2012/12/18

50.3.10ダイヤ改正前日の記録  国鉄急行
今年も残すところ僅かになってきました。
仕事の方も暇なんで、今回は9連休かなー。と言っても何処へ出かけるわけでもないし、飲んで寝てを繰り返しそうだな。

さて、久しぶりに昔ネタを記事にして見ます。
昭和50年3月10日の国鉄ダイヤ改正、かれこれ37年も前の話になってしまったんですね。早いもんですな。
この改正の一番の目玉は山陽新幹線全通により、在来線の山陽筋から一気に優等列車が消滅した事でしたね。本来なら岡山でも行って撮ってくりゃ良かったかも知れませんが、まだ学生でしたしそりゃちょいと無理な話。
そんな中、首都圏で一番動きがあったのが、新宿駅を中心とする中央線、総武線関連だったと思われます。そんな事もあってかダイヤ改正の前日である3月9日に沿線へと出かけていたようで、ネガのコマ番を追いつつ昔の記憶を紐解いてみましょう。

写真は全て昭和50年3月9日撮影です。
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まずは、この日で消滅する中央東線の普通客車列車。普段はこんな写真撮らないのですが、最終日とあってバックショットを1枚。最後尾はマニ60。
新宿12:08発、松本行き423列車。この後、23:55発の425列車が本当の最終客車になったと思われます。

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その後、駅間で撮る為に東中野へ移動。
EF6441牽引の松本行き423レ。最終日とあって、窓から顔出してる鉄の姿も見えますね。

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直ぐ新宿駅へ戻り、これも本日限りで消滅する急行「みさき」。
新宿から外房線→内房線を通って両国へ向う205M急行「みさき3号」。逆周りをするのが急行「なぎさ」でした。
房総半島内では、上り下りで列車名が違ってたのでかなり分かりずらかった事でしょう。

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2番線からは、これまた本日にて消滅する中央東線系統の気動車急行。
当時は良く見られた多層立てで、先頭から河口湖行き「かわぐち4号」、糸魚川行き「アルプス3号」、中込行き「八ヶ岳」と3本仕立ての編成。
写真は最後尾なので、中込行きの急行「八ヶ岳」となります。この日をもって「アルプス」も日本海側へ顔を出すことも無くなった訳です。

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こちらも、この日を最後に電車化される成田線経由で銚子方面へ向う急行「水郷」。
写真は佐原行きの407D急行「水郷4号」。千葉方面に向かう急行はキハ26も良く混ざってましたね。これも2両目がそれっぽいな。

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そして最後は乗り納め。
新宿16:30発の急行「犬吠6号・水郷6号」銚子行きへ乗車し千葉へ。
列車は佐倉で分割し「犬吠」は総武線、「水郷」は成田線を経由し銚子へ。成田線経由が10分程度余計に費やしてましたね。
写真は、小岩の大カーブ辺りかなー。

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千葉に到着し、最後の気動車急行を見送ります。
翌日からは千葉鉄管内の幹線は全て電車化されてしまったわけです。

まあ、今と違って鉄の人口も少なかったし、あまり騒ぎにもなってなくひっそりと消えて行った列車が多かったようですね。
しかし、この日をもって新宿駅から気動車が姿を消したのを考えると、意外と重大な出来事だったような気もしますけどね。

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2011/12/25

急行「ゆのくに」  国鉄急行
今年も残すところ1週間ですねぇー。この連休も何だかんだと会社に出てます。
しかし、12月に入って毎週金曜日は忘年会続き、酒を飲むのは嫌いじゃないので苦にはならないものの不景気風が吹きまくってる昨今、財布の状態が心配ですよ。
30日が今年最後の忘年会になるのかなー。

そんなんで、昔ネタを掘り起こした記事が続きます。
昔の記憶を辿っていろいろ調べて見ると、急行「ゆのくに」って電車で運行されてたのは、たったの1往復しかなかったんですね。どうも思い込みってのは曖昧で3往復ぐらい走ってたと今まで思ってました。逆に「立山」の方が運転本数が多かったとは・・・しかも1往復は気動車急行だったんですね。
そう思うと、関東者にとっては遭遇チャンスも少なかったはずですが、意外と写ってたんですよ。
当時「ゆのくに」狙いで行動してたとは思えませんし、時間的に良いところを走ってたんですかね。

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最初の関西遠征の時撮ったやつかな。昭和51年、新大阪付近。
まだ急行全盛期の頃でしたから、サハシ+サロ+サロの堂々編成ですよ。大型のヘッドマークも健在の頃。

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昭和51年、大阪駅。電動車は60Hz仕様の470番台でしたが、東北の450番台との外観の違いは良く分からなかった。
隣には見えるのはクモユ141かな。

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昭和51年、大阪駅。この線区も列車番号札はかなりいい加減。
322Mで調べると福井発米原行の普通列車の物でした。

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偶然と言おうか、気動車で運転されてた下りの「ゆのくに1号」も撮影してました。昭和52年、敦賀付近。
新潟行の急行「越後」を併結したサロ2両入りの12両編成。七尾線・能登線への多層立て急行だったんですね。

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そして昭和54年、木ノ本付近。既にサハシは外れ、サロも1両と言う寂しい編成へと。
まあ、今じゃこれでも豪華編成に見えてしまうから不思議な物です。

気動車編成「ゆのくに」はゴーサントウで消滅。1往復だけ残った電車「ゆのくに」も昭和57年に廃止となりました。
急行「ゆのくに」。温泉を抱える沿線にとっては中々良い愛称名だったと思いますよねぇー。

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2010/12/9

急行「十和田」  国鉄急行
前記事から続けてきた青森〜上野間を走る急行列車紹介もこれで最後。
ちょっと整理してみると、東北線経由「八甲田」、東北・奥羽線経由「津軽」、そして今回紹介する常磐・東北線経由「十和田」の3系統が存在してました。もちろん時代は偏ってますが、昭和50年から53年頃までの話です。

急行「十和田」は定期2本、季節1本と3系統の中では最多本数が設定されてました。ただ、編成的には座席比率が高くて、寝台を含む編成は定期の1往復のみでしたね。
しかし、何故か早い時期に格落ちした20系の編成が充当されて一機に寝台化され、急行編成としては豪華な物に変身。折角なんでこれが充当された時期に、帰省の際狙いを定めて仙台〜上野間のナハ21自由席を利用した事を思い出します。
しかし、A寝台の昼間利用を転用したので、ボックスに4人座るとかなり狭かった印象が残っていて、これなら12系の方がましだとその後乗る事は無かったですけど。残念ながらこの頃の写真は撮っていませんでした。
おまけに、当時常磐線内で撮影する機会も殆どなかったようで、この「十和田」に関しては全て推進回送の写真だけと言うオチです。

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EF8012推進の上り「十和田1号」。
寝台なしのオール座席編成。ロザ1両以外は全てハザですね。

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EF8020推進の上り「十和田2号」。
こちらは「津軽」と同じような編成。時刻表見ると一通り揃ってる当時の夜行急行の典型的な編成ですかな。

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同じく20号機推進の臨時「十和田」。季節運転の上り「十和田3号」が12系でしたから、多客期に走る臨時の方がはるかにグレードが高かったんですね。
乗客はどんな車両か知る由もない時代でしたから、運次第ってとこがありましたね。

結局「十和田」はこの程度の写真しか残ってなかったようです。
しかし、この「十和田」は急行にも係わらず常磐線内の停車駅が少なくて、特急「ひたち」が小まめに停車する駅も飛ばして走ってたので、青森急行の中では一番貫禄があったようにも思えます。
上り1号は仙台を出ると相馬、原ノ町、平、水戸、土浦にしか停車しなかったんですよ。

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2010/12/1

急行「津軽」短編成バージョン  国鉄急行
東北急行の続きとして並べて見ます。
時代的には昭和50年頃からの写真です。急行「津軽」は奥羽線回りで上野と青森を結んだ急行で2往復が設定されており、今回紹介するのはハザ1両、Bネ2両を減らした短編成タイプとなります。
この短編成タイプは上野到着時間も10時台と遅く、比較的撮りやすい時間でしたから枚数も残っていたようです。フル編成は6時台着でしたから、やっぱり撮ってる枚数も少なかったですね。青森着も短編成は12時過ぎでした。

前記事で紹介した「八甲田」が11時間で走るのに対し「津軽」は13時間以上かかってましたから、北海道連絡と言うより東北内旅客を意識した列車で有った事が想像できます。まあ、青森「あけぼの」の補完列車と言う位置付けですかな。

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EF5870牽引「津軽2号」推進回送。西日暮里にて。
この70号機、意外と良く撮ってたゴハチでした。

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EF5884牽引「津軽2号」。日暮里付近。
時刻表ではフル編成と同等の表記ですが、実態はBネ、Aネ、ロザともに各1両しか連結していません。

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EF5889牽引「津軽2号」推進回送。西日暮里にて。
もう少し編成の分かるような撮り方とかしとけば良かったなー。
ここまでが、53年改正前の姿ですね。

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53年から仙台に住んでたので、交流区間の写真だけに。
昭和55年からスロも無くなったようなので、その頃の写真ですかね。マニ、Bネ、Aネ以外は12系座席に変わってます。
「津軽4号」豊原〜白坂間。

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ED75763牽引「津軽1号」。追分付近。
荷物車は秋田切り離しで運転。
結局、この写真が津軽を撮った最後の写真。その後の記録はさっぱり歯抜けでした。

結局一度も乗ることも無かった列車でしたし、奥羽線も今だ羽前千歳から新庄までの区間が未乗で残ってる状態です。
今や標準軌も挟まってるし、通しで運転されてた事さえ昔話になってしまいましたね。

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2010/11/27

急行「八甲田」  国鉄急行
久しぶりに古ネタに戻りましょう。
上野口に到着する客車急行の場合、撮影メモでも取ってない限り今さら列車名を限定するのも大変なんです。当然の如くヘッドマークは無いし。まあ、牽引機によってある程度は限定も可能ですけどね。
ところが、今やネットで当時の編成を知る事が出来るんですよね。いやー便利になったものです。そんなんで、当時のネガを照らし合わせる事で列車名が次々と判明したのです。

まずは、上野〜青森間を11時間で走ってた急行「八甲田」。
昭和51年10月改正から53年改正までの姿。と言うかこの時代しか写真に収めて無かったですけど。
大学時代を仙台で過したので、帰省の際には利用した事があったのですが、既に12系モノクラスになってからしか乗ってなかったかな。
東北急行の中では座席主体の編成で、仙台回転のBネ以外オール座席編成。上野へはグリーン1両を含む9両編成で運転されてました。
牽引機は宇都宮のEF57、EF58でしたが、EF58牽引のやつしか当らなかったですね。

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昭和51年、西日暮里。EF5870牽引の「八甲田」。
上野着が11時過ぎでしたから、仙台以南からの利用客も多かったですね。
機関車次位のオユ、ワサフ編成もこの時代を語ってますな。

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昭和52年、鶯谷。EF58108牽引の推進回送ですかね。
こうして見ると原形小窓のゴハチも格好良いですねぇー。
53年改正前ですから、スロ62にも帯がしっかり入ってます。

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昭和52年、尾久〜赤羽間。EF58122牽引。
後期になると10系客車の比率も高くなってきました。

この「八甲田」も、53年の改正から郵便車の連結が無くなり、54年から12系へと変遷して行ったようです。
しかし、定期列車は編成から判別できますが、51号とかになるともうお手上げですよ。


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2010/10/13

急行「ゆけむり」から特急「水上」そして・・  国鉄急行
やっと仕事の方も一段落、週末は天気さえ良ければどっか出かけてこようかな。
年末のダイヤ改正で在来線の方も動きがあるようですね。特に馴染みのあった上越線の特急「水上」がついに臨時化とは寂しい限りです。

小学生の頃からスキーなどやってたものですから、スキー場に向う列車として水上行きは良く利用しました。当時、父親の職場に関連する保養所が水上にあったもんで、大穴スキー場は結構行ったものです。
新潟行の「佐渡」はスキーシーズンなどかなり混んでたので、いつも水上行の「ゆけむり」専門でしたね。もちろん、高嶺の花の「とき」なんぞ乗れませんでしたよ。
そして、働くようになってからは、天神平がホームとなって仲間内で出かけてましたね。殆ど全員が飲んだくれでしたから、いつも列車でスキーです。やはり交通費を安くするため、在来線特急利用。
今や足腰も衰えて、スキーどころじゃなくなってしまいましたけど。

そんな思いもあり、物心ついた頃からの水上行の優等列車を紹介してみましょう。
まずは、急行「ゆけむり」なんですけど、ヘッドマークもない165系で運転されてたので、列車番号表記で判断するしか手立てはありません。しかし、その時の時刻表も無いので、予測になってしまう事をお許しを。

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昭和47年頃の上野。
900番台の列車番号が高崎、上越の短距離急行に割り振られてたと思いますので「ゆけむり」では?。ただ、「草津」や「あかぎ」を併結してたのでイマイチはっきりしません。

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昭和50年。901Mの表示だと確実に「ゆけむり・草津」ですね。
新前橋の165系は、利用されないヘッドマークステーが付いてるのが特長。今の特急「水上」より停車駅は少なかったので、いかに特急の地位が下がったか。

そして、新幹線が開業すると新潟行は廃止されるも短距離が幸いしたか、水上行は存続され特急に格上げされました。
新特急の冠は何時からなのか分かりませんが、愛称は「谷川」へと変更。

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新特急「谷川」。リレー号をそのまま持ってきたやつですね。

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「谷川」も新幹線東京開業の際、名前を譲って消滅。「ゆけむり」復活かと思われたが、単純な「水上」となってしまった。

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そして鉄復活後に撮った特急「水上」。2007年11月。
田町の185系が使われてたんですね。列車番号を見る限りでは定期運用です。

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2008年。183系臨時「水上」。たまたま撮れたやつですかね。こちらのイラストマークの方が断然良い感じ。

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普段着の「水上」はこんなものしか撮って無かった。

臨時化されても残るので焦って撮る必要もないですが、少しはまともな写真も撮っときたいです。
急行時代は「ゆけむり」がメインで7往復程度の設定がありましたが、今では完全にサブに回ってしまったので、偶然撮れる対象ではなくなってしまった。しかし、渋川から先の定期特急が消滅という事で、また在来線特急は縮小の一途を辿ってますな。

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2010/7/7

急行「あしずり」  国鉄急行
今週も外出ばかりで、製作仕事が詰まってしまい大変な状態です。
今やっと発注データも仕上がって一段落。

今月末にFe仲間と四国まで遠征するのですが、果たして天気は如何なんでしょうか。早いとこ梅雨も明けて欲しいものですね。
四国も昭和50年代前半に2度ほど写真を撮りに行ってますが、その後は出張程度でしか訪れる機会も無く鉄道に関しては疎遠になってる場所の一つです。当時はもちろん電化区間など無かったので線路脇から撮り放題でしたが、今じゃ周囲の風景も大分変わってる事でしょう。そんなんで、四国の急行ネタでも記事にして見ますかな。

以前の記事で急行「うわじま」は紹介してるので、今回は土讃線系統の急行「あしずり」です。
当時、四国の玄関口であった高松駅では誤乗防止の意味もあったのか、急行は方面別に色の違うヘッドマークが用意されており、予讃は青地、土讃は赤地、高徳は緑地でした。高松では徳島線を走る「よしの川」以外の急行全てが見られる場所でしたから、撮る方に取っては好都合な場所でしたよ。
しかし、「よしの川」は阿波池田で土讃線の急行に併結される存在なのに青地のマークと言うもの変ですね。

「あしずり」は名前の通り足摺岬近くの中村までを結ぶ急行で、高知行きは「土佐」と名前を変えて運転されてました。乗客にとっても分かりやすい運行形態ですな。
昭和50年の時刻表を見ると同区間を走る夜行普通列車も存在してたんですね。グリーンが連結されてるので「あしずり」の間合い使用だったと想像できます。

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国分〜讃岐府中。
今は当然の如く架線柱が立ってるでしょう。

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讃岐府中〜鴨川。
四国山地を越えるので、キハ65を2両組み込んでます。

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国分〜讃岐府中。
四国はグリーン車の帯を廃止するのが早かったと思います。

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高松駅。
珍しくキハ65を先頭にした姿。高松駅もかなり変わってるんでしょうね。

この写真を撮った辺りにも再訪してみたい気もしますが、当時の記憶もあんまり残ってないので、果たして辿り着けるかどうか・・。

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2010/5/18

キハ27/56どっちの顔が好み  国鉄急行
海外ネタも一段落。また、昔ネタに戻りましょう。
季節外れの冬景色ですが、急行形気動車の話です。国鉄時代の急行気動車と言えばキハ28、58に代表される顔つきを思い浮かべますよね。この系列は北海道を除いた日本全土で見る事ができました。と言うと北海道には無かったのか。実はそっくりな顔つきのキハ27、56が走ってたんですよ。
もちろん北海道仕様の小型2重窓で側面での相違は一目瞭然でしたが、正面はキハ28、58系列と同じでした。ただ、当時は有名な話(昭和50年頃)でキハ27、56の製造初期タイプの顔つきがその後のやつと違ってたんです。
今や両形式とも存在しないので、あまりピンと来ないかも知れませんけど、この初期タイプは蒸気時代でも狙い目だった事を覚えています。

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昭和49年札幌駅。上手い具合に初期車と並んでくれた写真です。
左が一般的な急行形の顔つきですね。右が56か27は分からないのですが製造番号5の若番です。
よーく見比べてください。ヘッドライトの位置を見れば分かると思いますが、寄り眼なんですよね。また、タイフォンの上にランボードが付いてます。
キハ28、58にはこの顔つきは存在しなかったので、北海道だけで見られた顔つきだったんです。パノラミックウインドウ車も好きでしたが、微妙なひょうきん顔も捨てがたい存在でしたよ。
何番までが寄り眼だったかは分かりませんが、これに出会えたのはこの時だけでしたね。

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2010/4/24

475系 急行「くずりゅう」  国鉄急行
いよいよ来週からゴールデンウイークですね。毎年、休み前は仕事でアタフタしてるんですが、今年は全然ですよ。まあ、たまにはこんなのも良いですな。
この休みは煙に巻かれてくる予定です。

ここの所、出かける機会も無かったのでオンタイムネタが不足中。そんなんで、またアーカイブからの蔵出しネタです。
今回は、米原から金沢を結んでいた急行「くずりゅう」。この列車は昭和46年に乗ったことあるんです。当時、東京から北陸に向かう際、東海道新幹線の米原から北陸線を使うルートが一般的でした。当然、湖西線など出来てない時代でしたから、「雷鳥」「しらさぎ」「北越」などの特急も走ってましたが、まだやはり特急は高嶺の花の頃、乗り継ぎ割り引きでも急行が良いところでしたね。

この「くずりゅう」は、その後の特急「加越」の原形となるような列車で、最後までモノクラス6両の編成で走ってました。当時いくら急行と言えど電車運転されてるやつはグリーン車の連結が有りましたから、かなり見劣りする編成でした。ただ、この編成は料金不要の快速と共通運用を組んでたので、効率を考えると止むを得なかったのでしょうね。

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昭和46年米原駅。まだ60Hz識別帯が残ってる頃。
ヘッドマークも大型のタイプで、見た目には立派に見えますよね。

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昭和53年頃。既に帯びも無くなりマークも小型化されてます。

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昭和51年敦賀付近。くずりゅうと共通運用の快速。日めくり型のヘッドマークでしたから、快速表示も用意されてました。

「くずりゅう」も特急列車大衆化の波を受け「加越」に取って変わられJR化前に姿を消してしまいました。しかし、車両の方は今でも現役で残ってるのですから、リバイバルでも出来そうですね。
そう言えば、昭和46年の時に「こしじ」と言うマークを出した快速もあったのですが、時刻表には愛称名は出てなかったですよね。

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2010/3/31

475系 急行「日南」  国鉄急行
久しぶりの国鉄急行シリーズ。昭和52年頃に撮影した列車です。
交直流タイプの電車急行形は本州、九州に在籍しており、一般的に50Hzは451系列、60Hzは471系列に大別されてました。その後、直流急行型同様に出力アップ、抑速ブレーキと165系に相当する455系へと発展していきます。そして最終形として3電源を走れる457系が登場し、交直流急行形電車の最盛期を迎える事となります。
本州内では交流50Hzから交流60Hzに直接切り替わる区間は存在してなかったので、東北系統と西日本系統の区分が簡単に出来た事も理由ではないでしょうか。デビュー当初は60Hz車の車体裾部にクリームの帯が入っていて外観上でも簡単に見分ける事ができましたが、後にこの帯も省略され同塗装となり見分けも難しくなってしまいましたね。
当時、日本海縦貫線を走る急行「しらゆき」が交流60Hz→直流→交流50Hzの全線電化区間を走ってましたが、最後まで気動車のままだったと言うのも勿体無い話です。そんなんで、結局この457系が3線区間を又にかけて走る場面は登場して無かったと思われます。

さて本題の急行「日南」は名前から分かる通り九州内を走る列車で、撮影当時は門司港から宮崎までの運転となっていました。4往復が設定されていて、夜行設定の4号のみが宮崎から西鹿児島まで普通列車となり日豊線全線を走り通す存在でした。残りの3往復が電車運転ですが、3往復とも運転区間が違っていて1号は別府から、2号は門司港から、3号は小倉からとなっています。
この時代、急行のヘッドマークを掲げてたのは一部の地域に限定されてたので、この「日南」も良く撮ってたなと言う感じでしたね。
写真は全て下り505M日南2号を日向市駅付近で撮ったやつです。

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サイドから編成が分かる写真なども後々の記録としては良いですな。

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九州車と言えど、デフロスタやスノウプロウ付きなのは北陸系統と転属の際に手間を省く為でしょうね。

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7両でサロ、サハシも組み込んでますから、急行編成としては納得できますよ。ただ、サハシの営業はとうに終わってましたけど。

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お椀型のタイフォンカバーも関東では見られない設備でしたねぇー。列車番号札も使われて無かったようですな。

カラーで撮ってるのが全く無いと言うお粗末な結果でした。
その後「日南」として最後まで残ったのが夜行の客車となりましたが、その筋は今でも「ドリームにちりん」として残っている事は喜ばしいですな。先日の「能登」廃止で全座席編成の定期列車として唯一の存在になってしまったかな。

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