2009/1/29
小春日和 野鳥
ヤマガラ
この地方では最近松くい虫の被害で松林に出会うことが少なくなりました。下山途中の松林で、さえずりながら松ぼっくりをつつき回すヤマガラを見て、小休憩しました。



撮影2009年1月29日 場所:松阪市蓮
この地方では最近松くい虫の被害で松林に出会うことが少なくなりました。下山途中の松林で、さえずりながら松ぼっくりをつつき回すヤマガラを見て、小休憩しました。



撮影2009年1月29日 場所:松阪市蓮
2009/1/24
遠くの山は雪雲 野鳥
雪がちらつく松阪城内を久しぶりに散歩する
天守閣跡のサクラの花芽、梅園内のビンズイとつぼみ、見上げる




撮影2009年1月24日 場所:松阪城内
天守閣跡のサクラの花芽、梅園内のビンズイとつぼみ、見上げる




撮影2009年1月24日 場所:松阪城内
2009/1/18
もう少し 滝
布引滝下段は氷瀑状態に近くなってきました。
零下何度が幾日も続かないと、完全氷瀑にはならないようです。
撮影ばかりに気を取られ、双眼鏡で滝をアップして見るのを忘れることがあります。
覗いたときの、氷瀑の度迫力はたまりません。

上段の滝も両脇は氷結しています。

撮影2009年1月17日 場所:松阪市蓮・布引谷
零下何度が幾日も続かないと、完全氷瀑にはならないようです。
撮影ばかりに気を取られ、双眼鏡で滝をアップして見るのを忘れることがあります。
覗いたときの、氷瀑の度迫力はたまりません。

上段の滝も両脇は氷結しています。

撮影2009年1月17日 場所:松阪市蓮・布引谷
2009/1/12
雪便り 滝
松阪市にもこんな風景があります。厳寒の布引谷は凍りついています。
布引滝上の尾根の樹氷です。

布引滝手前の幅広10m滝と奥に布引滝です。

今にも結氷しそうな布引滝

撮影2009年1月11日 場所:松阪市蓮・布引谷
布引滝上の尾根の樹氷です。

布引滝手前の幅広10m滝と奥に布引滝です。

今にも結氷しそうな布引滝

撮影2009年1月11日 場所:松阪市蓮・布引谷
2009/1/8
仲良し 野鳥
冬の阪内川の堤防の散歩時、よく見かけるイカルが、群れで波状飛行する先は、こずえが多いです。黒い頭巾に黄色い大きなくちばし。歌好きのイカル、 夫婦仲の良さは鳥の中でも一番です。

撮影2009年1月5日 場所:松阪市鎌田町

撮影2009年1月5日 場所:松阪市鎌田町
2009/1/6
植物の不思議 花
阪内川の護岸コンクリートに野生化しているフウセントウワタ(風船唐綿)。
昨年6月22日に撮影しました。このエレガントな花が

2009年1月5日には、風船が弾け破れ、綿毛に包まれた種が今にも風に飛ばされようとしています。

撮影2009年1月5日 場所:松阪市町平尾町
昨年6月22日に撮影しました。このエレガントな花が

2009年1月5日には、風船が弾け破れ、綿毛に包まれた種が今にも風に飛ばされようとしています。

撮影2009年1月5日 場所:松阪市町平尾町
2009/1/5
鳴き声 野鳥
ヒッ ヒッという鳴き声に呼び止められ、ウインクしてくれるジョウビタキ(♀)。尾をピクピクッと振ってます。

撮影2009年1月5日 場所:松阪市猟師町塩浜

撮影2009年1月5日 場所:松阪市猟師町塩浜
2009/1/3
家内安全 風景
寝正月、久しぶりに市街の散歩、ついでに初詣。
お地蔵さん お稲荷さん

お寺さん 神さん

正月の注連縄、いろいろありました。これは少ないですが。由来をネットから拝借。
『「備後国風土記」逸文によると、素戔嗚尊(すさのをのみこと)が南海に赴く途中に日が暮れて宿を探していたとき、貧しい兄の蘇民将来(そんみんしょうらい)と、裕福な弟の巨旦将来(こたんしょうらい)がいて、巨旦将来は、素戔嗚尊の宿泊を拒み、蘇民将来は、粗末ながらも、ひえの食事とわらの布団で、素戔嗚尊を温かくもてなした。
後日、疫病が流行り多くの死者が出たときに、素戔嗚尊が、八柱の御子を連れて再び来訪し、先般のお礼として、今後、蘇民将来の子孫を疫病から守ることを約束され、その目印に、腰に蘇民将来の子孫であることを記した茅の輪をつけさせたといわれる』
(右)七福即生 (中央)蘇民将来子孫家門 (左)七難即滅

撮影2009年1月3日 場所:松阪市市街地
お地蔵さん お稲荷さん


お寺さん 神さん


正月の注連縄、いろいろありました。これは少ないですが。由来をネットから拝借。
『「備後国風土記」逸文によると、素戔嗚尊(すさのをのみこと)が南海に赴く途中に日が暮れて宿を探していたとき、貧しい兄の蘇民将来(そんみんしょうらい)と、裕福な弟の巨旦将来(こたんしょうらい)がいて、巨旦将来は、素戔嗚尊の宿泊を拒み、蘇民将来は、粗末ながらも、ひえの食事とわらの布団で、素戔嗚尊を温かくもてなした。
後日、疫病が流行り多くの死者が出たときに、素戔嗚尊が、八柱の御子を連れて再び来訪し、先般のお礼として、今後、蘇民将来の子孫を疫病から守ることを約束され、その目印に、腰に蘇民将来の子孫であることを記した茅の輪をつけさせたといわれる』
(右)七福即生 (中央)蘇民将来子孫家門 (左)七難即滅

撮影2009年1月3日 場所:松阪市市街地