どこで、なにが、なにを、すべての疑問は泳がせておけばいい  










動機の無い目覚めと、衝動の無い日常、心肺停止を示すグラフのようなループが、カレンダーを塗り潰して、ぼろきれのように疲労困憊だ、魂が不要な循環、埃のように自分自身は内奥のすみに追いやられる、神風を信じる兵隊のようなイデーに支配された連中の蠢きを見ながら、鼻先をかすめていくものをカウントしている、ダウンバインド・トレインのイントロがどこかから聞こえてくる、そんなことをしている時間にはいつも、きっとそれがあの男のリアリティというものなのだろう、汗は糊のように肌の上に居残り、シャツを重くしていく、今日は何日だったか、今日は何曜だったか、そんなことが途方も無い難問のように思えてくる、眠っても眠っても寝不足だ、いつまでも満たされることの無いダムのように、低くなる水準を眺めては憂いている、そんな時間にはいつでも、先に訪れる時間のことを考えていた、数時間後のこと、数十時間後のこと、そして、いざその時間になった時、ああ、あの時考えていた時間がやってきた、とひとしきり満足して、また次の数時間後のことを思うのだ、子供のころからそうだった、まだろくにものを知らぬ子供のころから、先の時間のことを考えていた、何時間かあとには算数をやっているのだろうなとか、何時間かあとには校庭で遊んでいるんだろうなとか、昼休みは何をしようかとか、それが終わると家に帰って夕飯を食べている時間のことなんかを考えていた、そして家に帰る頃にはそんなことはもう忘れていて、眠る前なんかに突然はっと思いだしたりするのだ、ああ、あの時間を飛び越えてしまったと、自分が今いる時間はどこなのだろうかと、先の時間を思うことでリアルタイムを認識していた、いや、あるいは、まるで認識出来ていなかったのだろうか?とにかく、時間というものはそういうものだった、そんなことは長いこと忘れていた、今にになって急にそんなものが蘇ってくるなんて、とぼんやりと考えながら、鼻先をかすめていくものをカウントしていた、そして、今朝見た夢のことを突然思い出したりする、その夢は、もういつかも覚えていないくらい前に見たある夢とリンクしている、その夢のことも当然思い出す、今まで思いださずにいたことが不思議なくらいに、細部までありありと、思いだすことが出来る、そんなことを思い出しながら、先の時間のことを考える、現在はおかげで混沌としている、単純過ぎるものたちの中で、なんとか込み入ったものを作ろうとしているのかもしれない、混沌が想像されなければ、阿呆のように身体を動かすだけだ、先の時間や、過去の夢の事柄のブレンドで、混沌は想像される、そんな混沌の緩やかな渦の中で、確立された存在である自分自身を認識しようとするのだ、複雑化されないのなら人間には何の意味も無い、複雑化出来ないなら猿で構わないのだ、時々、秋を思わせる温度を連れた風が吹き込んでくる、それはその時間で最もリアルな現在かもしれない、確かに動いているものはリアルな現在だ、それはうんざりするくらいシンプルな言い草だ、だけど他にどんな風に言える?そうとしか言えないことだってこの世の中にはある、動かせない宿命を持った石のように、確立されている、そんなものは無関係な周辺のものにしかない、だからシンプルにならざるを得ないのかもしれない、本当のところは判らない、だってそれは無関係な周辺にしか存在しないからだろう、ほら、いつの間にか時間を飛び越えてディスプレイを睨みながらキーボードを叩いている、時間を飛び越えていることを思い出すのだ、そして現在を疑うのだ、そしてこんなものにはどんな意味も存在しない、風の似顔絵を書いているようなものだ、無意味な混沌を欲しているのだ、それがあることでシンプルになる効果が内奥にある、そのことを知っているから放出せずにはいられないのだ、説明出来ないもののために言葉を使うから、説明出来ないもののために文章を使うから、意味の無いものこそが必要になるのだ、それ自体に意味があってはならない、意味を語るものは描かれたものじゃない、その中に隠れているほんの少しの空気のようなものが、本当の意味を語るのだ、こんなものに意味なんかあってはならない、少なくともそれは意図して作り出されたりなんかしてはいけない、予期しないところで意味が生まれるのを待っているのが本当なのだ、呼吸の真理を語るもの、肉体の真理を語るもの、食事の、性交の意味を語るもの、喜怒哀楽の真理を語るもの、どこで、なにが、なにを、すべての疑問は泳がせておけばいい、そんな疑問に答えが必要無いことはずいぶん昔から知っている、問いを発するということは必ずしも、答えを求めるということと対ではない、ただ問われるための問いというものが必ずある、それは単純であってはならないということなのだ、穏やかな湖面を掻き回して、まったく動いていない渦の中心を見つけるための手段だ、それを見つけられればとりあえず日常からこぼれ落ちることはない、ただあるだけのものになってはならない、有無だけを問うような真似もしてはならない、それがどんなふうに見定められてきたのか、それはいくつも時間を飛び越えた先に、きっと破れた紙片のように落ちていることだろう。






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