2013/4/23

183系 特急「あやめ」  国鉄特急
久しぶりの国鉄シリーズ。と言っても「あやめ」って今も現役で走ってますよね。
誕生は千葉鉄菅の幹線電化が完成した50.3のダイヤ改正。当初から特急など不要と思われた区間に強引に登場した特急で、一時期だったか忘れましたが国鉄一の鈍足特急として有名になったと思います。
当初は幕張の183系が房総特急と共通運用されてたのでグリーン付きの9両編成でした。
個人的には、やっとこのタイミングで183系の分割併合運転が始まるのかと期待してましたが、当時は国鉄でしたし、共通運用を乱してまで編成を分けるのも面倒だったのか、そのまま9両が充当されてしまいました。まあ、結果的には空気輸送してたようですけど。
おまけに同線区を走る急行までも単独編成になり、輸送力ばかりが膨らんで実情と全くマッチしてなかったと思われますよ。

まあ、今じゃ完全に通勤特急となり実情とかなりマッチした格好になったのかも。
ただ、土休日くらいは有効時間帯に1本くらい鹿島神宮行きを走らせても良さそうな気もしますね。実際、鉄道で行こうとすると普通列車で延々と乗ってくのも疲れますよ。最も並走する高速バスの方が便利なので、鉄道需要はあまり無いか。

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「あやめ」の前身となる急行「水郷」。
気動車の多層立て列車で、佐倉まで銚子行「犬吠」と併結、佐原で銚子行と鹿島神宮行が分割する運用がありました。
本来ならその程度で十分旅客は捌けたんでしょうね。

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9両の堂々たる編成で鹿島線を走る「あやめ」。
いったいどれほどの乗車率だったであろうか。

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昭和51年。物井〜佐倉間。
今や木がボウボウに伸びてしまいこの場所から撮る事は出来なくなりました。

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船橋〜津田沼間。まだ東船橋駅など影も形も無かった頃です。
ここも今じゃ撮れないんでしょうね。

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津田沼〜幕張間。
自宅が直ぐ近くだったので、雪など降ると良く撮りに出かけてました。
奥には京成電鉄がお得意様だった大栄車輌があった頃ですな。

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イラストマークになってから撮ってた唯一のカット。
香取駅に何しに行ったのか全く覚えてないけど、唐突に1枚だけ写ってました。

この「あやめ」も今のところ安泰のようですが、通勤主体の特急なので今後列車名が変わることも考えられるのかな。


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タグ: 183系 鹿島線 特急

2013/2/7

特急「いなほ」の軌跡  国鉄特急
久しぶりの国鉄特急シリーズ。と言っても今だ現役で走ってるのでJR特急でもありますね。
この「いなほ」、先日、新潟から秋田への移動で利用し我が人生で2回目の乗車となり、前に乗ったのが昭和49年12月ですから何と38年ぶりとなる訳です。車両の方も38年経った今も同じ485系を使ってるのも例を見ない感じ。
実際、定期列車で昭和49年から同じ車両使って愛称名も変わらず残ってるのって、当時、新潟〜大阪間の運転だった「北越」くらいしか無いんじゃなかろうか。
まあ、列車自体「北越」は北陸新幹線開業の折には無くなってしまいそうですが、「いなほ」については当分は安泰でしょうね。ただ、さすがに車両だけは置き換えの噂は絶えませんから、今のうちに撮っておきたい列車ですな。

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昭和47年、上野駅。
羽越線電化直前のギリギリで撮れたキハ81系「いなほ」。上野〜秋田間の1往復設定で、間合い使用の「ひたち」も同系が担ってました。
電車特急と違って、ヘッドマーク交換は上野停車中に行われてなかったような・・・

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昭和49年12月、青森駅。
この写真の「いなほ2号」に乗って上野へと向ったのが38年前。青函航路との接続が無くて連絡船待合室で3時間半も時間潰してたなー。まあ、鉄じゃなければあえて上野まで乗る人は居ないわな。しかし、所要10時間ちょっとの長旅にも良く耐えたもんだ。
隣のホームには8:15同時発車の「はつかり2号」が見えますが、これだとこの「いなほ2号」より1時間半近く早く上野に到着できます。

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昭和51年、尾久〜赤羽間。
青森電車区受け持ちでしたから「はつかり」等と同じ編成でした。カマボコ型の連結器カバーが似合ってますね。
この頃、ボンネットの「いなほ」も見た事があるのですが、青森に基本番台の先頭車もあったんでしょうか。

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昭和52年、土樽〜越後中里。
冬は走行区間の大半が豪雪地帯でしたが、今のように遅れる事も少なかったですよ。やはり、今と違って線路上を走ってる本数が多かったからかな。

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昭和52年、尾久〜赤羽間。
非貫通の300番台が増えてきた頃。私ゃ貫通タイプの200番台の方が好みだったな。

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昭和55年、小砂川付近。
外観的には編成長を除けば今も見られる姿ですな。

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昭和56年、水上〜湯檜曽間。
4つ目の1500番台を先頭にした「いなほ」。この姿を今でも見られると言うのも有り難い存在ですね。

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そしてつい先日の鶴岡付近。
編成は短くなりましたが30年前の姿が見られた訳です。
連結器カバーをカマボコにしてくれれば完璧なのになぁー。

と、今掘り出して見ると「いなほ」も結構な枚数を撮ってた列車でした。これ以外にもまだありましたから、「とき」や「ひばり」などとは違って来れば間違いなくシャッターを切ってた列車のようです。
485系引退前にでも「リバイバルいなほ」として上野〜秋田間を走らせても良いのでは、なんて思ってます。
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2012/9/18

185系あまぎ塗装「そよかぜ」の印象  国鉄特急
先日、大休パスを使って特急「そよかぜ」を撮ってきました。当初からあまぎ塗装の185系が充当されるとの事でしたし、それなりの人出もありそうなので、信越線内まで足を伸ばして見ます。
今や横川までの区間は盲腸線となってしまい、普段は普通列車が走るだけのローカル線と化した信越線。以前の面影は複線と長編成が停車できるホームに見られるだけですかね。

さて、向った先は以前に一度撮った事のある松井田〜西松井田間。ここは駅間も短いし、歩いて行き来するのも容易い場所です。
現場に着くと既に三脚が並んでます。まあ、こんなとこでも結構人が来るのにビックリだな。

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横川に向う回送ですが、外付けのマークなんで関係なし。
しかし、私ゃどうも取って付けたような「そよかぜ」マークが不釣合いに見えてしまって・・・

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やっぱりこの時の「あまぎ」の文字マークが一番秀逸な印象があるな。

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そんな事もあって、折り返しの本運転は横気味に撮っては見たものの、何か中途半端になってしまったか。
しかし、この「そよかぜ」の157系時代をリアルに記憶してる方々ってどのくらいいるんでしようかね。私ゃ既に半世紀を過ぎてますが、157系は「あまぎ」と「白根」位しか写真に撮ってません。

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やっぱり私の世代だと「そよかぜ」と言えばこの181系でした。
当時、信越線へ向う特急は全て高崎に停車してましたが、この「そよかぜ」だけが大宮を出ると横川まで無停車だったんです。おまけに短距離なのに全車指定席でしたし、憧れの特急でしたよ。もちろん乗った事など無かったですけどね。

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その後は幕張の183系が引き継いで、自由席も登場したと記憶してます。停車駅も増えたのかな。

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さらに時が進むと189系となったようです。この頃までしか記録してなかったようで、53年以降のイラストマークについては1枚も撮ってなかった。
そんな事もあって、この189系は今も残ってるし、個人的には是非これで「そよかぜ」でもやって欲しいとこですよ。

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2011/12/20

特急「くろしお」  国鉄特急
来年のダイヤ改正の概要が発表されましたね。
案の定、夜行列車は毎年の如く縮小。不採算な部分はとにかく切り捨てて、需要のある通勤時間帯だけが改善されるって印象だなー。これから数年後、果たして日本の鉄道地図はどんな風に変わってるんでしょうかね。

そんな話題の一つに紀勢線大阪口の特急名称が「くろしお」に統一されると言う記事があります。
今や何でもスーパーが付いたりと煩わしく思ってたので、個人的にはすっきりして良い話ではないかと思ってますね。正しく国鉄時代に戻ったようです。
しかし、最近の傾向としてヘッドマークが省略されてる車両が主流。改正時に投入される287系も同様なので、趣味的には益々つまらなくなって来てるような気がします。特にJR西日本は画一化されたデザインを流用してるだけなので、少しは差別化を図って欲しいものですよ。
そんなんで、まだ趣味的に魅力的だった頃の「くろしお」を並べて見ましょう。

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昭和51年、天王寺。最後のキハ81系使用となってた「くろしお」。
この頃、名古屋側はキハ82でしたから、この1両だけが孤軍奮闘してたと思われます。

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天王寺駅ホーム。この時代、阪和線は行き止まりホームを使ってましたので、優等列車は全て天王寺止まりだったような気がします。
ホームを歩く人たちの服装も時代を感じさせますねぇー。
しかし、交通科学館に保存されてるキハ81のヘッドーマーク。もう少し本物に似せて出来なかったんでしょうかね。

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名古屋行以外は全てキハ82を先頭にした「くろしお」ばかりでした。
関東では既に気動車特急は見られなかったので、何でも撮りまくってた感がありましたね。

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さすがに、数をこなしたかったのか走行写真まで撮る時間も無かったようです。
この時以来天王寺駅に降り立った事が無いので、今じゃ相当変わってるんでしょうね。

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そして昭和54年。すっかり新しくなった381系「くろしお」。
ゴーサントウの改正で「しなの」に続き振子電車が投入されました。

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阪和線、山中渓付近。
「くろしお」用の381系は非貫通で100番台に分類されてましたよね。

今も塗装は違えど381系が活躍してるのも嬉しい限り。
その後の写真は全く撮ってませんから、来年の改正前にでも撮っておきたいところ。
早々に大阪方面に出張でもないかなー。

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2011/11/22

特急「日本海」  国鉄特急
昨年も廃止が噂されていて、何とか乗り切ったと思ってたら来てしまいましたね。
まだ正式では無いようですが、果たしてどうなる事やら・・・
まあ、昔は悪天候にも強いのが鉄道と言われてましたが、今や安全に対する規制が厳しくなり風が吹けば止ってしまうし、定時運転率も相当低くなってしまってるんでしょうね。特に冬場の日本海沿線は雪と風との戦いでしょうし、かなり存続に対しては苦戦しそうです。
逆に飛行機の方が昔より飛ぶ確率が高くなった気さえしますよ。
しかし、国鉄時代は遅れを取り戻すような運転も良くあり、朝起きて見ると定時運転に戻ってるなんてのもあったなー。今じゃこんな事も少ないのかな。

特急「日本海」は、やはり関東者にとっては馴染みの無い列車でしたから、見る機会も少なく撮ってた枚数もここに出して終りって程です。
大阪〜青森間の夜行列車でしたから、適度に出向いてた新潟辺りは深夜通過。当然走行写真を収める事は出来ませんね。
そんなんで最初に対面したのも遅くて、昭和52年の関西遠征の時が最初でした。50年3月改正で湖西線が開業し、20系から14系寝台と14系座席の2本建てとなった後ですから写真的にも面白味に欠ける頃。おまけにヘッドマークは省略されてしまったし。
ただ、この頃EF81が牽引するブルトレは「日本海」と「つるぎ」位しか無かった(関門は除いて)ので、今更ですがもう少し撮っておいても良かったかも知れません。

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昭和52年、大阪駅。あまり見られる列車じゃ無かったので、珍しく客車側も撮ってました。
座席編成から24系25形寝台編成へとアップグレードした季節「日本海1号」。

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昭和52年、大阪〜新大阪間。客車も機関車もピカピカの頃だなー。
しかし、今も見かたによっては同じ様にも見えたりして・・・

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昭和55年、追分付近。秋田以北はED75-700番台の独壇場。
ヘッドマーク無しの姿はやっぱり寂しいですね。

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後ろ姿も。既にイラストマークに変わってます。
こちらは24系使用の「日本海」。

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そしてJR化後の昭和63年、青森駅。
ヘッドマークも復活し、現在の姿に近い物があります。

その後暫く鉄から離れてて、ここ数年は出張の度に時間作って撮り貯めております。

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2009年10月、淀川鉄橋。

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2010年2月、津軽新城。

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2010年2月、青森駅。

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2010年6月、山崎。

最後の冬となりそうですから、雪景色の中でもう一度撮りたいなー。北か西かどちらが良いだろうか・・・

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2011/10/28

特急「白鳥」の記録  国鉄特急
もう今年も2ヵ月ちょっと、過ぎてみると早いもんです。
ここの所、週末の天気もイマイチでしたし、仕事も忙しい事もあって出掛ける機会も無し。また、蔵出しネタが続きます。

関東ではあまり馴染みの無かった特急「白鳥」。もっとも昭和40年までは「上野白鳥」が日本海回りで大阪まで走っていたので、その頃を知ってる方々には馴染み深い特急であったとも思われます。
私ゃ生まれてましたが、見た記憶は無かったなー。
まあ、それ以降東京近辺で「白鳥」を見る機会は無くなったわけですね。ただ、たまに上野駅での幕回しの際「白鳥」が出てきたのもありましたけど。
そんな背景からか、遠征した際はなるべく撮れるよう努力はしてたようです。

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昭和45年頃。既に大阪〜青森の単独編成となった「白鳥」。
キハ82は「白鳥型」とも称されてた通り、この「白鳥」用にデビューした形式です。

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昭和49年、青森駅。昭和47年から青森持ちの485系となり在来線最長距離を走る電車特急として君臨。
この写真は「いしかり」用1500番台の試験運転として利用されてた頃のです。

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昭和52年、敦賀付近。当時の編成がさっぱり分らないのですが、大阪寄り4両目にサシが入ってるので、青森持ちでも専用編成だったのかな。

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昭和54年、湖西線内。サロの位置が2両目になってるので、この頃からは東北特急と共通運用が組まれてるようです。

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昭和55年、秋田駅。当時、青森にはボンネットが配置されて無かったので、白鳥は200番台か300番台の姿しか見られませんでした。

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平成?年。既にサシも外れて短編成化されてますね。塗装も変わって往年の長距離特急のイメージも無くなった姿だな。
この辺りから鉄離れしてたもので、記録も途絶えて・・・
そして平成13年に日本海を走り続けた「白鳥」は幕を閉じる訳です。

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しかし、1年ちょっとで何と復活。今日も走り続けてます。
まあ、新幹線開業までは安泰だと思いますが、スーパー化による消滅はありそうかな。

実はこれだけ撮ってても今だ一度も乗車した事が無かった列車でした。最後の写真撮った時、スーパーには乗ったんですけど。
そう言えばこの「白鳥」、485系の3線(60/50hz交流・直流)運転を発揮できる唯一の列車でもありましたね。


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タグ: 白鳥 キハ82 485系

2011/9/22

特急「やまばと」  国鉄特急
いゃー昨日の台風には参りましたね。
普段、会社を出るのがPM8〜9時過ぎなので、その頃には通常ダイヤに戻るだろうと踏んでたんですがダメでした。何故か地下を走ってる千代田線がいつまでも不通で定期券経路では帰れない。振替乗車票もらって動き出した小田急で登戸へ。ちょうど来た準急に飛び乗ったのは良いが前が支えて途中で何度も長時間停車。やっとの思いで登戸着。果たして南武線はと危惧してましたが、上りは定時運転で到着。溝の口で座れたのは良いけど、架線に物が引っ掛かったとのことで20分以上抑止。やっと動き出しても前に電車が支えてるので遅れが拡大し結局普段30分の所を2時間近くを要してしまいました。あー疲れた・・・

愚痴はこの位にして本題です。久しぶりの国鉄特急ネタ。
この「やまばと」、愛称も昭和60年の新幹線上野開業時に消滅してしまったし、昨今のリバイバル列車にも全く登場してないので、馴染みの少ない列車なのかも知れませんね。
東北筋の特急の大半は乗車経験がありますが、この「やまばと」は乗り損なったやつです。
気動車時代の頃は良く知りませんが、鉄写真を撮るようになった頃から上野〜山形を結ぶ特急として君臨してました。「つばさ」の気動車時代でも485系を使った「やまばと」と山形までの所要時間は変わらなかったので、それ程俊足の特急とは言えなかったよう。もっともキハ181系が電車並みに頑張ってたのかも。
充当される車両も仙台、青森、秋田区といろいろあったようですね。

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昭和49年、上野駅。まだタイフォンが移設される前ですね。49年頃だと仙台持ちかな。
左の115系の窓全開姿も懐かしい。

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昭和51年、蓮田〜白岡間。グリーン車が上野寄り2両目に入ってるので青森持ちですね。
食堂車が入った東北特急全盛期の頃です。

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昭和53年、羽前中山〜上ノ山間。非貫通タイプの文字マークが妙に小ぢんまりしてるのが特長だったな。

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昭和53年、羽前中山〜上ノ山間。「ひばり」と共通運用の頃ですかね。編成内でサシ、サロと並んでます。

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昭和55年、関根〜米沢間。「つばさ」と共通使用の頃なので1000番台ですかね。
雪に埋もれて死にそうになりながら撮った思い出の1枚。唯一のイラストマークだし・・・

しかし、山形新幹線開通の際は「やまばと」が使われると思ってましたが、「つばさ」になってしまい尚更忘れ去れた愛称になってしまいましたね。
ある意味不運な列車だったかも知れません。復活は無いだろうなー。

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タグ: やまばと 485系 特急

2011/4/23

特急「雷鳥」の軌跡  国鉄特急
関東暮らしだとあまり馴染みの無かった特急「雷鳥」。
東では「ひばり」「とき」がともに10往復以上走ってた時代、西を代表する本数を誇ってたのが「雷鳥」でしたよね。新幹線岡山開業時だと「つばめ」も結構な本数があったかな。
前者が新幹線開業による発展的消滅に対して、後者の「雷鳥」はスーパーの冠も虚しく別の名前に取って変わられると言う、ある意味不運な結末となってしまったような気もします。
ただ、縁遠い存在であったけれど遠征撮影などに出かければ、それなりの本数が走ってた訳ですから狙わずとも撮れる存在でもありましたね。

平成の記録が殆ど抜けてますが、今まで撮ってきた「雷鳥」を並べて見る事にします。
とその前に、文字マーク時代の雷鳥のアルファベット表記に2種類が存在した話が有名ですが「RAICYO」表記は撮れず仕舞いでした。これが存在したのはボンネット用マークだけだったんですかね。

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昭和46年、金沢駅。私の撮った中ではかなり古い類。
回転式ヘッドマークが健在の頃ですね。しかし、これもある意味3種類目の表記なんですよ。この後に登場するのはRAICHOの"O"がローマ字のOで上に━が付いてる、いわゆる長音記号付きに変わってるんですよ。

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昭和49年、敦賀付近。まだ、ボンネットが多い頃だったかな。

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昭和51年、同じ場所。非貫通の200番台。東北特急同様に両端が番台違いもありましたね。

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昭和51年、塚本駅。回送ですが国鉄時代にはわざわざ回送幕なんて出さなかったな。

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昭和51年、大阪駅。今じゃこんな風に撮る事も出来なさそうですね。

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昭和54年、叡山駅。583系も間合い使用されてました。

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昭和54年、叡山付近。湖西線の駅っていつの間にか名前が変わってたりするのね。今や叡山駅が無くなってるとは・・・

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平成2年、信越線。貴重なJR化後の写真。既に9連になり食堂車も外れてますが、新潟雷鳥だけかな。

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平成20年、塚本駅。個人的には最後の姿となった1枚。これも回送ですが、幕は出てるので良しとします。

この間に雷鳥色とかいろいろありましたが、その辺の記録が全くで・・・
実際に乗ったのは昭和の頃に数えるほどだけだったなー。まあ、新幹線が開業して復活する可能性もありですかね。

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タグ: 雷鳥 485系 特急

2011/2/27

特急「あけぼの」20系時代  国鉄特急
次の週末は連休を取って高飛びするので、休みなしで仕事してます。まあ、それほど忙しい訳でも無いのですけどね。

さて、今でも現役で走ってる寝台特急「あけぼの」ですが、昭和55年までは20系客車にて運転されてました。確か定期としては20系最後の特急であったと思います。また、EF65PF型が最初に登用された列車でもありましたね。
昭和48年頃までは「ゆうづる」と共にヘッドマーク付きの機関車が牽引してましたが、その後、東京口以外のブルトレは全て省略されてしまったのも有名な話。まあ、上野口に現れる機関車は汎用的に使われブルトレから貨物まで多岐に渡った影響もあるのか、国鉄末期の合理化のやり玉になってたかも知れませんね。
そんな意味では、昭和50年前後って一番面白味を感じない時代でもあったのかな。しかし、その後の特急イラストマーク化に伴い機関車マークも復活を遂げましたが、20系「あけぼの」時代に間に合ったのかは良く分らないところです。

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昭和48年、上野駅。ボロボロのマークですが、付いてる方が特急らしいですよね。
49年までは上り1、2号がホームを挟んだ7、8番線に並んでました。

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昭和51年、日暮里付近。上り1、2号は5分程度の差で上野に到着。しかし、宇都宮のPFは汚れが凄かったですよ。

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西日暮里付近。開放A寝台を2両連結してるのも「あけぼの」の特長でしたね。

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昭和52年、蓮田〜白岡。EF65は黒磯からの牽引なので、雪を纏って上る姿は中々見られなかった。

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昭和51年、上野駅。客車側の写真って殆ど撮らなかったので、これ1枚だけ。
50年からは6、7番線に隣り合わせで到着。上野高架ホームでは一番の華だったかな。

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昭和54年、秋田駅。20系最後の活躍の頃ですな。

「あけぼの」と言うと奥羽線回りと言う印象が延々と残ってましたので、現在の経路だとどうもピンと来ない感じは拭えませんよ。
今だ乗車した事もない列車ですが、末永く走り続けて欲しいものです。

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2011/2/17

国鉄時代の特急「あずさ」  国鉄特急
ここのところ週末の1日は休めるのですが、休みとなると中々早起きできなくて遠出してません。今週末こそは出掛けたい気持ちはあるのですが・・・

そんなんで、また昔の回想シーンです。
中央東線を今でも走ってる特急「あずさ」。昭和50年前後頃の写真から。
当時、都心部で写真撮ろうと思うと、東海道や東北筋が一番の賑わいでしたから必然的にその沿線に出没する事が多かったですね。
そんな背景もあってか新宿を起点にする中央線沿線に出没するタイミングってあまり無かったようです。おまけに走ってる特急は「あずさ」1種類だけと言う寂しさ。まあ、あまり魅力的とも言えない線区だったかも知れません。
逆に現在の方が臨時列車も含めて数多くの列車が走ってるので、撮るネタには困らないのかも。リニアが出来ても、この路線の特急は安泰のような気もするし。

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昭和48年、新宿駅。181系「あずさ」。既に食堂車の連結は無かったような気がするので、長野移管後でしょうね。

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新宿駅。この頃、優等列車ホームに入る為の入場券が必要でした。1枚くらい取っとけば良かったなー。

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昭和51年、初狩付近。183系「あずさ」幕張車。181系は無くなり幕張の183系と長野の189系で運転されてた頃です。

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昭和52年、高尾付近。189系「あずさ」長野車。幕張の9両に対し長野が10両でグリーン車の位置も合わなかったし、乗客にとっては分かりずらいかも。

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東中野付近。桜の名所ですが、今じゃこんなとこからは撮れないですよね。

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昭和54年、鳥沢付近。数少ないイラストマークの写真です。

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現在の鳥沢鉄橋を走る「あずさ」。鉄橋の色も変わってるし、木々のボリュームも増えてるようですね。
上の写真が撮れた場所ってもっと高い位置ですが、今その場所で撮ることは出来なさそうです。

昭和から平成にかけての写真が全く飛んでるので、初代のあずさ塗装は当然無いし、資料的にも中途半端な結果でした。
しかし、今だ189系は特急色や旧あずさ塗装も残ってるので、往年の「あずさ」を見ることができる幸運な列車でもありますね。

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タグ: あずさ 中央線 国鉄


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