?五分だった気もするし、一時間だったような気もする、血は最後にミストのように吹き出し、俺の全身をうっすらと染めた、まるで残虐な殺人鬼のような有様で俺は次の展開を待っていた、そこにある壁はそれ以上どんなアクションも起こさなかった、死だ、と俺は思った、いまこの壁は俺の目の前で死を迎えたのだ…俺は立ち上がり、壁に向かって拳を打ち付けた、数回で皮膚は切れ、今度は俺の拳が血を流し始めた、大量に流れた血の跡に俺の血が上書きされ、その模様はどこかポップな印象すら与えた、壊さなければならない、俺はそう感じていた、両手が使い物にならなくなると蹴り飛ばした、脚は拳のように傷つきはしなかったが、次第に関節が衝撃を受け止められなくなってきた、ふう、と俺はまた床に胡坐をかいた、そして、素知らぬ顔で突っ立っている壁と再び黙って向かい合った、死んだのだろうか?本当に―?次第にそんな考えが浮かび上がってきた、あれはもしかしたら生き永らえるための策なのかもしれない、毒を飲めば吐き出そうとする、そんな習性のようなものなのかもしれない、習性―習性か、俺は笑い出した、習性か、壁のくせに…答える声はなかったし、咎めるものもなかった、ただ壁はそこに在って、俺は笑い続けていた。






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2019/8/15

You Can't Always Get What You Want  




















果てしない豪雨のさなか、悲鳴を聞いた気がした
たぶん現実のものではないのだろう、けれど
おれは街路で耳をそばだてる、かなり昔、こんな歌があったなと
そう、思いながら
今日のすべてが粘ついた汗となって
全身に絡みついてる
MP3プレイヤーに注ぎ込んだブルースは底をついた
不思議なほど人は居らず
数件のバー以外の店はすべてシャッターを下ろした
ゴースト・タウンのような繁華街で
買い残したことがあるみたいに彷徨っている

住所を間違えた手紙は奇跡的に届いた
内容はあまり
ありがたいものではなかったけれど
それについていくつかしなければいけないことがあったはずだけど
手紙をどこへやったのか忘れてしまって
記憶の上には日常が積み上げられている

たぶん営業時にはテントの端かなにかを結び付けるのだろう
商店の前に置きざられたブロックに腰を下ろす
雨が降り続いている、悲鳴は二度と聞こえてはこなかった
携帯に保存された古いメールを読み返す
いまでは途切れた連中のものばかり選んで
あいつらがどんな気持ちでこれを書いたのかと
おれはいくらかでもそれをきちんと読み取ることが出来ていたのかと
そんなことしても
なにもかも手遅れだってことはわかっているんだけど

こちらを値踏みしながらタクシーが通り過ぎる
ごめんな、歩いて帰ることが出来るところに住んでいる
首尾はどうだい、と
テールライトに語り掛ける
返事を期待しないときは無駄に饒舌になれるものだ
水溜りを轢き潰しながら
真っ赤なふたつの目が二つ先の交差点を左折していく
大儀そうにウィンカーを点滅させながら
おれは様々なすれ違いのすべての残像を
その僅かな灯りに重ねながら少しの間見送り続けていた

風が強くなり始めて
もはや軒先では凌ぎ切れない
立ち上がって
どこかのビルの駐車場にでも逃げ込んだほうがきっといいのだろうけど
おれはまだ回想を抜け出すことが出来ず
いつかしら雨に取り巻かれてしまった
まるで
眠りの最中に死んでしまう浮浪者のように

たまに優しくしてくれる顔馴染みの立ちんぼは見かけなかったし
つるんで出かける数少ない連中もこんな天気じゃ…
薄い上着の襟をナーヴァスに直して
針のような雨を見上げ続けている
なにが悲しいってわけでもない
なにか悔しいことがあったわけでもない
心躍るような出来事があったわけでもなく
怒りに震えるような事件が起こったわけでもない
臍の緒のように感情は切り取られて
ないわけではないけれどあるとも言えないような在り方で転がっている
雨粒は輪郭を明らかにしてくれる
それはちょっとした慰安だ
肉体や、体温のことを
確かに思い出させてくれる
おれもまだそんなものを所有しているのだと

どこか遠くの窓から
「無上の世界」が流れている
雨に啄まれて途切れ途切れだ
あんな歌詞を書いて歌おうと思うやつは
心の中に真っ白な闇を持っている

ちょっとばかり雨に打たれ過ぎた
ちょっとばかり夜更かしをし過ぎた
ちょっとばかり想い出に耽り過ぎた
ちょっとばかり時間を無駄にし過ぎた
僅かの間に落度だらけのこんな夜だけど
それがない方がよかったかと聞かれると素直には認められないな
人生のすべてでなにかを得なきゃいけないなんて
そんなのあまりにも宗教的に過ぎるじゃないか

おれはのんびりと立ち上がり
圧し掛かる疲れという疲れのすべてを
脆い膝で受け止めながら
豪雨の中を歩き始める
びしょ濡れになったってやり直すことが出来る
少なくともいまは
きちんとして眠るくらいのことは出来るようになった
そのうちにすべては笑い話になるだろう
雨のあとはからりと晴れるみたいに
おれは歩く水溜りとなって
この街で一番慣れ親しんだ場所へと歩く
念入りにシャワーを浴びれば
きっとうまく眠ることも出来るだろう
あの悲鳴はもしかしたら
おれの心が聞いたものかもしれないな







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2019/8/9

君よ、空は明るい  









シッカロールぶちまけたみたいな目覚め
水泡のような光が
カーテンの隙間でうずくまってる
殴り飛ばすみたいに引き開けると
強姦のような朝日が目の前で睨んでいる
君よ、空は明るい


長袖のシャツで隠した腕には
言うに言われぬ痛みどもの覚え書き
石だらけの海岸を思わせる皮膚が
隠した思いの沈み込む海底へと続いている
君よ、空は明るい


心臓に堆積したハルシオン
五階から飛ぶ夢
血溜りの踊り場
不協和音のワルツ
煤だらけの手すり
君よ、空は明るい


花火大会の夜に
居なくなった人の名前は
塗り潰されたアドレス帳の中
居るような居ないような
不在の在り方が
飲み込めない小骨のように引っかかったまま


ソリストが踊っている
廃墟ビルの屋上で
懐かしい誰かの生首を抱えて
リズムは性急で
だけどあどけなくて
だからこそ惨酷なのだ
君よ、空は明るい


電車は遅れました
駅員たちは努めて無表情に
車両の下に散らばったものを集めていきます
鉄ばさみで、どうしようもないものは
完璧な規則を思わせる白い手袋で
スマートフォンのシャッターが
群衆のあちらこちらで
聞こえる、聞こえる、聞こえる…鳴り続ける
それは彼らにとってはきっとチャンスなのだ
線路は初めての鉄のように濡れながら
その温度を時間を掛けて冷たくする
真夜中に
それがすっかり鉄になる頃に
静かになったホームで微かに泣声が聞こえる


夏はどうしても
水辺から上がれなくなる人たちがいます
空中をヘリが飛んでいると
ああ、またかと思うようになりました
君よ、空は明るい


適当に餌をばら撒いては
寄ってきた野良犬や野良猫を
酷い拷問で殺していた若者が逮捕された
ドラッグのせいで
どぶのような目をしたそいつは
留置場で突然もの凄い悲鳴をあげて死んだとか
考えられないことだが
身体には無数の噛み傷があって
職員たちは静かに祈るしか術がなかったとか


暗渠の真ん中あたりでふやけている
死体のことはまだ誰も知らない
あの子は綺麗な娘だった
あの子は綺麗な娘だった
薄手のワンピースがよく似合っていた
鼻血すら美しかった
俺は夢中だった
夢中だったんだ
君よ、空は明るい


一組の葬列が
飛行機雲のように歩いて行く
蝉の声が鳴り響いて
まるで夢の中のようだ
夏は終わるのだろうか
たくさんの傷を残して
たくさんの叫び声を飲み込んで
僕らはまるで巨大な器で煮込まれてでもいるように
整列した死体を見つめていた
激しい季節には、そうさ
必ず悲しい知らせが届くものだ


その女は少女が着るような着物を着て
道祖神の側でしゃがみ込んでいた
なにかを探しているのかと思ったがそうでもなく
ぼんやりと自分の草履の先を眺めているだけだった
頭がおかしいのかもしれないと思ったが
瞳には意思があり過ぎた
俺は不思議とその女が気になって
一時間近く側に立っていたが
女は俺に興味を示さなかった(あるいは気づかなかったのかもしれない)
が、立ち去ろうとすると
俺の上着の裾を抑えて離さなかった
なので俺はもう一時間立ってみた
どうせ急いでやらなければいけないこともなかったので
もう一度同じことを繰り返して
女が初めて口を開いたのは三時間後だった
すでに日は傾き始めていた
「どうしてそんなにたくさんの死を思うの」と
女は問いかけた
6の開放弦みたいな声だった
どうしてなんて、と俺は答えた
「理由などない、自然とそうなる、光に虫が吸い寄せられるように」
女は悲しそうな顔をした
「あなたは幸せのなりかたを知らないんだわ」
「認めざるを得ない」
「幸せになりたいとは思わない?幸せが羨ましくはない?」
「幸せは無自覚な人間だけが持っている」と、俺は答えた―こいつは誰だ?
「幸せでないことが俺の幸せなのさ」
あなたみたいな人はたくさん居る、と女は困ったように笑った
「みんな幸せであることを愚かだというふうに考える」
「それは良くないことだろうか?」
女は首を横に振る「いけなくはない」
「でもそれはただただ悲しい」
今度は俺が困って見せた
「どうすればいいんだろう?」
「なにもかも諦めるしかないわよね」女は駄洒落でも言うかのように笑いながら話した
そして消えた


踏切の音が聞こえる
特急列車が自慢している
ふたつの灯りははるか先を照らし
そのすべては予定通りだ
それは素晴らしくもあるが
とても愚かしくもある
聖書を真実だと吹聴する
ガラス球のような目をした連中と同じ美徳と穢れだ


君よ、空は明るい
嗚呼、眩しい
水晶体は蒸発して
そこから記憶が噴火する
俺は名前を忘れ
なのに自己紹介を繰り返す
どうかあなただけは
俺のことを忘れてしまわぬよう


君よ、空は明るい







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