「青騎士」同人の高木斐瑳雄について記す。
この稿については、すべて中嶋康博氏の「四季・コギト・詩集ホームぺージ」 四季派の外縁を散歩する(第三回)「名古屋の詩人達」を参照にしています。
http://libwww.gijodai.ac.jp/cogito/essey/shiki03.htm
高木斐瑳雄は明治32年(1899)10月1日、名古屋市東区中市場町にて創業2百余年の薬種商「伊勢久」商店6代目高木虎太郎の長男として出生する。本名高木久一郎。
私立名古屋中学卒業、同志社大学中退。ともにミッション系の学校であった。
大正10年(1921)22歳の時、大垣の稲川勝次郎と「角笛社」をつくり詩誌「角笛」を創刊。 大正11年(1922)処女詩集『青い嵐』を「角笛社」から刊行。春山行夫、井口蕉花、佐藤一英、斎藤光次郎、稲川勝次郎らと詩誌「青騎士」を創刊。ホイットマンに私淑する。
大正12年(1923)第二詩集「昧爽の花」刊行。「青騎士」の同人を中心に「名古屋詩人連盟」を結成。機関紙「先鋒」を出す。
大正13年(1924)「日本詩話会」に推薦され会員となる。また井口蕉花没後、「青騎士」の終刊後を刊行。佐野英一郎、中山伸らとともに「風と家と岬」を創刊。翌年「清火天」と改題。
大正15年(1926)野々部逸二、中山伸、伴野憲と詩誌「新生」を創刊。杉本駿彦、永瀬清子、岡田淑子を加える。また「東海詩人協会」を結成し、アンソロジー「東海詩集」の編集委員となり、第3集(大正15年、昭和2年、昭和3年)まで刊行する。
昭和4年(1929)第三詩集「天道祭」を東文堂書店より刊行。
昭和6年(1931)中山伸、伴野憲らと三人詩誌「友情」を創刊。昭和4年暮れに夭折した盟友野々部逸二の遺稿詩集「夜の落葉」を三人で編集、刊行する。
昭和13年(1938)この頃、信州上林温泉に逗留、詩風の変化を試みる。
昭和16年(1941)第四詩集「黄い扇」を自家版として出す。戦時中は文学報国会に関連した「中部詩人連盟」の幹部として活動。名古屋市翼賛文化連盟主催綜合芸術展に野口米次郎、中山伸と共に審査員となる。。
昭和20年(1945)戦災に遭った一家は、愛知県丹羽郡大口村野田野山に疎開。
昭和22年(1947)亀山巌、中山伸、伴野憲らと「新日本詩人懇話会」を発起し、吉田暁一郎、永田義天、坂野草史、丹羽壮一、梶浦正之、中条雅二、野川友喜、平林平八郎らと、敗戦焦土の名古屋に新しい詩運動を展開。 。
昭和25年「名古屋市芸術祭」の参加詩作品の審査員となる。のち「短詩型文学連盟」主催による「短詩型文学祭」と改称されるが、伴野憲、中山伸らと終焉まで連年これに尽力し審査にあたる。
昭和26年(1951)丸山薫を会長に中部地区の詩人を集合した「中部日本詩人会」が結成され、呼掛人の一人となり顧問となる。
昭和27年(1952)愛知県警察学校校歌選定にあたった。
昭和28年(1953)中山伸、伴野憲等と「中部詩人サロン」結成、詩誌「サロン・ド・ポエット」を創刊するが、大口村野田の自宅に於いて脳溢血のため急逝。53歳であった。
「曠野」
野は麦の青い薫りと
黄色い黄色い菜種でいつぱいだ、
みなぎつた力を腕に組んだ若者と
陽を全身に浴びて腕を乳房の下に合せた少女と
もつと大いなる人生のために
讃歌をもつてまた鼓舞の姿をもつて地を彩つてでもゐるかのやう。
降りそそぐ陽の微塵は
花粉をもつて粉飾してゐるのか
海の音も眠らされる妖魔が子守歌の中にかくれて
ただようてでもゐるかのやう。
全ての者らが甘い楽園の花精に惑かされ帰る路すがら
忘れた星につまづき
己が翼を忘れ
己が翼を傷け
己が翼を捨てたのを悔ゆる時
おお 夕暮は 順礼の疲れた背から 一日の重荷をおろそう。
人々よ みるでせう
快楽は苦闘よりも重荷を負へる者であることを
大いなる星を 西方のかそかなる星とを、
夕暮の曠野に
なほも祈つてゐる若者と少女のゐるのを。
第一詩集『青い嵐』大正11年
全編は
http://libwww.gijodai.ac.jp/cogito/library/ta/takagihisao-aoiarashi.html
「春断章」
黄と緑の やたら縞のナプキンは
春風をやけに磨くかな
ああ 蜜蜂と揚雲雀
青い空からすべりおちる。
鶺鴒の華奢な扇がひらいたのは
谷の娘の百合の花を見せる手段であったか
盛り上り、かぶさり、なだれ落ちる流
水沫の、水玉のつくる虹、光、音響、河鹿。
花の霞と往く春の短艇は
いまも若荻の中にあるかしら
ああ 暮れなづむ部室に
ひたひたと寄するは何ぞ。
五月の松林をゆけば松蝉しきりなり
忘れられた十字の花は侘びしや
ああ 緑の気流の中に
さまよへるもの、唄ふもの、嘆かうものよ!
中山 伸、伴野 憲との三人詩誌「友情」に発表した作品『碪青磁』
「寒ざらし」
今日はもう昨日ではない
足早やに去った秋の陽射よ!
冬枯れの木立の向ふに
私を案内する
夕霧の瞑想の沼よ!
松葉たく匂ひがする
すえたる菊の香もする
杉苔の冷えたる肌ざわり
今日はもう昨日ではない
やがて 春の日が訪れよう
若草に萌える野の風景が
私を案内する
通りすぎる吹雪の一陣よ!
空の空なるものがある
響きの 果ての響がきこえる
凍えた 地の底に
古い松風の昔がきこえる。
昭和二十八年九月、詩誌サロン・ド・ポエット創刊号に発表され、はからずも絶筆となった作品。
全編は
http://libwww.gijodai.ac.jp/cogito/library/ta/takagihisao-kanzarashi.html


左 大正初年頃
右 詩集『寒ざらし』の中の鬼頭鍋三郎のスケッチ

薬種問屋「伊勢久商店」にて。当家長男に生れた彼は、結局終生を名古屋から離れることはなかった。

当時の建物は今も名古屋市東区大津通りに現存する。

第一詩集『青い嵐』大正11年7月15日 角笛社(大垣)発行
並製 19.2cm×13.5cm 63p \0.80

大正11年7月29日付の高木斐瑳雄のスケッチ

第四詩集『寒ざらし』(遺稿詩集)昭和34年9月26日 139p 18.4×17.0cm 上製カバー 非売 装幀:鬼頭鍋三郎

1