サウンドとヴィジョンだけの短い夜の話  











冷えた水道管が時々、石膏ボードの向こうで短い悲鳴のような音を立てる、闇雲に詰め込んだ食事を腹の中で撹拌しながら、窓を這う虫の数を数えていた、ここ数日、ひどく目を凝らし続けていたせいで延髄のあたりが凝固して、それが軽い頭痛を連れてきた、そんな風になるのは久しぶりのことだった、それは血管の縮小に合わせてリズミカルに、気の利いた皮肉みたいに効果的に俺を悩ませた、何度か首を伸ばしてみたけれど、望む結果が得られたとは言い難かった、だらだらと数日振り続いた雨が上がったのは良いことだといえたが、そのせいで気温はがくんと下がり、人々はみな半分だけ警戒をしている亀のように首を縮めて歩いていた、しんと冷えた世界の中、時おり叩かれるクラクションはボビー・キースのサックスみたいに夜の天井で跳躍した、俺は頭痛の数を数えていた、といっても、それにはきちんとした規則はなく、ただ、聞かないよりは聞いている、数えていないよりは数えているといった程度の数えかただった、とても静かな夜だった、週末の夜だというのに、誰もが腑抜けたような声を出しながらそこらを歩いていた、俺はまるで倒木のようにそんな夜に存在していた、時々眩暈のように脳味噌が頭蓋の中でぶわんと振り回された、こわばりが取れるまでストレッチをするべきだ、頭ではわかっていたが身体はそれに従う気はないようだった、近頃この身体は俺に奇妙な苦悶を押し付けてくる、医者は何度も言った、原因は特定出来ないことがほとんどだと、俺はそれをただ受け止めた、他に何を言えばよかったのだろう?いくらかかってもいいから特定してくれとごねるほど財布は膨らんではいなかった、歳を取っているのだ、そんな言葉で片付ければ済むことかもしれない、でも俺はまだそれを甘んじて受け入れようとは考えていなかった、歳を取ったから、というフレーズを言い訳に使う連中が大嫌いだった、だから、俺はまだ歳を取ってはいなかった、ほんのちょっと、調子を崩しているだけさ、いくつのやつにだってあることだ、そして、耳に忍び込んでくるすべての音をおざなりに数え続けていた、そんなことになんの意味があるだろう?でも考えてみれば、人生のすべてを意味あることで塗り潰せるやつなんて居ないのだ、ことさら懸命さを売りにする連中にはそのことはわからない、人生は無意味だ、ただ寄り添えば本当に無意味に終わるだけのものだ、ただ、その中で不意に、優しい稲妻のように脳天を撃つなにかに気づいたやつだけがほんの僅かな意味を持って生き抜くことが出来るのだ、ごく一般的な価値基準の中で目に見えるものだけを追いかけているやつらがみんな、同じ言葉を話しているのを聞いたことがあるだろう、覚えておきなよ、あれは一度貼り付けたら剥がすことが出来ないシールみたいなもんなんだ、俺は、そんなはずがないと昔思っていた、なにがしかの気づきをやつらに与えることが出来れば、それは自然に剥がれるとそう信じていた、それが俺は俺が人生において犯した大きな過ちのひとつだ、どういうわけかそれは剥がれないようになっている、呪符のように、なにか強大な力、あるいは信仰でもって縫い付けられるのだ…不思議に思わないか?チープなスローガンほどそういう力を持っている、愚か者は強く信じる、なんて、言っちまえばそれだけの話かもしれないけどね、本当のことなんてそんなにはないものだ、そう思って生きていないと本当のことを見つけることは出来ない、見つけたって手に入れられるかどうかはわからない、乱暴に言ってしまえば、価値観なんてものにはなんの価値もない、どんな規則性も存在しない衛星のように自由になるべきさ、そうでなければ、自分の通過する景色にどんな興味も抱かなくなってしまう、それは知らないのと同じことだ、自分の歩いた道を、自分の歩いた世界を…軽い頭痛と、水道管の悲鳴、窓の虫が蠢くリズムは、いつしか俺の脳髄でオーケストレーションを展開していた、残念ながら、そのアンサンブルはあまり褒められたものではなかった、俺は立ち上がり、顔に水を浴びせた、光の変化に怯えた虫が飛び去り、楽団は退場した、誰も拍手ひとつしなかったし、アンコールもなかった、ただ、薄暗く冷えたキッチンがそこにはあるだけだった、濡れた顔をタオルで拭いながら、俺は耳の中で揺らめいた新しい詩のようなものについて思いを巡らせていた、もうすぐ本格的に寒くなるだろう、新しいブランケットも上着も持ち合わせがなかったけれど、それでもかじかんだ指でキーボードを打つことくらいは出来るだろう、インスタントコーヒーは少しの間睡魔を遮断してくれるし、こちらの気が変わらない限りミック・テイラーは繊細なソロを弾き続けてくれるだろう。









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同じ川で汲み上げた水は混ぜればひとつの水に戻る  


















モニターの中では性具のような光沢を持つ拳銃をこめかみに押し当てたブロンドの若い女が眼窩いっぱいにまで目を見開いて笑い続けていた、それが冗談なのか本気なのかすぐには判断が出来なかったが、引鉄にかけた指が微かに震えているのに気付いてああ、本気なんだと思って結末を見ようとしていた、簡単なことだった、ちょっと指に力を込めればいいだけだ―一瞬で死ねる―が、女はしゃくりあげながら銃を下ろし、その場にくずおれた、それはハッピーエンドのようにも思えたし、情け容赦のないバッドエンドにも思えた、だってそうだろう、これで彼女はおそらくは二度と自分で死ぬことは出来なくなったのだ…人知れず自分の部屋でのんびりと試してみればよかったのに―わざわざインターネットで宣言して人を集めた挙句、やっぱり死にたくないごめんなさいじゃ自分自身が一番納得出来ないだろう―まあ、他人事で言わせてもらえば、生きているに越したことはない…けれど、中にはもうどうしようもないやつだっている、お前がそうしたいならそうすればいい、そう優しく言ってやりたくなるくらい、擦り切れた布のような心を持つやつが…この女がどこまで本気だったのかそれはわからない、もしかしたらすべて嘘っぱちで、視聴者数を稼ぎたいがための芝居だったのかもしれない―でもそれは二度と使うことの出来ない、そしてその後その数字を維持出来るかというとそんな保証もない、もちろんその後のことまで考えているのなら言うことはないが―などと、ライブ放送をつけたまま考え込んでいると、女は突然むっくりと起き上がり、血走った目であらぬ方を見ながらもう一度こめかみに銃を当てたかと思うと一瞬の迷いもなく引鉄を引いた、銃口の反対側のこめかみから血と脳漿が飛散し、女はカメラを睨みながらうつ伏せにフレームアウトした、コメント欄でヤジを飛ばしていた連中が一瞬沈黙し、まさか本当にやるなんて…と口々に言い訳をし始めた、どうやらその女は、似たような企画を何度か開いては最悪の結果を期待する連中に肩透かしを食らわしていたらしい、まあ、そういう意味では今回は大成功ということになるが―女をそこまで追い詰めたものはなんだったのか、俺がこの放送を目に止めたのはたまたまだったので詳しいことはなにもわからなかった、取り乱すということは男だろうか―振られたか騙されたか―いまとなっては知る由もないが…俺はこれをモニターの中で行われる出し物のひとつと認識していた、いつの間にか、無意識に…そのせいか、いま目の前で失われたひとつの命にどんな感情も持たなかった、それは俺の友達でも恋人でも親族でもないのだ、それはただひとつの出来事に過ぎなかった、それが良いことか悪いことかなんて考える気にもならなかった、すべての死が悲しみを伴うものだなんて宗教じみてる…見たいと思えばどんなものだってワンクリックでその目にすることが出来る時代なのだ、いうなればそれは日常のひとつだ、美しい湖の側で殺されるアニーの死と大差ないものだ―けれど俺は祈った、それで彼女の苦しみが消えますように、と―素直な気持ちだった、どんな理由かはわからないが、それは一度諦めて下ろした手を再び上げさせるほどの切実なものだったのだ…ブラウザを閉じて、飲みかけていたコーヒーを口に含んだ、俺には死のことがわからない、特にここ最近は―それに囚われていた昔よりも、ずっと―おそらくはきっと、そろそろ黙っていてもそれがこちらに向かって歩いて来る、そんな年齢になってきたせいだろう、必要以上にあれこれと考えることがなくなった、また、様々な親族や友達の死を見てきたせいもあるだろう、それはもう夢想するものではなくなっていた、けれど、いつかある日突然に予期せぬ形でそれが訪れるかもしれない、そのときまでにどんなことが出来るだろうと思いながらコーヒーを飲みほすと、あれこれ考えるよりも眠らなければならない時間になっていた、そうだな…歯を磨いて明かりを消し、ベッドに潜り込むと、カウボーイ・ジャンキーズが初めてスタジオで録ったアルバムを流した、すぐ眠れるかどうかは横になった瞬間にわかる、どうやら今日は寝つきが良くない日のようだ…あの女のせいではなかった、あれはあれでカタがついたのだ、彼女はむしろいま俺よりも幸せな気持ちでいるだろう、遠くを走るマフラーをいじったバイクのノイズが闇の中で跳躍していた、マーゴ・ヘミングウェイはアルバムの中で一度も大きな声を出さなかった。











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鏡像は俺でありながら俺ではないものを垂れ流している  












冬の日はどこまでも喉に突き刺さり、痛みと共に脳味噌で弾けるシグナルはいつも、とてつもなく鋭利な刃物によってつけられた鮮やかで細い傷みたいで、呼吸によって生まれるものを俺は血だと錯覚してしまう、勝手に歌われる生の亀裂、崩落の予感は生まれたときから続いている与太話さ、俺は見ていた、俺の命で遊ぶ死神の姿を、いつだって…逢魔が時のような外套はいつだって俺の眼前でひらひらとたゆたっていたのだ、俺は今夜もそいつに向かって長い手紙を書く、生半可なものではやつは納得しない―やつはやつで、なにかままならないものによってどうしようもなく飢えているのだ、俺にはそのことがわかる、それは俺が声を上げる理由と同じだからだ、蝙蝠たちが天井を八の字に飛ぶ、妙に肉感的な羽音を立てて…本当に俺の血を吸うのはお前たちじゃない、そうだろ?パブリック・イメージだけがそんなふうに飛び交うのだ、人の目などこの世で一番信頼するべき機能ではないというのに―夜は軋んでいる、この部屋に蓄積した無数の取るに足らない記憶のせいだ、俺はその音を夜だと思う、この世に溢れているどんなものよりも確かにそいつを夜だと思う、なぜだかわかるか?俺は寝床に居る間中、ずっと、その音を聞いているからだ、それは俺にとってなによりも夜なのだ、俺は爪を噛む、捕らえたばかりの草食動物の肉に食らいつくライオンのように噛み千切る、捨てられた爪の破片は床の上で出来上がらない詩の一部になる、拾い集めてごみ箱に入れておくとそんな破片は決まってもっとも早く腐敗する、俺は死臭を嗅いで過ごしている、詩人にはうってつけの響きじゃないか…暖色の小さな電球は夜明け近くまで黙って灯っている、時折蝙蝠たちが落ち着きを失くすせいでちらちらと途切れる、俺には目を閉じる気がない、目を開いたままそんな天井をじっと眺めている、これまでに何度こうして、寝つきの悪い夜に目を見開いてきたのだろう?どんなに考えてもいつからそうしているのかまるで思い出せなかった、きっとそれは死神のせいなのだ、俺は死神のことを怖ろしいとは思えない、あいつの抱えるものはおそらくは、俺が抱えているものとそんなに大差はない、ひとことで言うならばそれは、感情の死体というやつだ、肉体の死がそいつの人生を如実に語るのと同じように、感情の死もまた俺には詩となる、俺はどこかに居る聴衆のために叫ぶ、俺自身の洞穴の奥深くから競り上がって来るうらぶれた魂の塊について、そしてそれが吐き出されることによって生じるある種の渦について…なあ、人はとにかく暗い色を怖がるね、視界が奪われるのが恐ろしいのか、あるいは、それによってよからぬことを考えてしまうのが嫌なのか…誰もが道化のように流行歌みたいな希望について歌っている、でも俺は喀血のように綴るのが好きなんだ、そうして初めて、綴ることが出来たと感じるのさ、ごらん、俺の吐き出した血の、無数のイメージの羅列、それはここにしかない、そしてすぐに消えてしまう…俺が何度も同じフレーズを織り込むのは、なにひとつ片付いていないせいなのさ、俺は凄く若いころには、そうしたものの一切はそのうちカタがつくだろうと考えていた、でもそれは間違いだったのさ、それは生まれてから死ぬまで一度も終わることがないものなんだ、だからこそ俺は早いうちにそいつに手を付けたのさ、早く終わらせたかったわけじゃない、どこまでもそれを解きほぐしたいと考えたからだ―途中まで気づかなかった、オウムが片言を喋るみたいに並べ続けてきた、それは知的探求心とか、心理学の研究などとは同じではない、そこには明確な目的などない(神や死神はそんな麻痺を呼び覚まさせようとして現れるのかもしれない)、生肉を屠るライオンの本能に近い―本能の為に俺はそうしているのさ、それは欲求ではなく欲望なのだ…咆哮する冬よ、俺の首をもいでいくがいい、俺は最期の目を見開いて己が肉体の断面を見るだろう―そして死神は古い友達のように俺の肩を抱くだろう、一度くらいは一晩中語り明かしてみようか、お前の持つ刃物にこびりついた古い血のように疼く俺の理由を受け止めてはくれないか…完成は、することはないだろう―そしていつか次の生を迎えたとき、俺はきっとその続きから手を付ける事だろう。















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