2009/11/29

東京口ブルトレを追っかけた1年  鉄道のある風景
もう11月も終りですね。今年もあと僅かとは、本当に日々の過ぎるのが早いこと。やはり年齢を重ねるごとに1年も早く感じますよ。あー嫌だ嫌だ。

そろそろ、今年の鉄活動を振り返るネタでもと考えて見ると、一番に思い浮かぶのが、東京口のブルトレ廃止でしょうね。
このブログを始めた頃から鉄道撮影を再開したようなものですから、その時点で「銀河」「富士・はやぶさ」しか東京口には残ってない状況でした。
昨年の3月で「銀河」が消えて、孤軍奮闘していた「富士・はやぶさ」も今年の3月で幕を落とした出来事は、つい先日の事のように思い出されます。

廃止の発表があってから約1年、時間を見ては撮るように心がけていたのですが、ふり返って見るとあまり良い写真も残せなかったかなと言う感じです。
そんな、追っかけ1年の写真を並べて見ましょうかね。

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08/3/9、東戸塚付近。EF6645牽引。
Fe4で「ゆとり」のさよなら運転を撮りに行った時ですな。

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08/3/15、定番の有楽町。EF6650牽引。
手前3本の通勤線を抱えてますが、「銀河」に比べると被りは少なかったですね。

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08/9/6、函南駅。EF6647牽引。
18きっぷでシービーさんと浜名湖まで行った時。あの寝台特急通過の案内放送も、サンライズのみしか聴けなくなっちゃったかな。

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08/11/15、六郷橋梁。EF6647牽引。
近場の利もあり、車で良く通いました。

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08/11/23、六郷橋梁。EF6653牽引。
この頃から、人出も増してきましたね。

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08/12/6、六郷橋梁。EF6646牽引。
天気が良いと日課のように出かけてましたよ。

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09/1/10、六郷橋梁。EF6648牽引。
河川敷も開けていたので、流し撮りなんかもやってました。しかし、下手ですな。

なんか、かなり撮ってたようなので、もう一回続けて記事にします。

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タグ: 富士 はやぶさ EF66

2009/11/27

急行「うわじま」  国鉄急行
やっと発注仕事も一段落。この週末は少しゆっくりできそうです。
過去のフィルムをスキャンしてたら、意外と急行列車も撮ってたようなので、新たに国鉄急行のカテゴリーを作って見ました。
今やJR線内では死語となりつつある「急行」ですが、国鉄時代は特急より急行の方が多く、気軽に乗れる優等列車と言える存在でしたね。

まずは昭和53年に四国初上陸した時に撮った急行「うわじま」を紹介してみます。
まだ、宇高連絡船が全盛の頃で、四国内の国鉄線は全線非電化の時代です。当然、基点となる駅は高松で、ここを基点に各地へ向かう急行列車網が張り巡らされていました。
高松駅は終端式のホームが並んでいたため、乗客の誤乗防止も含めて全ての急行列車にヘッドマークが取り付けられており、列車撮影するにも撮り甲斐のある場所の一つでしたね。

急行「うわじま」は名前の通り、高松から予讃線経由で宇和島間を結ぶ列車でした。既に特急「しおかぜ」が同区間を走ってましたが本数は少なく、やはりメインは急行と言う時代です。松山までの急行「いよ」を含めると片道十数本の設定があった程です。
今では考えられない夜行設定から、青函航路と同様に24時間運行の宇高連絡船に接続する高松3:40着なんてのもありましたね。

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高松駅に並ぶ予讃線急行「うわじま」「いよ」。
まさに気動車天国を彷彿する風景ですな。

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讃岐府中〜鴨川間。
四国の急行は全て冷房化されてたましたが、冷房電源はこの編成で賄えるのですかね。

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海岸寺〜詫間間。ヘッドマークは路線別に色分けされてましたから、カラーで撮っといて正解です。

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予讃線系統は青地に白抜き文字のマークです。

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普通は急行に入らないキハ26(55)が使われてますね。四国の26、55はパンパーが付いてるのが特長でした。

当時、急行に郵便車や荷物車を併結した列車も見られましたが、残念ながらそれを撮ることは出来なかったのが悔やまれます。
房総急行同様にヘッドマーク付きの列車が次々やって来ましたから、線路脇でも暇を持て余すことは無かったな、と言う良き時代の思い出です。

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タグ: 急行 国鉄 うわじま

2009/11/25

70系 新潟色  鉄道
旧国についてはあまり詳しくないので、一般的な括りとしての70系列と80系列程度の知識しか持ち合わせてません。
どうも当時から浅く広くな感じで、しょうもないですな。

都落ちした70系が新潟地区に転属された際、雪景色の中での視認性を高めるという意味で、海老茶と黄色の独特な塗装に塗り替えられました。
東京近辺では湘南色とスカ色が普通でしたから、小学校の頃、上越線でこの塗装を見た時は派手な車両だなと言う印象が残ってました。
当時、越後湯沢に保養所があったので、家族でスキーに出かける時などは特急など使える身分でもないし、水上まで「ゆけむり」で行き普通に乗り換えて良く行ったものです。

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その際に撮った写真ですが、追い抜きの「とき」を撮ったつもりが、遥か彼方でしか写ってませんね。
昭和46年頃、土樽にて。

その後、鉄道写真を本格的に始め上越線詣はかなり行ったのですが、目的が「とき」であったため、この手の旧国はスルーしてた感があります。今考えると勿体無い事してましたな。

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カラーの走行写真は、この1枚しか撮ってませんでした。この独特な塗装はカラーでないと説明がつかない所でもありますね。

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昭和52年、越後湯沢に停車中の格落ちクハ75ですかね。この頃は、自家現像の時でしたから、モノクロばかりですよ。

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珍しくサボなんかも撮ってました。728M高崎行ですな。

実際かなり乗ったりしてたのですが、写真となると新製配置の115系などを撮ってたようで、アホな事してました。
115系でこの塗装でもしてみれば結構イケてるかも知れませんね。

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タグ: 70系 新潟色 上越線

2009/11/23

EF80P型って  鉄道
近々ネタも切れたので、また古ネタに戻りましょう。
昭和50年前後の話ですが、東京近辺で見られる交直流機と言えばEF80でしたよね。当時まだEF81は非常に珍しくて旅客列車を牽引する姿は見られませんでした。

EF80は1次型と2次型に大別できますが、この頃上野に顔を出してたのは、田端機のみでしたから、内郷機の2次型は全く見られませんでしたね。そんなんで2次型は1枚も撮ってませんでしたよ。
田端区には、20系「ゆうづる」牽引用で、当時我々が勝手に呼んでたP型が居まして、1号機から10号機までが、それに相当して20系牽引用とされてたと思います。
後々にはEGを持たない貨物機も20系を牽いてる写真など見たことがありましたので、あまり関係なくなってしまったんですかね。
それでも、昭和52年頃までは1〜10番だけが限定使用されてました。
そんな意味もあって、この10番までの機関車がEF80の中でも、最もお気に入りのやつでした。

田端区の旅客用EF80は、降雪区間を走る訳でもないのにスノウプロウを全機装備していたので、外観的にも格好良かったですな。ただ、好みが分かれる所ですが、昭和50年頃からヘッドライトの下に庇が付き始めてしまったので、原型を見られなくなってしまったのが残念です。私的にはED72や73と同様の埋め込みライトが好きだったので、庇は余計な物だと思ってましたね。

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P型と言いつつも、貨物運用にも付いてました。
昭和46年、稲毛駅を通過する1号機。庇無しの頃です。

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昭和51年、回送「ゆうづる」を牽く1号機。庇が付いてしまった。

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昭和52年、今や有名撮影地となってしまった物井〜佐倉間を単機で走る3号機。
千葉運用は蘇我と佐倉までありましたね。

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昭和49年、「ゆうづる1号」8号機と「ゆうづる2号」5号機の並び。
上野19、20番線早朝の風物詩でしたね。既にヘッドマーク省略直前ですな。
原型機の並びで撮れたのは、これが最後の写真となってしまった。

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昭和51年、P型ラストの10号機。これも原型の美しい姿を残せました。

EF80の1次型は、旅客用29番までと貨物用50番までが製造されましたが、旅客機もかなりの頻度で貨物牽引もしていたのを見ると、客車列車自体の激減の影響もあったのでしょうね。
このEF80は、かなりの枚数を撮っていましたので、次の機会にP型以外も紹介したいと思います。

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タグ: EF80 ゆうづる P型

2009/11/21

小田急カレンダー受賞者だけの撮影会vol.2  写真
連休ですが、来月初旬の仕事の準備であまり休めそうにないです。
さて、前記事の続きなんですけど、43番ピットの撮影を終えた一行は、隣の検修線に停車中のVSEとMSE並びへと移動します。
今や両形式が小田急ロマンスカーのフラッグシップ的な存在になってますね。

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線路が嵩上げされてますから、普段では撮れないアングルなど試してみました。

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先頭を合わせて止めてもらってます。ここは検修線なので、明るさ的には十分ですな。
MSEの愛称名はLEDなので何でも出せるようですよ。いろんなの出てきました。
この写真は「ベイリゾート」。
いろいろ撮ってたら1時間の撮影タイムもアッと言う間に過ぎてしまった。

続けて、保存車両の撮影へと移動。
喜多見の車両基地はこの検車庫の奥にあって、全面天井構造になっている関係でまるでトンネル基地の様相なんですよ。
こりゃー暗すぎて撮れないとの声も洩れてます。同感。
ISO感度最大の3200にして1/10秒の手持ち撮影で望みますが、これが何とか撮れるもんなですね。かえって肉眼で見るより写ってたりするんですよ。

保存車両も現状は留置状態のようで寂しい感じもしますが、屋内で太陽光も射さないので、荒廃を防げるのが何よりです。
入り口側からNSE6連、2600系、9000系、2200系、モハ1と縦並びで留まってます。
モハ1は別にして、それ以外の車両は現役時代を知ってますから、懐かしさ一杯ですな。

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この暗さ分かりますかー。手前は全て線路閉鎖してくれてます。

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埃は被ってましたが塗装も綺麗で、今でも走れるような錯覚を覚えますよ。

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メトロ6000系が今だ現役なのを思うと、廃車も早かったような。

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旧塗装時代はさすがに知らないですね。非貫通2枚窓が当時の流行ですかな。

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モハ1。古すぎてコメントできませーん。

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さすがに、この暗さでは三脚が必要でしたねぇー。

これで撮影会は終了です。
その後、表彰式と来年に向けたカレンダー企画の意見交換会がありましたが、やはり完売できる事が来年に繋がるとの結論でした。
お土産として非売品グッズを多数頂きましたので、機会があればアップして見たいと思います。

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2009/11/17

晩秋の東武線  鉄道のある風景
この前の日曜日は天気も良く、暑いくらいの陽気でしたね。
Fe4仲間のシービーさんが、同期で海外鉄やってる友人と飲むということでお誘いを受け、折角なんで撮影から流れて行く事となりました。
昼過ぎに北千住に集合して、まずは中華料理で一杯ひっかけて景気付け。

今回は、東武鉄道の撮影。最近はかなり私鉄線も撮るようになったのですが、やはり川崎に住んでる身としては、東武は中々縁遠い存在でしたから、本格的に撮るのは初めてと言って良いほどですな。
そんなんで、撮影地の情報も分からないし、車両についての知識も皆無に近い感じなんですよね。まあ、乗りながらロケハンと言うことで、北千住から出発。

複々線区間は高架だったりと駅間で撮れるような場所は見当たらず、そのまま先へ進みます。
春日部を過ぎた辺りから多少開けた場所を走り始め、姫宮〜東武動物公園間に良さそうな場所を見つけ下車。しかし、この時期3時過ぎれば太陽はかなり低くなってしまうので、線路脇に建物などあると日陰、日向とゼブラ模様になってしまうのですよね。

徒歩で浅草方面に歩いて行くと、只今造成中の場所があります。かなり開けた場所なんですけど、まさしく造成中なのでここで撮れるのもあと僅かってことですよ。

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特急「きりふり」。スペーシア以外の特急は何があるのかも知らない程の知識しか持ってません。

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ススキもあって、晩秋の雰囲気は出ますね。

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暇してる時間も無く次々と列車がやってきますよ。夕日の感じも良いですな。

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線路を挟んで反対側は、まだ農地の雰囲気。

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ついに日も沈んでしまった。

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駅近くのカーブから。この辺はフェンスも低いので、非常に撮り易いですな。
中央林間まで乗り通すのも大変だろうなー。

戻りは、一杯飲みながら特急「りょうもう」で浅草まで。東武特急は始めて乗りましたよ。日曜の夕方なのでほぼ満席状態。
それから、上野で飲んで家に着いたのは午前様でした。

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2009/11/14

小田急カレンダー受賞者だけの撮影会vol.1  写真
今日は、小田急ロマンスカーカレンダーに採用された副賞とでも言おうか、受賞者全員を対象とした車両撮影会が行われました。場所は喜多見車両基地とのこと。
何と集合時間が6:45喜多見駅と言う早朝ですよ。何でも、特急車両が遅い時間だと出庫してしまうので、早朝からとなったようです。もっともな話ですね。

まだ暗いうちに南武線に乗り込み、登戸で小田急に乗り換え喜多見着。雨は上がってましたが明るさが無くて、果たして屋内で撮れるんでしょうかと不安になります。
他の方々は三脚持参でしたが、私は楽しようと持ってこなかったのが仇となってしまった。

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事前にこのような招待状が送られてました。

会議室で簡単なオリエンテーション後、早速庫内へと移動。
まずは、43番ピットに停車中の7000系LSEからスタートです。喜多見車両基地は全て屋根付きと言おうか、上が全て緑地化されているので、やはり蛍光灯の明かりが頼りになってしまうのですよ。
ISO800の1/10秒程度での撮影となってしまったのですが、広角ズームなので手ブレ補正もあってか問題なく撮る事ができました。

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幕のリクエストも可能でしたから、まずは懐かしの「あしがら」。

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この場所はあまり動けないところでしたから、幕を変えて撮るだけって感じです。
見え難いですが「えのしま」です。

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これだけグッと寄って撮れるのも、こんな機会だけですな。

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最後は「ニューイヤーEXP」。これは初めて見ましたね。年賀状ネタに使えそう。

LSEも旧塗装車だったら尚良かったのですが、何て贅沢言っちゃ駄目かな。
まだまだ、続きがありますので、数回に分けて紹介してみたいと思います。

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2009/11/11

在りし日の新小岩操車場  鉄道
今や各地で見られた貨物操車場も姿を消し、跡地も再開発されて昔の面影を残してる場所も少なくなりましたねぇー。
小学生の頃から総武沿線を転々としていた関係で、一番利用してたのが総武線でした。
そんなんで、古い写真と言うと千葉管内のが多く残ってるんですよね。
高学年時代から、家のカメラを持ち出し沿線を撮影しに行きだし、駅をうろうろしつつ何でも撮り始めたのが最初ですな。
当時、沿線で一番の操車場と言うと新小岩〜小岩間に広がる新小岩操車場だったのですが、通過する際は必ず眺めていたにも関らず写真となると興味の範疇でなかったのか、全く撮ってなかったようなんです。
まあ、標準レンズ1本しかない時代ですから、ホームから撮れる感じでもなかったのかな。

そんな鉄道写真を撮り始めた頃のカットに1枚だけ撮ってたコマが出てきたので、ショボイ写真ですが紹介して見ます。

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まだ、総武快速線が出来る前の昭和46年頃に撮った写真だと思います。
101系時代は、2段式の窓が全部開けられる構造だったので、カメラ片手に走行中の車内から撮ったやつです。子供だと、そのまま飛び出すほど窓が開いたので、今じゃ考えられない時代でしたね。
多分、上手い具合にDD13が走ってたので撮ったんでしょう。区名札が「佐」になってますから、佐倉機関区にもDD13が居たようですが、実際は新小岩常駐だったかも知れませんね。
後ろに写ってる新小岩ボーリングセンターも検索してみたのですが、ヒットしなかったので、早々に廃館になってしまったのですかな。
今、このアングルを探そうとしても分からんでしょうね。

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タグ: 新小岩 DD13 操車場

2009/11/8

単焦点レンズで撮ってみた  鉄道のある風景
デジタル一眼にしてからという物の、主流で用意されてるレンズの大半はズームレンズばかりです。やはり撮る方からすれば、アングルの自由度も広がるし楽ですよね。
今やオートフォーカスや手ブレ補正が当たり前の時代ですから、多少F値が暗かろうが撮れてしまう時代ですよ。

そんなんで通常はズームレンズを多様してますが、最近はカメラ側の機能全てをマニュアルで使い始めたため、F値が明るいレンズが欲しくなってきた次第なんです。ただ、大口径のズームとなるとかなり高価な代物なんですよね。
そこで、35mm時代に使ってた単焦点レンズを引っ張り出して使ってみることにしました。

今では製造終了になってるレンズなんですが、ペンタFA135mm F2.8と言うやつです。それに1.4倍の純正テレコンを持って出かけます。
APS-Cサイズに換算すると200mm程度と言う感じですな。

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まずテレコン付けて撮ってみました。絞りも1絞り変わるだけなので、意外と使えますよ。

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本日の本命。しかし、下り普通に被られ撃沈。トホホ・・
ただ、さすが単焦点レンズだけあって、樽や糸巻き収差が全くないですね。

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リベンジしに推進回送を鶯谷まで追っかけます。
ホーム中程に居たので、左から迫ってくる京浜東北が来る前に何とか撮れましたよ。いゃー危なかった。

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山手のチョコレートでも狙ってたんですが、やっぱり駄目。

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ズームレンズ使えば、もっとアングルも広がりそうですが、単焦点だとこんな時は厳しいですよ。

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秋葉原まで、ブラブラ歩いてみました。

Fe4の中でシービーさんが、単焦点レンズで頑張ってますが、やはり自分が動いてアングルを探さなくてはならないので、結構大変でした。しかし、ズームレンズに比べると解像度もボケ味も良いのが分かりますから、一長一短って感じですね。
フィルム時代は、ズームレンズなど買えなかった訳ですから、いつもこんな感じで撮ってたのかを思い起こす出来事でした。

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2009/11/6

455系急行「仙山」  鉄道
急行「仙山」は名前から分かる通り、仙台と山形を結ぶ仙山線を走るなんの変哲もない電車急行でした。
仙山線は昭和53年から在仙の大学に行ってた関係で、在学中に一度だけ撮影に行ってたようです。ただ当時は、かなりのローカル線で、普通列車が1日6、7本と急行が4、5本しか走ってなかったんですよ。そんなんで、今の時刻表と見比べて見ると隔世の感がありますね。
それだけ本数が少ない路線でしたから、撮影にも足が向かなかったかも知れません。

当時、仙台と山形間の移動は都市間バスが頻発してましたから、やはり鉄道利用のシェアは小さかったようです。しかし、冬の降雪期となると、定時運転が見込める鉄道利用が盛り返してたと思います。
沿線には、列車でしか行けなかった面白山スキー場があり、私も良く通いましたねぇー。冬季は旧客編成の臨時「面白山スキー号」も数本設定されてましたし、意外と乗車率も良かったです。これも撮っとけば良かったなー。

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陸前白沢〜熊ヶ根間を走る急行「仙山」。仙セン所属の455系が使用されてましたが、グリーン組込の専属編成が使用されてたと思います。
仙山用455系は先頭部の乗降扉にタブレット保護柵が付いてました。おそらく455系の他では見られない設備ではないでしょうか。

この「仙山」も新幹線開業時に快速に格下げされたようで、意外と短い間しか活躍してなかったようですね。まあ、当時から快速でも良かったような気のする急行でしたけど。

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タグ: 仙山線 急行 455系


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