マリナーズの城島が2試合連続でHRを打った。
今は対戦相手も、
城島がどういう打者か?という傾向と対策が練れていないという事にしたとしても、凄い事だろうと。
話しは変わるが、よく巷で「
面白い野球を見せて欲しい」という言葉が上がるが、
そりゃ一体なんじゃ?といつも思うわけである。
例えば現在の阪神と、星野時代の阪神を比べて考えてみる。
試合に勝つ為の、
戦法など打順次第では変わってくるのだろうが、実は
戦術という面から見れば、さほどの変化は感じられないと、最近思うわけであると。
星野阪神の代名詞「
繋がり」というモノがあるが、この「繋がり」という観点で、現阪神との違いを考えてみる。
繋がりといっても
繋がったと
繋いで行くとでは大きな違いがあると思う。
簡単に言えば、
結果繋がったと
繋ぐ為に意志を持って行動するという違いがあると。
岡田阪神の場合は、「繋がり」を前提にした作戦を取らないというか、まず選手に対して「
繋ぎを意識した指示」を出さない。
劣勢な状況を打破するのも、圧倒的に相手を粉砕するにしても、とにかく選手の、
自由意志によって行われるというのが、岡田阪神だと思う。
全部が全部選手の意志では、さすがに無いだろうし、データを考慮した作戦や指示などもあるだろう(例えばこの投手のタイプがAだとしたら、対策として絞る球種と打つ方向の指示など)。
この選手に対しての「自由意志」を尊重する野球というのは、比較的に長嶋巨人が得意というか、支配下選手を見ると「指示」など出し様が無い野球だったと。
長嶋野球の場合は、
選手の自由意志野球=HR野球となっていた。
そのHR野球という、一見豪快そうで魅力感あるイメージだが、実際には「
ワンパターン」であり、攻撃にスピード感をもたらさない、なんとも「
重たい野球」となってしまった。
岡田阪神の場合は、タイプ別にしっかりとした「
役割分担」が出来ているので、長嶋巨人の時のような重たさの無い自由意志野球となっているが、赤星以外は走る能力のある選手でも、走ろうとしない。
つまりサインが無ければ、走れない。自分の意志では走る決断が持てない選手が多いので、そこはベンチから指示を出してやり「
走り慣れ」をさせないといけないだろうとは思う。
岡田阪神の主力は主に、経験豊富なベテランだから、自由意志野球を行いやすい環境にあると。
がしかし今の楽天みたいなチームだと、そうはいかない。
選手の意志に任せても、選手自体が「勝つ為の意識」を
どう持てば良いのか?と分らない選手が多いのだから、選手に任せる事は出来ない。
野村氏みたいな、選手に「繋ぎぐ為の指示」などや「抑える為の指示」など、常に首脳陣主体でゲームを動かせる人でないと、このチームは歯車として回転できない状況にあると思う。
あとはその「指示」をベンチから出される事によって、選手自身が状況判断を持てるようになるまで、野村楽天は待たなければいけないと。
それが何年後になるかは分らないが・・・。百戦錬磨でチームの鏡みたいになれる選手を獲得出来れば、野村監督としても、やりやすいのだろうが。
ようは
フロント次第で早く強くするか?
野村氏に任せて、じっくりと強くするか?のどちらかだろうと、楽天は。
星野阪神の場合は、
金本という素晴らしく、微温湯にひたって溶け出していた阪神の選手達に、考え方の甘さを自覚させる事が出来る選手を獲得できたのが大きいと。
その金本の存在により、選手の野球に対する姿勢を「甘さ」から「激しさ」へと、星野氏は変化させやすい環境にあったので、意識付けがすんなりと行き、強運もあったのか優勝できたと。
何が星野阪神の最大の魅力だったのか?と考えれば、もう上にあげた通りに、
甘さから激しさなどの変化を常に見れる事が、最大の魅力にあったと思う。
さして特別な野球をやっていたわけでなく、ただたんに選手の意識を変化させた事で、チーム全体が激変し、特別な「
繋がり野球」と変化したのではないかと。
ベンチの指示も当然あるだろうが。
岡田野球は、野村氏による意識付け、星野氏による変化によってもたらされた、
自由意志野球であるとするならば、
長い月日をかけての完成形に近づいているのだろうか?と思うわけであると。
この自由意志野球が面白いかどうか?というのは、長嶋巨人を例に挙げた通り判断出来ない。
でも選手の創造豊かなイメージにより作り上げられた野球というモノが、存在したとするならば、素晴らしい事だろうと。
野球のゲーム性から言って、難しいとは思うが、「マンネリ化」という危険性を塞ごうと思えば、創造性を持った野球というのが、無くてはならないだろうと。
面白い野球というのは、自由意志による
創造野球かな?と思うわけであると。

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