昨年から「テレマーカーでトレイルランナー」と呼ばれる様になったテルゾーであるが、このブログを見る限りはそう思われるのだろうなぁ〜と。そこでヤマ歴をざっと振り返ってみた。
1982年5月 初の登山、焼峰山
丁度30年前だ。中学2年の春、父に連れられて初めて山なるものを登った。小学生の時サッカーをかじったが、体力は並ではあるが運動神経は明らかに他人より劣り、競争心も向上心もない性格。想像以上にキツかったようだ。しかし、非日常の世界と、自分もやれば出来るんだという達成感で山登りにハマった。(のかな?)
1984年7月 焼峰山でソロデビュー
年に数回の地元の山の山行を経て、高校山岳部へ入部。キャラバンシューズを卒業し革製の3シーズン山靴を買ってもらい、靴慣らしに焼峰山へ登る。初めての単独行に全く不安はなかった。むしろ自然との一対一の関係と、内なる自分に触れ、世の中の見方が変わるきっかけになった、か?
1986年8月 受験勉強の最中、飯豊の石転び沢デビュー
高校山岳部では県内あちこちの山へ遠征、そして念願の飯豊へ登る。また、基礎的な技術も習得させてもらった。高体連では登攀が禁止されていたが、新入学生向けの部活紹介で体育館のギャラリーから懸垂下降して壇上に上がった。さらに文化祭ではおそらく創立初、山岳部の展示に一室をもらった。4階屋上から懸垂下降デモをやりたいと申し出したが止められた。
翌年に神奈川県内の大学に入学したが、まとまった休みがあると、バイトの稼ぎで買った山道具を背に、新発田に帰り周辺の山や飯豊に入った。当時は晴れの日帰り山行でも雨具、着替え、非常食を持ち、人よりも大荷物であった。飯豊の縦走ではいつも3泊〜4泊かけてゆっくりのんびりとヤマに入り浸るスタイルで楽しんでいた。もちろん単独テント泊で、現在は幕営禁止の場所でも張ってた(ゴメンなさい)。山でスキーなぞ邪道だ、と思っていたがテレマークスキーに手を出した。
バブル最盛期に卒業、Uターン就職。なかなか慣れない社会人生活の中、ソロでの山遊びは続く。また健民少年団の指導者としても子供達に野外活動を教え、楽しんでいた。
そして、テレマークスキーを介しての山仲間が出来て楽しみ方が広がり、厳冬期の山にも入る様になる。
さらに、その仲間が皆呑んべえ。僕も嫌いではないので当然そうなる。
しかし、遅ればせながらの結婚〜子供の誕生と人生の流れは進み、家族に費やす時間が増える。元々休日夜間勤務もある職業なので、自ずと自分の時間は減り、山に入り浸る回数も減ってくる。そしてまさかの母の病気入院〜他界。母が先に逝ったせいか父も病気持ちとなり、健康とは言えない身体になった。ガッツリとヤマで遊び呆けている訳にはゆかない。
そんな中、いつもの慣れた地元の山を軽装で半日行程で行ってもみようかと実行。半日であれば家族対策もカンタンだし。でも最初は走るつもりなど毛頭無かったし出来る訳無い、と思ってた。
が走ってみた。走れた。。楽しい。。。
ヤマに入る回数も増えた。ウレシイ。
で、今日に至る。
なのでテルゾーは、マラソンランナーやアスリート系ではない事をご承知おきください。

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