まだ時々風は強いが澄んだ晴天になり、風も涼しくなってきた。連続して襲来した台風は享楽的な夏を乱暴に終わらせるかのようだ。朝夕はすっかり落ち着いた秋の気配がするようになり、夜に響き渡る涼やかな虫の音を聞きながら風の音におじけづく少年の頃のトラウマを思い出してしまった。
八月中頃に上陸した台風7号の一週間ほど後に襲来した台風9号は大雨と暴風をもたらし、農家のビニールハウスを押し潰すように壊し、水田の稲穂を全てなぎ倒した。散歩道の防風林は折れて葉や枝などが道路に散乱し、拙宅の周囲は畑と牧場の平坦地で山と川の危険は無いが、夜中に断続的な停電が続いた。
その約一週間後に迷走しながら接近してきた台風10号はより勢いを増した強い大型の台風で30日に関東地方へ上陸すると予報され、不要不急の外出は控えるようにとニュースで言っていた。その用心として家の周囲にある強風に飛ばされそうな物などを早々とかたづけながら警戒していた。
ところが首都圏では30日の空模様は暗雲が垂れ込めたり少し青空が見えるなどめまぐるしく変化するだけの一日だった。幸いなことに雨量や風もたいしたことはなく、心配していたほどの被害がなくて良かった。台風10号は銚子沖と福島沖を北上し夕方には東北地方を横断して温帯低気圧に変わったそうだ。
観測史上初めて東北地方に上陸したとのことで東日本被災地と福島原発などが暴風や高潮により再び被害を受けるので心配した。北海道でも暴風や大雨による被害が相次いでいるとのことで時代が進んでも台風などの自然災害には人間は無力であると思い知らされる。昭和34年小学六年生の頃に伊勢湾台風が郷里の北陸を通過した。
当時は長屋のように隣同士が接続している古い町家に家族で住んでいた。大型の強い伊勢湾台風の用心に父は雨戸が飛ばされないように釘打ちし、ガラス窓なども外から大きな板を釘打ちして塞いでいた。いよいよ響き渡る風の轟音と共に伊勢湾台風が襲来し、家全体が軋む不気味な音と共に畳が浮き上がりはじめた。
その畳を父が持ち上げたので、その畳の下に敷いてあった新聞紙が部屋の中に舞い上がった。父は縁側の大きなガラス窓にその畳を立て掛け、私に内側から身体全身でその畳を押さえていろと言い残し、父は二階へ駆け上がって行った。必死に無我夢中で畳を押さえ風圧に耐えていたが、驚くことに目前の平らなガラス板が内側に迫り出し湾曲し限界を超えて今にも音をたてて割れそうだった。

2016.8.27,Copyright(C)2016 AoiFujimoto. All Rights Reserved.

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