目の前に見える映像。これは現実。
我が身には及んでいないが、どうしたら良いのか。
11日の昼過ぎ、トイレに入ってたら揺れ始める。これ以上大きくなるなよと念じながら用を足しつつその長さにこれはただ事ではない予感。
現場から早々に帰社しようと車を走らせるが踏切が開かず渋滞。遠回りして跨線橋を渡る。同僚が緊急車でサイレンを鳴らしパトロールに向かって行った。会社に着き、応接でテレビをチラ見してその地震の大きさに震える。僕は社内待機となった。
幸い我が街では震度3〜4程度で実被害はなかった。19時半過ぎに社内待機から自宅待機へと変更=アルコール無し、となった。テレビで見る映像に、不安感がつのる。落ち着かないまま床に入る。
翌朝4時の地震に起こされ、出社しようかと悩んでいたが、カミさんが心細いという事で、明るくなって6時過ぎに出社した。出動者は思った程おらず、保安要員の3分の1弱。前日出来なかったデスクワークをこなし、8時半に帰宅する。
帰宅し、食事を摂りながらも被害状況のニュースに釘付けとなる。
実は、阪神淡路大震災、中越地震、中越沖地震、3回の災害「復旧」応援に微力ながら携わって来たが、今回の被害はどうもそれらとレベルが違う。つまり「復旧」に取りかかれるまでのメドが2週間程度なのか、1ヶ月かかるのか見当がつかない。
現実かと思われる様な街の消失、あまりに多くの人命が不明な今の状況では「復旧」計画を立てられるのであろうか。原発の「事故」も然りである。
僕もいずれ現地に赴く事になる可能性は多いにあるが、現時点では亡くなった方々の冥福を祈るしか無く、その家族の無念さを思うと虚無感で縛られそうである。早急な願いは、避難されている皆さんに温かい食事と温かく休める環境を提供出来る様、諸方面の努力に期待したい。
その様な状況につき、予定していた二王子岳には気持ちが乗らずに行かなかった。せっかくの好天ではあったので、雪消えの庭の整理をし、子供達も春の陽光の下で遊ばせた。身体を動かしたかったのだが、被災した方々と比べたら何とも幸せな時間を過ごしていた。


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