2010/12/31

千葉気動車区の思い出  鉄道
今年もあと僅か。これが本年最後の記事となるでしょう。
毎回多数の方々にご高覧頂き有難うございました。

さて今年の締めは、またまた古ネタとなります。
やっとフィルムスキャンの方も進んできましたので、ここらへんで懐かしの千葉気動車区を紹介してみましょう。
若い方々にはあまりピンとこないでしょうけど、昭和50年3月改正まで稲毛、西千葉間に存在したのが千葉気動車区です。現在、該当区間は複々線高架橋に姿を変え、ここに広大な気動車区があったと思わせる遺構を探すのも大変な感じです。しいて言えば、稲毛の千葉寄りに残る元専売公社の倉庫が当時のまま残ってるだけですね。しかし、この倉庫も役目は終わってるようなので、近々無くなるとの噂も聞きます。

今回紹介する写真は、総武快速線開業前の昭和46〜47年頃にかけて撮った写真です。
当時まだ房総西線、東線の時代で、千葉管内の優等列車は急行のみ。千葉以遠の電化区間は成田と房総西線の千倉まで。それ以外は気動車や客車が活躍してました。そんなこともあってか、千葉は気動車天国とか言われてましたね。
もっとも今でも、首都圏最後の113系が残る地区ですから、何かと話題には事欠かない場所なんですよね。

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稲毛方から西千葉方面を見た所。
10系、20系、30系、40系と多種な気動車が揃ってました。小学生が突然行っても見学OKと言う有り難い時代でしたよ。

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都心部に向う緩行は101系でしたが、津田沼電車区からの出入庫を利用した津田沼〜千葉間の普通にはまだ73系が活躍してました。

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房総東線を走ってた急行「そと房」。急行はキハ28が基本でしたが、たまにキハ26何かも挟まってました。

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北国から転属してきたやつですかね。スノウプロウ付きのキハ20。
そう言えば、いすみ鉄道にキハ52が走り始めますが、当時の千葉管内にはあまりキハ20系って居なかったですよ。

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稲毛寄りの洗浄線。キユニ19+キニ17が見えます。

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昭和47年秋に運転されたC571も千葉気動車区を利用。
もう既に銚子方面のみの気動車区でしたから、車両も少なくなり寂しい限りです。
しかし、この時は誰でも構わずここまで入れましたから、かなりユルイ感じかな。

小学生の遊び場と言っては失礼ですが、度々出没しては快く見学させて頂き今でも感謝しております。
現在では、余程の事が無い限り現場を見学するなんて事は出来ないし、今思うと本当に良き国鉄時代だったんですね。

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タグ: 千葉 気動車区 国鉄

2010/12/26

特別快速「おくたま」  鉄道
クリスマスも過ぎて残すところ今週で今年も終りですね。過ぎてみれば早いもんです。
ここのところ忘年会続きで、かなり酔ってる時間が多くて・・・明日もですよ。
まあ、自由業なんで仕事の方は30日で終りって感じですかな。

さて、今回の写真はアーカイブの中でもかなり古い類の物です。確か昭和46年頃撮影したやつですね。まだ形式云々も今一つ良く分からん小学生でしたから、今掘り返して紐解いてる次第ですかな。
今でもハイキングシーズンを中心に東京から奥多摩方面に向う、ホリデー快速「おくたま」が運転されてますが、言わばその元祖ですかね。
当時は奥多摩行きと御嶽行きの単独運転があって、それぞれ「おくたま」「みたけ」のヘッドマークを付けて走ってました。車両は中央線の101系を使用してましたね。
全て新宿発着で中電と同じように新宿を出ると立川まで停まらず、本線系統の特快とはかなり趣きが違う感じかな。客層も当然ながらハイキング客ばかりでした。

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確か鳩ノ巣駅だったと思われます。
当時101系には新宿の字幕は無かったので、行き先札をぶら下げてますね。青梅線はまだ全て旧国で運転されてた頃。

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交換の下り列車は、クハ55を先頭にした4連。
関東では意外と早く消滅してしまった形式のようですね。あまり詳しくないもので。

そして時代が過ぎ、昭和51年頃からED16を追っかけて青梅線を右往左往してたんですが、その頃は全くこの快速を撮って無かったんですよね。まあ、学生でしたから平日に出没してた影響かも知れませんけど。
その後ヘッドマークもイラスト入りに変わったようですね。

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2010/12/22

岳南電機まつり  鉄道のある風景
忘年会の記事を先に出してしまいましたが、実はこの日朝から岳南鉄道へと出向いてたんです。
18日は「岳南電機まつり」と称して土曜にも係わらず、イベント的に臨時貨物列車の運転が計画されてました。以前に2度ほど沿線撮影には行ったものの土日だったので、本線運転の貨物を撮るチャンスには恵まれず電車しか撮れて無かったんですよね。
そんなんで、かなり前からこりゃ良いわと話を進めてた訳ですよ。

当日は1.5往復の臨時貨物列車が設定されており朝一は重連とのことなので、これは外せないと新幹線利用で吉原まで向います。
鉄友、シービー御大と列車内で落ち合う段取りでしたが、また悪い癖が出たのかシービー御大は前日の深酒で遅刻するとのメール。まあ、良くある事なんですけど・・
鉄友は贅沢にも指定席なんぞ乗ってるらしいので、結局三島駅のホームで顔合わせと言う結果でした。
その後、普通を乗り継ぎ吉原着。

やはり首都圏近辺で行われるイベントとは違い、来てる人たちも全体的に年齢層も高い感じですし、あまりギスギスした雰囲気はありません。まあ、撮る方としては有り難いのですが、企画してる鉄道会社にとってはもっと集客して少しでも収支アップが欲しいところですよね。
最初の下り列車は富士山に向って来るので、コラボアングルはちょっと無理。おまけに逆光なんで、あまり人が居ない場所で待つ事にします。

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素の姿で運転してくれるのが一番ですね。
最近は、この手の小型D型機が魅力的な存在なんです。ワム80000も結構な両数繋がってましたよ。

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逆側を向くと、富士山バックの順光。
この日は天気も最高で一日を通して富士山は顔出してました。

2本目の上りまでかなり時間が空くので、東海道線の撮影でもと移動。ここでやっとシービー御大が登場です。

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同じ貨物でもスピードが速い事。しかし、冬晴れだと影の処理が大変ですねぇー。

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再び岳南に乗り比奈へ。
ここがイベント会場的な場所かな。まあ、のんびり撮れましたよ。
しかし空が青すぎて全体に青被りしたような感じになってしまった。

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2本目の上りはPP運転。
貨車の両数が分からなかったのですが、何とか後ろまで収まりました。途中の富士山バックの場所は人が多くてパス。

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丁度上手い位置に停まったので富士をバックに。
しかし、造成地のブルーシートがいけませんな。

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最後の下りは、ワム、コキの混成と言う凝り様。
手前が東海道線なので被りが怖かったですが、何とかクリア。

今まで、イベント的な旅客列車は多々ありましたが、特別仕立ての貨物列車を走らせるなんてのは初ではないでしょうかね。オッサン的にはこんな企画は大歓迎です。
何か益々、中小私鉄の機関車に惚れ込んでしまいそー。

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タグ: 岳南鉄道  富士山

2010/12/19

鉄系忘年会  分類無
朝が寒くなりましたねぇー。
昨日は久しぶりに朝っぱらから撮り鉄に行ってまいりました。
まあ、その模様は後日紹介するとして、夜の部に執り行なわれた「鉄の集い」について書き留めておこうと思います。

毎年恒例の鉄系忘年会なんですが、ここのところ私が幹事を請け負っており今回は渋谷の馴染みの居酒屋での開催となりました。
元々のスタートは鉄ブログにて知り合ったオッサン4人から始まり、その後少しずつでも輪を広げていった経緯です。
同好の趣味での集まりですから、普段のオッサン世代飲み会とは違って仕事の愚痴から家庭、病気等々の話題は一切出て来ません。そんなんで、かなり健康的な飲み会である事は間違いありませんよ。
まあ、飛び交う会話は普通の人たちには理解されない所ありますけど。

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一次会は渋谷の居酒屋「多屋」さん。魚料理は絶品ですよ。
左からシービーさん、鉄友、瑞穂さん、takeさん、つばささん、今回初参加のまつしまさん。そして私は撮ってます。
話は弾むもんで、あっという間に3時間が過ぎてしまった。
前回まではこれでお開きとなってたんですが、ホームグランドの渋谷と言うことで、二次会もしっかり準備。

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「スナック白川」さんにてカラオケ大会でもと思ってたんですが、別の団体さんが入ってたのであまり歌う機会を作れず御免なさいです。普段は殆ど歌い放題なんですけど・・。
しかし、皆大笑いしてますが、モニターに写ってる「生きることが辛い・・苦しい・・」とかが全然関係ないと言う面々って訳でも無いんですよ。いゃー上手いとこで撮ったもんだ。

来年も新たな仲間が参加してくれる事を望みつつ懲りずに続けていければ、なんて思ってます。

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タグ: 忘年会 趣味 宴会

2010/12/16

481、485系「にちりん」  国鉄特急
もう残すところ半月ですね。年賀状も買ってないし・・、段々と焦りつつあります。
仕事での外出の機会も少なくなったので、そろそろ掃除やら始めようかな。

また昔話に戻ります。
前記事で特急「にちりん」気動車編は紹介済みなので、今回は電車編です。
この電車「にちりん」も当時のバイトの関係で撮る機会の多かった列車でしたね。ただ、日向市近辺に偏ってたので、非貫通200番台ばかりと言う結果でしたけど。
毎度の事になりますが昭和50年頃から数年の記録だけしか残って無いので、その時代の話として進めます。昭和50年に山陽新幹線が全線開業し、山陽路を走る在来昼行特急が姿を消し九州内を走る特急も博多を中心に走り始めた頃です。

49年には2往復しかなかった「にちりん」ですが、博多開業時には一気に7往復まで増発され、非電化区間を走る1本のみキハ82で運転。それ以外は全て481、485系による運転でした。
当時の国鉄は全国規模で車両転属が日常的に行われてたので、増発分をまかなうため各地から車両を集めて「にちりん」を組成したようです。確か九州には新造車を直接投入した実績って殆ど無かったような気も。

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宮崎「にちりん」は非貫通200番台ばかりでしたね。
小倉〜宮崎で5時間半の所要を考えると食堂車があっても不思議じゃなかったですが。

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485系11両は当時でも堂々たる編成でした。門川〜日向市間。

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よくよく見ると、電気連結器・自動解結装置付きの先頭車。
元青森区の車両ですかね。

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そして、53年以降のイラストマーク。
「にちりん」をイラスト化するのも大変だったでしょうね。

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481系「にちりん」。赤スカートはこの後、常磐線「ひたち」に転属するとは思いもしなかったですよ。
ボンネット編成も11連だったのか、良く分かりません。

特急「にちりん」の愛称は今だ健在ですし、九州新幹線の影響も受けないでしょうし、これからも安泰の列車と見てます。
ただ、現在の姿を1枚も撮ってないので、早めに押さえておきたいとこですな。

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2010/12/13

またまた鶴見線へ  鉄道のある風景
ここのところ週末は天気も良くて撮影日和が続いてますねぇー。
そんなんで、昨日はFe仲間のシービー御大と鶴見線沿線へと出掛けてきました。「開業記念パス」の販売も今週末で終りですから、駆け込みで行かれた方々も多いのでは。
前回は無かったのですが、今回は購入するとピンバッチが付録で付いてましたよ。

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南武支線はヘッドマーク付き編成が入ってました。尻手駅。

特に行程は考えて無かったので成り行きまかせでスタート。
まずは川崎新町で貨物でも撮ってと移動しましたが、シービー御大のカメラ電池切れが発生し急遽川崎まで戻るというハプニング。
改めて川崎駅より臨港バスで鶴見線扇町駅までショートカットで移動します。
扇町駅に向う川22系統のバス路線は土日でも10分間隔で走ってるので、扇町で途方に暮れる事もないですよ。しかし、目的の鶴見線を走る列車は1時間以上無しでしたけど。
前回の課題としてた運河を渡るアングルを撮りたかったので、昼飯とアルコール補給を兼ねてコンビニで時間潰してたら、またもや列車が通過してしまった。懲りないですねぇー。

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本来なら乗車予定の鶴見行を撮影。晴れると逆光なんです。

そのまま、浜川崎まで歩いてやっと目的の鶴見線に乗車します。
浅野で乗り換え海芝浦へ。戻りの列車は次の新芝浦で途中下車。浅野までの1駅分をロケハンしつつ歩いてみます。

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昔は新芝浦でこんな感じを撮れたんですが、今はもうダメですね。

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浅野駅から本線系統の列車を。PM4時前でもうこんなに暗い。

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昭和53年頃の同じ位置。緑が思いの他少ないです。
ただ、線路はどれも光ってるのが印象的かな。

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浅野〜新芝浦間。もう暗すぎて・・
港湾用のガントリークレーンを入れたかった。

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鶴見駅でやっと記念マーク付きをゲット。後で気づいたんですが、前後でマークが違うんですね。撮り忘れた。
まあ、飲むのが大好きなオッサン同士ですから、その後は川崎で居酒屋巡りとなったのは言うまでもありません。

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おまけ。扇町の駅ネコ。

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2010/12/9

急行「十和田」  国鉄急行
前記事から続けてきた青森〜上野間を走る急行列車紹介もこれで最後。
ちょっと整理してみると、東北線経由「八甲田」、東北・奥羽線経由「津軽」、そして今回紹介する常磐・東北線経由「十和田」の3系統が存在してました。もちろん時代は偏ってますが、昭和50年から53年頃までの話です。

急行「十和田」は定期2本、季節1本と3系統の中では最多本数が設定されてました。ただ、編成的には座席比率が高くて、寝台を含む編成は定期の1往復のみでしたね。
しかし、何故か早い時期に格落ちした20系の編成が充当されて一機に寝台化され、急行編成としては豪華な物に変身。折角なんでこれが充当された時期に、帰省の際狙いを定めて仙台〜上野間のナハ21自由席を利用した事を思い出します。
しかし、A寝台の昼間利用を転用したので、ボックスに4人座るとかなり狭かった印象が残っていて、これなら12系の方がましだとその後乗る事は無かったですけど。残念ながらこの頃の写真は撮っていませんでした。
おまけに、当時常磐線内で撮影する機会も殆どなかったようで、この「十和田」に関しては全て推進回送の写真だけと言うオチです。

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EF8012推進の上り「十和田1号」。
寝台なしのオール座席編成。ロザ1両以外は全てハザですね。

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EF8020推進の上り「十和田2号」。
こちらは「津軽」と同じような編成。時刻表見ると一通り揃ってる当時の夜行急行の典型的な編成ですかな。

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同じく20号機推進の臨時「十和田」。季節運転の上り「十和田3号」が12系でしたから、多客期に走る臨時の方がはるかにグレードが高かったんですね。
乗客はどんな車両か知る由もない時代でしたから、運次第ってとこがありましたね。

結局「十和田」はこの程度の写真しか残ってなかったようです。
しかし、この「十和田」は急行にも係わらず常磐線内の停車駅が少なくて、特急「ひたち」が小まめに停車する駅も飛ばして走ってたので、青森急行の中では一番貫禄があったようにも思えます。
上り1号は仙台を出ると相馬、原ノ町、平、水戸、土浦にしか停車しなかったんですよ。

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タグ: 急行 国鉄 十和田

2010/12/6

貨物列車三昧  鉄道のある風景
先週で仕事の方も一段落したので、やっと日曜日はゆっくり出来るようになりました。
朝から雲ひとつない快晴でしたから、少し近場の撮影場所でも開拓して見ようと出掛けて見ます。

まあ、撮るんだったら機関車が良いなと思い、まずは効率の上がりそうな品鶴線と尻手短絡線が交わる辺りに。先日、横須賀の車窓からススキの群生が綺麗だったので狙いはつけてました。
旧新鶴見操車場跡は広大な空き地になったままですから、自然にススキが繁殖したんでしょう。ただ、ここもマンションのモデルルームが建ってたので、いずれ近いうちに建設が始まりそう。撮れるのも今のうちですかね。

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EF651057、2077レ。完全逆光なんですがススキの穂が白飛び気味に撮れるので、季節感出すには良い感じですよ。

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EF200-5、2099レ。短絡線から来るのは、えらくスローで走ってるので撮り放題です。

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EF210-131、4093レ。道路橋もフェンスが低いので、どこからでも撮れます。

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EF66133、列車番号不明。まだ、風の影響か遅れて走ってるのもあり。
ダイヤグラムを見ると、これで一段落。運動不足解消とばかり、家まで歩いて帰って見ることにしましょう。

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途中の新鶴見機関区も覗いて。EF81が停まってた所はEF510に変わってました。

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新鶴見信号場には次々と貨物が入ってきます。
EF6652がコンテナ切り離し後、単機で武蔵野線方面に走り去って行った。

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EH200-12、列車番号不明。北から来る貨物は、この日全くダメのよう。

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線路脇にこんな公園も出来てたのね。機関車の付け替えだけ見てても飽きませんよ。

新鶴見界隈で見られる機関車の種類は日本中でも一番ですね。
この日はEH500が来ませんでしたが、1日張ってれば大半の種類は押えられそう。

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タグ: 機関区 新鶴見 貨物

2010/12/4

「SLダイヤ情報」最終刊  鉄道
昨日は大風の影響をもろに被ってしまい、仕事もスカってしまった。
そんなんで、幕張メッセまで到着できずに折り返してくると言う惨憺たる結果でしたよ。

久しぶりに実家に寄ってきたら懐かしの「SLダイヤ情報」を見つけたので、ちょこっと紹介してみます。
今では「鉄道ダイヤ情報」として毎月発刊されてますが、その元祖となる雑誌が「SLダイヤ情報」だったんです。発行も年2回だけで、まだそれほど売れ筋ではなかった感じですかね。
国鉄の営業用蒸気が消えると同時にこの雑誌の存在も気になってたんですが、そのまま電機などに移行した人たちもあり安泰だったようです。

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懐かしいと思う方々は、半世紀を過ぎてる世代でしょうかね。
昭和50年10月時点で、蒸気は北海道の滝川、岩見沢第一、追分のみに残ってるだけでした。
しかし、この時代の750円は意外と高価な雑誌だったんですね。

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室蘭本線、蒸気牽引列車の時刻を抜粋。
まだまだ、D51牽引の貨物が大量に走ってますね。いゃーこんなの見てるとこの頃に戻りたいですよ。

しかし、この後一気に無煙化が進み12月には最後のD51が夕張線を走り国鉄線から営業用蒸気は終焉を向かえたのです。ただ、年内には全て引退と言われてた蒸気ですが、追分の入れ換え用に残ってた9600だけはDE10が間に合わなかったのか、翌年3月まで残存されてました。
結局、この最終号を買ったのですが営業運転には間に合わず、最後の9600を撮るだけに終わってしまったと言うオチでしたけど。

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昭和49年12月。C57135牽引の223レ。
室蘭線非電化区間は、まだ全列車蒸気牽引でしたね。

編集後記には、飯田線にED62が入線したのでED19に休車が出てますと記されてます。
私ゃそれを見て次は伊那松島だと、方向転換したんですよ。

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タグ: 国鉄 昭和 SL

2010/12/1

急行「津軽」短編成バージョン  国鉄急行
東北急行の続きとして並べて見ます。
時代的には昭和50年頃からの写真です。急行「津軽」は奥羽線回りで上野と青森を結んだ急行で2往復が設定されており、今回紹介するのはハザ1両、Bネ2両を減らした短編成タイプとなります。
この短編成タイプは上野到着時間も10時台と遅く、比較的撮りやすい時間でしたから枚数も残っていたようです。フル編成は6時台着でしたから、やっぱり撮ってる枚数も少なかったですね。青森着も短編成は12時過ぎでした。

前記事で紹介した「八甲田」が11時間で走るのに対し「津軽」は13時間以上かかってましたから、北海道連絡と言うより東北内旅客を意識した列車で有った事が想像できます。まあ、青森「あけぼの」の補完列車と言う位置付けですかな。

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EF5870牽引「津軽2号」推進回送。西日暮里にて。
この70号機、意外と良く撮ってたゴハチでした。

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EF5884牽引「津軽2号」。日暮里付近。
時刻表ではフル編成と同等の表記ですが、実態はBネ、Aネ、ロザともに各1両しか連結していません。

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EF5889牽引「津軽2号」推進回送。西日暮里にて。
もう少し編成の分かるような撮り方とかしとけば良かったなー。
ここまでが、53年改正前の姿ですね。

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53年から仙台に住んでたので、交流区間の写真だけに。
昭和55年からスロも無くなったようなので、その頃の写真ですかね。マニ、Bネ、Aネ以外は12系座席に変わってます。
「津軽4号」豊原〜白坂間。

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ED75763牽引「津軽1号」。追分付近。
荷物車は秋田切り離しで運転。
結局、この写真が津軽を撮った最後の写真。その後の記録はさっぱり歯抜けでした。

結局一度も乗ることも無かった列車でしたし、奥羽線も今だ羽前千歳から新庄までの区間が未乗で残ってる状態です。
今や標準軌も挟まってるし、通しで運転されてた事さえ昔話になってしまいましたね。

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