珈琲は僕一番の飲み物
喉に残るほろ苦さが
凍てつく心を甦らせ
ふんわりと昂ぶり
再び生きさせる。
窓から射しこむ淡い光と
小鳥のさえずりに
時々したたれる水の音も
ただ気持ちの中を透りぬけ
このまま気が遠くなりそう。
甘美な夢のような部屋のなか
真昼の雨が海鳴りのように響き
このひとときが
不思議なほど落ちつく。
(1963年高校一年の日記に書いた雑文より)
思わず出てきた高校時代の日記はタイムトラベルのように私を画学生の過去に引き戻した。画家ジョルジュ・ブラックの死去やケネディ大統領の暗殺にショックを受けたことなども書いてあり、美術クラブでのことや級友との初恋の葛藤が同窓会に出席できないトラウマになっているのかもしれない。父母には申し訳ないが卒業しても会社勤めしない決意と親から独立し自分に素直に生きる望みも書いてあり、それが50数年後の現在の自分の生き方そのものだったので唖然としてしまった。
漫画家のヒサクニヒコさんから「秘密の日記はいつ公開?青春は苦くて、でも可愛いものです。ぜひ!」とFacebookのメッセージをいただいたことが心に残り。ブログというのは公開されるが同じような日記は自分自身の心の記録なので、やはり心の中に封印した秘密であるべきだろうと思う。でも、その一部ではあるが17歳当時の拙い雑文を冒頭に公開させていただいた。コーヒーは上京してからの習慣だったと思いこんでいたが、高校生の頃から愛飲していたことをその日記で知った。
フリーランス・イラストレーターになり絵画蒐集家で実業家の福富太郎さんから依頼されて出来た絵を届けに行ったある日「君は、どんどん遊ばなければダメだよ」と私の為にアドバイスしていただき石部金吉の私は苦笑した。私生活の告白になってしまうが初恋の人と結婚して妻を裏切る過ちは一度も無く、子供と動物や自然を好み生活も仕事も全ては愛のためで他に人生でやるべき事は何一つ無いと生きてきた。それが気がつけば当時の日記に書いてあった自分の望む生き方の夢が叶っていたのだった。家庭と仕事では僥倖に恵まれ運が良かった。もちろん雨や嵐の日もあったが家庭を守ってくれた糟糠の妻とシア充に生きてこれたと感謝している。
人生は望む通りの生き方が出来るものではないと思っていた。今になって振り返れば、人生あれもこれもと欲張らず、不器用ながらも無意識に飽きずに望む一つの生き方を諦めなかったのだろうと思う。悩みを持つことが自分を支え、それを真面目に乗り越えていくしかないのだろう。大事な事や愛は常に身近にあり、絵を描くことは孤独でなければできないと自分なりの解釈や生き方を探してきたのだと改めて気がついた。

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