今日は言葉もなく涙るいな気分です。
一人のおばあちゃんがお店に飛び込んできました。
タクシーを呼んで欲しい。
白河まで行きたいのですとの事。
タクシーを呼んでも、白河からだと30分は早くても待つようですよ。
話の流れでもし大丈夫なら白河まで乗せてほしい。
今日は幸いお店は暇、さらに助っ人もいたので駅まで送ることにしました。
車の乗り話を聞いてみると・・・・・
実はお店に飛び込むまでに2時間も歩いてきていました。
お年は聞きませんでしたが70歳後半でしょう。
歩いてくる途中には公衆電話もなく
どこも相手にされなかったようでもあります。
これからどうしても、いわきまで用事で行かなければならない。
そこでまずは白河駅まで行きたいのです。
もともとは原発に近いところで農家をしている家。
それが、爆発するからとにかく10キロより離れなさいといわれ
避難したら、さらに20キロより遠くへと言われて逃げ、
最後には30キロより出なければならないと又移動。
家族はみんなばらばらになりあちこちへ頼りながら被災し、
そのおばあさんは那須へ被災してきました。
もちろん高齢であり携帯などの持ち合わせも無く
家族との連絡も取っていない。
途中、車窓からは緑の田園風景を見ながら
今頃はふるさとはどうなっているのだろうか、
先祖代々受け継いできたのに、守れなくて申し訳なく
落ち着いたら戻りたいけど戻れるのかなと・・ポロリと・・
数年前に52歳の息子さんが亡くなった。
思い出していろいろな思いが脳裏をよぎったのでしょう。
そのおばあさんの息子さんが生きていれば、
もし被災しても一緒にいたはずだし、
一人知らない土地でさびしい思いをしていたのだとわかりました。
白河には3回くらいデパートに来たことがあるそうで
昔は駅前にいくつかのビルがありデパートがあった。
それでまずは白河へ行きたかったようです。
白河駅お別れしましたが、公衆電話で親戚に電話をするそうです。
ここからはどうやって迎えに来てもらうか、
連絡を取り帰れるので大丈夫だといいます。
かける言葉も浮かばないままに、
気をつけて、お元気でね、と言うのが精一杯でした。
別れ際におばあちゃんは涙を流されていました。
家族をチリジリにした震災が無ければ、
そのおばあさんもこんな悲しい思いもしないで済んだのにと
やりきれない気持ちでいっぱいです。
これまではTVなどでみるだけのことだった。
それが実際に被災され大変な思いをしている人の現実を知ことになりました。
すべてはドラマでもなんでもなく、現実であり
そのすべてに人がいて被害を受け、耐えて頑張って
生きている人がいるんです。
原発で汚染された土地へ帰るのはいつ可能になるのか・・・
とにかくみんなが早く元に近い生活に戻れることを願うものです。
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それから、南湖の知り合いのお店へ
今回の震災にて家も半壊で取り壊すことになっていましたが、
取り壊し始まったとのこと。
お店も地震で被害を受けて、直したらさらに4月11日の地震で
さらに被害を受けそれも修理し、こちらは一部損壊で
すべて自腹で直したそうです。
金銭的出費も負担です。
しかし、精神的なダメージはまだまだ残り
いまだに毎日TVでのニュースでまずはじめに
福島原発の・・・と流れるのために、気持ちは持たない。
最近はニュースを見ないようにしているそうですが
それでも気持ちは戻らないと言います。
情報はもちろん必要です。
でも本当の情報だけならいざ知らず、
本当のことを隠し、・・劇場まがいの情報は要らない。
そんなものをみて気分を落ち込ませるのはもったいない。
本当の情報は今本当はどうなっているか、それだけ・・・
しかし、それも 危険だから封鎖された30キロ圏内
本当は何があるか誰も知ることが出来ない。
そこで行われることも知るよしが無く
どう処理されるているかもこれからはすべてベールの彼方ですね。
ただ、国民には支払いだけ、ツケだけが回ってくることになるらしい。
まずは電気料金の値上げ・・・・
一月あたり1000円上がる???
諸物価も世界的に上がっている、これは干ばつなどの直接的な不作と
投機マネーによるダブルパンチ。
そのあおりで小麦はさらに上がり続ける。
他人の不幸は蜜の味・・・というマインドのマネーの世界はもう要らないが
こんなときにまだやっているグループがいる。
生かさず殺さず、これを超えた震災になったが
これは継続されている。
これまでは日本は戦後でしたが
今新たな節目を向かえたにもかかわらず未だ戦の真っ只中の様相を呈してます。
われわれは戦時中と同じ意識で望まないと
この難局を乗り越えられないのかもしれない。

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