週末に珍しい経験をしました。
時間差ながら知り合いと、
同じ日に、
同じことを思い立ち、
同じ店に行き、
同じものを頼んで、
同じ感想を持ってガッカリし、
同じことを考えながら帰る途中に、
同じことを思い出し、
同じ店にハシゴして、
同じものに気付いて不思議に思い、
同じ感想を持って、
同じく半分残し、
同じ気持ちになった。
先日飲みに行った時に、ある飲食店の話になった。
1人のお客さんが、『その店って俺んちから近いから、この週末にでも行ってみっかな』なんて言ってたのを土曜日に思い出した。
予定を変更して自転車で出かけたのだが、色々と複雑な気分で帰ってきた。
これは飲みに行った先のマスターにでも話をしとこうかと、開店早々立ち寄ったわけです。
私『この前話に出てた○○○に行ってきましたよ。』
マスター『えっ!私も昼に行ってましたよ。開店と同時に入りました。』
私『ちょうど話を思い出してさ。マスターの1時間後に行ったんだね。』
マ『なぜかあの時の話を思い出して、急に行っちゃいました。』
店で同じものを頼むことは良くありますよね。
同じ感想を持つこともある。
同じ理由でガッカリすることだってある。
私もマスターも油切れの悪さが気になって、あまり楽しめなかったのだ。
特にキノコがね、なんて話してた。
『それにしても奇遇ですね、時間がずれてたら店でバッタリだったね。』と話しながら、その後の事を言い始めた。
私『なんかさ、残尿感というか、今ひとつ満足できなくてね。』
マ『私もそうでしたね。何をどうしたらああなるんでしょう?』
私『そうそう。帰り道でずっとそれを考えてた。』
マ『珍しく少ししか食べませんでしたよ。』
私『俺もそう。家から近いと言ってた人の好みとも違いそうだな。』
マ『あの人は今日行かなかったんですかね。3人出会ったら面白かったですね。』
私『でも食べた後、俺はあの人が絶賛してたカツ丼を食べに行ったんだ。』
マ『まじっすか!俺も行きましたよ!ハシゴしました。』
私『本当?!急にあの人のこと思い出してさ。絶賛してた蕎麦屋のカツ丼。』
マ『私もそうですよ。大通りまで出たところで思い出して。』
私『奇遇だねぇ。俺も大通りに出たときに思い出したよ!』
マ『あの店、すごくなかったですか?』
私『俺が入ったときには、店の中に誰もいなくてさ。店、大丈夫かね。』
マ『分かる分かる。入った瞬間に、あっ、やっちゃったかなって言う・・』
私『小上がりに腰掛けながら店の人が来るまで1人で甲子園見てた。』
マ『カウンターにスゴイのありませんでした?』
私『おぉ!あった。でっかい塊でしょ。あれなんだろう?』
マ『あれトンカツじゃないですかね。見つけたとき、眼が点になりました。』
私『いくらなんでも、トンカツなら見て分かるよ。不思議なものだった。』
マ『いや絶対、トンカツですって。変なものカウンターに置かないでしょ。』
私『あんなデカイ塊だよ。草鞋みたいな、ゲンコツみたいな・・・』
マ『だって天ぷらみたいにバットに入ってたじゃないですか。』
私『確かにもしかしたらと思って、カツ丼出てきたときに見比べたけどね。』
マ『私もそうしました。』
私『でもカツだったら、コロモがあるじゃない。見たら分かるって。』
マ『そうですけど、カツ以外に蕎麦屋であんな形のもの使います?』
確かに出てきたカツ丼は、器から盛り上がって蓋が閉まらないくらいだった。
器一面にトンカツが詰まっているんです。
このあたりの話になる頃には、店には他のお客さんもいる。
マスターと私のやり取りを笑いながら聞いてる。
でもマスターも私も、決してその蕎麦屋を揶揄している訳ではないんです。
パッと見、絶対にトンカツに見えない不可思議なものの存在。
でも状況からして多分トンカツと思わざるを得ないと言う驚き。
絶賛した人のお勧めに間違いはないはずだという戸惑い。
マスターと私がほぼ同じ思考&行動パターンだったという珍しさ。
それはまるで、別人に起こったデジャヴだ。
1時間前にマスターが感じたこと、取った行動を、ほとんどそのまま私が追体験している。

そのトンカツがどれだけ巨大か。
右の写真はトンカツのコロモを剥がしたものではありません。
横にしたトンカツの断面。
切り幅ではなくて、厚みです。
ご飯の上に乗っているトンカツがこの厚みを持っているのですから、あのカウンターにあったゲンコツは確かにトンカツだったのでしょう。
味がまた濃いんです。
タマネギなんか、醤油で煮たのかというぐらいの色。
ご飯の色も、うな重のタレ多めかと思うぐらいです。
でも、何故だか懐かしい気がする。
遠い子供の頃の記憶がよみがえってくる。
私『味も濃かったですよね。』
マ『すき焼きのタレでとじてあるのかと思った。』
私『食べた瞬間に、完食できないと思っちゃったな・・・』
マ『肉もすごかった。いかにも
豚肉〜〜〜〜!ッていう感じ。』
私『豚臭かったなぁ。最近じゃ珍しいよね。』
マ『そうですね。おかしな言い方だけど、噛むと肉も脂身も本当に豚でした。』
私『でもさ、食べながら双葉の特撰って良い肉なんだと改めて思ったよ。』
マ『私も。俺って大人になったんだなって。良いもの食っているんだと。』
私『昔じゃ考えられないような良いもの食っているんだよ。』
マ『子供の頃って、肉って言えばただの豚でしたもの。』
子供の頃に街にあった、レストランじゃなくて食堂。
ハンバーグも親子丼も、ラーメンやナポリタンも、なんでもあった食堂。
そこで食べたカツ丼の肉は、確かに豚の匂いがした。
高い肉とは質の良い肉じゃなく、分厚い肉のことだった。
そんな頃と比べると、たまに贅沢するようになった私たちは自分で金を稼げる大人になったんだなと思った。
そして昔とは質の異なる美味しいものが身近に存在するような世の中になっていた。
私『俺さ、白状すると十数年ぶりにご飯を残しちゃったんだよね。』
マ『えっ!本当ですか?実は私もなんです。外でご飯残したの初めてかも。』
私『なんか、ものすごい罪悪感があってさ。』
マ『私、食べてないのに丼持ち上げてかき込む仕草しちゃいました。』
私『俺はオヤジさんが後ろ向いた隙に蓋閉めちゃった。』
マ『そそくさとお勘定して逃げるように出てきた。』
私『俺もだわ。』
私たちの話に耳を傾けていたお客さんが、この2人が残したというのでそんなに不味かったのかと聞いてきた。
マ『不味かったから残したんじゃないんです。打ちのめされちゃったんです。』
私『そうそう。なんかねぇ、言いようのない衝撃だったんですよ。』
マ『確かに旨くもなかったけど。それよりも、あぁぁ俺って・・って言う。』
私『胸がいっぱいというのとも違うんだけど、箸が止まっちゃったんですよ。』
マ『そうなんです。いろんな思いが沸き起こってきてさ。残しちゃったわけ。』
マスターと私は同じ店をハシゴし、同じことを考え、似たような胸のつかえを感じて、ご飯を残した。
『このときこんなこと考えててさ』というと、『あぁ、同じこと思ってた』という遣り取りが何度あったことだろう。
重ねて言いますが、決してまずくて残したのではありません。
食べ進むと涌いてくる、いろんな想い。
やたらと衝撃的だったんです。
不思議な体験でした。

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