2011/8/28

専修寺  古(いにしえ)

専修寺にお参りすると心が安らぎます。

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
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南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
タグ: 専修寺

2011/3/6

史跡 松阪城跡  古(いにしえ)

松阪市教育委員会作成の国史跡松坂跡のパンフレットを紹介します。
2011年3月4日から配布された「史跡 松坂城跡」A4判8ページです。
左のリンク「史跡 松坂城跡」からどうぞ。
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撮影2011年3月6日 場所:松阪城跡
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2011/1/25

船形埴輪  古(いにしえ)

こちらも国史跡・宝塚古墳で発掘された国の重要文化財・船形埴輪です。ここに出かけると常設されているので必ず見て帰ります。
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昨年、写真展を見に来たとき撮ったセンターの広場にあるミニアチュアの埴輪群です。
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撮影2011年1月22日 場所:松阪市文化財センターはにわ館
タグ: 船形埴輪

2011/1/24

国史跡・松阪城跡  古(いにしえ)

「まつさかの歴史文化風土を考える・松阪地域と北畠時代」展を見に出かけたのですが、目的は北畠時代後の、625分の1で作られた国史跡・松阪城の模型の写真を撮ることでした。
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撮影2011年1月22日 場所:松阪市文化財センターはにわ館

2009/2/28

ありがたや、ありがたや  古(いにしえ)

市内散策中に思いもかけずお大師様に巡り会いました。善福寺の四国八十八ヶ所霊場『お砂踏み』で『南無大師遍照金剛』とお唱えながら
阿波の国(発心の道場)→土佐の国(修業の道場)→伊予の国(菩提の道場)→讃岐の国(涅槃の道場)を一巡して、四国八十八ヶ所霊場をお参りしたのと同じご利益をいただいてまいりました。 一巡するのに数秒でした。気持ちの問題ですか。ありがたや、ありがたや。
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撮影2009年2月28日 場所:松阪市善福寺

2008/1/29

古(いにしえ)  古(いにしえ)

見舟地蔵尊
海の道祖神・航海の安全をお守りする大きなお地蔵さん
松阪駅裏から100mくらいのところが海岸線だった?
温暖化でまた、このあたりまで、海が入り込んでくるかな?
合掌
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2008/1/26

我が家  古(いにしえ)

松の内に松阪旧市街を散歩しました。
街中のここ彼処にまだ千本格子の民家が健在です。

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2007/11/12

笠の地蔵  古(いにしえ)

今日は松阪城とは反対の東方向に散歩に出かけました。
笠のお地蔵さんにお参りしてきました。
普通お地蔵さんは路傍にたたずんでいますが、ここのお地蔵さんは大事大事に、御堂の中の厨子に入ってます。
この地蔵さんには『敗残兵が僧に変身したお地蔵さんに助けられた報恩のために、自分の陣笠をお地蔵さんにかぶせ、僧侶になり一生涯お守りした』という民話がのこっています。
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所在地 松阪市石津町   本尊 石像地蔵菩薩
おんかあ かあーか びさん まえいそわか
(御本尊の真言を七回以上繰り返す)
合掌

2007/10/9

松阪の大仏様  古(いにしえ)

神社(敏田神社)、大仏殿(阿弥陀如来堂)、お寺(真楽寺)が一度にお参りできるところです。
格子から大仏さんをご拝顔はできますが、さて写真が撮れないな?
カメラのレンズ筒先を扉の格子枠に突っ込み大仏さんの撮影に成功しました。

大仏さんがおられる所:松阪市美濃田町897-1
松阪ICに向っていくと「野村町」の信号があります、そこを右折れし少し行くと鳥居があります。鳥居をくぐって、右側に大仏殿はあります。

下記は大仏殿前の案内文です。
『市指定文化財 阿弥陀如来坐像(美濃田大仏)
時代 江戸時代(1737年頃)
指定 昭和31年11月13日
 銅造、像高3メートル。上品上生の定印を結び、明治9年在銘の砂岩質の台座上に座している。造像当初、仏身には金箔がおかれ、納衣は緑青色、随所に朱で円花文が描かれていた。
 本像は、式内社敏太(ミノダ)神社の八幡宮の本地仏として、真楽寺の三世静室素住が地元の中川清左衛門と協力して元文2年(1737)頃に造立したと伝えられている。左膝部に「紀州粉河住、蜂屋平右衛門正勝作」という銘がある。
 なお、真楽寺には造像資金を得るため三雲町市場庄の参宮街道脇へ小屋懸けして往来の旅人から喜捨を募りたい旨、関係筋へ願い出た文書が保存されている。
                   平成2年3月25日
                   松阪市教育委員会  』
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撮影日:2007年10月4日

2007/10/8

銀の鯰尾の兜  古(いにしえ)

散歩途中に、松阪城の三の丸跡地・松阪市役所に立ち寄る
5市町合併松阪市誕生3周年記念品
蒲生氏郷公 銀の鯰尾の兜
松阪市役所入口に展示されています 撮影:10月5日
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以下は展示品説明文
『松阪開府の祖 蒲生氏郷公 銀の鯰尾の兜(ナマズオのカブト)
天正16年(1588年)に松阪城に入城した蒲生氏郷公は、銀の鯰尾の兜をかぶって戦ったことで知られます。鯰尾の兜は、高さがあるため戦場で敵に発見されやすくなりますが、さらに目立つ銀色にし、敵味方に存在を知らしめ、軍勢の先頭に立って勇猛に戦ったことが、江戸時代の書物「蒲生氏郷記」記されています。
 氏郷公は松阪城入城4年前の天正12年(1584年)、29歳で豊臣秀吉から伊勢松ヶ島12万石を与えられ、松ヶ島城に入ると、北畠氏の一族で戸木(ヘキ)城(現・津市戸木町)にこもる当面の最大の敵・木造(コツクリ)氏との戦いになりました。そのころ、この兜を好んで用いました。
 同年9月15日、木造氏を破った「戸木の夜合戦」で、月明かりに一層映える銀の鯰尾の兜の氏郷公は、木造勢の集中攻撃を浴びながら突進。戦いが終わると兜に弾丸の跡が3つもあったと伝わります。
 夕刊三重新聞社は、2005年(平成17年)1月1日の5市町合併による松阪市誕生から3周年を迎えるに当たり、市のますますの発展を祈念し、「松阪開府の祖」蒲生氏郷公を象徴する銀の鯰尾の兜を復元し、寄贈します。
 残念ながら、氏郷公の用いた銀の鯰尾の兜は現存せず、形状を伝える資料もないに等しいため、復元は氏郷公の生誕地の滋賀県日野町が、専門家による時代考証を経て1988年(昭和63)年に同町・ひばり野広場に建てた銅像の兜を基本に、鹿児島県の甲冑制作専門工房・丸武産業鰍フ知見を得て行いました。
 この銀の鯰尾兜が松阪市民のために末永く活用されることを希望し、謹んで贈呈します。
    平成19年10月吉日 株式会社夕刊三重新聞社
                社長 山下 至        』



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