2019/10/20

頭のいい子が幸せになるのは難しい  
















四番街の真っ赤なシトロエンの中の焼死体は一七歳の娘だった、その車がいつからそこに止められていたのかということについては誰もはっきりと思い出すことは出来なかった、そこは居住区の端っこにある不便な地区で、家はあれど住人など居なかった、遺体はきちんとした工程で焼かれたものではなく、お粗末なシェフの居るレストランで出てくるステーキみたいな有様だった、まあ、そのおかげで彼女が誰かを知ることが出来たのだから良しとするべきなのかもしれない、身元不明の黒焦げの焼死体など哀れ過ぎて目も当てられない…身元がわかってもそれ以上のことはなにもわからなかった、天涯孤独の身のようで、両親は事故で死別していて、親戚や友達の存在、プライベートなどはどんなに探っても明らかにならなかった、名前はドロシーといった―家は見すぼらしい一軒家で、窓と鍵がきちんとしている廃墟といって差し支えないものだった、刑事はその家の前の狭い庭に駐車されている真っ赤なシトロエンを想像して首を横に振った、騙し絵を見せられてるような気分だったことだろう…私もそうだった―彼女はあのシトロエンを自分で買ったのだ、両親が死んだときに入ってきた金、それから父親と母親がそれぞれ隠していたへそくりに、何年も働いて貯めた金を足して…真っ赤なシトロエンは彼女の夢だった、たったひとつの夢だった―給料日のたびに彼女は嬉しそうにそのことを話した、その話はいつも、誰にも言わないでくれ、という言葉で終わるのだった、夢のことも、仕事のことも、という意味だ、彼女は自分のことを誰にも知られたくなかった、いまとなってはそれがなぜなのかわかることはない…両親が死んだとき彼女は十歳だった、もっとも、両親はあまり家に居なかったし、居てもあまり彼女に構うことはなかったから、彼女もあまり彼らをあてにせず、必要最小限の生活は自分で回すことが出来た、だから、両親が居なくなってもそれほど不便なことはなかった、ただ彼らが永遠に帰ってこなくなっただけだった、そしてそれは彼女の生活にとってどちらかと言えばプラスだった、ドロシーは背が高かったからすぐに自分で仕事を探して働き始めた、もちろん年齢は偽っていたけれどそのへんは事情が事情だから考慮してもらえた、人前に出ない、ある店の倉庫の整理の仕事だった、仕事自体は簡単なことだったから、幼い彼女にもきちんとこなすことが出来た、いや、そこらへんの大人よりも彼女の仕事はよほどちゃんとしていた、そうして働きながら彼女は、生活のために必要なこと―ライフラインの支払いとか、そういうことをひとつひとつ学んでいった、ドロシーはとても賢い子だった、一度教えたことはきちんとこなすことが出来たし、場合によってはよりよい状態になるようにアレンジが加えられていた、すべてにおいてそうだった、仕事にしても、生活にしても―セックスについても―私は彼女と過ごした長い時間の中で、彼女のことを賢過ぎて気持ちが悪いと思ったことが何度かあった、それはきっと彼女にも伝わっていたのだろう、時々とても変な顔をしてわたしを見るわね、と私に言ったことがあった、そして彼女はそういうたびに言動を少しずつ控え目にするのだった…頭のいい子が幸せになるのは難しい、頭の悪い人間が考えていることまですべて見えてしまうから―私のこともそうだった、初めはきっと、頭のどこかで描いていた理想的な父親像を見るような熱烈な憧れでもって私を見つめていただろう、賢い子だってひとつやふたつ致命的な間違いをすることはあるのだ―私にだってそのことはわかっていた、彼女がいつか私を見限るだろうことは…いつかあの真っ赤なシトロエンで、私をここに置き去りにしてどこか、本当に居心地のいい場所を求めて走り去ってしまうだろうことは―私がそんな思いにとらわれるようになってすぐ、彼女は仕事を辞めたいと言った、お金がある程度溜まったので都会に出ていろいろなことを知りたいのだと…それは同時に私との関係もここでお終いにしたいと言っているのだった―彼女は少し怯えていたように思う、私が怯えさせてしまったのかもしれない―自分が何と答えたのか私には思い出せない、嘘をつくな、嘘をつくなと、頭の中ではそればかりが繰り返されていた、私はドロシーを愛していた、彼女が自分のもとを去ってしまうなんて信じたくなかった、私は、だから…








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2019/10/15

真っ白な紙、塗れば絵、綴れば詩。  




目次を並べ過ぎた人生が血の混じる呼気をする午後に、極彩色の蝶の群れが辺りを飛び惑う―もっとも実感的な幻によって世界が塗り潰される、緩やかな、けれどどことなく不穏な旋律が死体を食らう蛆虫のように爪先から身体を這い上がってくる、レクイエムの乱打される中を、毒々しいほどに赤い飴を舐めている、そうすることで足りないもののことを忘れようとしているみたいに―どこかで、そうさ、騙すことばかりを考えて生きてきた―誰かを?それとも自分をか―?問いかける事ばかりのモノローグは誰にとってもなんの足しにもなりはしない、そしてそれは、思考によって羅列されるすべてのものに当てはまる…要、不要で語るなら、こんなもののすべてはきっと不要に違いないのだ―ではなぜ書くのか?生まれてからこれまでに目にした、手にしたものの中で、これが一番しっくりくる不要だったからだ…俺がなにを言おうとしているのか、もうわかるだろう…そうさ、意味ある事、価値ある事なんて、本当はこの世にはなにひとつありはしない―考えてもみなよ、俺たちが定義することがすべての真理だとしたら、それ以外の生きもののすべては嘘だということになってしまう、まさか、彼らが自分たちと同じ言語を用いないからといって、君は彼らを見下していたりはしないだろうね?俺が言いたいのはつまりそういうことさ、俺たちはなにも、特別な命題を抱えた生きものだというわけじゃない、彼らと同じように、ここにただ生れ落ちて、本能のままに生きてるだけのものなんだよ、そして、そんな中でそれぞれの種が、自分だけの言葉を見つけ、自分だけの向かうべき方向を見つけて歩いて行く、まるでなにかに誘われるようにね―それを神だなんて言うつもりはない、それに凄く近いニュアンスを持ったなにかには違いないけれどね…自分の身体を構成しているものが、どんな成り立ちによって築き上げられたのか、不思議に思ったことくらいあるだろう?そう、本当は、生きものには無理なことなんだ、「知る」という芸当はね…生涯、わけもわからずあちらこちらをひっくり返して、その時その時の現象の辻褄を合わせていくだけなんだよ、だって俺にも君にも、期限が区切られているわけだから―人生なんて瞬きの間のことだ、長く生きれば生きるほどそのことははっきりとわかってくるだろう、みんな少しずつ過去を取りこぼしていく…その中で、なにがいったい手の中に残っているのか、それを確かめるためにこうした手段を用いるわけさ―もうわかっただろう?こんな小理屈は、生きものとしちゃまるで無意味な戯言に過ぎないんだ、そのことだけは決して忘れちゃいけない、思考はするべきだ、どんなことについてだって、ある程度の成果が得られるまでは何度だってしつこく繰り返すべきだ、だけどそれによって得たものを信じ過ぎてはいけない、道路標識ぐらいのつもりでとらえておくべきだ、思考によって得たものを信じ過ぎると生きものとしてはそこで止まってしまう、それを語り続けるためだけの自分になってしまう、いいかい、大切なのは結論じゃない、いまここでなにを手にしているのかということを洗いざらい語ることさ、そうやって誰かを、自分を上手く騙してやるのさ、俺たちは生きものとしては少々厄介なものを抱え過ぎているんだよ、なにしろ吠えるにせよ噛みつくにせよ、ある程度の手続きというものが必要になるんだからね―やり方を間違えたら笑われておしまいさ、本能を、野性を、その内に秘めたままどんなふうにして生きていくのか―きっとそんなもののためにこうした嘘が必要なのさ、獣のように生きることは出来ないけれど、獣のような誇りはまだ胸の中で赤々と燃え盛っているのだもの。










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2019/10/10

だから俺はなにものにもならないことにした  




















風に消えてゆくものたちだけが本当のことを話している気がするのは、人生が砂粒の落ち方を果てしなく見つめるようなものだと朧げにわかってきたせいだろうか、明らかなものはそれ以上のどんなことも語ることはない、なのに人は確かなものばかりを有難がる、本当は知っているからだ、本当は知っていて、けれどそれを見つめるすべを知らないがために、その裏にあるものを知るすべを知らないがために、悩むことなく飲み込めるものばかりを求める、そんなからくりを昔ほど愚かしいと感じなくなったのは、それがあまりにも脆く儚いガラス細工のようなものだということがわかってきたからだ、強く叩いてはいけない、それが壊れてしまってはもうどんなものも築き得ない―俺だってそうだった、たぶん、書き始めたころからの幾年かは、ずっと―昔の詩篇を漁ってみれば、確信という言葉ばかりを馬鹿みたいに繰り返していることがわかる、不安だったのだ、はっきりこうだと言えるなにかが欲しくて仕方がなかったのだろう、心には一貫性がない、それは逆に言えば、いちばん自由な状態であるということだ、どこにでも流れて行ける水のようなものだ、俺はそれを怖いと思わなくなった、いまは―人生はイズムによって伸びていく草ではない、ありとあらゆるものを飲み込んで伸びていく草なのだ、決まった土や薬などで伸びた草には、それ以外のものをどんなふうに取り込めばいいのか理解出来ない、そうして育ってきた連中は自由に伸びてきたものたちよりもずっと青いかもしれない、ずっとスラッとして、美しい見惚れるようなフォルムを持っているかもしれない、けれどそれは言わば矯正された歯列のようなもので、伸びる中で培ってきたもののせいではない、限定された条件のもとで生きたものたちはそんなふうに、一見してとても秀でているように見える、でもそれは絞られたフォーカスのようなものだ、ある場所の美しさは激しく伝わってくる、でもそれ以外はひどくぼやけてしまう…美としてはそれは正しいのかもしれない、でも生としては間違いだと言わざるを得ない、それは嘘の生命だ、出来るだけたくさんのものを飲み込んで生きる、出来るだけたくさんのことを知らなければ、在り方の真実など到底知ることは出来ない、時間なんて気にしなくていい、時間なんて時の真実ではない、真実の世界において、秒を刻み続けることに果たしてどんな意味があるだろうか?どんな注釈もつかないただの一人称こそが、人間についてもっとも多くのことを知り得るのだ、そして知は、過程の中にはない、知は道程の中にこそあるものだ、だから俺はなにものにもならないことにした、この世のあらゆるものを、出来得る限り知るために、自分でも気づいてさえいないような入口を閉ざしてしまうことがないように、とらわれてはならない、話したいことのためだけに口を開くなんてまっぴらだ、初めて知る心のために言葉を発してみたい、風に消えてゆくものたちだけが本当のことを話している気がする、それは始まることがないし終わることもない、形になり得ないからどんなものにもなり得る、風に消えてゆくものたちだけが本当のことを話している気がする、そしてそれが消え去る直前に君の頬をかすめたとき、朧げな感触の中になにかが残されていることに、はたして君は気付くことがあるだろうか?風は何度でも吹く、でも生命には限りがあり、俺はいつかやってくるお終いのことを思いながら雄弁なその風の中を生きている。









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