2008/10/13  23:47

留学奮闘記3 俳優養成所  ユウジの米留学奮闘記

俳優になりたいと思うのに何をしていいか分からない。

どこから入っていいか分からない。

田舎から出てきた人間には周りでそんなことをしている友達もいないし、なんのコネもない。

ふと目にするのはよくある俳優養成所の広告。

東京に出てきて1年くらい経ったとき、ジムで働き始めて半年くらい経ったとき、申し込んでみた。なんとかアルバイト代で出せる金額だったので。

もちろん広告には「そこから抜擢される可能性あり!」みたいな宣伝文句があったのだが。。


養成所に行くと大体同じくらいの年齢の若者達が集まっている。
バックグラウンドはまちまち。

中には2丁目のゲイ・バーで裏方で仕事をしているものもいて、みんなでそこに飲みに行ったりもした。
その人を含め2人ほどお兄さんのように慕う人もいた。

養成所では今考えるとものすごく日本的な演技のレッスンだった。

いわゆるあ・え・い・う・え・お・あ・お、とかウイロウ売りの早口などの発声練習、恥ずかしさをなくすための動物になりきる練習、そしてやっとセリフ読み。

特に最初のころは、これは運動と同じで、どうもうまくいかず、思うように動かず、それがまた自分で分かっている・・。
今の僕にはあり得ないことだが、その演技がうまくいかない歯がゆさで、風呂なしアパートに帰ってなんと一人でお酒を飲んでみたり・・・・。

今では絶対ない。健康的な生活という意味ではなく、そういう逃げるような行為は。

その時代はデビューとかそういうことも夢に見ていたが、とにかくうまくならなければその先はないので、磨くことだった。

でも未知の世界に進みつつある自分だった。

その間にはエキストラで現場に行ってみることはあったが、それ以上はまったくなかった。

ただその仲間達ともがいているのが、青春でもあった。

ちなみに、アメリカ留学から帰ってきたあと、西麻布の高級レストランでアルバイトをしていたとき、その当時の仲間である一人の女の子が食事をしにきてばったり合った。

向こうと2秒ほど目を見て、あれ???という感じで。

正直結構虚しいものはあった。
だって、その時僕はもう26歳くらい。相変わらずの貧乏俳優。
彼女は俳優はしていなかったが、お洒落で西麻布で食事している。

モチベーションだけが頼りだった。

さらに今から1年半程前、表参道を歩いていると、先に書いた2丁目で働いていた、僕と名前が1文字違いのアニキ?とすれ違った。

まったく人間のタイプが違い、ああいう養成所みたいなところでなければ会うことはなかった2人だが、結構仲が良かった。

多くの人の中でも、まるでドラマのように人が左右に分かれていって、2人の目が合うのです!

かれこれ15年ぶりです。
すごい瞬間でした。

この養成所時代には、俳優としてとかキャリアとして上に上がるには至らなかったけど、学校やアルバイト先とは全く違う世界や人達と交わったのは、ウブな僕としては激動期のひとつでもあると思う。

2年近く通っただろうか。

しかし初めての、そして2回目のアメリカ旅行以降、行かなくなってしまった。。


次回は「初めてのアメリカ旅行」です。





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