関東で買い物をする。
「000円です」
「すみませんが、もう少し何とかならないものでしょうか?」
という会話はまず聞かない。
関西では
「000円です」
「わるいけどど、ちょっとまけて〜な〜」
という会話が、しょっちゅうである。
以前ワタクシが勤めていた所でも「負けて〜や」的な常連客は多くいた。
「常連だから」という常套手段に対抗手段などは無いのである。素直に常套手段を受けといて常連でいてくれた方が、店としてはありがたいので、「まける」という事を「悪」という概念は持っていなかったし、客側にとっても「常連でいる=どこの店よりも多少は安くものを買える」という、両方にとってプラスに働くわけであると。
しかし、関東に来ると「まける」という事を打ち出すこと自体が、恥ずかしい行為の様に思えてしまうのは、なぜだろうか?
世界では「値引き交渉」などは当たり前のように繰り返される。中国なんて酷いもので、日本人は「値引き交渉をしない」と踏んでいるので、原価に対して、数十倍もの値段を平気でふっかけてくる。中国人がこういう交渉術をしてくるのは、日本人相手に「この交渉で1番おいしい思いをしてきた」と思わせてしまった、日本人の交渉下手な所からきているのだろうと。
「そんな値段で買うか!」と言えば、向こうも商売をしなければならないので、そこからが本当の原価に見合う値段での交渉が始まるわけで、値引きの見せ所となるのだが、それが関東人には出来ないらしい。
民主化の進んだスマートな国と言われている所ならば、原価に見合う値段ではなっから交渉してくるでしょう。そこには「値引き交渉」などはなっから含まれていないかもしれません。
しかし、大多数の国は民主化が遅れており、経済的に不安定な国が圧倒的であります。そういう国では、えげつないほどにあつかましくふるまう方が「得」を得てきたのでしょう。
圧倒的に、あつかましい交渉をする店やタクシーの運転手などが大多数を占めているわけです。
そういう交渉に対して、いかに対応するのか?対応術を、今後輩社員に数人で教育している時期であるわけです。
これが面白い!のなんのって!
実戦練習として、個人店の古着屋や商店街での食品店などで、買い物をさせ
「いかに安く買うか」という競争をさせるのですが、やはり関西出身者が圧倒的に上手さを発揮するわけですな。
値引きマニュアルというものも作って渡すのですが、どうしても関東出身者や他の県の者は、そのマニュアルに頼った行動しか取れずに、値引き額も店側を配慮した金額で抑えてしまう。
しかし関西出身者は、値引きも「自分本位」で交渉に入るので、店側との「妥協点」を見つける作業み、店側から主導権を握る事になるわけです。
つまり関西以外の出身者の交渉が
「店に悪いので、なるべく安い金額でまけてもらおう」という所から始めるので
「100円まけてくれませんか?」「あ〜いい〜よ」ですんなりと、終了する。
つまり、店側にとって痛くも痒くもない金額を、はなっから設定していまうので、交渉とは言えず値引きとも言えないと。
関西出身者の場合は、「原価の半額まけて」と店側にとって、とんでもない金額を要求する所から始めるわけである。店側が「そんな金額で売れるか」と言うと、「じゃ〜〇〇では?」と、お互いの妥協点を探る交渉が始まるわけである。
でなかなか店側がおれない時には、「また来るから」「常連になるから」という、常套手段も付け加えるのを、決して忘れではいない。
店側にとっては、そこで行われている「値引き交渉」よりも、毎日来てくれるという方が、圧倒的に魅力的なわけである。買い手としては、魚や野菜を毎日他の店よりも安く手に入れる事が出来る。店側も毎日売上が上がる客を手に入れる事が出来る。
お互いをプラスに持って行く事が出来てこそ、初めて「交渉成功」といえるのだと。
そういう事をなぜ関西出身者は、自然と上手くこなせるのか?
ちょっと興味をそそるわけであると。
野球界でも外国人選手などは、1年活躍すれば、代理人によって高い給料をふっかけられるはめとなる。その金額を不服とすれば、代理人とすれば他球団へと交渉を移せばいいわけであると。代理人にとっては、選手を高く売って、自分に入って来る金額を少しでも上げたいわけで、金額設定などはメチャクチャなケースが多々ある。
つまりマネーゲームを招くようにし掛けるのだが、それに対して対抗手段も無く、高い金額を払える球団に移籍するような仕組みしか無いわけだと。
高いメチャクチャな金額でも買ってしまうような球団があるから、代理人にメチャクチャな金額をふっかけられてしまうのだとしたら、外人選手相手にも「交渉」の仕組みを全球団一致となって取り決めしなければ、無法地帯と化し、言われるがままの状態から抜け出せないだろうと思うこの頃なわけです。

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