2008/11/15  23:42

留学奮闘記12 留学手続き  ユウジの米留学奮闘記

お金を貯める一方で留学の手続きを進めなければならなかった。

まず最初に今から13年前は今とは世界が違う。

周りに留学経験者がいない。
インターネットがない。

このインターネットがないというのは全く違う世界だ。
今のように家にいて世界のことや医学的なことでも何でも奥深く分かってしまう便利なものはない。

留学について何も分からない。

本屋に行って調べてみたがやはり留学斡旋会社に行くべきかと思い、行ってみた。

一応簡単に話を聞いたら、手数料が10万円。

・・・・そんな金あるかっ!!!

ってことで、斡旋会社はやめ。

なので、先日の留学金を巻き上げられたような事態に巻き込まれることもなし。

しかし何も分からないので、また本屋に。

本当は俳優をやりに行きたいのだが、それも何も分からないので、留学本の中にあったサンタモニカの英語学校に決めた。
昔、旅行で行ったことがあったので、土地は分かると思ったから。

そこで自分で英語学校に国際電話をかけた。
まだほとんど英語が話せないので、あらかじめ文章を作って、書いて、目の前に持って電話した。
電話は相手の表情や身振り手振りが見えないので言葉だけで理解しないといけないので、怖い。
音質が悪いとよく聞こえないし。

それでもなんとか電話して、申し込みをしたいと伝え、住所、電話番号などを伝えた。

ものすごいドキドキした!

そして言われたとおり、書類が届くのを待った。

届いたものに書き込んで、送りなおし、また返ってくるのを待った。

学校から書類を受け取って、いつ行って、どうそこで手続きをして、着いたらお金を払うということが書いてあったのを読んだ。

そしてその入学許可書を持ってアメリカ大使館に学生ビザの申請に行って、自分で書類を書いて提出した。

このへんの大使館がらみは本当に行くだけで緊張する場所なので、本当にこれでいいのか、不安でいっぱいだった。

しばらくするとビザも下り、行く日程に合わせてなんとか自分で全ての留学手続きを終わらせることが出来た。

とりあえずアメリカに行ってしまって、あとは行ってから考えよう!というか、行くしかない、行ってみないともう俳優なんてどうやっていいか分からない!という状況だったので、英語学校に行くということで入国しちゃえばあとは突っ走るしかない!みたいな、若者特有の無謀さと勢いがあった。

でも若いからにはそれはないといけないね。
それが後の自分を作るから。

こんな風に考えたのも、ブルースリーがアメリカに渡った自伝や、ショー・コスギの自伝とかを読んで、彼らがバッグひとつでアメリカに渡って、のし上がっていった話をまともに受け取っていたからです!!!

どうしても勝手に自分がそうなれるって思ってしまうんですよね。


あ、そうそう。
学校がアパートを紹介する書類を同封していたんだけど、学校も安全な場所としてサンタモニカのアパートを紹介しているんだけど、それが800ドル(8万円)で日本で3万5千円のアパーなのにそんなとこ住めるか!!ってことでやめ。

これも旅行本を見てみると、見たことのあるサンタモニカのモーテルが載っていて安かったので、これまた文章をあらかじめ考えて、電話して3日間予約した。

3日後の僕はどうなっているか分からない。
学校とビザはあるけど寝るところは分からないというそんな先の見えない計画だった。

ちなみに今は俳優の演技学校でもネットで見つかるし、行った人の体験記などもある。
僕が行っていた演技学校は日本人は支払いが遅れないので気にいったらしく、僕が帰ってきてから数年後、目白の音楽学校と提携して留学生を呼び込むことにしたらしいのだが、その音楽学校から僕に連絡があって、「これからそっちの演技学校に留学する人のアドバイスをするという仕事をしてくれないか」といわれたが、

「俳優になろうとするものが他人に手厚い手助けを受けて行くなんてバカげてる。そんなんでいった人間が向こうで成功するわけがない!」と言って断った。

さて、いよいよ次は留学当日です!!!

2008/11/8  23:57

留学奮闘記11 バイトで貯金  ユウジの米留学奮闘記

この話を最初にして、この連載をすることになったのですが、やっとたどり着きました。

「ハリウッドに行こう!!」と決めてからは、もうがむしゃらにバイトすることにした。

一人暮らしだったので、かなり働かないと貯まらない。

まず週5日はバイク便のバイトをすることにした。
なんとなくお金がいいと聞いていたし、バイクに乗っていたので、そのまま自分のバイクを持ち込めばさらに歩合がいいというので、そうすることにした。
一応走れば自給2000円以上になるけど、これがバブルはじけたあとでバイク便の需要も減り始めていたのだ。

なので、ときどき「待機」があって、公園で暇つぶしていることもあるので、バンバン稼ぐというわけにはいかなかった。
悪くはないけど。

朝8時半から夜8時半まで12時間バイクに乗る。待機もあるけど。
これって結構疲れるんですよね。さすがに23歳でも。
それと排気ガスの問題もあるし、始めたのが8月半ばの真夏だったので、その暑さの中12時間乗って、住宅街では一方通行があるので、バイクを降りて走って届けに行ったりしてると、勝手に体重が3kg落ちて、当時腹筋がバリバリになりました。

ちなみに節約のために熱いのにお米と鶏肉とキャベツだけの弁当を作ってバイクの後ろの BOXに入れて公園で食べていたので、ダイエットするつもりはなかったのだが、鶏肉が安かったのでそうしていた・・。

そしたら痩せた。。

これを月曜から金曜まで。

土日はスポーツクラブでジムバイト。

外苑前という一等地で結構華やかな場だったかも。


このころはもうアメリカに行くことしか頭になく、特にバイクに乗っているときには雨が降ったりしてヘルメットに激しい雫がぶつかってリ、体が悲鳴を上げかけても、「アメリカに行ってやる!!!」と目の奥で叫んでいた。

ものすごいハングリーだったと思う。

ちなみに、秋の台風シーズンがやってきて、寒くなり、とても給料と割が合わないと思い始め、冬前に六本木のパチンコ屋に鞍替えした。

ところが・・・・。

このパチンコ屋はなんか性に合わなかったなあ。
ヤクザっぽい部長がバイトを足でコツリとやったり、横柄だったり。
1週間で働きたくなくなった。

ちなみに僕は昔からお金のために働くバイトは長続きしない。
お金はいいけど、なんか得るものがなにもないことが多く、自分が成長しないというか楽しくないというか。
バイク便もまったくいい思い出はない。パチンコ屋も。ドカタも。

なんとパチンコ屋は2ヶ月でやめた。誰とも親しくなることなく。。

その後留学まで知り合いに紹介してもらった喫茶店でも働いたが、ここはいいところだったのだが、もうこのへんで貯金の見切りをつけて出発する日を決めようと思った。

働いていたエグザス青山が時代の流れに乗れず、クローズになってしまったのもあって、貯金のためのバイト開始から10ヶ月で、時期が来たかな、と思った。

風呂なし3万5千円のアパートとはいえ、生活費は15万くらい出て行く。
残りの15万を貯金して、バイクを売って、100万以上貯まった。
自分ではありえないくらい金持ちになった気分だったが、ここから引越し費用や飛行機代、留学費用ばどが出て行くのだ。

でも僕は前を見ていた。
前しか見ていなかった。
何も見えない前を見ていた。

出発の日のことを書く前に、以前書いた手続きについて次回は書きます。







2008/11/2  23:58

留学奮闘記10 留学への決意。  ユウジの米留学奮闘記

留学に至るまでかなり長くなっています。

海外で暮らすということは、田舎の人間にとってはかなり遠いことで、いくつもの階段を登っていかないとたどり着かないところなんです。

いまだにうちの親なんか海外旅行に乗り気じゃないし・・。

だいたい18歳で東京に来るまで外国人に会ったことがない。
東京に来るという階段。
外国人や海外に触れてみるという階段。
それからやっと資金や手段という階段を登ることになる。

だから今まで9回も前置きを書いてきたのですが。


2回目のアメリカから帰ってきて、そしてまたしばらく俳優という道なき道を探しながらさまよっている中、大学卒業を迎えた。

就職という区切りがないので、卒業がテレビで見たほど感動や衝撃、別れなどという強いインパクトには感じられなかった。

卒業後はエグザス青山でのトレーナーのバイトともに日テレのスポーツ局でのバイトの掛け持ちで生活をしていた。

しかしこれといった進展もなく日々が過ぎていく。

このままでいいんだろうか、という疑問も当然沸いてくる。
疑問と同時に、もっとなんかしたい!!オレはもっと何かできるはずだ!という妙な若者特有のエネルギーにも溢れていた気がする。

そうやっているうちに、もともと大好きだったハリウッド映画のあるロサンゼルス、2年前に行ったロサンゼルス、そこに行けばものすごいドデカいことにチャレンジできるんじゃないか!というこれまた若者特有の無謀な考えが横切るよになっていた。

そうハリウッドに渡って、この狭い日本じゃなく、ハリウッドに渡ってやったほうが、最終的に目指すところはそこなんだから行っちゃえばいいんじゃないか!!!??って。

でも今思うと、こういう若さゆえの無謀さってないとダメだと思う。
だって無謀なことを30過ぎてなかなか出来る人はいないし。

そういった思いが、数ヶ月の間にモクモクと膨らんでいった。

その後の僕はずっとそうなのだが、思ったことがどんどん膨らんでいって行動に移さずにはいられなくなる。
このときも抑えようのないものが自分を突き動かそうとしていた。

結局卒業後4ヶ月。
8月にはロサンゼルスに行くことを決めた。

すぐにテレビ局のバイトはやめ、バイク便の仕事を週5で始めた、残り2日はジムでバイト。7日間働くことにした。
そうでないとお金は貯まらないから。

両親にはそれから数ヶ月してから「アメリカに行こうと思う」と伝えた。

返事は「自分でやれよ。」と。

そこからはただただ毎日朝から晩までバイクに乗って街中を走り回り宅配し、週末はジム。

ただ突っ走るだけだった。。







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