今まで、何回か名前の出てきた鬼頭鍋三郎について記そう。
鬼頭鍋三郎は、明治32年(1899)名古屋で生まれた。大正11年(1922)松下春雄、春山行夫らと「サンサシオン」を結成し、創作活動に集中する。翌大正12年(1923)上京し、岡田三郎助に師事。
大正13年(1924)第5回「帝展」に初入選。辻永に師事。10年後の昭和9年(1934)には、第15回「帝展」で「手をかざす女」が特選となっている。
*辻永(つじひさし[1884-1974]1947年 日本芸術院会員、1959年 文化功労者となる)
ところで、「サンサシオン」という絵画グループの名前の由来は何だろう。フランス語の“Sensation”であろう。日本語に訳せば“感覚”“気持ち”“感触”という感じだろうか。英語の“センセーショナル”でもあるが、“感覚派”という感じに近いのであろう。
私も10代の頃、虜になった“アルチュール・ランボー”の作品に、そのまま「Sensation」という詩がある。
『SENSATION』
夏のさわやかな夕、ほそ草をふみしだき、
ちくちくと穂麦の先で手をつつかれ、小路をゆこう。
夢みがちに踏む足の、一あしごとの新鮮さ。
帽子はなし。ふく風に髪をなぶらせて。
話もしない。ものも考えない。だが、
僕のこころの底から、汲めどつきないものが涌きあがる。
さあ。ゆこう。どこまでも。ボヘミアンのように。
自然とつれ立って、――恋人づれのように胸をはずませ……
アルチュール・ランボオ(金子光晴訳)
鬼頭鍋三郎は、戦後の昭和26年(1951)、第17回「日展」及び「パリ自由美術展」に「バレリーナ」を出品した。昭和29年(1954)渡欧し、パリのアトリエで制作する。翌年、米国を経由して帰国した。第11回「日展」に「アトリエにて」を出品し、翌昭和31年(1956)、その「アトリエにて」により昭和30年度「日本芸術院賞」を受賞した。
昭和20年代後半から昭和30年代にかけての「バレリーナ」シリーズ、昭和30年代後半から「舞妓」シリーズの画業は、鬼頭芸術の結晶とも言われる。
昭和初期より在籍した「光風会」では、多くの後輩を育て、昭和47年(1972)には理事長に就任した。また、「日展」の東海地区の一大勢力を築いた中心人物で、洋画界の重鎮としても活躍した。
昭和43年(1968)には愛知県立芸術大学教授に就任している。昭和45年(1970)「光風会」理事長、昭和50年(1975)「日展」顧問にも就任している。
昭和57年(1982)、享年82歳で永眠した。
*「光風会」は、明治期の「白馬会」解散後に中沢弘光、山本森之助、三宅克己、杉浦非水、岡野栄、小林鐘吉、跡見秦の若い7人の発起により、明治45年(1912)に設立された。「光風会」は常に文展、帝展、日展の中核として発展し、穏健と品位のある会と評された。
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http://www.h4.dion.ne.jp/~koufukai/index.html

鬼頭鍋三郎 「画室」 1934年 刈谷市美術館蔵
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http://www.city.kariya.aichi.jp/museum/exhibitions.html

アルチュール・ランボオ

左 第1回「光風会展」ポスター(杉浦非水デザイン)昭和57年(1982)、
右 第16回「光風会展」ポスター昭和4年(1929)

高木斐瑳雄遺稿集「寒ざらし」表紙絵。昭和34年(1959)
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http://libwww.gijodai.ac.jp/cogito/library/ta/takagihisao-kanzarashi.html

「さっ笄」
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http://www.syukado.jp/jp/search/item/theme/jin.html

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