2010/9/30

2000形引退によせて  鉄道
あまりに仕事量が増えすぎて疲れきってました。やっと一段落したので久々の更新です。
と言っても相変わらずオンタイムネタも無く寂しい限りですよ。

他のサイトで知ったんですが、西鉄の特急車であった2000形が近々引退のようです。まあ、あまり縁の無い私鉄でしたけど、昭和54年に何故か撮影してたんです。
メインは勿論国鉄でしたが、夕方に時間があったのか天神から少し乗って何処かの駅で撮影したカットが出てきました。後にも先にも西鉄本線に乗ったのは、この時1回だけですね。
車両について詳しくは分からないので、写真だけの羅列になってしまう事をご了承ください。

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まだ、特急仕様の2ドアだった頃。関西同様、料金不要のクロスシート特急車は関東者にとっては羨ましい存在でした。
関東の電車を普段見てたので、このスタイルも独特な感じを受けましたね。四つ目ライトも今では一般的ですが、この時代から取り入れてた事を考えると先見の明がありました。
今見ても、かなり縦長な車体イメージを持ってましたが実際は如何なんでしょう。

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5500形。これは今でも現役ですかね。正面非対称のデザインも斬新です。
しかし、夕方の西日で本来の色が出てないな。カクテルのグラスホッパーの様な色合いも好感が持てましたね。

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300形で良いのかな。もう居ないでしょうね。
しかし、この駅は何処でしょう。前後の写真からも判断できないので、一通り乗ってみないと分からんな。

こうやって古い写真が出てくると、同じとこで数十年後の写真も撮って見たくなります。
次回、福岡に行った際には時間作って少し撮って見ようかな。

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タグ: 西鉄 2000形 昭和

2010/9/24

ボンネットが多かった特急「はくたか」  国鉄特急
ここの所、撮影に出かける暇も無く毎日悶々と仕事。そんなんで、古ネタをほじくり返しての記事が続きます。

特急「はくたか」と言うと、首都圏から北陸へ向う最速ルートを走る特急ですよね。今では、越後湯沢で新幹線に接続し金沢まで10本以上の大世帯となってますが、ここでの話は昭和47年から53年にかけての事です。
「はくたか」は「白鳥」の上野編成を分割して誕生した信越線回りの特急ですが、さすがにその姿は記憶にもありません。その後、向日町の485系を使用し電車特急として上越線経由で運転されます。暫くは対北陸間を1往復で孤軍奮闘してましたが、信越線経由の「白山」が誕生しこのルートも選択の幅が広がる事となります。
所要時間では「はくたか」が勝るのですが、何故か「白山」は複数本に発展し、金沢方面への代表の座は受け継がれたような格好になってしまったのかな。
手元に時刻表が残ってないので、その後「はくたか」も複数本に増えたのかも知れません。

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昭和47年頃。東京で関西の485系が見られる唯一の存在。
北陸方面への代表特急として君臨してた頃ですね。

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昭和51年。西日暮里付近。
まだ、向日町の485系編成だったと思われます。隣の115系も懐かしい姿ですよね。

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昭和52年。石打付近。
上越線内、高崎〜長岡間通過と言うのも「はくたか」と「青森いなほ」だけでしたね。

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昭和53年。水上〜湯檜曽。
文字マークも最後の頃。

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昭和53年。水上〜湯檜曽。
この頃から「白山」と共通の489系に変わったのですかね。

当時「はくたか」は撮影にも良い時間帯を走ってたので、181系の「とき」狙いで出かけた際に必ず付いてくる存在でした。
しかし、今こうして見ると両端ともボンネット車ばかりが充当されてた感じですね。今回はボンネットを集めて見ましたが、貫通、非貫通の写真は数枚しか無かったので、そちらの姿の方が貴重なのかも知れません。
北陸新幹線開業の折は、果たして「はくたか」が受け継がれるのか気になる所ですな。

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2010/9/21

EF66ってあんまり撮ってなかった  鉄道
平日は外出ばかりで仕事が一向に進みません。やはりこんな時は、一人親方はしんどいですね。世の中の連休や祭日も一切関係なく働き続けねば追いつかない。

またまた国鉄時代の昔話で、EF66がブルトレの牽引機にならないかなーと皆が思ってた頃です。元々、貨物の高速化に貢献するため造られた機関車でしたから、登場してからずっと貨物専門で使用されてたのは周知の事ですよね。
走行区間は東海道、山陽区間に限定されてたので、この区間内で張ってないと撮れない存在でしたし、貨物用機関車の運用など知る由も無かった状況でした。そんなんで、意外と出会えるチャンスも少なかったようです。
昭和51年頃、東海道線の貨物牽引機はEH10、EF60、EF65が台頭しており、特にEF65基本番台に至っては東北のED75同様またかよと、がっかりする存在でしたね。

そんな国鉄時代に撮ってた数少ないEF66の姿を紹介します。今も残ってるのかはっきりしませんが、また出会えれば嬉しい限りです。

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EF66 7号機。根府川〜真鶴間。
しかし、良くこんなアングルから撮ってるものです。我ながらセンスの無さにガックリ。

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EF66 19号機。新大阪駅。
運転席に庇が付いてないのを写真を見て気がついたやつです。その後に全機付けられたのですかね。

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EF66 29号機。根府川〜真鶴間。
当時のお立ち台から撮った写真ですね。

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EF66 38号機。瀬野〜八本松間。
鮮魚列車ですが短いですな。既に需要も下火の頃かな。

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EF66 42号機。瀬野〜八本松間。
この機関車は「富士・はやぶさ」の牽引機でしたよね。数十年ぶりに撮ってた写真がありました。

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最後は番号見えず。根府川〜真鶴間。
海をバックに撮れた良きポイントでしたね。

その後、EF66はブルトレを牽引し、東海道筋以外の場所にも顔を出し、まさかの100番台の増備と中々運に恵まれた機関車だった事を物語っています。
ただ、あの貨物塗装は基本番台にはやっぱり似合いませんよねぇー。

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タグ: EF66 国鉄 貨物列車

2010/9/17

イラストマークの「はつかり」  国鉄特急
ここの所仕事が忙しくて、撮影にも出かけてません。季節的にも良くなったのに。
連休も無く仕事続きの日々が当分続きそうな気配ですよ。

来月また583系の「はつかり」が片道ですが走るそうです。たまには常磐線回りの「みちのく」でも走らせてくれれば何て思えますよね。
583系の「はつかり」と言えば、列車番号1Mの「はつかり5号」を思い出します。上野16時発で青森まで県庁所在地のみ停車して8時間15分で駆け抜けてたやつですね。埼玉県のみ止まらなかったけど。
全線乗ったのは1度だけでしたが、特急らしさ満点の列車でしたね。ただ当時、上野から手錠を付けた方々が乗り込んでるのを良く目にしたので護送特急なんて言ってたかな。今は一般列車で護送するなんて事は無いんでしょうね。

まあ、そんな話とは関係ないのですが、53年に特急列車のヘッドマークが文字からイラストに変更されました。丁度この頃から仙台で暮らし始めたので、東北筋の特急に関してはイラストマークの写真も撮っていたようです。そんな中から「はつかり」を拾い出して見ましょう。

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槻木〜岩沼間。485系300番台の「はつかり」。
非貫通タイプはマークの面積が大きかったので、しっかり判別できます。

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塩釜〜松島間。
8時間以上の乗車時間でしたから、583系の対面座席よりはこちらの方が良かったですよ。

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松川〜金谷川間。583系13両の堂々編成で走る「はつかり」。
これだけの長時間走行となると食堂車もそれなりに需要もあったでしょうね。

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尾久〜赤羽間。カマボコ型の連結器カバーも583系とはお似合いでした。
583系のマーク表示器の大きさだと、イラストを無理に入れると判読しにくいように見えます。やはりこれには文字だけの方がお似合い。

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槻木〜岩沼間。珍しく大雪が降ったので、撮りに行ったやつです。雪の中でも絵になりますね。

リバイバル運転も時間があれば近場で撮ってみたい気もしますが、かなり混みそうですよね。「かもしか」に付いてるカマボコカバーでも付けてくれないかなー。

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2010/9/14

総武線複々線化工事の記録  鉄道
昨日は1年ぶり位になるかな。お客さんとこ行ってジャラジャラやって来ました。
やっぱ楽しいですね。麻雀の奥深さは何度やっても飽きが来ませんよ。まあ、結果は上手くまとめてきましたけど。
最近の若年層はあまりやらなくなってしまったようですが、昔はこたつの天板を裏返すと緑色の雀卓に早変わりして、ジャラジャラと家族で楽しんでた物です。やはり、床に座る文化が廃れてきた代償なのかも知れませんね。まあ、その前に身内4人が集まる事が出来るかが重要ですな。

本日のネタは、そんな時代だった昭和46年頃の写真です。
46年と言うと39年前ですね。もうそんなに経ってしまったのか。
東京から千葉方面に向かう総武線も輸送力増強のため、単なる複線から複々線への工事が開始されました。そして昭和47年に無事総武快速線が出来あがり、錦糸町から津田沼間が複々線として生まれ変わったのです。そんな過度期で、複々線の工事が始まって地平線から従来線が高架へ切り替わった頃の写真を少し撮ってましたので紹介してみます。

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この位置関係から見ると、錦糸町方面に向かう電車から千葉方面に向かう急行「そと房」を後追いで撮った写真ですね。しかし、どこの駅間かが特定できません。奥に見えるビルの看板でも読めれば分かりそうですが。
まさに快速線の高架工事真っ盛りと言った雰囲気です。

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西船橋に到着する辺り。この区間は地平でしたから、比較的早く完成していたようです。先に完成した快速線部分を西船橋折り返しの引き込み線として利用していました。
貨物駅は今や面影さえありません。

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右に見えるのが地平ホームだった船橋駅。この写真見て思い出しましたが、東武野田線とは改札無しで結ばれたんです。一番奥に見えるホームが東武のホームで国鉄ホームと跨線橋で結ばれてます。
跨線橋の奥にも目立った建物も見えませんね。

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完成したばかりの高架船橋駅に入ってくる快速。101系の成田〜中野快速ですね。
津田沼方面を見た写真ですが、今撮るとバックの景色は全然違うんでしょうね。今度撮ってみようかな。

当時は車両写真を中心に撮ってたので、このような周辺の雰囲気が分かる写真は数少なかったです。実際は東武の写真など撮った覚えがあるのですが、ネガが見つかりません。しかし、こうして今改めて眺めて見ると思い出す事も多い物です。

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2010/9/11

昭和51年、塩尻へ撮り鉄旅  鉄道
久しぶりに時間が空いたので、昔のネガをひっくり返してたら移動中の写真もしっかり記録してたフィルムを見つけました。
普段は出掛けた先の列車走行写真しか撮ってなかったもので、移動経路や日時さえあやふやな写真ばかりなんですよ。

写真点数が多いのですが紹介してみます。
昭和51年の2月15日に出発して翌日には戻ってきました。タイトル通り、中央線の塩尻まで普通列車で往復した訳ですが、塩尻駅周辺で撮っただけで終わってるのは乗るのを優先した計画だったのかも知れません。

当時、首都圏から普通列車の夜行便が設定されてたのが、東海道の347M、上越の733M、そして今回利用した中央線の441Mが存在していました。上越以外は数回お世話になってますね。

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まずは新宿駅。左の165系は23:20発の信濃森上行「アルプス7号」で、その隣が23:55発の長野行普通列車441Mです。この列車、新宿入線時間が何と2時間以上前なんです。今だったら考えられない事ですよ。
この他にもアルプスが夜行設定されてましたから、夜行列車黄金期の頃ですかね。

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当時は新車だった115系300番台もまだサボ利用でしたね。
撮っといて良かったかも。

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途中までは通勤客も居て立ち客も多かったですが、甲府に着く頃には1人ワンボックス程度まで空いてきました。
甲府2:57着。約20分程度の停車時間。

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殆ど眠れるはずも無く、空が白み始めた上諏訪に到着。5:58着。
441Mはここで1時間近く停車。奥に写ってる飯田線、中部天竜行が先行しますが、塩尻は通らないためじっと待機。

上諏訪発6:46、中央線の1番列車となり松本へと向います。
塩尻着7:41。新宿から約8時間近くかけてやってきました。2月だと言うのに雪も無いですね。きっと暖冬だったんでしょう。
そして駅近くで撮影開始。

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貨物の時間など分からなかったので、後追い写真になってしまったよう。
EF64はこの辺りにしか居ない機関車だったのですよ。

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上松から松本へ向う821M。中央西線は80系ばかりでしたね。

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新宿行「あずさ2号」。幕張の183系で運転されてました。

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長野行「天竜2号」。辰野で上諏訪発と天竜峡発が合体し、その後塩尻で中津川発の「きそ1号」を連結。この辺りは電車でも多層立てが見られましたね。165系もまだ冷房無しが付いてます。

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1227M松本行。大糸線の出稼ぎ運用ですね。クハ55は都落ちの旧国かな。

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名古屋行「きそ1号」。神領区の165系は非冷房車も多かったんですね。

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長野行「しなの1号」。381系はこの時初めて撮ったかも知れません。

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最後にEF64がたむろする塩尻運転支所へ。当時は機関区じゃ無かったんですね。

ここでフィルムが終わってるんですが、果たして何処かに寄り道とかして帰ったのか覚えてないんですよ。
まあ、短時間でこれだけの車両が撮れる時代でしたから、ホンと良き国鉄時代でしたねぇー。

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2010/9/8

千葉のキハ35 900番台  鉄道
こんな日に外出とは。丁度3時頃に神楽坂に居たもんだから、土砂降りの雨の中ずぶ濡れになってしまった。
久しぶりの雨は有り難いものですが、何もそこまで降らなくても。

さて古ネタに戻りますが、先日Fe仲間のつばささんがキハ35の900番台を紹介してたので、便乗しちゃいます。
この900番台は、今じゃ当たり前に見られるステンレス車体ですが、当時としては珍しい存在でした。やはり素材がステンレスなので加工はし難いし、高いしと当時は一般的では無かったですね。
主に海沿いを走る千葉県内各線で塩害対策用として開発された車両だと記憶しています。最も今では加工技術も向上してるし、メンテナンスフリーを考えると塩害云々も関係無くステンレスを使う時代になったかな。
まあオッサン世代だと国鉄のステンレス車体で思い浮かべるのは、EF30かこの900番台ってとこですかね。

写真はまだ房総西・東線時代の昭和46年頃に撮ったやつです。
47年に現外房線が電化され、気動車王国と言われてた千葉気動車区も縮小されかなりの数の車両が転属していきました。この900番台もいつまで千葉に残っていたのかは分かりませんが、最終的にはつばささんの記事を見て分かる通り川越、八高線系統に転属して行ったようです。

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キハ35 905。千葉気動車区にて。
既に正面には赤帯塗装がなされてます。学校が終わると良く気動車区に見学に行ってたものですよ。今じゃ考えられないですよね。

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キハ35 910。千葉に停車中の房総東線普通列車。
屋根の上の方までコールゲート加工がなされてます。

実際のところステンレスの900番台が連なる編成とかは見られませんでしたし、一般車と共通運用に収まってたようで、実用化も見送られた結果となったようですね。
901番が横川に保存されてますが、折角のステンレスボディ、無塗装状態で展示して欲しい物です。

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タグ: キハ35 気動車 国鉄

2010/9/5

18切符最後の1回で日光へ  鉄道
夏の18切符、有効期限内で最後の週末。1回分残ってたんで、その消化に向ったのは日光駅。まあ、距離的にも時間的にも行き易い所ですかね。
実は今だ東武も含めて鉄道利用で日光に行った事は無く、JR日光線も初乗りなんですよ。そんなんで久々の新線踏破となりました。

ただ乗るだけじゃつまらないので、行きがけに途中下車して少し撮ってきます。新白岡で下車し白岡方面に歩いて見ましたが、線路脇のフェンスも高いし全然撮れる様な場所が無いですね。これからはもっと撮れる場所が限定されるのでしょう。

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結局のところ、いつも撮ってた陸橋脇まで到達。残暑と言いつつも稲は頭を垂れ始めてますね。
この日も炎天下状態でしたから、これ以上粘る気力も無くなり白岡駅へと足を進めます。

再度、下り普通列車に乗り込み宇都宮へ。
日光線はおよそ1時間に1本しかなくて、乗車してる列車到着の数分前に出発してしまい、結局1時間近くの待ち時間。しかし、宇都宮駅に降り立つのも何十年ぶりかでしょう。
駅前で時間潰して11:39発の日光行に乗車。日光線色の107系4連は座席が全部埋まる程度の乗車率。ネタが急行型の165系なんで走りの方は結構な感じ。ただ冷房機まで流用してるので、猛暑にはちと効果が薄れてますね。40分ちょっとで日光着。
駅直前に上から撮れそうな歩道橋を見つけ、折り返し列車を撮りましょう。折り返しまで6分しか無いので急ぎます。

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左奥に東武日光駅が見えます。JR駅は歴史を感じさせますが、周囲は寂れてる感じ。

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意外と周囲の風景にマッチする塗装ですね。

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貴賓室や一等待合室も公開中。風格ある駅舎です。
貴賓室公開記念の硬券入場券も発売中。6月から売ってるそうですが、まだ継続中ですよ。
日光も中学の修学旅行以来なので、世界遺産を一通り巡って来ました。

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紅葉の頃は綺麗でしょうね。

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一度やって見たかった流水構図。最大絞りでスローシャッターを切ると水が流れてる感じが出ます。NDフィルターでも無いとさらなるスローシャッターは切れませんね。

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東武は、かなりの運転頻度。
駅名票もレトロ調と言うか、特別な物に変えられてます。

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駅構内は広く昔は貨物扱いもあったのでしょう。今は単線を電車が往復するだけの寂しい限り。

上りの宇都宮行もそれなりの乗車率。駅前で遅い昼食と生ビールを頂いたもので、すぐに熟睡モード突入。
宇都宮からは湘南ライン1本で武蔵小杉まで行けるので楽になったものです。ただ、如何せん普通なので時間もそれなりで、缶チュー2本も飲んでしまった。

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2010/9/1

サンライズ出雲・瀬戸を撮影  鉄道
東京も熱帯に属すると思えるほど暑い日々が続いてますね。9月の初っ端から猛暑日とは一体どうなってるんでしょ。

東京駅発着の唯一寝台列車として走ってる「サンライズ出雲・瀬戸」ですが、最近やっと併結、単独編成含めて撮影する事ができました。と言ってもマークは無いし自己満足でしかないのですけど。
583系を受け継ぐ285系。大きな違いは昼間は寝ているってとこですかね。まあ登場時の時代背景も違いますし、昼間の働き口を捜そうとしても中々見つかりそうも無いですよね。しいて探せば個室グリーン設定で間合い使用が出来なくもないか。

「サンライズ瀬戸」は今走ってる定期列車の中で最も多くの会社線を跨いでるんですね。JR東日本、東海、西日本、四国と4社間を通ってますが、九州ブルトレ廃止の件もこの辺の事情が絡んでいたようなので、先行き不安な要素もありそうですな。

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「サンライズ出雲・瀬戸」の併結編成。
先日、久しぶりに多摩川鉄橋で撮ってきました。6時台の通過ですが、まだ日が長いので余裕で撮れますよ。14両編成も堂々たるものです。

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「サンライズ出雲」東松江〜松江間。
限定使用なんでマークが無いのも分かりますが、撮る方としてはちと寂しいですね。

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「サンライズ瀬戸」高松付近。
先日の四国遠征で撮ったカットです。車両主体で撮ったのは初めてかな。
内側のライト2灯は黄色のフォグライトに見えます。

夜行列車なんで撮影出来るのは末端区間に絞られますが、運良く撮影機会があり記録できたのはラッキーな事ですかな。
しかし、乗る機会を考えると中々無さそう。昔の下り「銀河」と同様のスジで神戸辺りに早朝でも止まってくれると出張でも使えるかなーとも思えるんですが。

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