饒舌なハレーションの朝  














昨夜の酷い雨が連れてきたボロボロの木の枝が、川の分岐に設えられた水門の脇でおざなりな寝床のように積み上げられている、そこで眠っているのは生まれたばかりの数匹の子猫の死体だった、明けたばかりの木曜はすでに薄気味悪いほどに晴れ上がっていて、梅雨時の執拗な湿度とともに不快指数の針を極限までに振り切ろうと目論んでいた、急いで飲み干したインスタントコーヒーのせいで喉は焼け付いている、正直言ってそんなにいい気分じゃなかった、腰までの低い堤防の側を山裾の広い道路の方へと歩いている俺は控えめな殺人者みたいな感情を人知れず尖らせていた、年代物の錆びついたスーパーカブが放置されている更地を通り過ぎて閉じたシャッターの前に自販機を並べている商店だった平屋の前に置いてあるコカ・コーラのベンチに腰を下ろし、数分前に振動したスマートフォンの通知をチェックする、わざわざ知らせてもらうようなことでもない、でもsiriは俺の希望にはたいして興味がないようだ、スケジューリングに特化した秘書のようにそんなものを押し付けてくる、まあでも、特に不快ってほどでもない、設定をいじればなんとでもなることなのかもしれない、でもそんなことに時間を使いたくない、俺はもう一度歩く、まだ時間が早いせいで大通りを通過する車はそんなに多くない、通勤ラッシュと帰宅ラッシュ時以外の時間のこのあたりは、少し賑やかなゴースト・タウンとでもいうようなムードを漂わせている、そして歩道を歩いている連中の幾人かはゴーストよりも死んでいるみたいに見える、彼らが背負っている人生はまるで、排水口に捨てられたまだ目も開かない子猫のそれを何倍にも引き延ばしたフィルムみたいに見える、俺は十字を切る、信仰などないがくせのようにそうしてしまう、誰かのためというよりは自分のためだろう、魔よけみたいなものだと勘違いしているのだ、なにかの映画で観た仕草だった、真似しているうちに自然にそういうタイミングで出るようになった、ただそれだけのことだ、と言ってもいいし、もっともらしい意味を考えて付け足してみてもいい、真実の楽しみ方には実際、こうするべきなんて決まりごとはとくにないのだ、スピードを出し過ぎた一台の軽乗用車が自転車のみすぼらしい中年の男を撥ねる、白髪交じりの長髪の痩せた男は路上に投げ出され、寝返りのような動作をしたのちぴくりとも動かなくなった、血は一滴も出なかった、あれは死んでしまったかもしれない、運転席から降りてきた若い女は左手に煙草を持って呆然と男を見下ろしていた、激しいブレーキ音を聞きつけた近くの住民が集まってなにかと世話を焼いている、集まってきた連中の誰もが、それが初めてではないように見えた、若い女もまたぴくりとも動きはしなかった、俺はそこを離れ、閑散としたコンビニでしばらく漫画雑誌を読んだ、それが読みたいわけではなかった、ほんの少し立ち止まる理由づけのようなものだった、バックヤードで女の泣声が聞こえた、初老の太った女がそこから出て来て商品の陳列を始めた、バイトが激しく叱られでもしたのだろうか、俺はバックヤードに入って行って泣いている女を慰めてやりたかった、気にすることはないよ、彼女にはこれが世界のすべてなんだ、そんなことを言って、まあ、ことが分からない以上、すべては俺の妄想でしかないけれど、泣声がとまらない限り居心地は良さそうではなかった、早々に本を閉じて店を出た、悲鳴を聞いた気がしたが気のせいだと思った、もう少し歩くと無人駅があるはずだった、そこから予定のない旅に出るつもりだったのだ、が、時刻表を見ると電車は出たばかりで、次が来るまでには一時間近くあった、だから俺は駅を出て、どうするべきかとしばらく考えていた、俺がさっき歩いてきた方向から、こちらへ向かって歩いて来る若い女がいた、高校生か、あるいは卒業したばかりか、ともかくそれぐらいの年齢の女だった、少し茶色がかった髪をショートボブにしていた、背は高くなかったが、痩せているせいでやたらすらっとして見えた、俺と目が合うとぺこりと頭を下げて、小走りに駆け寄ってきた、電車、もう出ちゃいましたか、と彼女は聞くのだった、ああ、と俺は答えた、さっき出たばかりみたいだ、ああ、と女は落胆の声を上げた、「この時間、一時間に一回しかこないんですよね」「みたいだね」それから俺たちは少しの間沈黙した、俺たちに出来る会話といえばそれだけしかなかったのだ、「次の電車、乗ります?」「それを考えているところだね」「もし、よかったら、廃屋に行ってみません?」女はそう言っていたずらっぽい笑みを浮かべた、「廃屋があるの?」ええ、と女は頷いた、「その林の奥に」女は単線の線路の向こう側の林を指差した、「興味あるんだけど、ひとりじゃ怖くて」なるほど、と俺は頷いた、行く理由もないが、断る理由もなかった、そして、時間はたっぷりとあった、いいよ、と俺が言うと女は嬉しそうな顔をした、そうして俺たちは駅を抜け、林の奥へと分け入った、十分ほど緩い斜面を上ったところに、それはあった、それは古い日本家屋で、縁側に面した窓がすべて腐って落ちていた、けれどまだ柱はしっかりしていて、お邪魔するのに問題はなさそうだった、俺たちはのんびりとその家を見て回った、「この家で」女は話し始めた、「昔殺人があったって話です」よくある話だ、と俺は答えた「廃墟の数だけ人死にと幽霊の話がある」俺がそういうと女は笑った、それから、ですね、と頷いた、この台所らしいですよ、と女は、俺たちが立っている床を指差した、いまはないんですけど、と女の説明は続いた、「流しに血のついた包丁が置かれていたっていう話です―こんな感じで」女はパーカーのポケットから血塗れのナイフを取り出してそこに置いた、リアルな小道具だ、と俺は称賛した、うふふ、と女はいままでとは違う感じで笑った、「苦労したんですよ、これ」ここに置いていくのかい、と俺は聞いた、うん、と女は頷いた「ちょっとしたいたずらです、こういうの喜ぶ友達がいるんで」なるほど、と俺は言った、それから俺は彼女のスマホで記念写真を撮ってやった、彼女は子供みたいにはしゃいでいた、そうこうしているうちに列車の時間が近付いていたので、俺は彼女にそう告げた、電車に乗るかどうか、決めました?と彼女は聞いた、今日はもういいな、と俺は答えた、「この廃屋で今日は十分だよ」そうですか、と彼女は少しがっかりしたように俯いた、「一緒にどこかに行くのもいいかなって思ったんですけど」一人旅派なんだ、と俺は、いままで何人もに言ったことのある台詞を返した、あぁ、と女は納得の声を上げた、それから俺たちは駅で別れた、今度会ったらどこか行きましょうよ、と彼女は言った、そうだな、と俺も答えた、二人とも三分の二くらいは冗談だった、駅を出て、しばらく歩いていると電車の音が近付き、離れて行った、大通りからは見ることは出来なかった、そのまま歩いているとパトカーがサイレンを轟かせながら数台、通り過ぎて行った、俺は突然、コンビニで聞いた悲鳴みたいなものを思い出した、バックヤードで泣いていた女の声、血塗れのナイフ…確信はなにもなかった、けれど、コンビニの前まで戻ってみる気にもなれなかった、陽射しはだんだんと強くなっていて、いつの間にか俺は汗だくだった。







0



トラックバックURL

トラックバック一覧とは、この記事にリンクしている関連ページの一覧です。あなたの記事をここに掲載したいときは、「記事を投稿してこのページにお知らせする」ボタンを押して記事を投稿するか(AutoPageを持っている方のみ)、記事の投稿のときに上のトラックバックURLを送信して投稿してください。
→トラックバックのより詳しい説明へ




AutoPage最新お知らせ