2010/4/30

花の中央線  鉄道のある風景
やっと天気も落ち着いたようで、昨日も午後からは雲ひとつ無い快晴が戻ってきましたね。
前夜に新橋で飲んだくれてたので出だしはちと遅れてしまいましたが、久しぶりにカメラ担いで出かけてきました。

201系さよならイベントに関連して、JR東日本では久々となる駅売り硬券入場券の販売が始まってます。そんなんで、これも買ってみるかと中央線方面に向かいましょう。既に26日から発売されてる状況から考えると、売り切れもあるかなーとも思ってましたが、最初の下車駅である西八王子についてみると意外と残ってるんですよね。
窓口前には販売状況を示すパネルも設置されていて、日野、豊田駅が売り切れ。それ以外の駅ではまだ販売中のようです。ただ残数に関する記述は無かったので、後は運に任せるしかないですな。
各駅で2500枚の販売なので、通し番号を見れば残りの状況は分かります。昨日の状況ですいませんがここに表記しておきます。
・西八王子駅 2300番台。ここは売り切れまで時間の問題かな。
・高尾駅 2100番台。ここも危ない。
・相模湖駅 1700番台。まだ半数程度残ってます。
・八王子駅 夕方行ったらアウト。
元々全部買うつもりも無かったので、これでお終い。

201系が運用に入ってるとの話は知っていたのですが、この日も入ってるかなーとすれ違う列車を見つめつつ移動してたところ豊田でご対面。ただ、ここですれ違うっても戻ってくるまで2時間近く。まあ、急いでないしゆっくり待ってましょ。

クリックすると元のサイズで表示します
この区間で撮るのは初めてなんですが、フェンスも低いので撮りやすいですな。

クリックすると元のサイズで表示します
祭日なんで2080レも走行中。

クリックすると元のサイズで表示します
線路脇にはまだ菜の花が咲き誇ってます。

クリックすると元のサイズで表示します
この時期いろんな花が沿線を賑わしてくれますねぇー。

クリックすると元のサイズで表示します
やっと来ました。
折角の大月行きなので、このまま続行で相模湖まで移動。乗り換え時間で高尾駅分入場券購入。

クリックすると元のサイズで表示します
相模湖周辺はFe4で何度か来てますが、良い場所はあんまり無いんですよ。
ここで快晴の天気って始めてかな。

クリックすると元のサイズで表示します
八王子で売り切れを味わいどうやって帰ろかなと考えてたら「はまかいじ」が来るとの事。ホリパス利用なので、これに乗り横浜経由で武蔵小杉まで。
185系も久しぶりだし「はまかいじ」も初乗車。普通グリーン車の走らない路線では、500円で乗れる特急は有り難い存在ですね。
さすが国鉄車両と言うか鉄道唱歌のオルゴールも久しぶりに聞いたな。

明日から当社も連休となるので暫し出かけてきます。
皆さまも良き連休を楽しんでくださいませ。

いつもポチ有難うございます。
0

2010/4/27

気動車、混結雑多編成  鉄道
また雨が降ってます。今月はホンと良く降りましたよね。
ゴールデンウイークは陽気も天気にも恵まれそうなので、皆さん一安心ですかね。当社も今年はカレンダー通りに休めそうです。まあ、最後の5日くらいは仕事モードに戻る下準備で出になるかな。

フィルムスキャンしてて、面白いのが出てきたのでネタにして見ます。
今では異形式混結列車と言うのもあまり見られなくなってると思われますが、少し前まではかなりの線区で見られてました。客車、電車は別にして気動車限定の話です。

気動車でも特急・急行に関しては、それなりの設備を持った車両があてがわれていましたので、それ程雑多な形式が混在するケースは無かったと思われます。しかし、こと普通列車に関しては、在籍形式もかなりの数がありましたし、それぞれが併結して運転することに何の問題も無かったのです。そんなんで、形状や塗装の違う雑多な列車が楽しめましたよ。鉄的にも良き時代でしたねぇー。
当然、乗車するとなると好みが分かれたりしてましたが、夏場などは迷わず冷房車で意見が一致してましたね。キハ58の冷房車が1両付いてて、お客が冷房効かないなどと言ってる場合、ちゃんと教えてあげたりしたのも良き思い出ですなぁー。

ただ、気動車の普通列車の場合、客車などに比べると編成が短かったのが常でしたから、凄い混結編成を拝める機会も余り無かったかも知れませんね。
そんな中で拾い出した写真を載せて見ます。

クリックすると元のサイズで表示します
昭和53年、東北線松島付近。
編成が全部写ってないのが残念ですが、先頭からキハ28+キハ48+キハ45・・・と繋がってます。この辺りを走る列車だと4連程度ですかね。

クリックすると元のサイズで表示します
昭和54年、予讃線鴨川付近。
先頭からキハ20が3連+キハ26(55)+キハ28(58)+キハ65と言う6両編成。
出力もマチマチなのに良く走ってますよね。

クリックすると元のサイズで表示します
そして見つかった中で一番凄いやつ。昭和54年、鹿児島線黒崎付近。
先頭からキハ45+キハ26(バス窓)+キハ67の2連+キハ20+キハ26(55)+キハ47の7連です。
キハ67だけ窓が閉まってますから一番乗車率が集中してたでしょうね。きっと。
当時、周辺部に非電化区間が多数存在してた九州北部あたりならではの長編成ですね。

日本全国で良く見られた混結編成ですが、地域性から車種が絞られていた北海道では、この手の混結編成は殆ど目にする機会も無かったように思います。
今やどの車両に乗ろうかなどの楽しみも無くなってしまいましたが、良き時代を体験できただけでも鉄としては幸せでしたね。
まぁーキハ35などは一番敬遠してた形式でしたよ。

いつもポチ感謝してます
1
タグ: 気動車 混結 昭和

2010/4/24

475系 急行「くずりゅう」  国鉄急行
いよいよ来週からゴールデンウイークですね。毎年、休み前は仕事でアタフタしてるんですが、今年は全然ですよ。まあ、たまにはこんなのも良いですな。
この休みは煙に巻かれてくる予定です。

ここの所、出かける機会も無かったのでオンタイムネタが不足中。そんなんで、またアーカイブからの蔵出しネタです。
今回は、米原から金沢を結んでいた急行「くずりゅう」。この列車は昭和46年に乗ったことあるんです。当時、東京から北陸に向かう際、東海道新幹線の米原から北陸線を使うルートが一般的でした。当然、湖西線など出来てない時代でしたから、「雷鳥」「しらさぎ」「北越」などの特急も走ってましたが、まだやはり特急は高嶺の花の頃、乗り継ぎ割り引きでも急行が良いところでしたね。

この「くずりゅう」は、その後の特急「加越」の原形となるような列車で、最後までモノクラス6両の編成で走ってました。当時いくら急行と言えど電車運転されてるやつはグリーン車の連結が有りましたから、かなり見劣りする編成でした。ただ、この編成は料金不要の快速と共通運用を組んでたので、効率を考えると止むを得なかったのでしょうね。

クリックすると元のサイズで表示します
昭和46年米原駅。まだ60Hz識別帯が残ってる頃。
ヘッドマークも大型のタイプで、見た目には立派に見えますよね。

クリックすると元のサイズで表示します
昭和53年頃。既に帯びも無くなりマークも小型化されてます。

クリックすると元のサイズで表示します
昭和51年敦賀付近。くずりゅうと共通運用の快速。日めくり型のヘッドマークでしたから、快速表示も用意されてました。

「くずりゅう」も特急列車大衆化の波を受け「加越」に取って変わられJR化前に姿を消してしまいました。しかし、車両の方は今でも現役で残ってるのですから、リバイバルでも出来そうですね。
そう言えば、昭和46年の時に「こしじ」と言うマークを出した快速もあったのですが、時刻表には愛称名は出てなかったですよね。

いつもポチ有難うございます。
0
タグ: 急行 国鉄 昭和

2010/4/23

愚痴です  仕事のこと
仕事請けたは良いけれど、さっぱり分からん。



アクションスクリプトの泥沼にはまってしまった。
外部の画像データをリンクすれば軽くなるらしいけど、さっぱり・・。埋め込んだらやっぱり重くなってますよね。

恐るべしFlash CS4。もっと使いやすくしてくれー。
0

2010/4/21

ED76の外観に迫る  鉄道
最近は仕事の内容も方向転換して、新たな分野に取り組んでいるのでいろいろと大変です。記述エラーの連発にもう辟易。
今や高いソフト買ってもマニュアルさえ付いてこないので、昔に比べるとサービスが低下しましたよね。

さて久しぶりの機関車ネタです。
九州で今でも活躍するED76。基本番台と1000番台とも現役機ですよね。北海道向けの500番台は一足お先に過去帳入りしてしまいましたが、九州は代替機の噂も無いことからまだ安泰のように思えます。しかし、500番台とは同じED76を名のっても外観も違うし、SG搭載くらいしか共通点を見つけられませんね。

基本番台についても、製造年月による微妙な変化が有るようですから、そのあたりの区分を紹介してみましょう。

クリックすると元のサイズで表示します
ED767号機、次位はED73。一番初期のロットです。
スカート下部が曲面になっていて、ステップの切り欠きも無いですね。

クリックすると元のサイズで表示します
ED7613号機。次のタイプはスカートがストレートになりステップの切り欠きが付いてます。
空気管も増設されてますね。

クリックすると元のサイズで表示します
同タイプのED7625号機。日豊線、日向市〜南日向間。典型的なローカル貨物と言った風。古き良き国鉄時代を彷彿させます。

クリックすると元のサイズで表示します
ED7642号機。次は下枠交差パンタに変更されたタイプですね。ここまでは、金属切抜きのナンバーが使用されてます。

クリックすると元のサイズで表示します
ED7670号機。一般タイプの最終形ですね。
ブロックナンバープレートに変更され、通風孔も1箇所になってます。このあたりの最終形が今でも生き残ってる一族ですかね。

クリックすると元のサイズで表示します
ED761011号機。いわゆる他の機関車同様PF型とでも言うようなタイプ。
1000番台に関しては、一般形同様の製造年月による差異が見られるようですが、写真はこれ1枚しか見つかりませんでした。

クリックすると元のサイズで表示します
そしてモノクロ写真から30年の月日が経過し撮ったED761020号機。
1000番台の最終形で、当初から運転席窓がユニット化されたタイプ。JR貨物には1000番台が今だかなりの数が残ってるのかな。

ED76も見た目には同じようですが、製造時期により微妙な差異が見られますね。関東に住んで居つつも初期形から撮れてたのもラッキーな結果でした。
JR九州所属のED76は定期運用が無くなってしまったので、基本番台に関しては絶滅危惧種に入りそうですな。

いつもポチ有難うございます。
0

2010/4/18

ブルーの103系を集めて見ました  鉄道
この週末は土日とも急ぎの仕事で出勤となってしまった。そんなんで久しぶりの日曜更新。

今まで列車の写真撮って通勤形の写真って殆ど撮って無かったんです。昔は、通勤形以外に撮る対象が多かったし、フィルムの無駄とレンズを向ける事も少なかったんですよね。今や、通勤形も市民権を得たように「さよなら運転」などはマスコミにも騒がれる対象になったと言うのも隔世の感がありますね。
そんな流れに後押しされるように、私のようなオジサン鉄も今や通勤形もしっかり記録し始めた次第です。

さて話は国鉄時代。日本人に好まれる色でまず出てくるのがブルー系ですよね。
101系に代表される新性能化による1色塗装電車の登場。スカイブルーを採用したのは京浜東北根岸線が最初でした。その後、どの位で各地に広まったのかは良く分からないのですが、やはりカラー的に受け入れやすかったのか一番多くの線区で採用されてたようです。
そこで国鉄時代に走ってたブルーの103系を集めて見ました。残念な事に1線区だけは撮影出来ませんでした。果たして何処でしょう?1500番台はクリーム帯が無ければ仲間なんですけど。

クリックすると元のサイズで表示します
昭和47年当時、根岸線は洋光台までしか開通してませんでした。大船開業後この行き先は無くなってしまいましたね。しかし、露出不足も甚だしいですな。

クリックすると元のサイズで表示します
昭和57年。品川〜大井町間。
10年経っても前後のユニットしか冷房化されてませんね。しかし、京浜東北はこの程度しか写真撮ってなかったですよ。

クリックすると元のサイズで表示します
昭和55年須磨付近。東海道、山陽線もスカイブルーでしたね。まあ、京浜東北がブルーでしたから繋がりがあると言えばあるか。
京都〜西明石間を8両で走行。

クリックすると元のサイズで表示します
昭和56年山中渓付近。同じ関西の阪和線。当時は東海道系統と出会う事も無かったので、誤乗防止策も不要だったのでしょう。
今やJR西日本仕様に変わってますが、現役で走ってる唯一の線区ですね。

クリックすると元のサイズで表示します
昭和54年松島海岸付近。これはカラーで撮れなかった失敗写真ですが、仙石線も103系投入と同時にウグイスからスカイブルーに変更されました。

クリックすると元のサイズで表示します
昭和63年南船橋付近。首都圏で2番目のスカイブルーは京葉線で登場。既にJRになってますね。
非冷房車の寄せ集めのような線区でした。

全ての線区、殆ど1枚ものの写真しか残ってません。まあ、結果的に1枚だけでも撮っといて良かったです。しかし、最初の1枚以外は全て走行写真なので、駅撮りは殆どしてなかったようですね。走行写真が困難な京葉線も良くこんな場所に行ったもんです。

いつもポチ感謝してます
0

2010/4/16

国鉄稲毛駅の回想(構内編)  鉄道
4月も半ばなのに寒いですねぇー。さて前記事の続き話です。
鉄友は駅舎の方を撮ってましたが、私の方はやっぱり車両主体のが殆どでした。ただ、レンズの性能も然り、カメラの使い方も良く分からんと言う写真なんで、ピントは甘いはアングルは成り行きと言う代物しか残ってませんでした。

当時、稲毛駅は貨物列車扱いもしており、千葉寄りの専売公社と東京寄りのアルコール工場に引き込み線が出ていました。
今の貨物列車は目的地まで直行運転されてますが、以前は途中駅で目的の貨車を切り離したり、連結したりと、牽引してきた機関車が構内を行ったり来たりの風景が見れたものです。
稲毛もご多分に洩れず、DD51やDE10が構内を行き来してた駅なんですよ。

クリックすると元のサイズで表示します
73系6連の木更津行。昭和46年。
未だ幕張区が出来る前でしたから、津田沼区から出庫し津田沼発木更津行とか佐倉行などが走ってましたね。

クリックすると元のサイズで表示します
同じく昭和46年。EF15牽引の貨物列車。しかし、何処でシャッター切ってんですかね。
電機牽引の貨物列車は直行タイプで稲毛は通過。当時の総武線貨物はEF10、15、80、DE10、DD51と牽引機はバラエティに富んでましたね。
右に写ってるのが、稲毛駅のマスコット協三工業のスイッチャー。たまに貨物入れ換えで動いてましたが、興味が無かったのか写真となるとこんなカットしか残ってなかったですよ。残念だなー。

クリックすると元のサイズで表示します
昭和47年。DE10104牽引の貨物が千葉方面から2番線に到着。早速機関車が切り離され、アルコール工場の引込み線へと貨車を拾いに向かいます。
2両目の貨車は通風車のツム1000ですかね。

クリックすると元のサイズで表示します
この年開業した総武快速線用の113系が通過していきます。
稲毛に止まるようになったのは、かなり後の話です。

クリックすると元のサイズで表示します
2番線に止まるホキ9500。現在の成田空港建設用に製造された公団所有の私有貨車でしたね。
成田駅常備でしたが、空港完成後は青梅線などに散らばってしまいました。

クリックすると元のサイズで表示します
昭和46年。カラーの写真も数枚撮ってましたが、写ってるのは普通の101系ですな。

クリックすると元のサイズで表示します
そして昭和53年。鉄友提供。既に稲毛で一番目立ってた天神家具も売りに出されてます。
左奥に延びる線路がアルコール工場への引き込み線ですね。この踏み切りも係員が操作してたやつですな。

この時以来、稲毛に行く機会も無く年月だけが過ぎてしまいましたが、当時のイメージを残す物などは見つけられるでしょうか。今や複々線高架駅に変わり駅周辺も商業地として発展してるようですし、この写真のような頃があった事が不思議に思えるかも知れませんね。

いつもポチ有難うございます。
11
タグ: 稲毛駅 昭和 国鉄

2010/4/14

国鉄稲毛駅の回想(駅舎編)  鉄道
今回の記事は鉄友とのコラボネタです。
小学2年から中学2年の間、稲毛海岸に住んでいましたので、鉄道利用となると国鉄稲毛駅か京成稲毛駅を利用する事が殆どでした。もちろん、京葉線などが出来ると言う噂も無い頃ですよ。
小学校高学年の頃から鉄道写真を撮るようになってたのですが、やはり興味の対象は国鉄一本槍で、残ってるフィルムにも京成が写ってるカットは殆ど見つかりませんでした。おまけに車両ばかりをメインに撮ってたので、駅撮りではありますが周りの風景やストラクチャーなど見向きもしなかったようです。
その点、鉄友は模型製作などに凝ってたため、当時の駅舎などをしっかり撮ってたんですよ。そんなんで、当時の国鉄稲毛駅の姿をまとめるに至る事が出来たのです。

撮影年は多少前後してるかも知れませんが、昭和46年から53年にかけての記録です。
今や立派な複々線高架駅となってますが、この時代は何処にでもある3線2ホームに駅舎、跨線橋と言う取り合わせでしたね。

クリックすると元のサイズで表示します
まずは本屋口の駅舎です。
この駅前広場から京成バスが当時住んでた稲毛海岸まで走ってましたねぇー。(昭和52年頃、鉄友提供)

クリックすると元のサイズで表示します
右側は小荷物の集荷窓口だったんですかね。(昭和52年頃、鉄友提供)

クリックすると元のサイズで表示します
良くこんなとこまで撮ってたものです。ラッチが並び、自販機は一台しか無いですな。
まだ、窓口で硬券売ってた頃ですね。(昭和52年頃、鉄友提供)

クリックすると元のサイズで表示します
駅前の景色。
今では想像できない程のんびりした田舎の風景ですね。(昭和53年頃、鉄友提供)

クリックすると元のサイズで表示します
駅舎の左はすぐにホームを望める場所。
日中にも御茶ノ水行の普通電車も多く設定されてました。(昭和47年頃)

と今回は駅舎周りの紹介までとして、続けて構内の写真を載せてみようと思います。

いつもポチ感謝してます
7
タグ: 稲毛駅 昭和 駅舎

2010/4/12

南武線の桜名所  鉄道のある風景
この週末は久しぶりに土日とも天気に恵まれましたね。陽気も良くなり生ビールの喉越しも最高ですよ。
桜も何とか持ちこたえたようでしたから、前々から気になってた場所まで行って見ました。

川崎市の桜名所としては結構有名だと思いますが、多摩川の登戸辺りから二ケ領用水路と言う小川が流れてます。下流は武蔵小杉や元住吉辺りまで行ってるようで、所々が川を挟む格好の桜並木が楽しめるようです。
鉄道とクロスする場所は南武線の宿河原〜登戸間になり、車窓からも一瞬ですが、美しい桜並木が見られます。
ほぼ線路と直角にクロスしてるので、果たして写真的に如何かなとも思ってたんですが、近場なんでとりあえず足を運んだ次第です。

クリックすると元のサイズで表示します
ベストアングルは場所的に限定されますが、上り列車に対しては良い感じで撮れますね。

クリックすると元のサイズで表示します
この短い鉄橋の下を屈みながら通れるので、この辺りでは珍しく線路周りに障害物が全く無いのも有り難いです。

クリックすると元のサイズで表示します
既に葉っぱも目立ち始めてるかな。

クリックすると元のサイズで表示します
桜の花びらが雪のように積もってます。風が吹くと桜吹雪になるのですが、列車通過とタイミングが合わないのですよね。よーく見ると少しは写ってるような。

もう今日の雨で見頃も終わってしまったでしょうけど、川縁では宴会してる方々も居ましたので、呑み鉄も楽しめそうですよ。
ただ、走ってる電車は205系と209系だけですけどね。

クリックすると元のサイズで表示します
おまけ。
地元ネタは拾っとかないとと、少し前にマーク付きを撮っときました。
武蔵新城〜武蔵溝ノ口間。

いつもポチ有難うございます。
0

2010/4/9

過去の遺物  仕事のこと
最近は仕事で出かける回数もグッと減ってしまったので、健康の為にも休業日はなるべく歩き回らないといけませんな。明日も散り始めた桜でも追っかけて、ぶらついてきましょうかね。

今日も一日内勤で書類の山を片付けてたところ、懐かしい代物が出てきました。
最近の若いデザイナーさんは多分使った事ないと言うか、存在も知らないかもしれません。私がこの道に入った頃だから25年前位かな。
当時、パンフレットなどの印刷物を作る際は、版下なるものをまず製作しないといけませんでした。この言葉は、今のパソコンで原稿を製作する際にも受け継がれてる言葉ですが、実態は別物になってしまいましたね。
この版下を作るためには、まずラフなレイアウトを手書きで起こします。その中に文字スペースを作るのですが、その際必ず必要になったのが写植級数表なんです。

クリックすると元のサイズで表示します
既に日焼けして変色してますが、透明の下敷きのような物で、文字の大きさに合わせて升が並んでます。


これをラフ画の上に載せて、文字の大きさなどを決めて行く訳ですよ。今や文字のボリュームを表わす単位はポイントだと思いますが、写植の場合は級数で指定するのが通例でした。
ここで、文字組を決めると「書体名、12級、行送り15歯」などと書き込み写植屋に発注します。写植が上がってくると、それをカッターで切り離して、版下用の台紙に貼り付ける訳ですね。
罫線などは、烏口やロットリングなどで台紙に直接書き込んで仕上げます。
今思うと職人芸でしたね。一文字誤植があればその文字だけ打ち直して、カッターで差し替えたりと大変な作業でしたよ。

今やパソコンの画面を見ながら文字も写真も簡単に差し替えられるし、一文字変更になろうが気に留める事さえ無くなりましたね。
0.1mmの直線など誰でも引ける時代が当たり前の世の中で、昔の技量が忘れ去られてくのも寂しい事ですよねぇー。
この級数表も廃棄しても構わない代物ですが、どうも捨てるのは惜しいかなー。

ちょこっとマニアックなネタですが、デザイン屋の懐かしの一品でした。
0


teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ