2008/11/2  23:58

留学奮闘記10 留学への決意。  ユウジの米留学奮闘記

留学に至るまでかなり長くなっています。

海外で暮らすということは、田舎の人間にとってはかなり遠いことで、いくつもの階段を登っていかないとたどり着かないところなんです。

いまだにうちの親なんか海外旅行に乗り気じゃないし・・。

だいたい18歳で東京に来るまで外国人に会ったことがない。
東京に来るという階段。
外国人や海外に触れてみるという階段。
それからやっと資金や手段という階段を登ることになる。

だから今まで9回も前置きを書いてきたのですが。


2回目のアメリカから帰ってきて、そしてまたしばらく俳優という道なき道を探しながらさまよっている中、大学卒業を迎えた。

就職という区切りがないので、卒業がテレビで見たほど感動や衝撃、別れなどという強いインパクトには感じられなかった。

卒業後はエグザス青山でのトレーナーのバイトともに日テレのスポーツ局でのバイトの掛け持ちで生活をしていた。

しかしこれといった進展もなく日々が過ぎていく。

このままでいいんだろうか、という疑問も当然沸いてくる。
疑問と同時に、もっとなんかしたい!!オレはもっと何かできるはずだ!という妙な若者特有のエネルギーにも溢れていた気がする。

そうやっているうちに、もともと大好きだったハリウッド映画のあるロサンゼルス、2年前に行ったロサンゼルス、そこに行けばものすごいドデカいことにチャレンジできるんじゃないか!というこれまた若者特有の無謀な考えが横切るよになっていた。

そうハリウッドに渡って、この狭い日本じゃなく、ハリウッドに渡ってやったほうが、最終的に目指すところはそこなんだから行っちゃえばいいんじゃないか!!!??って。

でも今思うと、こういう若さゆえの無謀さってないとダメだと思う。
だって無謀なことを30過ぎてなかなか出来る人はいないし。

そういった思いが、数ヶ月の間にモクモクと膨らんでいった。

その後の僕はずっとそうなのだが、思ったことがどんどん膨らんでいって行動に移さずにはいられなくなる。
このときも抑えようのないものが自分を突き動かそうとしていた。

結局卒業後4ヶ月。
8月にはロサンゼルスに行くことを決めた。

すぐにテレビ局のバイトはやめ、バイク便の仕事を週5で始めた、残り2日はジムでバイト。7日間働くことにした。
そうでないとお金は貯まらないから。

両親にはそれから数ヶ月してから「アメリカに行こうと思う」と伝えた。

返事は「自分でやれよ。」と。

そこからはただただ毎日朝から晩までバイクに乗って街中を走り回り宅配し、週末はジム。

ただ突っ走るだけだった。。







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