2011/9/28

蒸気重連の日  鉄道
先日の3連休は上越で重連運転がありましたね。まあ、1日は都合つけて行くつもりでした。
そんな折、中学時代の友人から連絡があり撮りに行きたいとの事。数回はクラス会で合ってたんですが、既に7、8年前の話。積もる話も楽しみに23日に出かけてきました。

私の世代、国鉄線から蒸気機関車が消滅する時がちょうど中高生でしたから、金が無いながらに各地に細々と残ってた蒸気を追いかけてました。そんな背景もあって、蒸気が消えた瞬間に鉄道写真から足を洗った人間も多かったと思います。
今回の友人2人は正しくそのタイプで、蒸気以外の列車、機関車等は全く興味の対象外でカメラを向ける事も無い様です。

重連初日はD51+C61に客車6連と言う組み合わせ。多分何処も混んでるだろうなーと思いつつ東京駅から新幹線に乗り込みます。
しかし、3連休初日の朝なのに「Maxたにがわ」はガラガラですよ。

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この日から東北方面が通常ダイヤと言う事で、記念品を配ってました。
このバッチの方は配布場所も少なかったらしく、上手く当ってラッキーだったな。

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高崎で200系旧塗装もゲット。友人2人は全く興味なし・・・
乗り換えて上越線普通で渋川へ。まず収容人数も多い大正橋麓へ向います。
何故か上り線のポイントにも人だかりが出来てて不思議だったのですが、後でネット見たらカシオペアの回送があったのですね。まあ、蒸気よりも電機を撮る方が好きとは今の時代を反映してますな。

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1時間ほど待って本命登場。正しく国鉄時代を彷彿させる姿ですねぇー。
そう言えば、現役時代に重連見たのは北海道のD51が最後だったから、かなり久しぶりですよ。

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ズームを広角側に回してもう1枚。
今回は全てRAWで撮って見ましたが、黒の車体は現像でディテールアップできるので結果的には良い選択だったな。

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ちょうど昼時だしと渋川の蕎麦屋で一杯。しかし、相変わらず3人とも酒好きは変わらないな。
夜のメニューに載ってた"ほろ酔いセット"を頼んだら、今日は暇だからと出して頂けました。
蕎麦焼酎ストレートコップ一杯とつまみ3点にタヌキ蕎麦で1600円だったかな。大変美味しく頂きました。

さて、上り列車は絶気運転なので煙期待なら出発しかないかと言う事で水上へと移動。
今回は話が長いので、次に続くにしときます。

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タグ: 重連 SL 上越線

2011/9/22

特急「やまばと」  国鉄特急
いゃー昨日の台風には参りましたね。
普段、会社を出るのがPM8〜9時過ぎなので、その頃には通常ダイヤに戻るだろうと踏んでたんですがダメでした。何故か地下を走ってる千代田線がいつまでも不通で定期券経路では帰れない。振替乗車票もらって動き出した小田急で登戸へ。ちょうど来た準急に飛び乗ったのは良いが前が支えて途中で何度も長時間停車。やっとの思いで登戸着。果たして南武線はと危惧してましたが、上りは定時運転で到着。溝の口で座れたのは良いけど、架線に物が引っ掛かったとのことで20分以上抑止。やっと動き出しても前に電車が支えてるので遅れが拡大し結局普段30分の所を2時間近くを要してしまいました。あー疲れた・・・

愚痴はこの位にして本題です。久しぶりの国鉄特急ネタ。
この「やまばと」、愛称も昭和60年の新幹線上野開業時に消滅してしまったし、昨今のリバイバル列車にも全く登場してないので、馴染みの少ない列車なのかも知れませんね。
東北筋の特急の大半は乗車経験がありますが、この「やまばと」は乗り損なったやつです。
気動車時代の頃は良く知りませんが、鉄写真を撮るようになった頃から上野〜山形を結ぶ特急として君臨してました。「つばさ」の気動車時代でも485系を使った「やまばと」と山形までの所要時間は変わらなかったので、それ程俊足の特急とは言えなかったよう。もっともキハ181系が電車並みに頑張ってたのかも。
充当される車両も仙台、青森、秋田区といろいろあったようですね。

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昭和49年、上野駅。まだタイフォンが移設される前ですね。49年頃だと仙台持ちかな。
左の115系の窓全開姿も懐かしい。

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昭和51年、蓮田〜白岡間。グリーン車が上野寄り2両目に入ってるので青森持ちですね。
食堂車が入った東北特急全盛期の頃です。

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昭和53年、羽前中山〜上ノ山間。非貫通タイプの文字マークが妙に小ぢんまりしてるのが特長だったな。

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昭和53年、羽前中山〜上ノ山間。「ひばり」と共通運用の頃ですかね。編成内でサシ、サロと並んでます。

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昭和55年、関根〜米沢間。「つばさ」と共通使用の頃なので1000番台ですかね。
雪に埋もれて死にそうになりながら撮った思い出の1枚。唯一のイラストマークだし・・・

しかし、山形新幹線開通の際は「やまばと」が使われると思ってましたが、「つばさ」になってしまい尚更忘れ去れた愛称になってしまいましたね。
ある意味不運な列車だったかも知れません。復活は無いだろうなー。

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タグ: やまばと 485系 特急

2011/9/19

pentaxQで113系横須賀を撮る  写真
フィルム時代に初代645を買ってから20年以上ペンタックス使ってます。
フィルムの頃はそんなに早いサイクルで新機種が登場する訳でもなかったし、それなりの金額を投資しても納得できましたよね。しかし、デジタル時代に突入してからと言う物の製品切換のサイクルが早いこと。上位機種も数年サイクルで新機種が登場してしまう物だから、何処で買うかの判断も難しくなってますよ。

今デジイチはK-7で暫し様子見してるのですが、仕事でも使ってるので次が出たら買うだろうなー。そんな中、コンデジの上位機種と呼んで良いのかAuto110の血筋を引くQが発売されたんですよね。
発売日に取りあえず見に行くかと量販店を訪れたんですが、実物を触ってたら欲しくなってしまった訳です。鞄に投げ込んでても気にならない大きさと重さだし、一般的なコンデジに比べるとマニュアル設定やRAWデータの記録も出来るしと、魅力たっぷりな感じ。
まあ、結果的には衝動買いしてしまったのですけど。

さて、昨日と本日と113系が地元の横須賀線を走ると言う事でしたので、早速このQを持って出かけて来ました。
今までコンデジで走行写真など撮った事無かったので、事前にシャッタータイミングの練習は重ねていて、やっと何とか良い位置で切れるようになったかな。しかし、走ってる物を撮るには一眼に比べるとかなり難しいですよ。

まずは昨日分から。
コンデジの利点とでも言おうかレンズが小さいので、陸橋に良くある金網の隙間からレンズが抜けるんですよね。そんなんで、以前に一眼持ってて撃沈した沼部へ。

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新幹線との並走を願ってたんですが、上手く行かないものです。
しかし、横須賀線の幕など良く残ってたものだな。

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品鶴線を通る昼間数少ない貨物2077レ。
この日、午前中は富士山も見えました。奥にちょこっとだけ写ってるかな。

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運良く300系も。武蔵小杉のカーブ手前なので、それ程速度も上がってないし何とか撮れますよ。

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ブラブラと多摩川まで歩いて。

そして本日分。
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東神奈川〜横浜間の陸橋から。あまり人気が無いのか誰も居ない・・・

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いろいろと並走を期待したのですが、奥に京急がチョコッとだけ。
まあ、変にシールマークなど付けるより昔の姿のままの方が良かったなと言う印象でした。

上の185系以外は全てRAWで撮影した後フォトショップで現像してますが、仕上がりは意外と納得いくレベル。ただ、JPEGだとデジイチとの差は瞭然って感じですかな。

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2011/9/13

「ELみなかみ」を地元で  写真
昨日は中秋の名月とラジオで連呼してたので、思わず空を見つつ帰宅しましたよ。
確かに空気も澄んでて、月光も眩く自分の影もしっかり月影となって道路に落ちてましたねぇー。丁度邪魔な雲も全然無いし、自宅のベランダから月の写真を撮って見ました。

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300mmに1.4倍のテレコン。35mm換算だと630mmレンズってとこかな。それでも小さいのでトリミングしてます。
ISO400、F5.6、1/800で切れたので、手持ちでも十分撮れるのにはビックリ。やっぱり月だけ見ると意外と明るいんですね。月面の名所は良く知らないですが、左斜め下にヘソみたいな丸が有るのが見えます。これは巨大なクレーターなのかな。
しかし、天体望遠鏡でなくてもそれなりにディテールが写るのには驚きでしたね。今度、ペンタQのKQマウントが出たら300mmが5.5倍の焦点距離になるらしいので、1650mmの超望遠を使えるのと同じ。是非またチャレンジする甲斐があるな。

さて、話を本題に戻します。
地元である武蔵小杉近辺では、あまりネタ的列車なるものが通る事が少ないんですよね。そんな中、10、11日と「ELみなかみ」なる客車が通るとの事。こりゃ珍しいので撮りに行かないとと久しぶりに早起きをした次第。
本来ならば沿線で撮ろうとも思いましたが、武蔵小杉、横須賀線口までは歩いても5分と掛からないし面倒なので入場券買ってホーム端で撮る事に。しかし、甘かった・・・
もう入り込む隙間が無い程埋まってる。

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こんな有様です。まあ、通過5分前に来る自分も悪いのですが・・・
今更、脚立を取りに家まで戻る時間も無いので、頭の間から何とか望遠で抜いて撮りましたよ。

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トリミング前提で撮ったので、結構な望遠アングルになってしまったなー。
しかし、久しぶりに見たけど、やっぱEF65500番にはヘッドマークが似合ってますね。

そして、翌日は早くから出かけて近くの陸橋からでも撮ろうと意気込んでいたのですが、前夜はいつもの通り呑んだくれてしまい出かけるのも面倒になってしまったと言うオチ。
8時過ぎに警笛鳴らして通過してく音だけを聞いてました。

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2011/9/8

思い入れの203系も残り僅か  鉄道
残暑が続いてるとは言え朝晩はグッと涼しくなりましたね。寝苦しい熱帯夜も既に懐かしく感じるこの頃です。
毎日の通勤で利用する路線の一つが東京メトロ千代田線なんですが、ここの所203系に巡り合う事が殆ど無くなりました。ちょうど、メトロ車、JR車ともに新型に入れ替わる過渡期に当ってますから当然と言えば当然な結果なんでしょうけど。
そんな中、鉄友から203系に有難うマークが付いてるとメールがありまして、いよいよ置き換え秒読み段階に入った事を実感した次第。調べて見ると既に2編成しか残って無いんですね。

今思い出すと、この203系との絡みは結構長くて登場時からの付き合いなんです。
大学を卒業して勤め人となった最初の会社が代々木公園駅の近くにありましたので、通勤には千代田線を利用してました。これが昭和57年でしたから、203系がデビューした年と同じです。
この頃、千代田線を走ってたのは営団6000系、小田急9000系、そして国鉄は103系。やはりコイルバネの103系は乗り心地は悪くて、これが来るとハズレだなーと毎日のように感じてましたね。そこへ登場した203系。これでやっと3社の足並みが揃ったなと思わせる出来事だったな。
しかし、今では考えられないかも知れませんが、当時営団線内はトンネル内冷房を進めていた為、列車が地下に入ると同時に冷房を切って窓を開けると言う凄い事やってたんですよ。もちろん車内が涼しくなる事は無いし、苦情ばかりが飛び交ってましたねぇー。
そんな状態が暫くは続いてたような気がしますが、いつの間にか車両に冷房が付くようになり現在に至っています。

昭和57年から約5年お世話になって、その後は別の職場に移り千代田線からは縁遠くなったのですが、平成20年にまた千代田線に乗る事となり203系の最初と最後の姿を目に焼き付ける事となった訳です。

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代々木上原。ありがとうマーク付の203系。
今のところ公には何のアナウンスも無いですよね。

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代々木公園〜代々木上原間。
何しろ自由業ですし、地の利もあるので、時間になったら沿線に出没してます。

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代々木公園〜代々木上原間。
実はpentaxQを衝動買いしまして、その試し撮りも兼ねて撮ってます。しかし、デジイチとは違ってシャッタータイミングが難しい事・・・

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金町〜松戸間。
今も現存する54編成ですね。

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松戸〜北松戸間。

結局203系ってこの程度しか写真は撮ってませんでした。国鉄時代のJNRマーク付きの写真など撮っておけば良かったなーと今更ながらに後悔しきり。
207系の時は、団体でさよなら運転があったし、今回もきっと何かしらのイベントがあるのでしょうね。

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2011/9/5

千葉の113系を回想  鉄道
JR東日本で最後まで活躍してた113系が8月いっぱいで定期運用を終了したようですね。
千葉の113系と言うと、私が鉄道写真を撮り始めた頃とほぼ一致していて、中々思い出深い車両の一つだったんです。
昭和44年の房総西線、千倉電化の際初めて千葉鉄管にやってきた形式で、全て津田沼電車区に新製配置されました。まだ小学生でしたが、横須賀線に使われてる車両と同じやつに乗れると喜んでいたものです。当時は稲毛に住んでたので、津田沼の入出庫を兼ねた千葉行や津田沼行の充当もあり、それを狙って乗ってたりもしたなー。
同時期に165系も津田沼に配置されましたが、確か165系の最終増備分だったと思います。
もうかれこれ40年にもなるんですね。

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昭和45年頃の稲毛〜西千葉間。うる覚えですが気動車区を延々と渡る踏み切りがあった所から撮ったアングル。
バックに写る専売公社倉庫は今でも健在ですが、その役目は終わってるようです。

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昭和46年の夏ダイヤ時。千葉を出る113系の急行「うち房」。
おそらく113系スカ色で急行運用は唯一の存在だったのではと思います。千葉鉄管ならではのベッドマークや列車番号札が几帳面に見えますな。

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そして昭和47年、非電化だった房総東線も電化し、それぞれ内房線、外房線に名称も変わり千葉管内も大きく変貌するのでした。
地下乗り入れ用の113系1000番台が新たに誕生した幕張電車区へと新製配置されました。夏ダイヤに合わせて、輸送力タップリの臨時快速も登場。
稲毛駅を通過する内房線臨時快速「青い海」。

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昭和50年。錦糸町〜亀戸間を走る外房線臨時快速「白い砂」。冷房準備工事で登場した車両にやっと本体が載り始めた頃かな。
まだ、11連モノクラスの時代。

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当たり前に走ってた113系なので、フィルムの無駄とばかりに普段着の姿ってのは残って無かったですねぇー。
船橋〜東船橋間。今ではマンションが建ったりしてて、こんなアングルを見ることもできません。

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昭和51年。津田沼〜幕張間。編成が13両になってるので、グリーン車の組込が始まる頃なのかな。

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昭和51年。ローカル運用を賄うために東海道筋からも転属車が流入。一時的に千葉でも湘南色が見られた頃ですね。
最近のリバイバル湘南色も満更ハズレと言うわけでも無かったんです。
物井〜佐倉間。

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昭和51年。物井〜佐倉間。
冷房が載ってないのを除けば、最近まで見られた姿と変わりないと言うのも凄いな。

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昭和51年。物井〜佐倉間。
113系で最初に側面の方向幕が使われたのも千葉だったような。横須賀や東海道は準備工事だけでサボ時代が長かったと思います。

ここまで並べて見ましたが、その後のグリーン車が連結されて横須賀線とのスルー運転が始まった頃の写真って一枚も撮ってないんですよ。
まあ、歴史を綴るにはちょっと歯抜けな状態でしたが、最初と最後が見れたし良しとしときましょう。

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タグ: 国鉄 113系 スカ色


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