すべては気まぐれみたいに行われるのがイカしてる  散文








ナマの心臓の感触というのはなかなかそうと膝を打てるような言葉にはならないものだ、本来俺たちはそうしたものの動きには無自覚なものだし、そもそも下手に自覚なんかしてしまったら日がな一日胸に手を当てて過ごさなければならなくなる。潔癖症の主婦が薄いゴム手袋と布巾とポリ容器に入った洗剤を終始手にしているみたいに。鼓動というのは多分、無自覚であるようにとあらかじめ設定された事柄のようなものなのだ、何故そんな風に設定されなければいけないのかって?そうだな、それにはいくつかの理由が考えられるよ―例えば世界中のドクターが自分たちの価値を一般市民よりもひとつ上のランクに留めておきたいがため、なんて、これはくだらない冗談だけれどもね。そうだな、とにかくそれは100年は休まず動き続け、鳴り続ける可能性のあるものなのだから、下手に自覚的につきあうとなるとこれはかなり厄介なんじゃないかって…そんな気、しない?無自覚であるというのはすごく大事なことだ、光合成のように凄く大事なことなんだ、光合成というものが自覚的に行われる場面というものを想像して御覧よ、こいつはちょっとぞっとしないぜ…取り込み具合や出来具合なんかにいちいちしつこく頭を悩ませるような光合成を想像してみな?そんなことをしながら育つ植物がいくら全植物の中で最高に合理的でファッショナブルな光合成にたどりつくことが出来たとしても、種族としてそいつらはきっと長続きすることは出来ないだろうさ…行為、行動というものはたびたび人をストレスの塊にする、それは自覚的に過ぎるからだよ、自覚的であることなんて、ほとんど自虐的であるというようなものだ。そこに重要な目的というものが存在しているならなおさらだ、そのことは判るだろう?重要事項について考えるとき、俺たちは自覚的にそれをやろうとし過ぎるんだ、それは必ず達成されなければならないとガチガチになって、まるで隕石を一人で食い止めることになった、なんて宿命を背負ったみたいな顔になっちまう、力み過ぎて、それが原因でやり遂げると決めたことの半分も果たせずに終わってしまうのさ、そして悔いる、やらなければならないという気持ちはとにかく人を悔いさせる、どうしてそれほど打ちひしがれてしまうのだろうというほどに、地べたまでずり落ちてしまう。やり遂げなければならないことほど無自覚的になるべきなんだ、本当は―例えば今、俺が書いているこの文章にどのような意味合いがあるか判るかい?無自覚的にことがなされるべきなんだ、というテーマについて書かれる文章は自覚的に書かれてはいけない。何故かっていうと…もう判るよね?無自覚でいなければ、伝えよう、読ませようという気持ちが先に立ってしまう。気持ちが先に立ってしまうとたいていのことは読みづらくなる、暑苦しくなる、青少年の恋の告白みたいなもんさ。思いが強いほど口が必要以上にぱくぱくとなって、同じ所で何度もつっかえてしまう、あ、あの、その、僕、僕、君の、君のことが…無自覚、といっても誤解して欲しくないのは、出鱈目じゃ駄目だということ。それがどこに行こうとしてるのか、それだけはきちんと把握しておく必要があるということだ。ナビに従って車を走らせるということさ。悩む必要はないが、行先を見過ごしてはならない。行先を見過ごしちゃうと当然たどりつけない。忘れたことに気づいて慌てたりすると事故にあってしまうことなんかもある。下手に事故ったりするとそのままこの世からはおさらばだ。自覚的にやるところを無自覚的にやるというのはなかなか難しいことで、人によってそれについて語ろうとしているこういう文章を目にするだけではなはだ矛盾しているという印象を受けるかもしれない、だけどそれは間違いだ、それは絶対に間違いだよ…無自覚でいるというのはこういうことだ。障害物のない見通しのいい直線の道路を選ぶ。そして、辛くない程度にそこを走る。速さなんて全く気にする必要はない。なにしろそこは見通しのいい直線道路で、しかも君には約束もなく、君よりほかにそこを走っている奴なんて誰も居ない。映画「激突」みたいに君を押しつぶそうとする馬鹿でかい車なんか追っかけてこない―俺がこんな話をするのはとにかく、無自覚であるということの面白さを確かに感じてほしいと考えるからなんだ。多かれ少なかれ、ここにいる誰しもが、いつまでも指先が止まることなく動き続けるのではあるまいかなんてなんていう感覚を感じたことがあるだろう?ああいうのってすごく楽しいと思わないか?つまり、任せちゃうことだよ。動き始めたら変に手を止めて考え込んだりしないで動き始めたものに流れを一任すればいいんだ、列車に乗る、なんて例えでもいいな―列車に乗るってことを考えてみるといい、然るべき切符を手に入れて、そこに書いてある然るべきホームに、然るべき時間に立って、然るべき服装で…まあこれについては人それぞれだろうけどさ、滑り込んできた列車に乗り込めば、あとは寝ようが窓の外を眺めていようが腹が痛くなってトイレにこもっていようが、列車は君を必ず目的地まで連れてゆく。いったん乗り込んだなら君が気にすることはただひとつ、切符に記されてある行先と同じ地名で下車することさ。うっかり乗り過ごしちまうと終点で途方に暮れたり、なんてところに落ち込んじゃうかもしれないぜ。


ともあれ、無自覚ってとても面白いものさ…じゃ、俺降りるから。











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