NHKの朝ドラ『おひさま』と同じく、ここでも高良健吾が「カズさん」と呼ばれている。もちろん、同じカズさんでも性格は大違い。『おひさま』でのカズさんは親孝行で礼儀正しく聡明かつ品行方正で子どもたちに優しく、まったくもって非の打ち所がない若者です。一方、『軽蔑』でのカズさんは親不孝で礼儀知らずで頭が悪く、どうしようもないチンピラ。これから『軽蔑』をご覧になる方々、くれぐれも高良健吾に『おひさま』でのキャラを期待しないように! って、する人はいないでしょうが。
ところで、この映画のキャッチコピー「世界は二人を、愛さなかった。」を考えた人、本当にこの映画を観たんでしょうか? これ、「愛されなかった」どころか、愛されすぎてダメになった男の話じゃん。ほら、最近あんまり使われなくなった言葉に「スポイルされた」ってのがあるでしょ? 直訳すると「損なわれた」「台無しにされた」「腑抜けにされた」というような意味。「ぬるま湯のような環境でスポイルされていく」とか「過保護に育てられてスポイルされた」という感じに使われていたもんです。
この映画の主人公は、その「スポイルされた」を絵に描いたような男。裕福な家庭に育ち、見た目や人当たりの良さから周囲にチヤホヤされて、スポイルされまくったダメ男になっていったわけです。そういう背景は作品の中でちゃんと描かれているし、大森南朋演じる顔役が主人公に「なんでお前ばっかり愛されるんだ」みたいなセリフを吐くシーンもあるのに、なんで「愛されなかった」なんて宣伝文句が出てきたんだろ。鈴木杏演ずるヒロインだって、別にそれほど世間から疎外されていないじゃん。踊り子仲間たちとも仲良さそうだったし。
などとキャッチコピーに苦言を呈したわけですが、作品自体も決して出来が良いとは言えません。何よりの失策は……えっと、鈴木杏のファンのみなさん、ごめんなさい。はっきり言って彼女はミスキャストです。こういう役を演じるなら、もっと色っぽくなきゃダメでしょ。「いい女」じゃなきゃアカンでしょ。そういう意味では、主人公の同級生役で少しだけ出てきた蒼井そらの方が、この役柄に合っていたように思いました。鈴木杏に似合うのは、やっぱり明朗快活なキャラクターじゃない? もちろん、これまでのイメージを覆すような役柄に挑みたいという姿勢は讃えてあげたいんだけど、いささか時期尚早のように思えたなぁ。というより、せめて、もうちょっと細身になって……ゴホゴホッ。
失礼ついでに、もうひとつ。鈴木杏ってヴィンス・ボーンに似てるよね? ゴツい感じが……あわわ、鈴木杏ファンのみなさん、怒らないでっ。つまり、ヴィンス・ボーンに似て男前、ってことです。
さらに苦言を呈すると、物語を現代に置き換えたのも失敗だった気がします。原作は未読だけど、当然まだ携帯電話も存在しなかった時代の話でしょ? その当時だと、いわゆるフーゾク産業に従事していた女性が田舎町に移り住んだりすると、ずいぶん白い目で見られたものだと思います。でも、今はそれほどでもないんじゃない?
もちろん、保守的で閉鎖的な田舎町ではそういう傾向があるのは今も同じだろうけど、原作が書かれた時代に比べれば「世間の目」の厳しさはかなり和らいでいるような気がします。というより、普通の女の子がフーゾク産業の世界に足を踏み入れるハードルが下がった、と言った方がいいかな。キャバクラっぽいところで働いていた経験を持つ女性に好奇の目を向けるとしても、「軽蔑する」とか「迫害する」には至らないんじゃない?
そもそも、この映画ではいまひとつ「田舎社会の閉塞感」が上手く描かれていない(むしろ、すごく自由気ままに振る舞える場所のように見えてしまう)ので、ヒロインが地域に受け入れられていないようには見えないのよ。だから、1970年代とか80年代とかを舞台にして、なおかつ「ムラ社会の閉塞感」みたいなものを、もっと強く感じさせるような工夫をすべきだったと思います。
手持ちカメラ&長回しの多用も、この映画に関しては成功していないように思えました。もっと率直に言うと、手持ちカメラによって画面がブレるのは、はっきり言って勘弁してほしいです。観ていて気持ち悪くなるもん。被写体自体が走ったりしているシーンならともかく、「テービルをはさんで二人が座ってる」というようなシーンでもブレるのはダメでしょ。たまに「カメラのブレが登場人物の感情を表している」なんて解釈を耳にするけど、そのブレ具合は単にカメラマンの腕力次第、ってことじゃないの? 以前、同じ廣木隆一監督の『恋する日曜日 私。恋した』(主演は堀北真希)の時にも、カメラがブレまくってて閉口したもんです。
以上、苦言ばかりでしたが、最後のシークエンスにも文句を言わせてくださいませ。あ、もちろんネタバレしまくりですので、未見の方は読まないように。
えっとね、最後の部分、どうしてタクシーの車内なわけ? あんなに血まみれで息も絶え絶えの客を運転手さんが乗車させる? させたとしても、客が死にそうだったら警察か病院に連絡するでしょ? 車内ではカズと真知子の会話が延々と続き、タクシー自体はひたすら走り続けているわけだけど、そこで運転手さんがまったく声をかけたりしないのはあまりにも不自然すぎるじゃん。後部座席での会話が聞こえないはずないのに。
これがたとえば海岸とか道端とかだったら納得できるんだけど、なんでわざわざタクシーの車内にしたのか、その意図が僕にはまったく分かりませんでした。それが気になって、余韻も残らないまま映画はオシマイ。高良健吾の端正な顔立ちやしなやかな身のこなしは相変わらず魅力的でしたが、だからこそ余計に残念な映画でした。

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