女性の気持ちから
七夕にそうめんを…
今でも
七夕
になると願いごとを書いた短冊や折り紙を竹の小枝につるし、玄関や縁側、室内などに飾る。夕食には母の手作りになる冷やそうめんを食べる。ひやむぎの家もある。赤や青、黄に染められたひやむぎが、器の中で二すじ三すじ流れている。いやがうえにも情緒が出る。
七夕にそうめんを食べる風習は、遠く平安期のころからあった。昔は、糸をつむぎ、織り、裁ち、縫う、すべて女性の仕事だった。
愛する人のために布を織る。紐を結ぶ。夫や子らのために、一枚の布を織る。そのひとすじひとすじの糸に、織ったひとのこころがこもる。明日もまた共に安らかに生きようと呼びかける、そんな願いがこもっていた。
その機織の上達を祈るため、七夕の夜にそうめんを供え、そして食べた。糸に見たてたのである。神さまに供えるそうえんのおかずは、初なりのエダマメ、ササゲ、ウリ、ナシ、モモ、ハスの実などであった。
機(はたもの)も踏木持ち行きて天の河
打橋わたす君が来むため (万葉集)
布を織る水平型の機台を棚機(たなばた)とよんだ。この機台は五世紀ごろ中国から伝わった。そして、八世紀、万葉のころになると、日本でも製作され、五百機立てといわれるくらい各地にひろまった。
機織にたずさわるおんなのひとを棚機女(たなばたつめ)とよんだ。中国から伝わった牽牛と織姫との伝説により、日本では機織の方に関心が強かったのだろうか、七夕祭(しちせきまつり)をたなばた祭とよぶようになった


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