2006/7/25
直立不動の少年 憲法9条を考える
この少年のことはなにも説明は要らないと思っていましたが、カメラマンが気になっていて、何となくHPを散歩中に彼を見つけました。
そして、こんな本が出てることも。
『トランクの中の日本/米従軍カメラマンの非公式記録』・・残念ですが
ネット書店ではどこも在庫なしでした。
この本のジョー・オダネル氏とは
戦争が日本各地に残した傷跡を私用カメラでも撮影したJ・オダネル。
彼は密かに写真を持ち帰り、悲惨な光景の記憶とともに屋根裏部屋のトランクの中にしまい込んだ。43年後、トランクを開けさせたのは彼の平和への願いだった。* (Amazon.comの商品説明を転載)
原爆被爆地の広島・長崎を中心に被爆状況を撮影中みずから放射能の被爆者となる。
1923年生まれ。
1945年海兵隊従軍カメラマンとして来日。
(この写真を撮ったのは22,3歳だったんですね==あわたん記)
1949年以後、ホワイトハウス専従カメラマンとして5代の大統領に仕える。
1968年健康上の理由でホワイトハウスを去る。以後、被爆の後遺症で入退院を繰り返すうち、原爆投下の疑問が大きくなり、トランクの中のネガ・フィルムを取り出す。(学校図書株式会社 https://www.gakuto.co.jp/hikokugo/sakuhin03/021mokugeki.html 転載から)
かれの写真は
http://www.mindspring.com/%7Ekimjo/newpage1.htm
で見ることができます。HPでは76歳となっていますが・・・
直立不動の少年の記事があったので紹介します。
msnニュース<ティーンズに開くNewsの窓:/12 語り継ぐ原爆 想像力、時空超えて>
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/p20060717ddm012070132000c.html
この中から一部転載で。
◇1枚の写真から
ここにある写真は、占領軍のカメラマンとして終戦直後に来日したジョー・オダネルさんが長崎で撮影したものです。
(小学館「トランクの中の日本−−米従軍カメラマンの非公式記録」所収)
秋になっても被爆した人々は相次いで原爆症を発症し、息絶えていました。
市内の川岸に浅い穴が掘られて臨時の「焼き場」(火葬場)が作られ、遺体が運び込まれてきます。
この10歳ぐらいの少年は既に息のない幼い弟を背負い、そのなきがらを荼毘に付す順番を待っていました。
おそらくカメラを向けられた時、戦時中に学校で教えられた通り「直立不動」の姿勢をとったのでしょう。
本の中でオダネルさんはこう語っています。
<私はカメラのファインダーを通して、涙も出ないほどの悲しみに打ちひしがれた顔を見守った。私は彼の肩を抱いてやりたかった。しかし声をかけることもできないまま、ただもう一度シャッターを切った。急に彼は回れ右をすると、背筋をぴんと張り、まっすぐ前を見て歩み去った>
こうした光景は、長崎、広島だけでなく、焦土となったあらゆる街や海外の戦場で繰り返されたことでしょう。
いや、今も世界中の戦火の絶えぬ所で続いていることでしょう。
60年以上の年月を超えて、この1枚の写真は無言で私たちを打ち続けるのです。
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そして、こんな本が出てることも。
『トランクの中の日本/米従軍カメラマンの非公式記録』・・残念ですが
ネット書店ではどこも在庫なしでした。
この本のジョー・オダネル氏とは
戦争が日本各地に残した傷跡を私用カメラでも撮影したJ・オダネル。
彼は密かに写真を持ち帰り、悲惨な光景の記憶とともに屋根裏部屋のトランクの中にしまい込んだ。43年後、トランクを開けさせたのは彼の平和への願いだった。* (Amazon.comの商品説明を転載)
原爆被爆地の広島・長崎を中心に被爆状況を撮影中みずから放射能の被爆者となる。
1923年生まれ。
1945年海兵隊従軍カメラマンとして来日。
(この写真を撮ったのは22,3歳だったんですね==あわたん記)
1949年以後、ホワイトハウス専従カメラマンとして5代の大統領に仕える。
1968年健康上の理由でホワイトハウスを去る。以後、被爆の後遺症で入退院を繰り返すうち、原爆投下の疑問が大きくなり、トランクの中のネガ・フィルムを取り出す。(学校図書株式会社 https://www.gakuto.co.jp/hikokugo/sakuhin03/021mokugeki.html 転載から)
かれの写真は
http://www.mindspring.com/%7Ekimjo/newpage1.htm
で見ることができます。HPでは76歳となっていますが・・・
直立不動の少年の記事があったので紹介します。
msnニュース<ティーンズに開くNewsの窓:/12 語り継ぐ原爆 想像力、時空超えて>
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/p20060717ddm012070132000c.html
この中から一部転載で。
◇1枚の写真から
ここにある写真は、占領軍のカメラマンとして終戦直後に来日したジョー・オダネルさんが長崎で撮影したものです。
(小学館「トランクの中の日本−−米従軍カメラマンの非公式記録」所収)
秋になっても被爆した人々は相次いで原爆症を発症し、息絶えていました。
市内の川岸に浅い穴が掘られて臨時の「焼き場」(火葬場)が作られ、遺体が運び込まれてきます。
この10歳ぐらいの少年は既に息のない幼い弟を背負い、そのなきがらを荼毘に付す順番を待っていました。
おそらくカメラを向けられた時、戦時中に学校で教えられた通り「直立不動」の姿勢をとったのでしょう。
本の中でオダネルさんはこう語っています。
<私はカメラのファインダーを通して、涙も出ないほどの悲しみに打ちひしがれた顔を見守った。私は彼の肩を抱いてやりたかった。しかし声をかけることもできないまま、ただもう一度シャッターを切った。急に彼は回れ右をすると、背筋をぴんと張り、まっすぐ前を見て歩み去った>
こうした光景は、長崎、広島だけでなく、焦土となったあらゆる街や海外の戦場で繰り返されたことでしょう。
いや、今も世界中の戦火の絶えぬ所で続いていることでしょう。
60年以上の年月を超えて、この1枚の写真は無言で私たちを打ち続けるのです。

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