2011/2/27

特急「あけぼの」20系時代  国鉄特急
次の週末は連休を取って高飛びするので、休みなしで仕事してます。まあ、それほど忙しい訳でも無いのですけどね。

さて、今でも現役で走ってる寝台特急「あけぼの」ですが、昭和55年までは20系客車にて運転されてました。確か定期としては20系最後の特急であったと思います。また、EF65PF型が最初に登用された列車でもありましたね。
昭和48年頃までは「ゆうづる」と共にヘッドマーク付きの機関車が牽引してましたが、その後、東京口以外のブルトレは全て省略されてしまったのも有名な話。まあ、上野口に現れる機関車は汎用的に使われブルトレから貨物まで多岐に渡った影響もあるのか、国鉄末期の合理化のやり玉になってたかも知れませんね。
そんな意味では、昭和50年前後って一番面白味を感じない時代でもあったのかな。しかし、その後の特急イラストマーク化に伴い機関車マークも復活を遂げましたが、20系「あけぼの」時代に間に合ったのかは良く分らないところです。

クリックすると元のサイズで表示します
昭和48年、上野駅。ボロボロのマークですが、付いてる方が特急らしいですよね。
49年までは上り1、2号がホームを挟んだ7、8番線に並んでました。

クリックすると元のサイズで表示します
昭和51年、日暮里付近。上り1、2号は5分程度の差で上野に到着。しかし、宇都宮のPFは汚れが凄かったですよ。

クリックすると元のサイズで表示します
西日暮里付近。開放A寝台を2両連結してるのも「あけぼの」の特長でしたね。

クリックすると元のサイズで表示します
昭和52年、蓮田〜白岡。EF65は黒磯からの牽引なので、雪を纏って上る姿は中々見られなかった。

クリックすると元のサイズで表示します
昭和51年、上野駅。客車側の写真って殆ど撮らなかったので、これ1枚だけ。
50年からは6、7番線に隣り合わせで到着。上野高架ホームでは一番の華だったかな。

クリックすると元のサイズで表示します
昭和54年、秋田駅。20系最後の活躍の頃ですな。

「あけぼの」と言うと奥羽線回りと言う印象が延々と残ってましたので、現在の経路だとどうもピンと来ない感じは拭えませんよ。
今だ乗車した事もない列車ですが、末永く走り続けて欲しいものです。

いつもポチ有難うございます。
2

2011/2/23

香港啓徳アプローチ  海外
今回は久しぶりの海外ネタ。
それも既に過去帳入りしてしまった香港啓徳空港の話。
啓徳空港は閉鎖されて未だ12年ちょっとですから、ご存知の方も多いと思いますが、現在のチェク・ラプ・コック国際空港の前身ってとこです。
当時の啓徳空港は市街地にも近くて、市内へのアクセスも大変便利な空港でした。ただ、滑走路は1本しかなく、市街地に近い分拡張出来るスペースも無く、増える旅客を捌くには無理があるなと感じてましたね。まあ、予想通り必然的に新空港が建設され1998年にその役目を終えてしまいました。

この啓徳空港を有名にしてたのが、香港アプローチと呼ばれた着陸経路。当時、香港へ向う乗客は着陸寸前の窓越しの風景を凝視してたと思います。
日本からの便だと、右にほぼ180°の旋回を低高度で行いつつランディングするので、窓からは山やビルに届きそうな情景が続くんです。それはそれは見応えのある機窓でしたよ。
まあ、その分パイロットにとっても難しい着陸になるので、世界でも有数の難空港としても知られてましたし、たまにオーバーランして海に落ちたなんて事故もありましたよね。

最初に香港を訪れたのが、もうかれこれ25年くらい前だったかな。
当時は飛行機の写真などそれほど興味も無かったので、アプローチの写真など撮って無かったのが悔やまれますが、少し残ってたので紹介してみたいと思います。

クリックすると元のサイズで表示します
残念ながら左側からの眺めになります。この後さらに高度を下げてから右に90°旋回します。

クリックすると元のサイズで表示します
最後のカーブを曲がってる最中。右側にはあの悪名高き九龍城も健在です。
今やデジタルカメラなんで、こんな光景を撮るのも難しくなりましたねぇー。この時はブローニーのカメラ持って行ってましたよ。

クリックすると元のサイズで表示します
空港の直ぐ脇に存在した九龍城。違法建築が積み重なり、屋上には夥しいアンテナが林立してます。人口密度は世界一、中に入ると迷路にはまり出て来れないなど凄い話ばかり聞いてました。
まだ若造の頃、そんな話聞いてたんで近寄らなかったようですが、今思うと勿体無い事したなと後悔しきりですよ。
遠くから見てもフォトジェニックな建物じゃありませんか。

クリックすると元のサイズで表示します
ターミナルビルから眺めた滑走路。右が香港島。
当時キャセイと言えばL10でしたよね。やっぱ3発機は前から見ても格好良いですな。

クリックすると元のサイズで表示します
離陸前の飛行機から。キャセイの深緑の塗装もシックで好きでした。
まだB747-400が登場する前ですかね。ロールスロイスの短いエンジンが少しアンバランスに見えるんですよ。

クリックすると元のサイズで表示します
そして、いよいよ閉港が近づいた頃に撮った写真。しかし、センス無いなー。
キャセイカーゴのB747-200F? 100Fとの違いが分りません・・・

クリックすると元のサイズで表示します
最後の旋回を終え、ランディングに入るMASのB747-300。

啓徳空港は周囲を山に囲まれてたので、いろんな場所から狙えたようです。今さらになりますが、もう少し早く飛行機写真に目覚めてれば良かったなー。
しかし、何で海側からのアプローチが無かったのかは、風向きが殆ど追い風になる、オーバーランすると街中に突っ込んでしまう等々の事情があったようです。

いつもポチ感謝してます
0

2011/2/21

たまには遠出も良いもんだ  鉄道のある風景
昨日は久しぶりに早起きして、ちょこっと遠出してきました。一人だと意思が弱くなってしまいそうなので鉄友を誘っておきます。金曜、土曜と連荘で飲んだくれてたんで早起きは心配でしたが、何とか暗いうちから起きて出発。
目標は今だ一度も撮ってない183系の「きぬがわ」だったのですが、折角撮るなら景色が良いとこに行こうと、東武日光線内を目指します。

伊勢崎線から来る鉄友と久喜で落ち合って、行きがけの駄賃かな寝台2本を撮影。

クリックすると元のサイズで表示します
カシオペア塗装のEF510って始めて撮ったかも。やっぱり色が揃ってる方がしっくりきますね。

再び東北線に乗り、栗橋にて東武に乗り換え。接続の日光線って意外と本数が少ないんですね。この路線も初乗りかな。
板倉東洋大前、新鹿沼で乗り継ぎ山間の小駅、下小代駅に到着。まだ日陰には雪が残ってましたが、曇りのわりには暖かい感じ。しかしもうここまで来ると、停車する列車の本数も1時間に1本と言うローカル線の様相。ただ、通過する特急の本数は幹線並みですけど。
まあ、そんなんで撮ってる時は暇を弄ぶ事も無かったですよ。

クリックすると元のサイズで表示します
木造の旧駅舎は有形文化財に指定され整備中。駅舎と言えど保存される事は鉄としても喜ばしい事ですね。

クリックすると元のサイズで表示します
まずは「きぬがわ」の送り込み回送。曇天なのでスッキリとはいかないのが残念。
田植えの頃だと新緑も合わせて美しい写真が撮れそうだな。

クリックすると元のサイズで表示します
築堤を走る区間なので、いろんなアングルが選べますよ。上下線合わせれば20分間隔程度で列車がやってきます。

クリックすると元のサイズで表示します
段々と天気も回復してきて日光連山も姿を現しました。これで200mm位かな。

クリックすると元のサイズで表示します
1本撮ると次々アングルを変えて。バリエーション豊富な場所ですね。

クリックすると元のサイズで表示します
音も無く突然現れるので、タイミングが難しい。

クリックすると元のサイズで表示します
椎茸栽培用の種木が並べられてました。採れたての椎茸を焼いて醤油つけて食べると旨そー。今は時期じゃないか・・

クリックすると元のサイズで表示します
築堤のストレート区間を300mmで。

クリックすると元のサイズで表示します
本番の「きぬがわ82号」。まあオーソドックスな仕上がりって感じかな。

この後、日光まで行って特急で帰ろうと画策したのですが、いくら冬場と言えど日曜の夕方の上り列車とあって予想通り満席。それならと、JRで宇都宮まで出て新幹線で帰ると言うかなり贅沢な行程にて帰宅。
もちろん、宇都宮で途中下車して餃子も食べてきましたよ。

いつもポチ感謝してます
0

2011/2/17

国鉄時代の特急「あずさ」  国鉄特急
ここのところ週末の1日は休めるのですが、休みとなると中々早起きできなくて遠出してません。今週末こそは出掛けたい気持ちはあるのですが・・・

そんなんで、また昔の回想シーンです。
中央東線を今でも走ってる特急「あずさ」。昭和50年前後頃の写真から。
当時、都心部で写真撮ろうと思うと、東海道や東北筋が一番の賑わいでしたから必然的にその沿線に出没する事が多かったですね。
そんな背景もあってか新宿を起点にする中央線沿線に出没するタイミングってあまり無かったようです。おまけに走ってる特急は「あずさ」1種類だけと言う寂しさ。まあ、あまり魅力的とも言えない線区だったかも知れません。
逆に現在の方が臨時列車も含めて数多くの列車が走ってるので、撮るネタには困らないのかも。リニアが出来ても、この路線の特急は安泰のような気もするし。

クリックすると元のサイズで表示します
昭和48年、新宿駅。181系「あずさ」。既に食堂車の連結は無かったような気がするので、長野移管後でしょうね。

クリックすると元のサイズで表示します
新宿駅。この頃、優等列車ホームに入る為の入場券が必要でした。1枚くらい取っとけば良かったなー。

クリックすると元のサイズで表示します
昭和51年、初狩付近。183系「あずさ」幕張車。181系は無くなり幕張の183系と長野の189系で運転されてた頃です。

クリックすると元のサイズで表示します
昭和52年、高尾付近。189系「あずさ」長野車。幕張の9両に対し長野が10両でグリーン車の位置も合わなかったし、乗客にとっては分かりずらいかも。

クリックすると元のサイズで表示します
東中野付近。桜の名所ですが、今じゃこんなとこからは撮れないですよね。

クリックすると元のサイズで表示します
昭和54年、鳥沢付近。数少ないイラストマークの写真です。

クリックすると元のサイズで表示します
現在の鳥沢鉄橋を走る「あずさ」。鉄橋の色も変わってるし、木々のボリュームも増えてるようですね。
上の写真が撮れた場所ってもっと高い位置ですが、今その場所で撮ることは出来なさそうです。

昭和から平成にかけての写真が全く飛んでるので、初代のあずさ塗装は当然無いし、資料的にも中途半端な結果でした。
しかし、今だ189系は特急色や旧あずさ塗装も残ってるので、往年の「あずさ」を見ることができる幸運な列車でもありますね。

いつもポチ有難うございます。
2
タグ: あずさ 中央線 国鉄

2011/2/14

羽田16Lからの離陸  航空機
今回の3連休は前半2日間が雪や雨で散々でしたね。もっとも土曜日は仕事してましたけど。
昨日はやっと天気も回復し、関東では撮影日和だったのではないでしょうか。

勿論ご多分に漏れず出掛けてきました。久しぶりの城南島、京浜島コース。
旅客機もこの3月にかけていろいろ置き換えがありますよね。まあ、一番の話題はB747の引退関連ってとこかな。
ANAのB747国内仕様はまだ安泰ですが今のうちに撮っときたいと言うのもありますし、JALのA300-600Rも残り時間が無いです。

冬場の城南島だと離陸機がメインになるケースが多いので、一気に高度を上げる機体を写そうと思うとかなりの望遠がいるんです。ちょっと無理がありそうですが、ズームの300mmに1.4倍のテレコン付けて420mmに。APS-Cサイズのデジタルだとさらに1.5倍できるので、35mm換算だと630mmレンズって事になりますかな。
現場に着くと、やはり16Lからの離陸。D滑走路が出来たため23からの離陸が大半のようで、16Lからの離陸機は少なかったですねぇー。そんな状態なんで、あまり期待は出来ないかも。

クリックすると元のサイズで表示します
ANA、B737-800。城南島からだと午後は逆光になるので、バックショットが多くなります。

クリックすると元のサイズで表示します
34Rに着陸するB747。かなり空気は澄んでるのですが、やはりモヤモヤ感が出てしまいますね。

クリックすると元のサイズで表示します
JAL、B777-300。完全逆光でも白いボディだとそれなりに写ってくれます。いずれは鶴丸マークに変わってしまうので、撮れるうちにと。

クリックすると元のサイズで表示します
ANA、B777-200。300に比べて短胴なのが良く分かります。しかし、ワンワールド、スターアライアンス塗装といろんなのが増えた事。
マイレージは両方やってますが、最近はスタアラが多いかな。

クリックすると元のサイズで表示します
ADO、B767-300。順光側で撮れる京浜島つばさ公園へ移動。離陸機が突然現れるので、追っかけるのも大変。

クリックすると元のサイズで表示します
ANA、B747-400。やっと飛んできた。まともに撮れたのはこの1回だけでした。
やっぱり4発機は迫力ありますよ。

結局、A300は見られず仕舞い。まあ、滑走路が4本もあるので風向きとかに左右されるので、根気良く通うしかないか。この時期は川崎浮島の方が良いのかなー。
しかし、飛行機の場合置きピンが出来ないので、ファインダー覗きながらピント追っかけるのも久しぶりの体験でしたね。意外と外してるのも多かったですけど・・・


いつもポチ感謝してます
0

2011/2/9

特急「白根」  国鉄特急
次の連休は何とか休めそうだったのですが、全国的に荒れた天気の予報。ラジオでは都心部でも5センチ程の積雪とか。
ダイヤ乱れもありそうなので、遠出は止めときますかね。

さて古ネタに戻ります。
過去のフィルムを眺めて見ると、首都圏から出発する特急は全てそれなりの枚数が撮ってあったのですが、「白根」ってのがあまり見当たりません。確かにこの列車を撮ろうと出かけた事って無かったような気もします。
はて何でだろうと思い調べて見ると、昭和57年までは8000番台の臨時だったんですね。毎度の事ながら55年頃までしか鉄写真を撮って無かったもので枚数も少なかったようです。
当時「新雪」とか「そよかぜ」なんかは撮りに出掛けて行った覚えがありますから、余程印象の薄い列車だったのかも知れません。

そんなんで、もうこれしか無いと思える特急「白根」の写真を並べてみます。
57年以降の185系「白根」については結局歯抜け状態で1枚も撮ってませんでしたよ。

クリックすると元のサイズで表示します
昭和47年、東京駅。
田町の157系を使用してたので、今は無き連絡線を使い上野に回送されてました。
秀逸のデザインであった「あまぎ」のマークと違い普通の書体と言うのも臨時列車らしいかな。

クリックすると元のサイズで表示します
昭和51年、日暮里付近。
「あまぎ」の183系化に伴って「白根」も同様に183系化。

クリックすると元のサイズで表示します
同じく昭和51年、王子付近。
臨時でしたが2往復の設定があったようです。しかし、房総特急でさえ9連でしたからこの7連と言うのはやたら短く感じましたね。
「あまぎ」が10連でしたから、この時点で田町の7連は「白根」用だったのかな?。

クリックすると元のサイズで表示します
昭和54年、赤羽付近。
イラストマークになった後。何か文字の方が格好良く見えますよね。

「白根」に関しては結局この程度で、あまり良い写真も撮れなかったな。
ただ、今でもこの「白根」のマークって183系の字幕に入ってるんですよね。折角なんで臨時で復活させればと思えます。
私のようなオッサン世代には、あの胡散臭い185系湘南もどきよりずっと懐かしく眺められると思うのですが、如何でしょう。

いつもポチ有難うございます。
0
タグ: 白根 臨時特急 草津

2011/2/7

今年もありました7周年マーク  鉄道
ここのところ昼間は大分暖かくなりましたね。
昨日は天気もイマイチでしたが、暇だったもので近場に出掛けてきました。
毎日通勤で使ってる東横線なんですが、今年もY500系に開業記念のマークを発見。いゃー、期待通り毎年やってくれますね。
沿線に越して来たのが遅かったせいで開業5周年からの記録となってしまったが、やはり撮り始めるとやめられませんよね。
しかし、今年は1編成にしか取り付けられてないようで当る確率は低そう。

なるべく毎年違う場所で撮りたいしと、定期券内で移動できる都立大学駅で下車。毎日車窓から見てた場所があり、そこに向ってみます。
場所を探してうろうろしてたら、何とマーク付きが下り普通で通過してしまったぁー。呆然・・この位置だと戻ってくるまで1時間以上は待たねばなりません。まあ、運用に入ってるのが確認できただけでも良しとするか。

クリックすると元のサイズで表示します
案外歴史がありそうな東急の碑文谷変電所。こんな設備を入れて撮れるのも始めて知った次第です。

クリックすると元のサイズで表示します
上り列車に対してはあまり良い場所が無かったので下りに的を絞って。危なく被られるとこだった。
今年の7周年マーク付きY500系。

クリックすると元のサイズで表示します
昼飯食った後に、もう一度上り列車を望遠で。
自由が丘から一気に勾配を駆け登ってくる姿が良く分かります。

クリックすると元のサイズで表示します
運度不足を解消するかのように歩きまわって、大井町線も撮って見ます。
しかし、フェンスも低くて撮りやすいですよ。自由が丘〜九品仏間。

クリックすると元のサイズで表示します
さらに歩いて目黒線も。奥沢〜田園調布間。
この周辺はどの路線もフェンスが低いので、撮影場所には困らないですよ。

最近2台のデジイチを使ってるのですが、家に置いてるK10Dと会社にあるK-7では視野率が違うので、走行写真撮ってるとシャッタータイミングがかなりズレるんですよ。
特に広角レンズで走行写真など撮ると、たまにフレームアウトしてしまう事も暫し。やっぱり1台に絞って感覚を磨かねばいけませんな。

いつもポチ感謝してます
0

2011/2/3

国鉄ED73 P型  鉄道
既に花粉が飛んでいるのか、くしゃみが止まりません。
これから数ヶ月続くと思うとうんざりしますよ。あー花粉の飛んでない沖縄とかで仕事出来ないかなー。

さて今回は九州の交流機ED73を紹介します。
東日本の交流機は基本的に貫通タイプのみしか存在しなかったので、非貫通顔の交流機は60Hz区間の北陸、九州のみでしか見られませんでした。
今や3桁機の大半はデザイン的にもそれぞれ相違が感じられますが、国鉄時代は筐体の共通部分が多くて、おおまかに分類するとED71タイプ、ED75タイプが東日本。ED72タイプ、EF70タイプが西日本って感じですかね。もちろん昭和50年頃を前提に話してますけど。
その中でもED72、73は正面がフラットでなく"く"の字形状になっていて、電機の中でも異色の存在に感じてました。ED72はSG搭載のため車長が長く中間台車付き。ただ正面から見ただけではあまり違いは分からないですね。
学生時代にフェリーでバイトしてた関係で西九州には行く機会は多かったのですが、当時の日豊線大分以南は全てED76はかり。結局それ以外の形式は昭和54年頃までお預けと言う格好になってしまった。

クリックすると元のサイズで表示します
このED73は昭和40年代に全機が高速列車対応改造が行われた為、全て1000番台に変更されました。そんなんで、P型と呼んでも差し支えなさそうですよね。

クリックすると元のサイズで表示します
ED73重連運用。
しかしED76の次位とかに入ってるとガッカリしたのを思い出します。

クリックすると元のサイズで表示します
ED731016牽引のワム80000貨物。まだ、ブルー塗装なんてのは存在さえしなかったです。

クリックすると元のサイズで表示します
ラストナンバーのED731022。

しかしこの機関車って残念ながら1両も保存されて無いようですね。デザイン的にも画期的だったし個人的には残して欲しい形式の一つでしたけど。

いつもポチ有難うございます。
2
タグ: ED73 交流機 国鉄


teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ