2006/5/31  23:37

明日道路は荒れるか??  diary

明日は路上が荒れそうだ。
フィットネスとは関係ないけど、ドライバーとしては大いに気になるXデーが明日だ。

明日から駐車違反を民間業者が取り締まることになる。
いままでコンビニに入ったり、お店に入るのに5分車を止めていたのも取り締まりする人がその時に来れば、違反となる。
それ以上はもちろんだ。
配達の人などはいったいどうするんだろう??バイクも同じになるらしい。

ここで問題はイザコザ。
今までは警察だから目の前で切られても、おとなしくしていた。
しかし、これが民間の人、とくに普通のおっちゃんや女の子が取り締まる場合、たてつく人は続出するだろう。
暴力沙汰も生まれることも予想される。
自分がそうしなくても、今時分が違反を切られて、後ろの「ヤ」の車を切ろうとしたら「おい、コラ、待てゃあ!!」ときたときに退いてしまったら、こっちはまた黙ってられない。

こういうことが予想されるし、いきなり厳しすぎる実施だと思う。
僕はLAにいたときに感心したことがある。
LAは車社会で、鉄道はほとんどない。だからそのための下地を政府がきちんと作っている。その上で違反したものは意見することはできない状態になっている。これは納得できるのだ。
大きな道路、例えばうちの近くなら青山通り、246や世田谷通りなどには表参道と同じような路上のコインパーキングが設けられている。料金は中心部ほど高い。しかし、246のような道路、サンタモニカブルーバードならどこまで行ってもコインパーキングがある。どこまで行っても。
そして路地裏も同じようなものがあるところもあるが、小さな道路でも「月曜から金曜の9時から6時までは2時間駐車OK。ただし水曜午後は一禁止。土日はOK。」という標識が全ての道路についている。本当にすべての道路に。
これに違反するときっちり切られる。それ専門の小さな車が町中をウロウロしているから。
でもこれはその時間以内なら絶対大丈夫で、今までの日本のように2時間止めても大丈夫なときもあれば、45分で切られるときもある。それだとあまりに曖昧で、ここ前はよかったのに、ということになる。これはよくない。日本特有の曖昧さだ。
さらにLAではお店を持つのにも駐車スペースを準備しなければいけない。
僕が働いていた日本食屋も小さなお店だが、裏に4台止められるスペースがあり、ランチはこれでOK。ディナータイムはもっと用意しなくてはならなく、5時に締まる2軒隣のインテリアショップのスペースを夜は借りてさらに3,4台止められるようになっている。これができないと開業許可が下りないのだ。
だからサンタモニカプレイスという大きなショッピングモールはモールと同じくらいの大きな駐車場を設置している。

ここまでは日本では無理としても何かしら政府が駐車できるスペースを確保する努力をして、それに違反したら厳しくすればいい。
なんか順序が違う気がする。

しかし、いざ都心部でどこのパーキングもいっぱいだったらどうするんだろう??それもありえる。
明日は荒れるのか??

2006/5/30  23:56

サラリーマンの昼食  diary

テレビでやっていた。
サラリーマンの昼食に対する健康への気遣い。

アンケートでは4割の人が昼食で健康に気を使ってはいなkという。
反対を言うと6割の人が気にしているということだろうか?

インタビューでは昼は蕎麦にしているとか、油っぽくないものにしているとか。
でもそれだけでは不十分。
ある会社では自分の会社の社員食堂に改革を施している。
料理内容を見直し、低カロリーにしたり、ビュッフェスタイルのところではそれをラインの最後の部分にあるマシンに乗せると自分が取ったものの総カロリーと塩分が表示される。
ある会社ではそのような試みをしてから写真のコレステロール値が全体的に下がったそうだ。

会社として健康な写真のほうが生産性が上がることに気づき始めているようだ。
体調を崩す→能率が上がらない→休む→仕事が進まない、になってしまいますからね。

テレビで出ていたメニューより僕としてもうちょっと変えて欲しいのは、もう少したんぱく質を入れたものにして欲しいと言うことと、お米は白米ではなく、玄米かそういったものが混ざったものにして欲しいということ。
野菜はすでに多くなってていいようです。
社員食堂はいいけど、これがそういうのがない会社や外に出ている時に選択肢が少ないのも困ったもの。
これから増えてくるんだろうけど、一般の外食産業でもどんどん健康にいいものを何処でも食べられるようになってほしい。

2006/5/29  21:37

ダヴィンチ・コード 見た。  diary

ようやく、ダヴィンチ・コードを見た!

これについて知らない人はいないので、一般的な説明はなしにして、一番問題となっている「面白いのか???」をテーマに話してみよう!ユウジのマニアック?路線で。

世界中で売れた小説。大物トム・ハンクス、その他豪華スター出演。ジャン・レノ、オドレイ・トトゥ、イアン・マッケラン。監督は長年ハリウッドで大作を作ってきたロン・ハワード。
こんなパッケージ。

さて、何でこれが面白くない!とか、カンヌで拍手が起こらなかったと報道され、おすぎがストーリー追いかけるのにいっぱいいっぱいでつまんない!というのか?

まず、映画という映像の文学は文字の文学「小説」とは別であることを理解しなければいけない。
小説は文字でストーリーを展開し、主人公の内面も文字で表すことができる。
しかし映像ではそうはいかない。
映画の基本的なルールとして映画では主人公の行動でストーリーを進めるべきであるというのがある。
例えば、主人公の身内が殺され、犯人を探すために冒険をし、その過程でキーマンと出会い、その人間的なやり取りがあり、あるアクシデントで一気に解決に向かう、というのが普通。
これを以前にも書いたナレーションでストーリーを説明してしまうと、誰がどうこうしたというのを「説明」していてまったく創造性もなければ、退屈するものである。
だからできるだけナレーションは避けるべきで、行動で展開していくのがいいのだ。

ところがこの原作は分厚い小説で内容は文字遊びといっては失礼だが、文字からヒントを得て、文字をころがして次へ繋げる。絵画を理論的に分析し、暗号を解く。
この暗号解きがメインであるのがやっかいだ。

前に「シービスケット」という映画があったが、この映画は是非見てほしい。いい映画だ。
これも分厚い小説だったが、題材は馬と人間のヒューマンなドラマ。それがメイン。だから映画としては題材がいい。
それをなくてはならないのだが部分部分を思い切ってカットし映画では使わなかった。
小説を映画にする場合にはそれが難しく、大切。
それでいて、そのカットした部分も見た人が想像の部分で仕上げてしまう作りにするのだ。
観客の想像性があって完成するように。
シービスケットではこれがうまくいっていた。

ところがダヴィンチ・コードは暗号解きがメイン。
人間関係はその後に来る。
暗号解きである部分をカットしてしまうと結論に至らない。観客が納得しないで置いていかれる。
そこで主人公2,3人が暗号解きの理論を全部?口で説明し、推論し、進めていってしまうのだ・・・・。
これはまずい。
観客はまったく興奮しない。
おかげでその他のシーン、例えば追跡されるシーンやアクションでもなぜか緊迫感を感じないまま過ぎてしまう。

またそれ以外、暗号解き以外のシーン、井戸に落ちた挿入シーンやポール・ベタニー演じる暗殺係の男のバックグラウンド1分は思い切ってカットして欲しかった。
井戸のエピソードは最終的に必要だけど、それは会話の中だけでいいかな。暗殺係のバックグラウンドも謎めいたままでもよかったのはないか?

「謎解きを口で説明」「カットしていない説明カットが多いこと」さらにこの壮大な謎解きを2時間半でやってしまうのに観客がついていけないことが拍手が起きなかった原因かもしれない。
となりに座っていたおじいさん寝てたし。疲れてただけかもしれないけど。

それとクリスチャンの人にとっては9割5分面白くない内容になっているのでそれもあるだろう。でもそれは言論の自由です。

これはすべて監督の責任になる。
でも考えると監督がかわいそう。これだけ売れた小説が映画にならないわけにはいかない昨今。誰かが映画にしなきゃいけない。しかも暗号解きといやっかいな代物。小説ではいいけど、映画では・・・。
というドデカイプレッシャーの中この監督はやったのです。
だからおすぎのように切って捨てるのは簡単だけど、褒めてあげたい気もした。

僕は敢えて小説は読まないで見たので、その内容を知っただけでも得るものはあったと思う。傑作ではないけど。





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