西尾二葉館副館長から久野治『中部日本の詩人たち』(中日出版社平成14年刊)を拝借した。
“高木斐瑳雄”“亀山巌”“北園克衛”“佐藤一英”“日夏耿之介”“丸山薫”“殿岡辰雄”“平光善久”の8人の詩人が取り上げられている。このうち3人についてはすでにこのブログで取り上げている。
“高木斐瑳雄”
http://gold.ap.teacup.com/syumoku/30.html
“佐藤一英”
http://gold.ap.teacup.com/syumoku/29.html
“丸山薫”
http://gold.ap.teacup.com/syumoku/18.html
棟方志功が感動した佐藤一英の「大和し美し」を読みたいと思っていたところ、この本に全編収録されていたので紹介したいと思う。
「大和し美し」(やまとしうるわし) 佐藤一英
大和は国のまほろばたたなづく
青垣山隠れる大和し美し
(倭建命)
黄金葉(こがねば)の奢りに散りて沼に落つれば 鋺(もが)くにつれて底の泥その身を裹(つつ)み離連つなし・・・・
われもまた罪業重くまといたる身にしあればいかでか死をば遁(のが)れ得む
されどわれ故郷(ふるさと)の土に朽ちざる悲しさよ
ああ陽はいまや大和なる山の紅葉(もみじ)を耀(かがや)かし
昔わが遊びし野辺や河岸に子供らの影ゆらめかす思いあり
かしこには一人の男(お)の子 他の子らを制して草叢を分け 鶉(うずら)の巣にぞ近づきたれ
その手にはおのが上衣(うわぎ)を脱ぎてかかぐ
またかしこには竹の弓もて柿の実を狙える子あり 百舌(もず)射損じての戯れか 額汗ばむ
ほど遠からぬ杉の木の根本に母は幼子(おさなご)に乳房やりつつこのさまを頬笑みて看る
子供らよ さきく育てよ 母の背の杉にまさりて
されどいましら猟(かり)にいでん齢(よわい)となりて
猪(いのしし)の牙を折るとも兄弟(はらから)の頭(こうべ)を拉(ひし)ぐことなかれここにその兄をば弑(と)りし咎めにて父には離れ とつくにに骸(かばね)さらさむ人の子あり
ああされど何をか告げむ 世は一瞬にして目覚むれば罪あり身なり
昨日伊吹は紅葉(もみじ)して空を染めたり
今日見ればかの大いなる猪のごとく白し
われ足萎えて彳(たたず)みしとき 農夫は稲刈るをいそぎいたりき
いま彼等は榾柮火(ほたび)をめぐり新らしき飯(いい)ほほばらむただわれは苦き汁を啜ればよし・・・・
ああ美夜受(みやず) 汝(な)が参らせし酒の香ぞ この汁にこもれる心地す
しかれども薬を毒と変ずるは汝がやわらかきかいなにあらず
なれはかの夜 無知なる百合花の咎(とが)もなく揺(ゆら)ぎて匂い悩ませり
腹太き蜂そのうちに飽くなき情慾を横(よこた)へ眠りき
汝(いまし)の髪に顔を埋め われ父を弑しまつらむ夢にふけりぬ
いずれか罪の深からむ 母となる人を盗みしわが兄と
われ自らの夢にふるえおののきし
さるにわれいましが甘き息のもと 再び醉に落ちしこそわが過(あやまち)なれ
汝(なれ)はいまもわれを待つらむ ああ美夜受 われ待ちがてに襲(おすい)の欄(すそ)にまたも月のたたむとき
契りて置きしわが剣かいなにまかむ
かくてなれ わが肉身を得ざるにぞ まことの愛を学ぶべし
ああ帰らざる昨日をなげきぞ新し
鎧まとえる若者ひとり山坂の岩角に立ち 誇らかに来し方遙かにふりかえる そは昨日のわれなり
征矢(そや)飛び来ってわが楯に中(あた)ると見れば燕なり 身を翻えしわが肩を掠めて去りぬ
世は真夏 野はかぎりなき海にも似たり
住家みな輝やく波におほわれて人なきごとし まことの営みは垣にかくあり そを知らざりしこそわが愚なれ
われは感じぬ なき妻のいまはの歌の一節(ひとふし)ぞ勝利の鼓に優れるを
ああ橘 思いぞいずれ かの日 空は暗澹として 霙(みぞれ)おちこむ景色なり
淵さながらの空を劃りて涯もなく葦は穂を並(な)む
われらの道もなきそのなかをひたすら進みき
なれの頬そこここに血を滲ますに
われ気づかえば なれ何事か不吉なるものを感ぜしごとく
――道早振(ちはやぶる)神の住むちょう大沼はいずれにあらむ
その気もあらず怪し あやし
かく言いも終わらぬうちに鷺群(さぎむれ)をなし葦原を飛び立ち去りぬ
時もあせらず一条の煙昇れり
――かしこにも なれの指さす方向に一団の焔はあがる そはわれらを謀(たばか)て焼き殺さむとする賊の仕業なりけり
げに愛するものは明智こそ得るなれ
わがおばより賜りし袋を開けむことをすすめしもなれなりき
げに愛するものは勇気こそ得るなれ
わが剣もて葦を薙ぎゆくうしろよりそを掻き集めかの袋にありし 火打ちもて火を放ちしもなれなりき
賊向い火にあふられて逃げ散りしのち わが焼跡の灰にまみれし櫛を見いでてなれに示せば なれ莞爾(かんじ)として乱れたる髪を束ねぬ
図らざりき その笑顔いまもなお見るがごときに その櫛のみ こたびは浜の白砂(しらさご)に半(なかば)埋るを見いでむとは
われは湿りてやや黒ずみしその櫛を手に受けしまま茫然たりき
かくもわれとは縁(えにし)深く なれの肉身の一部かと思われしその櫛に あわれ なれの髪の香さへかぐを得ず藻草の香のみおおう蔽わむとは
亡ぶには七日を待たず されどそはまだよし
愛うすくして罪深からむ輩(ともがら)には亡ぶに速き忘れあり
なれ失いし悲しみも渡(わたる)の神の牲(にえ)となり浪にのまれし束の間ぞ
風 海の底より起り 波 空を行く折しもあれ
忽然と波間に消えしなれの顏 その白き幻も塒(ねぐら)におりし鳩にもあらで 明日また浮びはいでじ
さるにあわれ わがこころにはただ黒き血に燃え猛る鷲の翼ぞ拡ごりたり
やがてそは牲をのみて跡をも見ざるかの暗き走水(はしりみず)の浪にもまして翔け去りぬ・・・・
ああ父の愛喪(うしな)いてなお愛を信じいたりし幼き頃ぞなつかしき
望みも果てし暗き築地(ついじ)のわが胸にふとも香る梅の花 そはわがば倭の御衣裳(みそも)に移りし肌の香ぞ
ああ倭 われかつてお身の胸に抱かるる思いに酔いてお身の御衣裳に鎧せり
わが身裏に溢れし力はわれのものならで 母のごとく温かきお身の愛にてありしなり
さるにわれわが力に優る熊曽建(くまそたける)を討ちてより お身の御衣裳をわが妹(いも)の肌をたのしむ夫(つま)の心に感じ始めぬ
呪いやいかで免れむ 神に仕うる処女子(おとめご)の血をも穢さむ夢みしものに
われふるさとを幾山河雪雲深きとつくにに死なむということわりなれ
ああ倭 お身の名を再び呼べばわが目にはふるさとの空晴れ渡り 山々は肌も露わに現わるる
そはわが子いかに見悪(みに)くからむも そをはぐくむこころには人目もあらず胸をはだける母をさながら光浴びたり
昭和8年(1933)

棟方志功「大和し美し」はじまりの柵 昭和11年(1936)

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